第20話
智之の体調が整うと遊園地内で昼食をとり、映像や軽いアトラクションに乗った後、土産コーナーを見て回った。
土産を渡す予定はない。誰と行ったのかと聞かれると困るからだ。智之も美沙も他人に土産を買うつもりはない。お揃いの何かを買うこともない。折角来たのだから見てみようと入店したにすぎなかった。
「智くん、これ可愛くない?」
「美沙の方が可愛いよ」
「あは、これ面白い」
「誰かに似てる気がするな」
「受付の速谷さんじゃない?」
「あぁ、そうだ。彼女に似てるね」
「速谷さんのこと遠回しにブスって言ってる?」
「そんなわけないだろう。いや、やっぱりそうかもしれない」
「あはは、正直すぎ!」
きゃっきゃと途切れることなく会話を楽しんでいるといつの間にか外は赤く染まっていた。
もうそんな時間かと、智之は腕時計を確認する。
乗り物酔いをしたものの、今日は思ったより楽しめた。
次は迅と一緒に来るのもいいな。琴音さえいなければ親子二人で良い思い出がつくれそうだ。
子どもが親に強請り、却下されてワーワー泣く声がする。
見たところ小学生にもなっていないような子どもだ。迅はもう小学一年生だから、大声で泣くことはないだろう。親子二人で来て、迅がぎゃんぎゃん泣いたら面倒だ。やはり連れて来ない方がいいか。泣かないような年頃になれば、その時に連れてこよう。
美沙と手を繋ぎ、遊園地の外へ出てホテルへ向かう。夕飯はホテル付近で寿司を食べる予定だ。夕飯までまだ時間があるので一旦ホテルに戻り休むことになった。
明日は美味しい物を食べに出かけよう。この辺で有名なのはラーメンだが、もう少し車を走らせれば蟹が名物の地だ。蟹は値が張るが久しぶりの旅行なので財布の紐を緩めよう。出張で立て替えた交通費などは給与口座とは別の口座に振り込まれるようにしている。琴音も知らないその口座にはなかなかの貯えがある。手持ちで足りない浮気費用はそこから引き出していた。
明日の昼は蟹にしよう。
遊園地では恰好悪いところを見せてしまったので、次は大人の余裕を見せなければ。蟹を奢り金銭面で挽回しよう。
そんな思惑を抱え、ホテルへ戻ると携帯が鳴った。
メールが届いた音だ。
ポケットから携帯を取り出すと琴音からの通知が入っていた。
面倒だな、と携帯を放置しようとするが、もしも急用ならもっと面倒なことになる。ポットを使いお茶を入れ始めた美沙に「俺にもお願い」と言い、既読をつけないように琴音からのメールを開いた。
「えっ」
今すぐ帰って来いという内容だ。
琴音は実家に帰っているはずだが、どういうことだ。
文面からは「帰って来い」以外に読み取ることはできない。
無理だと言おうか。急に言われても、困ると。
しかしなんだか嫌な予感がする。
琴音と仲が良いとは言えないが、普段こういう文は送って来ない。簡単な理由を添えて送ってくるのだが、今回は理由がどこにも書かれていない。
急用か。
迅に何かあったのだろうか。
頭をがしがし掻いてため息を吐く。
「どうしたの?」
二人分のお茶を注ぎ、用意ができた美沙はくるりと振り向き智之に声をかける。
「妻から。今から帰ってこいって」
「今から?急だね」
「だよな。はぁ」
「帰るの?」
「あぁ。もしかしたら急用かもしれないからな」
「…ふうん」
つまらなさそうに返事をする美沙の声が低い。
機嫌を損ねたようだ。
それもそのはず。計画を立てず弾丸旅行に誘い、この後は寿司を食べる予定だった。それが智之の妻の勝手でいきなり帰ることとなったのだから。
「結局奥さんの言いなりなの」
「悪い」
「急に誘って、急に帰るんだ」
「…すまん」
「折角の休日で、二人きりなのに」
「ごめん」
「旅行する気満々だったのに、結局一泊だけ?一泊っていうか、日帰りとそんなに変わらないんだけど」
機嫌が急降下する美沙と視線を絡ませることができず、頭に手を当てて俯く。
帰りたいわけではない。できることなら美沙といたい。
「迅が事故に遭ったのかもしれないし」
「そうならそうと、奥さんがそう言うはずでしょ」
「...そうだな」
「何で帰るの?」
「帰って来い、だけで他に理由がないんだ」
「理由もなく帰って来い、っていう奥さんの言葉に従うんだ?自分勝手だね」
「本当にごめん。今度埋め合わせは必ずするよ」
「今度っていつよ」
「美沙の都合の良い日にでも。俺、休みとるから」
普段明るいからか、不機嫌の美沙は怖い。
琴音が不機嫌なときは聞き流すのだが、美沙が不機嫌だと下手に出てしまう。
嫌われたくないという気持ちが先行し、縋りつくように腰を低くする。
「じゃあ、あたしの誕生日にしてよ」
「そ、それは…」
「何?できないの?あたしの都合の良い日でいいんでしょ?」
「…それは」
「できないの?」
「…なんとか、調整してみる」
「調整してみるじゃなくて、その日に埋め合わせするの?しないの?どっち?」
曖昧な返事では話にならない、と美沙は鼻で笑う。
琴音は、今すぐ帰れと言っている。早くホテルに出て向かわなければ、帰宅が遅くなってしまう。県を跨がなければならないので、なるべく早くここを出たい。
美沙の機嫌は直らず、二択を迫られる。
「どっち?」
美沙の誕生日を祝いたい気持ちはある。
だがその日は恐らく仕事を抜け出せない。
午前だけ出勤するのも難しい。午後から帰るなんて人の目があるので、できない。あの人、この忙しい日に帰るんだ。なんで午前だけ来たんだろう。そんな目で見られてしまう。
部下からは陰でこそこそ言われ、上司からもねちねち言われ、他部署からも嫌味を言われる。そんな光景が目に見えているというのに、美沙を優先なんてできない。
「ねえ、どっちなの?」
痺れをきらした美沙が強い声で智之に迫る。
熟考した後、智之は息を吐いた。
「分かった。美沙の誕生日にしよう」
「絶対?」
「あぁ、絶対だ」
「本当ね?」
「本当だ」
「なら、いい」
納得した美沙は帰る支度を始めた。
智之にそのつもりは毛頭ない。
美沙の誕生日は繁忙期だ。休むことはできないし、定時で帰ることもできない。
この場を収めるためだけに放った言葉だ。実行しようとは思っていない。
誕生日が近くなれば「ごめん、仕事が終わらないからまた今度でいいか?プレゼントは上乗せするから」とでも言って逃げる。
美沙のことは可愛いし一緒に居たいと思うが、たかが浮気相手だ。
琴音よりは好きだが、社会的地位のある自分にはもっと大切なものがある。
浮気相手と仕事、秤にかけずともどちらを優先すべきか明らかだ。
ごそごそと支度をしている美沙の後ろ姿を見て、そっとため息を吐いた。
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