翌日、朝食の席で温泉が湧き出ていた場所を見たいとババロフに言うと、

「物好きだなぁ。山の中のなんもないところだぞ」

と笑われたが、案内してくれることになった。


 なんの変哲もない低い山、緩やかな傾斜を登っていく。なるほど、これなら小さな子どもも一緒になって山菜や果実・木の実を集めに来られる。幼児には半ば遊びだ。


「この山で狩猟や木こりは無理そうだな」

「狩りに行くのは北側の山、向こうにはクマやシカ、イノシシなんかが結構いる。木こりが入るのは東の山から街道を囲む森のあたり。ほら、あんたたちが小舟を流された川、あの川を使って切り出した木を街に運んでた」

「今じゃ木こり仕事をする者はいないんだろう?」

「そうだねぇ……でもその点はちょうどよかったのかもな」


「ちょうどよかった?」

「七年前には東の山の、採れる木はほとんど採っちまっててさ。植林もしてたけど追いついてなかったんだ。で、森の木を採るかって相談してた――あの森は女神の森、森の実りを貰うのはいいが、木を切るのはいけないって言い伝えがある。だから木こりどもも迷ってた」

「温泉を掘り当てた女神?」

「そう、その女神。姿をくらます前に、そう言ったんだって。あの森はこの村を守っている。だから荒らしちゃいけないってね」

「村に入るにはあの森を抜ける街道を使うしかないんだっけ?」

「そうさ、村を守ってるって感じがするだろう?――着いた、ここだよ」


 ぐるりと周囲が大きな石で囲まれた窪みは池のようだ。だが満たす温水がない。底はカラッからに渇いて固まった泥だ。石囲いの一部が切れていて両脇が高く設えられている石畳が続いているのは水道、村に温水を流し込んでいたと判る。


「掘り起こしたって言ってたけど、どのあたりを掘ったんだ?」

ピエッチェの質問にババロフが答える。

「石囲いの中、特に中心部だね」

「それはいつ頃?」

「急に湯が流れて来なくなってすぐだから、七年近く前だ」


「中心部を深く掘ったってことは、真ん中あたりから湯が沸いてた?」

「全体がぶくぶくしてたけど、真ん中あたりから時々ボワッて感じで気泡みたいなのが出てたんだ」

「なるほどね……ぶくぶくしてたってことは湯温は高かった?」

「ここでは触ると火傷するほど熱かったよ。村に着くころはいい湯加減だった」


「そんなに熱いなら事故が起きそうだけど?」

「昔、子どもが芋を茹でようとして落っこちたとかあったらしい。それで誰もここに来ちゃなんねぇって村で決めた。掘り起こす時に取っちまったけど、間違って近寄らないよう柵もあったんだ」

「柵の管理は村が?」

「半年に一度くらい見回ってたな。たまぁにイノシシなんかにブッ壊されてた」

「柵を壊したのがイノシシだって、なんで判った?」

「イノシシとかシカだろうねって話さ」


 空を見上げて、

「ここって草が生えてないんだね。日当たりがいいんだからいっぱい生えてきそうなのに」

と言ったのはクルテだ。近くには木もなく池の上はぽっかりと青空が見えている。


「池の周囲、十五歩分、土が丸出し。こまめに草むしりでもしてる?」

「いんや、それほど俺らも暇じゃねぇ。温泉のせいで生えないんじゃないのか?」

面倒そうにババロフが答えた。難しいことを訊くなと言いたげだ。


「もう七年経つのに? 虫も見当たらない。蟻んこくらい居てもよさそうなのに」

「あと十年もすれば戻ってくるのかもな」

「湧出してたお湯の影響だとしたら水道のとこだって同じはずなのに、やっぱり池から十五歩下流に行ったところから草ぼうぼう……不思議だよね」

「訊かれたってなんも判らんよ。王都から学者にでも来て貰うか?」

「学者が見たって判りそうもないけどね」

クルテがクスリと笑った。


 朝はパンと申し訳程度に野菜が入ったスープだけだった。いつもそんなもんだと聞いたクルテが源泉見物に弓を携えていた。帰り道、急に立ち止まってはやぶを狙って弓を構えるクルテ、何やってるんだとババロフは呆れるがピエッチェが静かに、とたしなめる。もちろんクルテは獲物を逃がさない。秘魔のクルテ、雉が身を隠しているなどお見通しだ。三度矢を射って三羽仕留めた。


 大したもんだねぇ、とババロフが感心する。

「だけどあんたたち、この村に腰を落ち着ける気はないんだろう? だったらこんなことはこれっきりにしてくれ。今や雉肉は俺たちにとっちゃあご馳走、あんたたちがいなくなった後、この村での生活のきつさを余計に思い知らされることになる。特に子どもらがな……」


 考えなしで済まなかったと謝ったのはピエッチェ、ケロッと言い放ったのはクルテだ。

「大丈夫。ピエッチェが問題を解決するって言ってるから」

「えっ?」

「本当か!?」

ピエッチェとババロフがそれぞれに別の意味で驚く。


「問題を解決って、この村から若いモンが出て行かなくなるってことか?」

とはババロフ、

「そんなこといつ言った!?」

とはピエッチェだ。

「またまた……昨夜、僕に言ったじゃん。村が立ちゆくよう手助けしたい、って」

「いや、それは……」


 ピエッチェの頭の中に『話をあわせろ』とクルテの声が響く。クルテのくそったれと思いつつ、期待に輝く目で自分を見るババロフに、とうとうピエッチェが頷いた。

「あぁ、なんとかしてみるよ」


 その夜の食堂は昨日以上の大盛り上がり、酒はなくとも焼いた雉肉が振舞われ、それだけでも子どもたちがはしゃぎ女たちが笑い転げる。そのうちに、ババロフが、旅の二人が村の立て直しに力を貸してくれると言ったと暴露し、さらにお祭り騒ぎになった。


