その場でコロンと横になるかと思ったのに、クルテはわざわざ壁際に移動した。

「端っこが好きなのか?」

仕方ないからピエッチェも移動する。


「ここなら壁に寄り掛かれる」

寝そべったクルテが面倒臭そうに言った。ブスッとしていたのは眠気のせいか。言い終わった途端、眠ってしまった。


「手を握ってやらなくても眠れるじゃないか」

苦笑するピエッチェに、

「目が覚めた時、近くに居て欲しいってことよ」

マデルが言った。少し離れたところで壁に寄り掛かって座っている。その対面に、やはり壁に寄り掛かって座っているのはカッチーだ。


「二人とも、寝ないのか?」

「もう少し起きてる……話してもいい?」

「俺と? それともカッチーと?」

「二人と」

「なんの話?」

「クルテの話」


 また責められる? そう思ったのが表情に出たのだろう。マデルが慌てて

「クルテとどんな話をしたのか、聞いて欲しいのよ」

と付け足した。


 カッチーが戸惑って

「俺も訊いちゃっていいんですか?」

小声で問えば、

「クルテが二人になら話していいって言ってたでしょ――まず、なんでクルテがうなされるのか、そのあたりを詳しく話すわね」

チラリとマデルがピエッチェを見る。ピエッチェは何も言わず、身動みじろぎもしない。制止されることはないと思ったのだろう、マデルが話し始めた。


「クルテはこう言ってた――十四歳の時、とても怖い思いをした。その時のことを今も夢に見る……」


 マデルの話は、ピエッチェが聖堂の森でマデルにした話と違っていた。クルテはマデルには違う話を聞かせたのか? それとも、作り話をするから口を挟むなと言いたくて、話し始める前にマデルはピエッチェを見たのか? 


「真夜中に叩き起こされたかと思ったら、階段下の隠し部屋に閉じ込められた。閉じ込めたのはクルテのお母さん、なにがあっても声を出しちゃいけない、ここから出ちゃいけない――」


 『警護隊に報せろ!』父が誰かに命じている。裏口へ去る足音は聞こえなかった。聞こえてきたのは玄関の扉が破られる音、怒号に罵声、剣を討ちあう音、うなり声、断末魔の叫び、母の悲鳴……手で耳を塞いでも聞こえてくるそれらに、何が起きているのかは容易に想像がついた。見たこともない出来事が、強く目を閉じても脳裏にまざまざと浮かんでくる。


 やがて剣の音は聞こえなくなり、代わりにあちらこちらで物を壊す音に変わった。物色している音だ。さらに男たちの笑い声、早くしろよと急き立てている。同じ場所から聞こえるのは喘ぎ声と泣き声、その泣き声が止んで……


『チッ、死んじまったよ』

『首を締めりゃあ死んじまうさ。おまえ一人で楽しみやがって』

『力加減をチト間違えた。お上品な奥さまが苦しみ藻掻くもんだから、余計に興奮しちまってよ。ま、貴族たって、モノは下々の女と変わらなかった』

『こんないい女、そこら辺に居るもんか』

『あぁ、確かに。酒場の女じゃこんなに綺麗な顔や柔らかな肌は味わえねぇ――そう言えば、娘が一人いるはずだ。としは十四、まだ青いが母親譲りの美貌ってもっぱらの評判だ』


 マデルがそっと溜息をつく。

「必死で探すが見付けられない。諦めた男たちはクルテが隠れた部屋のすぐそこで、屋敷に火を放つ相談をし始めた。板壁一枚隔てた向こうだ。それだけでも震え上がっていたのに、突然板壁がやぶかれた。見付けられないことに怒った男が壁を蹴っ飛ばして、隠し部屋の違い戸を外しちまったんだよ」


