14
クスクス笑うカッチーとマデルを見て、クルテが不思議そうに訊いた。
「なにが
「そうじゃなくって、物語の登場人物って実際いないわけでしょ? それが初恋の相手ってのは冗談なのよ」
「ふうん、やっぱり冗談ってよく判らない」
納得できない顔のクルテを無視してカッチーが話を続けた。
「本当は女神の娘の名前にしようかと思ったんだけど、シャルスチャティーレじゃ長すぎるかなと思って」
「女神の娘ってシャルスチャテーレって名前なんだ?」
「俺が読んだ物語ではそうでした」
どこかで聞いた名だ、と言ったのはピエッチェだ。
「シャルスチャテーレ……どこで聞いたんだったかな?」
「珍しい名前だよね。少なくとも昔の恋人ってことはなさそうだけど?」
マデルに反応したのはクルテだった。
「ピエッチェに恋人がいたことはない」
「おいっ!」
「あらら、暴露されちゃったね、ピエッチェ」
さらに笑うマデル、カッチーは
「ピエッチェさんならいっぱいいそうなのに?」
と信じられないようだ。
するとクルテが首を傾げた。
「恋人は一人で充分」
「なにも一度に複数とは言ってません。でも、次から次にはありそうです。ピエッチェさん、モテるでしょう?」
「何を馬鹿なっ!?」
カッチーを黙らせようとするピエッチェ、クルテが
「モテると恋人が次から次?」
と考え込む。
「違うから!」
言わなくても、どうせクルテはお見通しだ。判っていても否定するピエッチェ、
「そうなのかな? でも、どっちにしろピエッチェに恋人が居たことはない」
クルテが出した結論にホッとする。
ところがカッチーは引き下がらない。
「恋人かどうかは別にして、『ピエッチェさんが好き』って人は絶対いました」
「なんで断言できるんだよ?」
「男の俺が見たっていい男ですもん。マデルさんだって、初めて会った時、わたし好みのいい男って言ってましたよね?」
話を振られたマデルが
「まぁ、そうだねぇ……」
と、チラッとクルテを盗み見る。
「ピエッチェの
「そっか、ピエッチェさんは怪我をする前は有能な騎士だったんですもんね。それに上流貴族の御曹司だし、縁談もいっぱいありそうですよね――貴族の縁談って、王宮の舞踏会でとかでするのかなぁ? 前に言ってた片思いの相手も舞踏会で知り合ったんですか?」
ナリセーヌ……近頃では思い出しもしなくなった。慕わしさはどこに消えたのか? ダンスを申し込むと
婚姻について父は、好きな相手と一緒になればいいと言った。ただ、王位を継ぐ立場にあることは忘れるな――相応しい相手を娶り、必ず子を儲けろと言う事だ。そのためには最低でも、人間の女でなければならない。
黙ってしまったピエッチェを
「それとも改まった席を用意するとか?」
カッチーが追及する。
「いや、舞踏会だよ。それに、縁談とかってのでもない」
「そうなんだ? で、どんなところでデートしたんです?」
これにはピエッチェが苦笑する。
「デートなんかしたことないさ。立場ってものが邪魔をする」
王太子が誘えば断れる相手はいない。それが判っているからこそ誘えない。身分や権力など関係なく、相手の心が欲しかった。でも、それにはどうすればいい? 迷っているうちに時が過ぎていった。
「あっ? 相手の人のほうが家柄が上だとか?」
そうじゃないけど、
「まぁ、そんなところだ――昔話はもういいだろう?」
と話題を変えたいピエッチェに、
「そうですね。今はクルテさんって恋人がいますしね」
とカッチーがニッコリした。
「いや、ちょっと待て!」
ピエッチェが慌て、クルテがキョトンとする。
「わたしが? どうして?」
「どうしてって……だって、恋人でしょう?」
カッチーの顔から笑みが消え、クルテとピエッチェを見比べる。
「だって一緒に寝てるじゃないですか? それで恋人じゃない?」
見かねたマデルが
「大人の世界にはいろいろあるのさ」
と茶化す。ピエッチェとクルテからカッチーを引き受ける気だ。
「カッチーにはまだまだ判らないかな?」
「俺とクルテさんって二つしか
「こと恋愛についてはカッチーは年齢以下」
「なんですか、それ!?」
「何事も経験しなきゃ本当のところは判らないってことさ」
クスッと笑うマデルにカッチーが
「こうなったら早くフレヴァンスさまを見つけ出して、王宮の舞踏会に連れってってもらうことにします」
とムッとする。
「おや、舞踏会で恋人を探すのかい? それじゃあダンスの練習しなくちゃね」
「ダンスにテーブルマナー、覚えなきゃならないことがたくさんですね」
「そうだね、前途多難だね」
巧くマデルが
「シャルスチャテーレ、思い出した?」
「うん? どこかで聞いたことがあると思うんだけど……気になるのか?」
「会ったことがある?」
「会った事って、女神の娘のシャルスチャテーレと? さすがにそれはない。おおかた、随分前に同じ本を読んだか何かだ」
ピエッチェが笑う。
「そっか――ご馳走さま。もう寝る」
立ち上がると、まだブドウが残っている皿を手に取った。
「夜中にお
「空腹で目が覚めないように、ちゃんと食べてから寝たらどうだ?」
ピエッチェが
クルテを見送ってカッチーが
「クルテさん、夜中にお腹が減るんですね。俺と同じだ」
と笑う。心配そうにピエッチェを見るのはマデル、
「行ったほうがいいんじゃないの?」
と遠慮がちに言う。
「クルテったら、あんたとシャルスチャテーレの仲を疑ってるみたいよ?」
「疑われようが何もないし、そもそも誰なのかも思い出せないのに?」
と言うものの、ピエッチェも内心クルテが気になっている。軽く舌打ちして立ち上がる。
「まぁ、また外に行かれるのも面倒だ――おやすみ、後は頼むよ」
クルテはベッドに腰かけて一見、ボーッとしているようだった。本当に眠いのかもしれない。ピエッチェが寝室に入っても見向きもしない。さて、来たはいいものの、なんって話しかけたらいい?
