第27話

 日曜日の午後、智之の家に四人が集合することとなった。

 美沙のアパートから立ち去った後、隠しきれない動揺を滲ませて蓮と連絡をとった。

 話をしなければならない、と。

 琴音は先に寝室へ入って行ったが、ほんの少し頭が冷えたのか「明日、あの二人を呼びつけて」とだけ言いに一度だけリビングへ戻って来た。

 その言葉を現実にすべく、蓮にメールを送ったのだ。

 時間と場所を伝えると、了解と簡素な返信があった。

 自分は年上であり義理の兄だぞ、と敬語を使わない蓮に苛立った。

 きっと蓮は美沙の家に泊まったのだろう。

 姉夫婦が急に押し掛けてきて心細かっただろう、と美沙のために一泊したに違いない。智之の中で蓮のイメージは淡泊で笑わない。しかしそういう男は彼女の前だととびきりの優しさを見せる。

 美沙もそれに騙されたに違いない。

 普段無口で不愛想な男が笑うと女は馬鹿みたいに騙される。自分の前でだけ笑ってくれる、優しくしてくれる。自分は特別なのだ。と、夢を見る。

 美沙も例外ではない。

 頭が弱いから、狙われた。

 きっとそうだ。

 琴音はあの性格だから、弟も似たようなものだろう。

 言葉巧みに美沙を誑かしたに決まっている。もしかしてDV男だろうか。言葉の暴力、身体的な暴力。それらを受けていないだろうか。美沙が心配だ。

 蓮と美沙のことを考えていると、智之は一睡もできなかった。


 琴音と会話もなくリビングのソファに座って一時間半が経過した頃、インターホンが鳴った。

 本当に来るのか半信半疑であったため、画面越しに二人の姿を確認すると一気に緊張が体を駆け抜けた。

 二人を迎え入れるが、美沙と目が合わない。

 初めて蓮の顔をまじまじと観察する。

 彫刻のような整った顔立ちに猫のような目。世間でいうところのイケメンの部類に入る。似たようなアイドルの画像を、部下の女が携帯のロック画面にしていた。

 身長は高く、百八十センチはあるだろう。

 琴音とはあまり似ていないが、話しかけるのを躊躇ってしまうような、怖い雰囲気を纏っているのは同じだ。

 無口の不愛想であるため、その雰囲気は琴音より強い。

 お邪魔します、の一言もない。リビングに案内しようとしたが、琴音がダイニングを指したので椅子に座るよう促した。

 琴音と智之、美沙と蓮が並んで向き合う。


「それで」


 早速本題に入るべく、琴音が切り出す。

 隈が酷く、化粧で隠せていない。

 智之同様に一睡もできなかったのだ。

 暗い表情で美沙を睨みつける。


「どうして蓮がいるの」


 夫の浮気が判明し、更には弟がその浮気相手と交際していた。

 精神的ダメージが強く、涙が出そうになる。


「来いって言ったのはそっちだろ」

「そうじゃなくて、どうしてその女の家に居たの!」

「彼女だから。って、昨日も言ったはずだけど」

「だから、どうしてその女が彼女なのよ!?」


 感情的になり、テーブルを拳で叩く。

 そんな琴音を蓮と美沙は冷めた目で眺めた。


「どうして彼女なのかって言われても。好きだからに決まってんだろ」

「冗談じゃないわ!このクソビッチ!」


 好きだから、と蓮の口から飛び出ると琴音は美沙に向かって暴言を吐く。


「あんたみたいなビッチが引っ掻きまわしてんじゃないわよ!私の旦那と弟に何してるの!?汚らしい!」


 琴音一人が感情的になる。

 顔の皺にファンデーションとパウダーが溜まり、それが一層皺を目立たせている。

 隠すものが多いと汚らしいな、と美沙は頭の隅でそんなことを考えた。


「おい、お前は何のために俺たちを呼んだんだよ。話し合いだろ?罵倒したいだけなら帰るぞ」


 蓮が席を立つ。

 智之は慌てて「待ってくれ。琴音も落ち着こう」と二人の間に入る。

 蓮が帰れば、きっと美沙も一緒に帰るだろう。

 話し合いにならない。

 浮気について話し合わなくていいのなら、それでいいと思っていたが、蓮と美沙の関係を知ってしまった以上、そのことについて深く知りたい。

 この場から美沙と蓮を退場させたくなかった。


「どうして、なんでこの女なのよ。蓮はこんなビッチが好きなの?」


 琴音は智之と美沙が浮気していたことよりも、蓮が美沙と交際していることの方がショックだった。

 家に来てから喋らない美沙を睨みつけ、その余裕そうな顔を殴りたくなる。


「さっきから人の彼女をビッチ呼ばわりしてるが、お前、人のこと言えるのかよ」

「な、なんですって?」

「お前だって他の女からその男を奪い取って結婚しただろ」

「そんなこと今関係ないでしょう!」


 何故、そんな話になるのか。

 話を逸らすな。

 望んでいる回答どころか、関係ない話を持ち込む蓮に頭を抱える。

 いつからこんな人間になったのだ。

 元々、愛想のない、他人を寄せ付けない男ではあったが、今は一人の女を庇うため琴音に立ちはだかる。

 それが大きな刃となり、胸に突き刺さる。

 なんでそんな女を庇うの。他人と姉、どちらが大切なのだ。身内が大切に決まっている。

 智之の元カノの話まで持ち出して、何がしたいのだ。


「ある」


 ぼそっと美沙が呟いた。

 智之と美沙は昨日ミラクルランドで楽しんだ。それなのに、何故か数年ぶりに感じる声だった。


「あるわ」


 智之を真っ直ぐ見る。その視線に、胸が高鳴る。


「な、何がだ?」


 美沙と会話がしたくて、尋ねる。


「関係あるわ」

「何の関係だ?」

「あんたの元カノよ。この女が元カノから奪って、あんたと結婚したんでしょ。覚えてないなんて言わないよね?」


 覚えている。

 高校時代に付き合った彼女は、大学二年生の頃破局した。

 大きな声で言えないが、琴音と二股をかけていたのだ。琴音のずばずば言う飾らない性格が珍しく、内気で主張が控え目なその女と別れ、琴音一本に集中した。


「あ、あぁ。覚えてるよ。奈津江だろ」

「そう、その奈津江」


 何故、美沙が奈津江のことを知っているのだ。

 そんな疑問に答えるように、美沙は感情のない瞳で智之を見つめ、言った。


「あたしの姉よ」


 頭を鈍器で殴られた感覚とは、まさにこのことだった。

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