第32話
蓮が琴音のことと、美沙との出会いを話し終える。
智之は頻繁に実家に帰っていた琴音を思い出し、そういう理由だったのかと怒りが沸く。
「でも、今は一人暮らしなんだろう。じゃあなんで、琴音は今も実家に通っているんだ」
まさか暴露されるとは思わなかった琴音は答えることができない。
蓮への好意は気づかれていた。そんな素振り、なかったのに。弟として、思春期の如く姉を嫌がっているのかと思っていた。お姉ちゃんの愛は重くて恥ずかしい。そんな風に受けとめているのだと信じて疑わなかった。
普段から何を考えているか分からない蓮は、琴音の好意を分かっていた。
「俺の近況を聞いてたんだろ。手土産持って彼女ができてないかどうか、何気ない会話の中で探りを入れてたに決まってんだろ。そういうことしか考えてないからな」
「はぁ、そういう…そういうことか。弟に惚れるなんてどうかしてる」
琴音が頻繁に実家へ行く謎が解けた。
蓮のことを聞きに通っていたのだ。警察を呼ばれてからは、蓮の家に行けなくなった。だから両親に、蓮の近況を聞いていた。蓮にメールを入れても、どうせ返信はないだろうから。
実家へ帰る謎は解けたが、それよりも驚いたのは五万円の話だ。自分が稼いだ金の五万円が毎月の仕送りに消えていたとは夢にも思わなかった。
実家への仕送りではない。血の繋がらない弟への仕送りだ。
「五万円の仕送りは、まだ続いているのか」
琴音は返事をしない。
「今も続いてる」
蓮が返事をした。
「蓮くんは、社会人だろう。何をしているんだっけ」
「エンジニアだけど」
「確か、大手に勤めていたよな。良い給料を貰ってるだろう」
「まあ、周りに比べればそこそこ。美沙を養うくらいはできる」
その言葉に美沙が反応した。
養う、ということは結婚を意味する。
「まあ、美沙と出会った時は学生だったから金はなかったけど」
「今は給料と仕送りを貰ってるわけだ」
「お陰で美沙に色々買えるから有難く貰ってる」
「はぁ…毎月多額が入ってくるわけだ」
「多額ってほどじゃないけど」
「稼いだ金が、まさか弟の仕送りに使われてたとは思わなかった」
蓮も蓮だ。琴音を気持ち悪いと言いながら、金は受け取っている。
俺の金だぞ返せ、と蓮に言いたいところだが、智之は浮気をした手前何も言えない。それに、蓮は悪くない。琴音が勝手にやったことだ。返せと言う相手は蓮ではなく、琴音だ。
あろうことか、その五万円のせいで美沙と蓮は出会ってしまった。
その金さえなければ二人は出会わなかったかもしれない。
「彼女ができたなんて、そんなの聞いてないわ」
琴音が弱々しく呟いた。
「言ってないから」
「母さんたちも、何も言ってなかった」
「言ってないから」
「どうして言わないの!?言ってくれてたらこんなことにはならなかったのに!」
情緒が不安定なのか、静かにしていた琴音は思い切り両手をテーブルに叩きつけた。
「なんでお前に報告するんだよ。お前、関係ないだろ」
「お前お前って、私は姉よ!?」
「姉が弟に色目を使うのか?」
琴音、と名前を呼びたくなかった。
家族なので、「姉貴」と呼んだ。姉だと思ったことはないけれど、名前を呼びたくなかったので姉貴と呼ぶしかなかった。
「M市に家を建てればよかった」
蓮に想いを寄せていることをもう隠さなかった。
智之は被害者面をするかの如く頭を抱えてか細い声を出す琴音に腹が立ったが、それよりもM市と聞いて思い当たる節があった。
「M市?まさかM市に住んでいるのか?」
「そうだけど」
「M市…そうか…」
美沙がデートで行きたがらないわけだ。
彼氏がいるかもしれない場所で、浮気はできない。
そしてM市は、迅と散歩に出かけた際に帽子の女に言われた場所でもある。
良くないことを知っているかのように話していたあの女は、M市で智之と美沙を見かけたのではなく、琴音と蓮の姿を目撃したのではないだろうか。
蓮のことを知るわけがないから、若い男の家に琴音がぐいぐい入ろうとする姿か、或いは警察沙汰になっているところを目にしたのではないか。
何を見たか、帽子の女は言及しなかった。
今思えば、智之本人に浮気の話はしないだろうから、あれはきっと琴音の話をしていたのだ。
あなたの奥さん、M市で若い男の家の前で揉めていたわよ。そんな話をしたかったのだろう。
家の場所の話題が出て、今度は別のことを思い出す。
「もしかして、美沙が家に俺を入れなかった理由って…。本当に両親が突然来るからなのか?」
「そんなわけないじゃん。いくら親でも連絡なしに来るとかあり得ないから。それに、母は姉が死んですぐ持病が悪化して死んだし、両親といっても父親しかいないけどね」
やはりそうだ。
両親が連絡なしにやってくるから、と智之を招き入れるのを拒んでいた。
あれは、蓮が来るかもしれないからだ。
浮気の証拠が部屋に落ちるかもしれない。それを避けたかった。
蓮が来た時に、違和感を持たれたくなかったから。
しかし、それだと一つ疑問が残る。
父親しかいないと美沙は言ったが、智之は美沙の両親を見たことがある。
「でも、実際に両親が来ただろう。俺はクローゼットの中に隠れた、あれはどうなんだ」
「家族代行サービスを使ったの。あんたがあたしの家をホテル代わりにしようとしたから、頼んだのよ」
「じゃ、じゃあ本当の親は?」
「不倫相手に親を紹介するような真似、するわけないじゃん。馬鹿なの?」
本命は蓮だったのだ。
蓮が来る家に、智之を入れたくない。
家族代行を頼んでまで、蓮との仲を優先した。
頭から水をかけられたようだった。
浮気相手は自分だった。
若くて可愛い美沙は、若いイケメンが本命だった。
智之のことは好きでもない。
家庭を壊そうと思って手を出したに過ぎなかった。
その事実が頭を重くさせた。
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