雨が降り出したのは昼過ぎ、朝からの曇り空だったがいきなり突風が吹いたかと思うと稲妻が光り、間を置かず雷鳴がとどろいた。

「ムニャッ!」

奇妙な悲鳴を上げて飛び上がったのはクルテ、慌てて建物の中に逃げていく。止める間もない素早さに、呆気にとられるピエッチェ、ババロフはガハハと笑った。

「雷が怖いだなんてクルテはやっぱりまだまだ子どもだな――ピエッチェ、俺たちも中に入ろう。すぐ雨が……って降ってきやがった! そのバケツを持って走れ!」


 雨もいきなり、しかも土砂降り、自分も両手にミルクのバケツを下げてババロフがも駆けだした。慌ててピエッチェも残されたバケツを持って建物に飛び込んだ。バケツはふたがしてあって、ミルクは無事だがピエッチェとババロフはずぶ濡れだ。


 食堂に行くとババロフのカミさんが

「いきなり降ってきたねぇ。さっさと拭かないと風邪ひくよ」

とタオルを出してきてくれた。

「自分を拭いたら次は床を拭くこと」

と、モップの用意も忘れない。


「ところでクルテはどうしたんだい?」

「あぁ? アイツは雷が鳴った途端、吹っ飛んで逃げてったぞ?」

「なんだ、部屋にでも籠ったのかね? 玄関が開いたのには気付かなかったけど」


 心なしか、だらだらと拭いているババロフ、さっさと動くピエッチェが先に拭き終わる。仕方なくモップを手に取ると、ニヤッとババロフが笑った。


 ちょっとムッとしたピエッチェだが、

(ババロフは腰痛。床掃除はピエッチェがするんだね)

そんなクルテの声が頭の中で聞こえた。


(昨夜、久々の戦闘に挑んだが、途中で軽くぎっくり腰。で、カミさんと大喧嘩。今朝の不機嫌の理由)

(ぎっくり腰……本当に?)

(仮病に決まってるじゃん。敵前逃亡だよ。で、モップ掛けなんかしたら仮病がバレちまう。だからしたくない)

(ミルクが入ったバケツを二つも持ってフッとんでったんだぞ? もうバレてるんじゃないか?)

(見えてなきゃ気付かない。人間ってそんなことが多い)

クルテのクスクス笑いがピエッチェの頭に響く。


(大した秘密じゃないけど、ダブルの秘密で変わった味だった)

(もう一つの秘密は?)

(途中で戦闘不能になったと知られたくない。だから敵前逃亡するしかなかった――でもさ、少し渋みがあった気がする。人間の秘密は若者のほうがいい味だ)


 面白がっているクルテに呆れ気味のピエッチェ、

(で、おまえ、どこに居るんだよ?)

頭の中で問いかける。すると

(お願い、探さないで!)

とクスクス笑いを引きずってクルテが答える。


 ピカッ! ドン、ゴロゴロゴロ!!!


 二度目の稲妻、間髪入れずに響く雷鳴、地響きがしたところをみると今度は確実にどこかに落ちたようだ。同時にクルテの叫び声。

(グギャッハ!)

「あはは」

つい笑ったピエッチェをババロフとカミさんがいぶかる。


「あ。いや、クルテが怖がってるだろうな、と思って――床はこんなところでいいよな。玄関や廊下も綺麗にしとく。自分たちの部屋も拭くから、モップをちょっと借りてていいかい?」

「あぁ、助かるよ。ピッカピカにしといてくれ。モップは雨が止んでから、洗って返してくれればいいし、いつでも好きに使いなよ。仕舞い場所は今、見てただろう?」


 井戸は外だ。水瓶みずがめの水はモップ洗いになんか勿体もったいなくて使えない。ま、そりゃそうだ。


 部屋に戻ると鍵がかかっていたが、すぐにカチリと開錠する音がした。ところが中にクルテの姿がない。


「居ないのか?」

(いるよ)

「姿を消してる?」

(声を出すなよ。誰かに聞かれたらどうすんだ? まぁ、近くには誰もいないけど)


 どさっと寝台に腰を降ろすピエッチェ、

「雷なんかが怖いんだな」

クルテを揶揄からかうと、

(雷なんか怖いもんか――稲妻に直撃されたことある?)

ツンとクルテが答えた。


(おまえはあるのか?)

(ない――でも、目撃したことはある)

(それで雷が苦手になった?)

(まっさか! 生き物が一瞬でただのものに変わっちゃうのはあんまり気持ちいいもんじゃないけど、生も死も幾つも見てきた。そんなことでビビったりしない)

(んじゃ、なんで悲鳴を上げてるんだよ?)

(雨と雷が空気を振動させる。風よりも微妙に宙を揺らす。それが苦手。作り物の身体を維持できなくなる)

(なるほど。それで隠れちまったのか。いきなり消えるところを見られちゃ拙いもんな)

(わたしのことはほっといて、さっさと掃除しちゃいなよ。でさ、終わったらモップを返しに行くじゃん、で、ムニョ!……ゴヒャッ!)


 三度目の雷、今度は少し遠い。光ってから雷鳴まで少し間があった。クルテのヘンな悲鳴には慣れてしまったピエッチェ、平然と話の続きを促す。


(で? モップを返しに行ったら?)

(うにゅ……なんだったっけ?)

やれやれと肩をすくめるピエッチェ、狭い部屋だ、モップ掛けはもう終わっている。


(あ、そうそう。どうせひまだろ? 退屈しのぎに子どもたちに読み書きを教えてやったらいいと思って)

(読み書き?)

(そう、特に一番年長の少年。カッチーって名前らしいんだけど、あの子、街に出て働こうと思ってる)

(読み書きができたほうが圧倒的に有利だな)


(ここが宿を営業していたころ、食堂のメニューを書くのに使ってた石盤と石筆がある。ババロフのカミさんに言えば出してくれるよ)

(ふぅ~ん。おまえ、本当に魔物?)

(意識に話しかけてるのに信じられない? 姿も消したり変えたりしてるのに?)


 ま、どっちでもいいや、と呟くピエッチェ、モップを持って部屋を出た。

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