13

 宿の主人あるじの気配に気が付いていたのだろう。手に赤い革袋を持っていて、ピエッチェを見ると黙って手を差しだした。


「それで足りる?」

「あぁ、充分だ」


 かねを受け取り、

「眠れなかったのか?」

と訊くと、

「来るのを待ってた――寂し過ぎて泣きたい気分」

とピエッチェから目を逸らす。


 抱き締めたい。そう感じたが、

「夕食が済んだら早めに寝よう」

と言って寝室を出た。宿の主人あるじが代金を待っている。


 明日の朝食は卵がオムレツになるだけであとは同じと言って主人が本館に戻っていった。


「クルテ、来ないね」

料理をテーブルに並べ終えても姿を見せないクルテにマデルがしびれを切らす。呼んで来いといわれ仕方なく寝室に行ったが、部屋にクルテがいない。不貞腐れて姿を消したか?

「クルテ?」

そっと呼び掛けてみるが反応がない。


 勝手に疎外されたと感じて拗ねていた。夕食代を取りに来た時はベッドに放り出してあったいつものサックもない。

「クルテ!?」

いったいどこに行った? 一人で庭を探っているのか? そう言えば、窓が開けっぱなしだ。


「なんだよ……」

窓の外を見てピエッチェが溜息を吐く。座り込んだ老いぼれ馬の腹のあたりに寄り添って、クルテが眠っている。荷台から運んだのだろう、わらを敷いているだけマシか?


 窓から出たのか、それとも姿を消して移動したのか? クルテだったら姿を消して移動したほうが簡単かもしれない。窓から出るかと迷ったが、建物の内部を回ることにした。


 寝室から廊下へ、そして奥の居間へと進み、暖炉のある居間に入ろうとしてマデルに呼び止められた。

「今から食事だってのに、どこに行くのさ?」

ダイニングから、覗き込むようにピエッチェを見ている。


「アイツ、窓から庭に出たらしい。馬のところで寝てる」

ピエッチェがぶっきら棒に答えると、マデルが鼻を鳴らした。

「ふぅん……」


 ダイニングのカッチーに、

「ちょっと待ってて」

と言ってから居間に出てきたマデル、クルテを起こしに一緒に行く気のようだ。

「いいよ、俺一人で」

ピエッチェを無視して、さっさと玄関に向かう。


 玄関を出てからマデルが言った。

「ねぇ、あんたとクルテの間には何があるの?」

ピエッチェの腕を取り、立ち止まる。


「何があるって、どういう意味だ?」

「あんたとクルテって不自然だよ」

「俺とクルテ? うーーん、まぁ、クルテはちょっと変わってるけど、それを言ってる?」

「そうだね、クルテは確かに変わってる。でもさ、ピエッチェ、わたしが訊いてるのはそんな事じゃないって判ってるよね?」


「さあな、さっぱりだ――クルテの身の上に何があったかは話した。それでアイツは悪夢に悩まされる。俺と一緒なら安心して眠れるって言うから一緒にいる。それだけだ」

「何が『さっぱりだ』なのよ? わたしが訊きたいこと、しっかり判ってるじゃないの……こないだも訊いたけど、あんた、クルテをどうするつもりなの?」

「どうするつもりもないって答えたはずだ」

「そんな嘘が通用すると思ってる?」


 嘘じゃない。いや、嘘なのか? クルテがこのまま魔物でいたら嘘でなくなり、人間になれれば嘘になる。だけど、そうは言えない。

「なぁ、マデル。なんで俺とクルテのことを気にするんだ?」


「気にしてるんじゃない、心配してるんだよ。クルテはあんたを頼りにしてる。あの子にとってはあんたがすべてだ。あんたが居なきゃどうにもならない。そんな風にしちゃった責任は取れるのかって訊いてるんだよ」


「だから思い違いだ。クルテは一人でやっていける。俺が居なきゃ居ないでケロッとしてるさ」

「なに言ってるのよ? そりゃあ、あんたと知り合うまでは一人で頑張ってきたかもしれない。そうするしかなかった。でもさ、もう一人じゃいられなくなった。あんたを頼ることを覚えちゃったんだから」


 もう一人ではいられない、それはクルテじゃなくて俺の方だ。

「心配ない。俺じゃなくても大丈夫だ。今も馬に頼ってる」

そうさ、俺が居なけりゃ馬と一緒に眠る。クルテはちゃんと代わりを見付ける。


「へぇ、それで? あんたはそれでいいの? 馬にさえ焼きもち妬いてるくせによく言うよ」

「焼きもちなんか妬いてない」

「馬のところで寝てるって言った時、明らかにムカついてたよね? ったく、なんであんたは素直じゃない? あんたさえ素直になれば巧く行くのに」

マデルが溜息を吐いた。


「あんただってクルテが好きなんだろう? そしてクルテを守れるのは自分だけだって思ってる。だってさ、一緒に眠るのがあんたじゃなくてもいいんだったら、わたしだっていいはずだよね? だけど、そうしないじゃないか」

「そ、それは、俺がいいってクルテが言うからだろうが」

「そうだね、クルテはピエッチェがいいんだよ。で、あんたもそれが嬉しい。違うとは言わせない」


 思わずマデルから目を逸らした。図星だ、マデルの言うとおりだ。でも、だけど、そうだとしても、それは俺だけ、クルテは獲物としての俺に執着しているだけだ。

「マデルの大きな勘違いは、クルテの気持ちが俺にあると思っているところだ」

目を逸らしたままのピエッチェ、舌打ちをするマデル、

「それはピエッチェ、あんたがそう思いたいだけなんだろう? そこまで鈍感とは思えないんだけど?」

口調を和らげる。


「クルテは真っ直ぐあんたを見てる。あんたへの好意を隠そうともしない。そんなクルテを見る時のあんたは、嬉しいような含羞はにかむような顔になる。クルテの気持ちが判っているし、あんたもクルテに好意を持ってるってことだよね。不思議なのは、互いにそう感じているくせに、二人とも相手が自分に思いがないと思い込もうとしているところだよ」