 ワイワイと騒がしい中、いつの間にか二人揃って村に住むと誤解され、その上、クルテは例の少女と一緒になる約束ができているとデマが飛び出し、だったら今夜は娘の部屋で休んだらどうかと言われて悲鳴を上げんばかりのクルテが、『疲れたからそろそろ寝る』とピエッチェの手を引いて部屋に逃げていくと、後ろから聞こえるのは『思ったよりも初心うぶそうだね』と誰かの声、続いて笑い声が響いた。


 部屋のドアに慎重に鍵をするクルテに笑い転げるのはピエッチェだ。

「笑い事じゃない!」

「はっきり『その気はない』って始めから言えばいいのに、気を持たせるからだ」

「誰かに口説かれるとかチヤホヤされるのって初めてなんだ」

「おおや、いい気分だったか?」

「そんなんじゃない! どうしたらいいか判らなかった」

「相手の気持ちは読めているんだろう?」

「そりゃあね。だからあんまり冷たいことを言ったら可哀想だったし――何しろ初めてのことは苦手」

そう言われれば今までも何度か『経験したことがないから判らない』とクルテから聞いた気がする。


「可哀想ねぇ……期待させてガッカリさせる方が傷は深いんだぞ?」

「オバちゃんたちが居なけりゃきっちり言うけど、フラれるところなんか誰にも見られたかないだろう?」

「おまえ、本当に人間臭いって言うか、なんだか気遣いが細やかだよな」

微笑むピエッチェに、フン! とクルテがソッポを向く。


 そんな事より、と本題に入ったのはクルテだ。

「源泉なんだけど、あれは魔物の仕業だ」

「魔物が枯渇させたってことか?」

「枯渇もそうだけど、湧出も魔物の仕業」

「って、伝説の女神は魔物?」

「そういう事になるね。未だ魔物が放った魔力が残存してる。だから草木が生えないし、虫さえ寄り付かない」


「でもさ、そうだとすると、何が目的だったんだろう? 村を繁栄させた挙句、滅亡させる?」

「そこまでは判らないよ。でもさ、明日は森に行ってみよう。案外探せば温泉を掘らせた魔物が見つかるかもしれない」

「温泉は大昔からあるって言ってたぞ。女に化けた魔物がまだ生きている?」

「魔物の寿命ってどれくらいか知ってる? ものによっちゃあ千年以上だ」

「……クルテ、おまえは何年生きてる?」

「わたし? さぁ? 発生した時の事なんか覚えちゃいない」

「生まれた時ではなく発生した時か?」

笑おうと思ったが、なんとなく笑えなかったピエッチェだ。


 そんなピエッチェの心理を読み取っているだろうにクルテにそれを気にする様子はない。

「それと昨夜、奇怪おかしなものを見た」

奇怪おかしなもの?」

「うん……」


 クルテが窓辺に立ち、引いてあったカーテンを少しずらして外の様子をうかがう。

「何かが村をうろついてた。あれも魔物だ」

「なんだって!?」

驚いて窓に近寄るピエッチェをクルテが抑える。


「おまえが見れば必ず気配が察知される、だからおまえは見るな。向こうはまだわたしに知られたと気づいていない。このままのほうがいい」

「おまえは見たんだろう?」

「あぁ、わたしなら魔物に察知されないようにもできる。でもそれだって絶対じゃない――アイツの心が読めなかった。ひょっとするとわたしよりずっと格上の魔物かも知れない」

「魔物にも格があるのか……」

「そこに引っ掛かるか?」

クルテが苦笑する。


「なにしろ、正体が判るまでは迂闊なことはできない。夜は出歩かないほうがいいとババロフが言っていたが、その通りだ。夜にのみ活動する魔物だってことだけは判ってる。まぁ、昨夜はたまたまこの村に来たとも考えられるから、騎士病と関係が有るとは言い切れない」


 ピエッチェをテーブルのほうに促して、クルテも椅子に掛ける。

「今夜も見張っているから安心しろ。おまえの力が必要になった時は起こすから承知しておけ」

「俺の力が必要って?」

「わたしは精神体だからな。殺傷能力は低いんだ。人間はともかく、魔物相手に戦闘になったら逃げるしかない。ま、小物なら何とかならないでもないけどな」


「魔物相手に戦闘?」

「うん、剣で斬り倒せ」

「簡単に言ってくれる」

「もちろん援護するさ。相手の次の手を読んでおまえに教えてやる。あ、でも、あの魔物は心が読めないから無理か?」


「頼りにならないヤツだ――それにしても、おまえ、魔物だけあって魔物に詳しいんだな」

「そうでもない。だからあいつの正体が判らない」

「夜だけ活動する魔物って言ったぞ?」

「あれは太陽に弱いタイプ。村をうろついてたのは影だった。陽光に当たると消滅するな、あれ」

「そんなもんなんだ? ほかにはどんなタイプがいるんだ?」

「そんなの話してたら一晩じゃ足りない――さっさと寝ろよ。明日は森の探索だ」

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