 こいつぁいい……舌なめずりする男の後ろから、『母親よりもさらに上玉だ。殺さず生かして長く楽しもうぜ』そんな声も聞こえた。


『お嬢ちゃん、温和おとなしくしてれば痛い思いはさせないよ』

『そいつは無理ってもんだ。最初は痛いらしいからな』

『なぁに、すぐに良くなるさ。もっともっとってようになる。それまでの辛抱さね』


 狭い部屋の中、後退あとずさりするもののすぐに掴まり押し倒される。し掛かかってきた男の体重、臭い息に吐き気がする。叫びたいのに恐怖で強張り声が出ない。涙だけがポロポロと頬を流れていく。


 男はクルテを抑え込んだまま、下のほうでモゾモゾ手を動かしている。脱いでるんだ、そう思った時、不意に男の動きが止まった。続いて重みが遠ざかり、束縛が消える。

『ぐわっ!』

くぐもった叫び、

『大丈夫か!?』

別の男の声――警護隊だ。ふらふらと立ち上がったものの、目に入ったのは今の今まで自分を押さえつけていた男、口から血を流し……死んでいる?

『おい! しっかりしろ!』

遠のいていく意識の中、警護隊の男に抱きあげられるのを感じていた。


「クルテを囲んでいた男たちはあっという間にやられたらしい。圧し掛かっていた男はに夢中で、そんなことになっていると気が付かなかった。屋敷を襲った男たちのほとんどは成敗されたらしいけど、もともと何人で襲ってきたのか判らないからなんとも言えない。屋敷に居た者は、最初に屋敷を抜け出して警護隊に走った召使とクルテ以外は全員殺された。回復したクルテが自分を助けてくれた警護兵からそう聞いたって」


 しばらくは警護隊長……クルテを救ってくれた男の屋敷に身を寄せた。警護隊長はクルテに同情し、男を怖がるクルテの部屋には召使でさえも女性以外は近寄らせずにいてくれた。クルテが男を見ただけで、怖がって震えるようになっていたからだ。そんなクルテも警護隊長だけは怖がらなかった。


「そこに居たのは一月くらいだったって。行くあてもないのにクルテ、黙って出て行っちゃったらしいわ。それからは森の中で暮らしてたって言ってた」

「なんでそんなに恩になった相手になにも言わずに出て行っちゃったんですか?」

カッチーがもっともな質問をする。マデルがそっとクルテを見た。


「隊長さんを好きになっちゃって、そばに居るのが苦しくなったのよ。だけど隊長さんには、結婚したばかりの奥さまがいてね」

「その奥さんがクルテさんをいじめたとかですか?」

ムッとするカッチーにマデルが苦笑する。

「ううん、とっても優しい人だったって。いつまでも、居たいだけここに居てねって言ってくれたって」


 どん底の恐怖の中、抱き上げてくれた温かさ、救い出されてからも続く優しさに、寄る辺をなくした少女が縋りつきたくなるのももっともな話だ。ピエッチェがそっとクルテの髪を撫でる。そしてハッとする。待て、マデルの話はクルテの創作だ。だってコイツは魔物で、こないだまで封印されていたはずだ。そしてその前は、生まれた森の中で暮らしていた……うっかり錯誤するところだった。


 だからって、その真実を言う必要はない。マデルに訊かれて黙っているわけにいかなかったのだろう。ここはクルテに合わせておいた方がいい……


「魔法が使えるって気が付いたのは警護隊長の屋敷を出て、森に住むようになってからだって。そこで魔法の鍛錬を積んで、男に負けないよう剣や武道の稽古に励みもしたの。全部自己流、それでもあんなに使えるんだから凄いわよね」

「マデルさんは、クルテさんの武道はザジリレン流じゃないって言ってましたよね。自己流だったってことですね」


 クルテのヤツ、マデルが感じていた疑問や矛盾を巧く解いた。マデルはすっかりクルテの話を信じている。私兵を置けるほどの大貴族ならともかく、貴族の屋敷が盗賊に襲われるのはよくある話だ。眠っていた魔法を行使する力を、なにか特別な体験が目覚めさせるのも珍しい話じゃない。クルテの場合、潜在していた力が少し強すぎる気もしないでもないが、そのあたりは自分では説明できないことだ。


