第4話

 琴音が帰宅したのは、二人が夕飯を食べている最中だった。

 昼食は用意されていたが、夕飯は用意されていなかったため近所のスーパーで二割引きになっていた弁当を買い、迅にはカップラーメンを買った。

 家を出た時とは違い、崩れている化粧を更に崩すように顔中にしわを浮き上がらせている。今度は何に怒っているのかと、智之は琴音の言葉を待つ。


「弁当買ったの?少しは自分で作ったら?あなたはいいけど、迅にそんなもの食べさせないでよ」


 琴音がいる時には食べることができないカップラーメンを迅は美味しそうに頬張っている。一度くらい食べたところで急に体調が悪くなるわけではないし、今までだってそうだった。


「あぁ、悪い」


 カップラーメンを食べ終えた迅はパジャマを持って浴室に向かった。

 迅がいなくなり、二人きりになったところで琴音は今日会った友人の話をすべく、智之の前に座った。


「今日会ったのは里恵なんだけど、旦那が浮気していたらしいの。浮気相手に慰謝料請求して、親権は里恵がとって、毎月養育費を貰っているんですって」


 どきり。

 やはり、気づいているのではないか。

 それでも白状するわけにはいかないので、早くなる鼓動を隠しながら「そうか」と呟く。

 じっと見つめる琴音の瞳からは何も読み取ることができない。

 自分は今、試されているのか。それとも、ただの世間話か。智之に分かるはずもなく、後者であれと祈るだけだ。


「浮気なんて失うものばかりなのに、どうしてするのかしら。そう思わない?」

「そうだね」

「まあ、あなたにそんな心配はしてないけどね」

「そうか」

「浮気するような度胸、ないものね」


 試すような視線を向けられるが、逸らせばやましい心があると思われてしまう。じっと見つめられ「なんだ?」と眉をひそめる。浮気をしてからというもの、嘘を吐いたり演技をしたりすることが増えた。以前より上手くなっている気がする。


「いいえ、何もないわ。ねぇ、そろそろ二人目が欲しいんだけど」


 ちらっと智之を窺う。

 迅は小学一年生。次に子どもができたら七歳差か八歳差くらいだろうか。

 子どもを欲しいとは思わない。欲しいか欲しくないか、その二択ならば欲しくないと答える。生まれたら今まで以上に琴音ルールが重く圧し掛かってくるだろう。息苦しい生活はしたくない。そう考えると、迅だけで十分だ。


「どう?」

「気持ちは分かったが、もう三十五だろう。身体は大丈夫なのか?」

「小学校の同級生が妊娠したらしいの。他にも、去年出産した同級生がいたし、私だってもう一人欲しいわ」


 けれどもう三十五歳だ。三十五となれば高齢出産ではないのか。子どもは二十代で生んでおくべきだと言われているし、今から子づくりをしたところで子育てに使う体力は迅の時と比べて格段に落ちているだろう。自分には体力がないから男のお前がやれと、子育てを押し付けられても困る。


「身体が心配だな。一度医者に相談してからの方がいいんじゃないか?もしかしたら二十代の時と比べて死亡率が上がるのかもしれないし」

「はぁ、年寄り扱いしないでくれる?同級生は去年出産してるんだから」


 もういい、と立ち上がりダイニングを去って行った。

 子どもを生むということは、子づくりをする必要がある。迅が生まれてからセックスレスだ。しようともしたいとも思わない。琴音を前にすると性欲が削がれるのだ。女として見ることができなかった。琴音との子づくりを想像し、げんなりする。萎えきった己を奮い立たせ、それでも最後まで至らなかった場合、責められるのは目に見えている。どうしてもというのなら、ゴムに液体を出して渡すから、それを使って一人でなんとかしてほしい。

 セックスも二人目も否定的である自分は最低なのだろうか。


「パパ、お風呂入る?」


 風呂上りの迅が聞いてきたので「ママが入るよ」と返した。

 子どもは可愛い。可愛いけれど、二人目をつくる気が起きない。

 琴音が身籠れば、その間の家事は智之がやらなければならない。今でさえ一人暮らしのように自分の事をしているというのに。その上、迅の面倒も押し付けられるだろう。悪阻が酷いから、動けないから、と理由をつけてすべてを放棄するに違いない。

 専業主婦なんだから、家事くらいしてくれ。迅の世話もしてくれ。

 そう思うが、これは世の父親が持ってはいけないものらしい。

 生きにくい世の中である。

 家事をする女が偉いという風潮さえあるのだから、肩身が狭い。

 テレビをつけて、好きなアニメを見始める迅を眺めながらため息を吐いた。

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