 クルテが俺に思いを? そんなことがあるものか。だってあいつは魔物だ。俺の気持ちを判ってもくれなかった……


「クルテにその気はないよ。言っただろう? 女でいるのを嫌だと思ってるって。そして俺を男だと思っちゃいない。だから一緒に居られるんだ――いい加減行こう。カッチーが飢え死にする」

「そんなクルテをあんたが変えた。あの子は自分が女だって自覚し始めてる」

執拗しつこいぞ、マデル。余計なお世話だ」

マデルがぐっと息を飲む。

「そうね、余計なお世話だよね。でもね、後悔して欲しくないんだ。失ってから気が付いたって遅いんだよ、ピエッチェ」

歩き出そうとしたピエッチェに、マデルが食い下がる。


「生きていれば何が起こるか判らない。いつか、なんて思ってたらダメだ。欲しいものは手が届くうちに掴み取らなきゃ」


 今なら手が届く? とんでもない。今はまだダメだ、どうしたらクルテを人間にできるのか、さっぱり判っていない。それが判って初めてスタート地点に立てる。

「捕まえることができるものならそうするさ」


「ピエッチェ?」

「待っているのは俺の方かもしれない……今のクルテには俺を理解できない。その時が来たら、とは思ってる。これで納得してくれるか?」

「それじゃあ、あんた?」

「でも、マデル。頼むから余計なことはしないで欲しい。俺はクルテを傷つけるようなことはしないし、アイツを裏切ることもない」

マデルがじっとピエッチェを見詰めた。


「わたしさ、ずっと好きだった人がいた。子どものころからの知り合いだ」

「うん?」

「気が付いたら好きで、この人がわたしにとってのたった一人だって思ってた」

「マデル?」


 唐突な話にピエッチェも思わずマデルを見る。気恥ずかしいのか、マデルがソッポを向いた。

「彼もわたしを思ってくれているって知った時はどれほど嬉しかったか。妻になって欲しいと言われ夢見心地だった。だけど素直に『うん』と言えなかったんだ。いろいろな理由を付けてわたしじゃない方がいいって言ってしまった」


 マデルは仕事熱心なあまり恋に破れた――クルテがいつかそう言っていた。その話か?


「それでも彼はわたしじゃなければダメだと言ってくれたんだ。二人の間にある障害を全て引き受け、乗り越えるって。そう言われれば、もうイヤだとは言えない。イヤだなんて本心じゃないんだから。わたしと彼は一緒になる決心をした――だけど皮肉だよね。その夜、決定的に二人の仲は裂かれた」


「何があったんだ?」

「それは言えない……でさ、ピエッチェとクルテにはそんなことになって欲しくないんだよ。それがお節介の理由。一緒に生きていこうと思える相手なんて、そう簡単に見つからない。一人のがせばそれが最後ってこともある――先にカッチーのとこに戻ってるね。クルテを呼びに行くのはピエッチェでいい」

寂しげに笑んでからマデルは建物の中に入っていった。


 マデルはきっとその彼を忘れられずにいるんだろう。そしてピエッチェは考える。もしクルテを人間にできず、一緒に居られなくなったら俺は? それでもクルテを思い続けるだろうか?


 魔物のままではいずれ人間の姿で居られなくなる。魔法を発動させられれば人間になり、させられなければ他の姿になる。だけどその時も離れしない――人間以外になったクルテを俺は思い続けるか?


 庭を回りウッドデッキの横を通って老いぼれ馬を繋いである場所に向かった。クルテは馬にもたれて座り、こちらを見ていた。


「眠ってるようだったが?」

「マデルと二人、わたしのことを考えてたね。うるさくって眠れやしない」

マデルとの話しを聞かれてしまった。


「マデルを虐めるな」

「はぁ? マデルを虐めた覚えはないぞ?」

「まぁ、いい。夕食だろう? そう言えば空腹だ。カッチーが待っている。早く行こう」

立ち上がるとクルテは、ピエッチェを見もせずに玄関に向かった――


 ピエッチェはもちろん、マデルもクルテも話を蒸し返すことはなかった。いつも通り、クルテは料理をじっと観察してから食べ始め、カッチーは何も考えず、次々と平らげていく。マデルは時おりマナーを語り、ピエッチェはゆっくりと口を動かしていた。


「そうだ、馬の名前なんですけど、リュネシアじゃダメですか?」

最初に食べ終わったカッチーがピエッチェに尋ねた。


「カッチーに任せたんだから好きな名前にすればいいよ」

大して関心なさそうなピエッチェ、

「リュネシア……可愛い名前だね」

と微笑むマデル、

「老いぼれ馬って呼ぶよりよっぽどいい。リュネって呼ぶことにする」

クルテは勝手に略してしまった。


 名付けの由来をマデルに訊かれ、

「こないだ買った本の中に出てくるリスの名前です」

とカッチーがニヤリとした。


「リスが出てくるって、童話?」

「童話なのかな? 『女神の娘と夢の魔物』ってタイトルで、森を荒らす魔物を女神の娘が退治する話なんです」

「あれま。すっかり女神の娘にハマっちゃった?」

「はい、俺、女神の娘に恋しちゃったかも?」

「おやおや、初恋ですか?」

カッチーとマデルがケラケラ笑った。

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