「でも、幾ら戦えるようになったところで心の傷はえてくれない。クルテは今でもその時の夢を見てうなされることがあるのよ」

「忘れるのが一番なんでしょうけど、忘れようと思って忘れられるもんじゃないですよね」

「そうね。だけどクルテ、言ってたわ。ピエッチェが一緒に居てくれるようになって、毎晩いやな夢を見ていたのにたまに見るだけになったって」

「そうなんですね……」

マデルとカッチーがゆっくりとピエッチェを見て、すぐにまたゆっくりと視線を元に戻した。


「怪我をしたピエッチェを看ていて、今度は自分が誰かを助ける番だって感じたそうよ。薬草だけじゃなく、思いつく限り、できる限りの魔法も使ったけれど、左肩は治せなかった。それが申し訳ないって。クルテのせいじゃないのにね」

「うん、ピエッチェさんに怪我をさせたヤツのせいですよ」

「それでもクルテはなんとかしたくて、ピエッチェが寝ている間、左肩に魔法を使い続けたそうよ。で、気が付くとピエッチェのベッドに潜り込んで眠っちゃったんですって」

マデルがクスッと笑う。


「それがね、ピエッチェの腕に抱き着いて眠ったら悪夢を見なかった。だからピエッチェが起きる前に抜け出すようにして、こっそり隣で眠ることにしたんだって。それがとうとうピエッチェに気付かれちゃった」

「どうなったんですか?」

「クルテが理由を話すと、ピエッチェは判ったって言ってくれた。隣で寝てもいいって、許してくれたんだって――俺は男の数に入ってないんだなってピエッチェは笑ったらしいけど。ほら、クルテは男が怖かったから」


「そうですよね。でも、ピエッチェさんのことは怖くなかったってことですよね?」

「クルテが言うには、ピエッチェは自分を襲ったりしない。それがなんとなく判ったから、って言ってたけど……一緒に居るうちに、別の理由にも気が付いたって」

「別の理由って何ですか?」

「詳しくは教えてくれなかった。きっと、ピエッチェのことが好きなんだって、自分で気が付いたってことじゃないかな?」


「それは違う」

黙っていたピエッチェが、急にマデルの意見を否定した。

「そんなんじゃない」

だって、クルテは魔物で恋愛感情なんかを持つはずがない。作り話に口出ししないつもりだったのに、自分に関わりが出てきて言葉が口を突いて出てしまったピエッチェだ。もちろん、クルテは魔物だから、なんて言えはしない。


「そうじゃないなら、どうだと思ってるの?」

「好きは好きでもマデルが言ってる意味はないんだ。父親代わりとか兄のようなとか、そんなところだ」

「そうなのかしら?」

マデルが考え込む。

「そんなニュアンスじゃなかったけど……」


「クルテ自身が俺を好きだって言ったわけじゃないんだろう? マデルがそう感じただけで」

「ピエッチェが好き、ってのはどんな意味かは別にしてはっきりわたしに言ったわ。ただね、不思議なことも言ったの――好きって言っちゃったら一緒に居られなくなるって」

「なんだそれ? 俺がアイツを嫌うとか避けるようになるってことか?」

「あぁ、それ、わたしも思った。そうじゃないって言われたわ」


 するとカッチーが、

「好きって言ったら一緒に居られなくなるって、なんだか女神の娘の話みたいです」

と言った。


女将おかみさんと交換した本ってオムニバスなんだけど、その中の一つに『女神の娘が人間の男を好きになった。どうにか思いを伝えたいけれど、自分から恋心を男に伝えると身体が霧になってしまう。だから言えない』そんな話です」

「カッチーったら、クルテが霧になっちゃうとでも言いたいの?」


 マデルの声がピエッチェには、虚ろにしか聞こえなかった。

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