手持無沙汰に椅子に腰かけるとテーブルにはブドウの皿が置いてあり、何も考えず一つ摘まもうとした。
「あっ!?」
クルテの小さな叫び、しまった、クルテのブドウだった。急いで手を引っ込める。
「いいよ、食べたきゃ食べて」
ふん、と鼻を鳴らしてクルテが立ち上がる。言葉とは裏腹な拗ねた口調、ドサリとピエッチェの対面の椅子に腰かけた。
自分を見詰めるクルテから、ますます何を言っていいか判らなくなったピエッチェが目を逸らす。すると再びクルテが鼻を鳴らした。
「それで、思い出した?」
「えっ?」
思い出すって、クルテが人間になれるってヤツか?
ひょっとしたらとピエッチェが思う。日常は折に触れ眠っていた記憶を呼び覚ます。その中に、クルテを人間にする魔法を発動させるカギが隠れていなかったか? でも無茶だ。どんな鍵なのかが判らないのに、特定できるはずがない。
視界の端でクルテが動く。テーブルのブドウに手を伸ばしている。その手がピエッチェの口元にブドウの粒を差し出した。
「えっ?」
戸惑うピエッチェにクルテが微笑む。
「食べちゃダメだなんて言ってない。遠慮しないで口を開けて」
マデルの言ったことは本当だ。出会った頃のクルテは尖っていて、男か女か迷うほどだった。なのに今、俺を見詰めるクルテはどこから見たって女だ。柔らかな頬、優し気な眼差し、いつの間にこうなった? それとも俺の感情の変化がそう見せているだけなのか? ピエッチェがクルテの顔を見詰め返す。首を傾げたクルテに
「早くして、腕が
と言われ、クルテを見詰めたまま口を開けた。口の中でブドウの果汁が飛び散り、香りが広がっていくのに、美味いのか不味いのか、よく判らない。
「それで、シャルスチャテーレが誰だか思い出せた?」
「あ、それか……」
自分の思い違いにピエッチェが苦笑する。
「それはさ、さっきも言っただろう? 知り合いってわけじゃない」
「そうなの? 本当にそうなのかな?」
「なんだよ、疑うのか?」
「忘れてるだけじゃなく?」
「うーーん……その可能性もないわけじゃないけど、そうだとしても今の俺には関係のない人だ」
「関係がないんだ?」
「だってそうだろう? 少なくとも今の俺と関わっちゃいない」
「ふぅん……」
「なんだよ、面白くなさそうだな。シャルスチャテーレとかってのと何かあったほうがいいのか?」
「そんなの自分で考えたら?――もういい、寝る。ピエッチェも寝たら? 明日は朝食が終わったらすぐに出立する。夕方までにグリュンパに行けるといいな」
クルテが立ち上がる。ベッドに行くものと思っているとピエッチェを見たきり動かない。
「どうした?」
「うん……ベッドに行こうよ」
「……あぁ、そうだな」
一瞬、別の意味を探してしまった。クルテが俺を誘うはずがない。
「馬よりは俺のほうがいくらかマシなはずだ」
苦笑いとともに立ち上がったピエッチェの懐に、ふわりと何かが飛び込んできた。クルテだ。縋りつくように抱き着いて胸に顔を
「比べ物になんかならない。リュネは優しいけど、抱き締めてくれない」
リュネ? あぁ、老いぼれ馬にカッチーが付けた名だ。
「抱き締めて、カテロヘブ」
クルテ、おまえの声はそんなだったか? 甘くて、柔らかくて、なんて耳に心地よく響くんだろう? 請われるままクルテを抱き締めた。力加減を間違えれば折れてしまいそうな危うさに
「それに……」
胸元から聞こえるクルテの小さな声、
「それに?」
何かを期待して、ピエッチェの声が震える。
「臭くない」
「えっ?」
「リュネの周り、
「あ……」
昨日繋いでから餌と水は与えたが掃除するのを忘れていた。馬糞だらけにもなる。
「そうか、そりゃそうだな。明日、宿を出る前に掃除して、リュネも綺麗にしてやらなきゃな」
抱き締めていた腕を放して笑い出したピエッチェにクルテが呆れる。
「何が
「うん? まぁ、気にするな。それより早く寝ようか」
笑ったのは緊張から解放されたから、そんなのは判っている。だけど言ったところでクルテには理解できない。だってクルテは魔物だ――ピエッチェが溜息を吐いた。
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