ピエッチェの視線を追ったマデルが、

「クルテ、眠そうね」

と笑う。

「部屋に行って横になる?」


 ピエッチェをチラリと見てから答えたクルテ、

「ううん。一緒に居る」

欠伸あくびを噛み殺す。


「今日もいろいろあったから疲れてるのよ。横になってしっかり眠ったほうがいいって――ねぇ、ピエッチェ。寝室に連れてってあげたら?」

マデルに促されたピエッチェがウンザリと溜息をつく。

「なんで俺が毎晩子守りをしなきゃならない? 子ども扱いを嫌がる癖に、こんな時だけ甘えるなよ」


「あんた、機嫌悪すぎ。わたしに言った話はどうなっちゃったのさ?」

呆れて不思議がるマデルにマジマジと顔を見られながらピエッチェが答える。

「俺じゃなくてもいいんだって、判ったってことだ」


 そうだ、イライラの原因はこれだ。俺の知らないクルテをマデルは知っていた。言葉を探している? 巧く伝えられない? 嫌われたくないってのは昨夜聞いた気もする。でも、俺よりマデルに先に話してた。それに……


「なんだ、焼きもち妬いてるだけ?」

「そんなんじゃない」

「それじゃあなんなの?」


 焼きもちなんかじゃない。そりゃあ少しはあるかもしれない。でもそれだけじゃない。


 クルテが愛しくてたまらない。目覚めた時の含羞はにかむような笑顔を眩しいと感じ、日の出が見たいなら幾らでも見せてやると思った。パンを強請られた時も、甘えられることに喜びを感じた。『嫌わないで』とおまえは言うけれど、どうしたらおまえを嫌えるのか教えて欲しい。


 なんでおまえは魔物なんだ? いや違う。どうして俺は魔物を好きになった? おまえを人間にしない事には一生添うなんて無理なのに? 人間になるって保証はどこにもないのに?


「一緒に居過ぎなのかもしれない」

やっと答えたピエッチェに、今度はマデルが溜息をついた。

「クルテと居るのに疲れちゃった?――あんた、ひょっとしてロクに眠ってないんじゃないの?」


「そりゃあマデルさん。寝る暇なんかありませんよ」

笑うカッチーを、

「あんたは黙ってな!」

マデルが珍しく声を荒げ、

「カッチーを叱っちゃダメ」

と、クルテが庇う。マデルが再び溜息をつく。


「そうだね、クルテの言うとおりだ。カッチーにあたっちゃダメだよね……でもね、カッチー。申し訳ないけれど、あんたには言っていないこともあるし、茶化して欲しくなかったんだよ」

