第34話
血縁関係のない姉に欲情される蓮が可哀想だ。美沙は琴音に侮蔑の視線を送った。
浮気なんてまだいい方だ。弟に発情するなんてとんだビッチだ。
一言も発さない夫婦。
もう帰ってもいいだろうか。
美沙が窓を見ると、もう暗くなっていた。
そんなに滞在していたのか。
話が濃くて気づかなかった。
そろそろ家に帰りたい。そして蓮と今後についての話をしたい。同棲の話を進めたい。
切り出すと琴音がまた発狂しそうだ。どう言い出そうか考えていると、蓮が立ち上がった。
「じゃ、帰るから」
美沙の手を取り、二人は部屋を出て行こうとする。
智之は慌てて「待ってくれ!」と呼び止めた。
もう話すことはないので蓮は顔を歪めた。
「もう遅いし、帰りたいんだけど」
「いや、その、美沙と話をさせてくれ」
その言葉に蓮は一層顔を顰めた。
美沙を呼び捨てにされるのも気に食わない。
お前の美沙ではない、と言いたいところだが美沙の白けた表情が目に入るとそんな気持ちも収まった。
美沙はこんな男とよく関係を持てたな。
どう見ても蓮の方がすべてにおいて勝っている。自分の見た目に自信のある蓮は、智之と関係を持った美沙の心情を思い、哀れんだ。
好きでもない異性と長い時間を共にする。それがどれだけ苦痛か、蓮には分かる。
分かるからこそ、美沙を責めることはできない。帰ったら甘やかそうと思う。
「話って何?俺が聞くけど」
「あ、いや、その」
言いにくそうに視線を泳がせる智之。
なかなか言い出さない智之に痺れを切らし、蓮は美沙の手を引いて歩を進める。
「ちょ、ちょっと」
「待ちなさいよ!」
智之が何かを言う前に、琴音が声を荒げた。
「慰謝料、慰謝料払いなさいよ!一千万払いなさい!」
「誰に言ってんの?」
「その女よ!よくも私の男二人を!」
「お前のじゃないけど」
「一千万払え!」
慰謝料は要求されると思っていた。
一千万なんて大金、用意できない。
美沙の口座に数百万はある。しかし、一千万円なんて途方もない金額は通帳に一度も記載されたことがない。
当然、蓮から借りるなんてこれっぽっちも考えていないし、真面目に払うことも頭になかった。
「じゃあその話はまた後日」
それだけ言い残し、扉から出ようとする。
「待ちなさいよ!逃げる気!?」
琴音は追いかけ、美沙を掴もうとするが蓮によって阻止された。
「何よ!退きなさいよ!」
「やめろ」
「どうしてなの!?どうしてその女がいいの!?あんたもあんたも、どうしてその女がいいの!?」
愛していた弟と旦那を小娘に奪われた。
何の取柄もない、ただの小娘に。
あの奈津江の妹に。
奈津江の男を奪ったはずだった。なのに、何故奈津江の妹が今更また奪っていくのか。
「はぁ?あんたが先に奪っておいて、何を叫んでるの?奪われる覚悟があったから奪ったんでしょ?因果応報よ」
美沙の勝ち誇った顔を見て、山姥のように顔を歪めた。
蓮は急いで美沙を家の外へ出し、「近くのコンビニに入って待ってて。一緒に帰ろう」と声をかけて玄関の扉を閉めた。
締め出された美沙は、素っ気ない蓮を疑問に思ったが、琴音から守ってくれているのだと思うことにした。そういえば、琴音が発狂寸前のように見えた。きっと守ってくれたのだ。きっとそうだ。
蓮の言いつけを守るべく、美沙は携帯で近くのコンビニを探す。
辺りは暗く、蓮と一緒に歩きたいなと寂しさを持って歩き出した。
玄関の扉が閉まる瞬間、智之が何かを言いたそうに口を開いたが、行かせないと扉の前に蓮が立つ。
仕方がないので明日の朝にでも連絡を入れよう、と諦めた。
社内で吹聴しないように口止めをしないといけない。
琴音はそんな体裁のことは頭になく、小娘に馬鹿にされたと憤慨し、騒ぎ立てる。
「ふざけんな!私から奪っておいて何様だ!蓮は私のものなのに、ずっと前から私のものなのに、私が先に好きになったのに、私が一緒にいたのに!!」
蓮、蓮、蓮。蓮のことで頭がいっぱいだ。
そんな様子を他人事のように智之は眺めていた。
結局、自分は琴音の中でも美沙の中でも一番にはなれなかった。
琴音も美沙も、若い男に夢中なのだ。
今まで琴音の思う通りに生活してきた。琴音ルールに従い、家事もやった、迅の世話もした、美味しいと感じられない三食を毎日食べ、毎月の給料を渡した。
琴音と迅のために働き、稼いだ。
美沙のために時間をつくり、琴音に悟られないよう愛を注いだ。
それなのに裏切られた。その思いが強い。
結局二人とも、智之のことを好きではなかった。
自分はこんなに頑張っていたのに、見向きもされていなかった。
琴音は夫の浮気相手を見ても、弟を奪われたことが許せずに怒鳴り散らした。
その女は夫の浮気相手でもある。それなのに、弟を奪われたと叫び続ける。
智之の居場所などなかった。
美沙は蓮という居場所がある。
琴音は居場所がある蓮に縋りつく。
みっともない。
「どうして私じゃ駄目なの!?もっと若かったら、あと十歳若かったら!年上は駄目なの!?あの女よりも私の方が綺麗で美人で、気遣いもできるし家事だってできるのよ!?」
必死の形相で蓮の服にしがみつく。
そんな琴音の手を鬱陶しそうに振り払い、舌打ちをする。
「うるせえな。マジで無理。キモい」
「私の方が凄いの!私の方が色々できるの!」
「知るか」
「私、まだ三十五だし、そこまで年老いてないわ!そんなに若い女が好きなの!?」
「あー、うるせえ」
「蓮には私みたいな女がいいと思うわ!あんな小娘じゃなくて、あんな二股をかける女よりも!汚らわしい女よりも!」
醜い。その一言に尽きる。智之が思っているくらいだ、蓮はそれ以上のことを思っていることだろう。
智之だって騒ぎ立てたい。美沙に裏切られた、琴音に裏切られた。最初から好きでもなんでもなかったのか。
しかし、発狂して縋りつこうとしている琴音を見ると、そんな気は薄れていく。
こんなみっともない人間になりたくない。自分よりも若い人間に縋りつき、喚き散らし、同じ人間とは思えない顔をしている。そんな姿を見ると、冷静になるものだ。
これほど醜く堕ちたくはない。
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