第21話

 帰りの車内は静かだった。

 日は沈み、窓の外は暗くなっている。

 車のライトで道を照らしながら高速道路を走る。

 助手席に乗っている美沙の横顔から、機嫌が直ったのかが読めない。

 家庭ばかりを優先して、愛想を尽かされただろうか。

 再度機嫌とりをした方がいいだろうか。

 沈黙がちくちくと智之を刺す。


「奥さん、何の用だろうね」


 美沙の声色は元に戻っていた。

 不機嫌さは感じられず、ほっとする。


「何か急用だとは思うんだが」

「写真の送り主が分かったとか?」

「あり得るな」


 何故急に帰ることになったのかが知りたいようで、うーんと顎に手を当てて考え込んでいる。


「奥さんに理由を聞かないの?」

「聞いて教えてくれるなら、先に理由を送ってきている」

「でもほら、奥さんパニックになって理由を送信するの忘れてるだけかも」

「パニックになったならメールじゃなくて、電話をしてくるはずだ」

「…ただの送信忘れってことは?」

「琴音に限ってあり得ないな」

「奥さんのことよく知ってるね」

「まあ、夫婦だからな」


 そう言うと、美沙の口が閉じられた。

 今の返事はよくなかった。

 琴音のことは何でも知っている。夫婦なのだから。強い絆で結ばれているのだから。そんな風に受け止められただろうか。

 そういうつもりで言ったわけではない。

 あの琴音だ。何でも細かい琴音だ。いくつものルールをつくった琴音だ。愛故に琴音を知っているわけではない。毎日あの空間に居続けると、嫌でも琴音のことを理解してしまう。

 夫婦は互いを理解し合っているとよくいうが、それは互いが愛し合っているからとか、心が通じているからとか、そういう意味も含まれているだろう。そんな夫婦は羨ましい。しかしこちらは好きで理解しているわけではない。何年も一緒にいると嫌でも分かってしまうだけだ。


「写真の送り主が分かったっていうのは違うかもな。今日は実家に帰ってるはずだから」

「実家に?なんか奥さんよく実家に帰るね」

「やっぱりそう思うか?知人の話を聞いてても、琴音程頻繁に帰る人はいないみたいだしな」

「子育てを親に頼るため帰る、って友達ならいるけど。奥さんは二か月に一回くらいで帰ってない?」


 美沙に言われ、よく覚えているなと感心してしまう。

 美沙の前で琴音の話をしていないつもりだが、何度か宿泊した際に「今日は奥さんいいの?」「奥さん今日はいないの?」と聞かれたので「実家に帰ってる」と答えた記憶はある。その頻度を把握しているということは、やはり琴音が気になるのだろう。

 二人目の子づくりに関しては、気にしていないような態度をとっていたが琴音のことは気になるらしい。態度には出さず、心の中で気にしていたのだ。

 健気だな、と愛おしさがこみ上げる。


「普通は正月と盆くらいじゃない?実家に帰るのって」

「そうみたいだな。あいつは家族愛が強いのかもしれない」

「家族愛っていうか、執着みたいだよね」

「俺としては別にいいんだけどな。美沙に会える時間が増えるだけだし」


 これは半分本音だ。

 もっと実家に帰って、美沙と会える時間が確保できたらいい。琴音から解放され、美沙に癒される。そんな時間がもっと増えればいいのに。

毎回手土産を持って実家に帰らないでほしい。そんな時間があるのなら自分の家事もしてほしい。

対極する思いがある。

 パパ活の件があり、実家に帰らず見張られると思っていたが、実家には帰りたいらしい。


「そんなに親が好きなら、将来は奥さんの親の介護するようになるんじゃない?」

「…やめてくれよ」

「同居とかさ、あり得るよ」

「同居?」

「年老いた親が二人で生活なんて心配だから、一緒に住んで安心したい。とか言って、家に奥さんの両親が転がり込んでくる未来が見えるよ」

「冗談だろ」

「最近は、旦那の親と同居より、妻の親と同居する家庭が増えてるらしいよ」

「おいおい、そうなったら俺の親はどうなんだよ」

「旦那の親は知ったこっちゃないよ。自分の親が大事なんだから、旦那の親は自分たちで頑張って、ってこと」

「そんな薄情は話があるか」

「でも想像できるでしょ」

「…あり得る」


 不安を煽られ、将来が曇る。


「どうして俺が琴音の親の面倒を看るんだよ」

「奥さんの両親のために稼がないといけなくなるかもねー」

「おいおい、不安になるだろ」

「一人で四人を養うのってどんだけ大変なんだろうね。しかもボケが始まったら…」

「さっきから不安になることばかり言わないでくれよ」


 まさか琴音が帰れとメールをしてきたのはその話ではないだろうな。親が倒れたという話か。

 親の面倒を看てくれ。親のために稼いでくれ。そう言うのではないだろうな。

 専業主婦と子ども一人養っている身だ。貧しい暮らしはさせていないが、親二人を養う金はない。美沙のために使う金だって必要だ。妻の親を養うくらいなら、自分の親に仕送りをする。

 親を養ってくれと言うのなら、自分で稼げ。パートでもすればいいだろう。

 夫から金をすべて巻き上げるような、毟り取るような真似はしないでほしい。

 何不自由させていないのだから。

 金のことで話があるのなら、まずは正社員になるかパートとして働いてから言え。


「智くん、苛々してる?」

「あ、あぁ…なんでもないよ」

「えー、何?あたし何かした?」

「美沙のことじゃないよ」

「じゃあ奥さん?」


 今日はなんだか、琴音の話にぐいぐいくるな。

 琴音の話をしたくないわけではないが、仮にも彼氏の妻なのだから、聞きたくないのが普通だ。

 聞きたくないけれど、好奇心が勝る。聞きたくないけれど、気になる。そんなところか。


「お金の話はまだされてないけど、今後そういう話も出てくるのかと思うと気が滅入ってな。あいつ専業主婦だから、お金についてとやかく言われたくないなと思って」

「あー、そういう人いるよね。働いてから文句言ってほしいねー」

「そうなんだよ。この歳で正社員は難しいだろうし、パートでいいから働いてから文句言ってほしい」

「まだ文句言われてないけど、想像しちゃったんだ?」

「そろそろ言いそうだなと思ってな」

「どうしてあなたの給料上がらないの!?とか言いそう」

「俺、頑張ってるんだけどな」

「知ってるよー。智くんは偉いよ。よしよし」


 運転中の智之の頭を撫でる。

 危ないから、と苦笑しながらも満更ではない。

 美沙の小さな手のぬくもりを感じながら、高速道路から抜け出し、下道を通って美沙を家まで送り届けた。

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