「はい、反省します。真面目な話をしてるんですよね」


「まぁ、いいや。クルテ、今夜はわたしと寝よう。いいよね、ピエッチェ?」

「あぁ……うなされたら抱き締めてやってくれ」

「うん、任せて。たまには一人でゆっくり眠るといいよ」


「魘されるって?」

訊いたのはカッチーだ。マデルが微笑んで答える。

「まぁ、今度教えるよ。今日はもう寝よう――そう言えば、寝室をまだ見てなかったね。ベッドは何台置いてあるんだろう?」

見てみます、カッチーがサッと立ち上がって、四つある寝室をすべて覗いてから言った。

「各部屋、二台ずつ置いてありますよ――なんか、奥に細長い部屋です」


「窓はある?」

クルテの質問に

「窓はありません。縦並びにベッドが二台、横を通るようになってます。さらに奥にあるドアはバスですね、きっと」

部屋を見ながらカッチーが答えた。


「なんだか変わった作りね。まぁ、文句も言えないわ――クルテ、行こう。寝るよ」

立ち上がったマデルに、

「ダメ、ここに居る」

とクルテが言った。


「あぁら、わたしと一緒じゃいやなの? たまにはいいじゃない」

「ダメ、離れない」

動こうとしないクルテにカッチーが

「ピエッチェさんなら心配ないですよ。俺が一緒の部屋で寝ます」

と、クルテが居ない時はピエッチェから離れるなと言われたのを思い出して言う。


「いや、それはごめんだ。おまえと同室じゃいびきが煩くて眠れない」

真剣に拒むピエッチェ、

「えぇ? 俺の鼾ってそんなに酷いんですか?」

マデルに怒鳴られた時よりカッチーがしょぼくれる。


 そこでクルテが真面目な顔で

「ピエッチェと一緒に寝てもいいのはわたしだけ。わたしが一緒に寝るのはピエッチェだけ」

ポツリと言えば、カッチーがピエッチェを盗み見る。


 マデルが困り顔で、

「でもね、クルテ、今夜はわたしと一緒に、ね?」

なだめるように言った。


「うん、マデルも今夜は一緒。カッチーも」

「えっ?」

戸惑うマデルに、ピエッチェが言った。

「うん、今夜はこの部屋で四人一緒だ――カッチー、寝室から毛布を四人分、持って来い」


「毛布は使わないほうがい。暖炉の火を絶やすな」

クルテの一言に、ピエッチェがすんなり従う。

「判った。毛布は要らない」


「どういうことなのピエッチェ?」

「マデル、耳を澄ませろ」

「あ……あの音は何?」


 静まり返った部屋の中に木のぜる音とは別の音が聞こえた。ギリギリと軋むような音だ。

「なんだと思う、クルテ?」

ピエッチェの問いに、

「なんだろうね? どちらにしろわたしたちは魔物の巣の中だ。四人一緒に居たほうがいい」

と平然と答えるクルテ、

「だから、ここには入りたくなかった」

と、最後にボソッと言った。


 ムッとしたが、確かにクルテはこの家に頼るのを渋った。魔物や獣を恐れて過ごすよりはましだと言ったのはピエッチェだ。

「リュネは大丈夫でしょうか?」

カッチーが不安げに問う。


「納屋だけは別棟だった。だからリュネは無事――わたしたちも納屋を借りればよかった」

「あの女の様子じゃ、そうは言えなかったわよ」

「なんで別棟なら危険がないんだ?」

マデルが言い訳をし、ピエッチェが疑問を口にする。


「納屋はきっと人間が作ったもの。でも放棄されている。母屋は魔物が作った。納屋を手本にしている」

「なぜ放棄されたと?」

「知れたこと、魔物に追い出された。逃げ出した、とも言う」

なるほど……


「窓があったのは玄関の間だけ、廊下に一つもなく、この部屋にも寝室にもない。そして廊下は曲がりくねっていて長かった――この部屋は建物の深奥にあると思って間違いない」

クルテがゆっくりとピエッチェを見た。

「朝を待つしかないと思う。あの魔物が襲ってくるとは限らない」


「襲うつもりがないならなぜここに閉じ込めた?」

「泊まる場所を提供しただけかもしれない。入り口から一番近くて貸せるのはこの部屋しかなかった」

「廊下にはドアがたくさんあったぞ?」

「ドアの向こうを確認したわけじゃない。見せかけだけかもしれない」

ばかりだな」


「ひしひしと感じるんだ。あの女はここで子どもを育てる気でいる」

「子ども?」

「ドアの数だけ子を産むつもり。でも、まだその時期が来ていない」

「って、ここに男もいる? いや、まさか、ハァピーみたいに男を狩るとか?」

「はっきりとは言えないけれど、ハァピーと違って人間の男に興味はないと思う。きっと繁殖期になれば、匂いを嗅ぎつけてオスが飛来する……或いはすでに交尾は終わっている」


「クルテ、おまえ、魔物の正体が判ってるんじゃないのか?」 

「推測でいいのなら、虫だ」

「虫?」

「緑色の中に二筋金色の髪、あれは触覚。長い触覚から見て、カミキリムシ」


「カミキリムシなら幼虫を木に産み付けるわね」

マデルが口を挟む。

「そして木に穿孔を開けての生息……成虫は木の中にまでは入り込まないけれど、魔物だからそうとは限らない?」


「うん。で、成虫も幼虫も草食、だから襲って来ない。多分」

ここでの多分はやめて欲しい。ピエッチェの表情が硬くなる。

「多分じゃ困る。成虫のあごは強力だぞ?」


「噛まれなければいい。こっちが何もしなければ噛んでこない」

「それじゃあ、なんで四人一緒に居たほうがいいんだ?」

「推測がはずれた時の備え」

「なんで毛布は使わないほうがいい?」

「ベッドや寝具はきっとおがくずだ。しかもフン混じりかも。この部屋はきっと、不要になったものを溜めておく場所」


「俺たちはゴミ扱いってか?」

苦笑するピエッチェ、マデルが、

「朝食を用意するって言ってたよね?」

と新たな疑問を、とってもイヤそうな顔で言った。

「何を食べさせるつもりでいるのかしら?」


「見た目はご馳走、でも材料はやっぱり木の粉……自分も一緒に食べるつもりなんだから」

「見た目だけ? 味は?」

「幻覚を起こす魔力を持ってるんじゃないかな? この建物もきっとただの大木。この部屋も廊下も虫の開けた穴の中」


「朝食、食べないとあの女、怒るかな?」

恐々こわごわと言ったのはカッチーだ。

「魔物だろうとなんだろうと、襲って来なければいいです。でも、わけの判らないものを食べるのは、ちょっと……」

するとクルテがニッコリ笑んだ。

「朝までにはピエッチェが言い訳を考える」


「俺かよ?」

「ピエッチェだって食べたくないと思ってる」

「そりゃあ、まあな――早く家に帰らなきゃならない用事を思い出したって言って、朝食の前に出してくれるよう頼んでみようか?」


「それで素直に出してくれればいい。でも問題は残る」

「どんな問題?」

「出たあとどうするか――荷馬車からここに着くまで、枝を拾いながら印を残しておいた」

「荷馬車に戻るか?」

「できれば戻りたくない」


「それじゃあ、なんのための印なの?」

マデルの問いに、

「迷子の魔法が解けたかどうかの目印」

とクルテが答える。


「もし、迷子の魔法が解けたとしたら、そこは別の森。だから印が付いていない。残っていて荷馬車まで戻れれば、そこは迷い込んだ森のまま」

「荷馬車は捨てるのか?」

これはピエッチェだ。クルテが欠伸あくびをしてから答えた。

「もともと歩くつもりだったんだから歩けばいい。リュネにはマデルに乗って貰う。魔法が解けていれば街に出られる。街で新しい荷台を買う」


「おまえ、眠そうだな?」

「さっきから物凄く眠い。ずっと魔物の気配を感じ続けてるから疲れた――そう言えば、音が遠くなった」

「ギリギリって音か?……あぁ、聞こえないな」


「床に横になっていい?」

クルテが椅子から降りで床に座る。

「ピエッチェ、隣に座って。手を握ってて」


 少しだけ迷ってピエッチェが立ち上がる。クルテと二人きりの寝室よりずっと気が楽だ。それに……本心ではクルテに触れていたい。

「俺は起きてるから、マデルとカッチーも眠るといい。床は少し硬いかもしれないけど、地面よりましだ」

そしてクルテの隣に腰を下ろした――

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