第18話

「えー、浮気バレたの?」


 近隣住民が美沙との浮気を知っている、と誰もいないオフィスで話した。

 案の定、美沙は可愛い顔を歪ませて智之の服を掴む。


「それが、俺たちがM市に行った時に見かけたみたいで」

「M市?ほんの少し立ち寄っただけじゃん」

「運が悪かった」

「まあ、今まで暴露されなかったならこれからも大丈夫だとは思うけどさー」


 智之の服を引っ張る。

 小さな手の上に、智之は自分の手を重ねた。


「でも、いつか琴音にバレそうだ」

「大丈夫。その近所の女はきっと口が堅いから」

「そ、そうか?」

「智くんは女のこと分かってないなー。一定数いるんだよ、そういう女が」


 服から手を離し、智之の手を掴んで無意味にいじる。


「まあそれならあのパパ活の写真の件は、その人じゃないなー」

「あぁ、知らない様子だった」

「ほら。そういう女は勝手に人のことを言いふらしたりしないんだよ」

「美沙は詳しいな」

「女の世界で生きてきたからねー」


 得意気に笑う美沙の唇を突くと、軽く指を噛まれた。


「犬みたいだ」

「猫の方が好き?」

「美沙はどっちかっていうと猫だな」

「猫は嫌いなの?」

「いや、好きだよ」

「あたしも?」

「もちろん、美沙が好きだ」

「あたしも智くん好きー」


 じゃれながら二人で笑い合う。

 幸せだな、と智之は思う。

 琴音はいない。可愛い美沙と二人だけの世界。この関係がずっと続けばいいのに。


「そういえば、今度あたしの誕生日だけど、智くんは何くれるの?」

「何がいい?」

「えーっとね、宝石!」

「宝石?まったく、金がかかるな」

「ちっちゃいのでいいよ。ネックレスとか、指輪とか、ピアスとか」


 指を折りながら欲しいものを伝える。

 琴音の誕生日プレゼントでネックレスや指輪、ピアスを渡したことがある。同じものでいいだろうか。考えるのが面倒だし、琴音に渡した過去のプレゼントと同じ物にしようか。しかしそれだと浮気が露呈するかもしれない。琴音に渡していないものがいい。

 宝石が欲しいというが、それほど高くないものにしよう。セールをしている宝石店を探さなければ。

 それにしても、二十七歳になるのか。

 美沙との関係がずっと続けばいいのに、と思ったばかりだが美沙が四十歳になってもこの関係を続けたいかというとそうでもない。琴音より若いが、四十歳の美沙は要らない。年老いた女は琴音がいるので、浮気は若い女としたい。四十歳の美沙に癒されることはない。美沙が三十半ばになればこの関係は終わりを迎えるだろう。その前に美沙は派遣なので、あと数年でこの職場からいなくなるはずだ。美沙が社内からいなくなったと同時に関係が終わるかもしれない。


「智くん何考えてるの?」

「美沙へのプレゼントについてだよ」

「嬉しい!」


 智之の背中に腕をまわし、首元にすり寄る。

 美沙の方が小さいが日本人男性の平均身長より低い智之に抱き着いても、胸板に顔を埋めることにはならない。


「美沙、誕生日なんだけど…」


 智之が言いかけると、美沙は言いたいことを理解してにっこりと笑う。


「大丈夫だよ。誕生日は友達に祝ってもらう予定だから」

「ごめんな」


 休暇をとって美沙の誕生日を祝うことができない。

 琴音に伝わるかもしれない、と怯えているのではなく丁度その辺りは繁忙期なのだ。休むことは当然できない。


「繁忙期じゃなかったら、休めたんだけど」

「いいよー。お仕事頑張ってる智くん好きだし」

「み、美沙…!」


 学生時代のアルバイト以外に労働経験のない琴音とは違い、美沙は理解してくれる。

 いつが繁忙期なのか、どのくらい忙しいのか、社内の空気など大体把握している。社内恋愛は悪いことばかりではない。仕事について理解してくれるのが強みだ。


「美沙は本当に良い女だな」

「うふふ、知ってる」

「癒されるよ」

「あ、社内でのお触りは禁止だよー」

「いいじゃないか」

「だーめ」

「癒されたいんだよ」

「今度の休日にね」


 ぺち、と智之の手を叩く。

 誰もいないとはいえ、誰かが戻ってくる可能性はある。

 念のため部屋に鍵をかけているが、警備室から鍵を借りた誰かがいきなり開けて入ってくるかもしれない。

 用心するに越したことはない。

 衣服が乱れることはないよう気をつけているが、数回程致したことはある。その度に美沙から可愛い怒りをぶつけられた。

 オフィスでは唇を重ねるだけ。美沙がつくったルールだ。

 その可愛らしいルールを守ったり、破ったり。智之にとっての一興だった。

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