本に挟んだ紅葉の色は?

月見里清流

忍ばせた想いは時を超え

 ――此処に一冊の本が在る。


 戦前の装丁重々しく、されど中身は純情を謳った少女小説である。

 年月の経るままに、褐色にくすんだ背表紙は、それだけでもその本が辿った時間の重さに思いを馳せるに十分である。

 私が古本屋で購入したモノだが、――何の感慨もなく、ただただ古くて目を引いたからという理由だけで、出会い、手にした一冊だった。


 書き手は、見知らぬ作家。

 読み手はうら若き乙女達。


 九十年前の少女達。もうほとんどがこの世にいまい。

 しかし、どこまで読んだか、何が気になったのかは、今この瞬間にでも分かる。



 ――使



 淡く儚く切なく辛い――、想いが転じて色になる。


 往時、目を喜ばせた紅葉の緋色は既に無く、つちいろかはたまた焦げ茶か、紅葉の色はページに深く染みついている。


 この少女小説では、女学生が街で見かけたハンサムな男性を巡って、伝えられない想いに悩む所に、まず一葉――。


 男は帝大生。下宿先から大学に向かうところで、女学生と出会ってしまう。

 一目惚れに理由など必要ない――。


 女学生は、見初めたその日から、胸にわだかまりを抱えるのだ。

 年も違う、学歴も違う、なにより男と女――住む世界も違う。

 それでも会いたいと恋い焦がれる。悩みは頭も身体も鈍らせ、学業にも響く。


 同級生の支援もあって――、男と話すことが出来たものの、家格も違った。向こうは企業の御曹司、こちらは掃いて捨てるほどいる、ただの都市労働者の家系。


 ――叶わぬ恋なのは目に見えていた。


 それでも、帝大生も気があったのか、銀座を練り歩く『銀ブラ』に付き合ってくれる。

 喫茶店にて、他愛もない会話。

 心は段々と苦しくなる。


 そこにまた一葉――。

 さらに赤鉛筆の一閃が走る。

 揺れることなく、それでも優しく――、台詞を強調する。


「貴男と私は離ればなれになるなのでせうか」


 この本の持ち主は、劇中少女の悲嘆に心を寄せたのであろう。

 少女はまた後日、帝大生徒会う約束を取り付けるが――、家に帰った途端突っ伏してしまう。

 恋煩いと一言で片付けられようが、本人は気が気でない。

 結ばれたい、でも、世の中はそうなっていない。

 だから、苦しむ。


 話としては既に佳境にあり、残りのページ数は少ない。

 それでも、大小数枚の紅葉が、頻繁に挟まれていた。

 

 数ページ先に、また一葉。そして赤鉛筆。

 帝大生徒の会話が、朱に染まる。


「いいえ――、こんなに狂おしい程愛してゐるのに」


「しかし、僕も君も、まだ若い」


「手切れ金なんて――」


「流浪の身となっても、貫ける愛はあるのかい」


 ここまで読んで、やっと気づいた。

 これは言わばだ。

 あいうえお作文と言ってもいいだろう。

 頭文字を並べれば、子どもでも分かる『愛の言葉』になる。


 本の最後――。

 親の介入により、付き合い続ければ勘当になると脅され――、少女の願いは露と消えた。

 それでも待ち続ける想いこそ、尊いものだと作者は勝手に結ぶ。

 少女小説としてはあまりに報われない。

 時代の様相、その一形態――そう思えば、それはそれでセピア色の物語なのだろう。


 ただし――、最終ページ後の白紙に、手書きでこう書かれていた。


 『愛するS――お姉様へ』


 女学校特有の――、エスと呼ばれる恋愛、師弟の関係。

 複雑な乙女心。単なる飾り言葉か、同性への愛であったか。


 世の中は、自由な愛を認めはしない。

 それでも想うことは自由であり、なるほど尊いものである。

 それは決して色褪せることなく、後世にも鮮やかに蘇る色だと、挟まれていた紅葉を眺めながら、私はそっと本を閉じた――。


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本に挟んだ紅葉の色は? 月見里清流 @yamanashiseiryu

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