第3話

 美沙と連絡を取り合わないまま休日を迎えた。

 休日はできるだけゆっくり休みたい。平日は朝起きて出社し、帰宅してまた翌朝出社する。その繰り返しであるため、休日くらいはどこへも行かず過ごしたい。

 ベッドから起き上がることはせず二度寝しようと瞼を閉じると「パパー!」と元気良く迅が寝室へ入って来た。勘弁してくれと思いながら、寝たふりをする。


「起きてー!」


 迅はベッドの上の大きな塊を目掛けて飛び込む。


「いった!迅、痛い!」

「パパ起きてー、ご飯だよ!」

「分かったから、降りて」


 重い身体を起こすと満足したのか「ママー、パパ起こしたよ」と寝室を出て行った。

 その声を聞いてため息を吐く。

 休日なんだから休ませてくれよ。息子を目覚まし代わりにしやがって。

 枕元にある時計を見るとまだ朝の七時過ぎだ。舌打ちをして寝室から出ると、洗面所に向かう。

 朝食は食べなければならないという琴音ルールで、昼に起きることは許されない。朝起きて最初に顔を洗うのも琴音ルールだ。汚い顔のままみんなが集まるリビングやダイニングに入ってくるなという。

 面倒な琴音ルールはストレスでしかない。同棲をすると八割は別れると聞くが、結婚前に同棲はしておくべきだと思う。


「パパ、早く早く」


 既に食べ始めている二人の前に座り、遅れて食べ始める。

 食パンにサラダ。このサラダもきっと琴音が切ったものではなく、刻まれた状態で売っているものを使ったのだろう。食パンは焼けばいいだけ。

 美味しそうに頬張る迅を見て、複雑な気持ちになる。

 迅の口元についているパンのカスを取りながら琴音が「今日は迅の面倒お願いね」と呟いた。急なことで思わず手が止まる。


「…なんでだ?」

「地元の友達がこっちに来るみたいだから」

「…だから?」

「はぁ、だから出掛けるの」


 悪い?とでも言いたいような顔で視線だけ智之に向ける。可愛げがない。

 もう何年も可愛いと思っていない。こういう時、無性に美沙に会いたくなる。今頃何をしているだろうか。


「あなたもたまには迅の面倒みてよね」

「あぁ」

「毎日私が面倒みてるんだから、まったく、少しは手伝ってくれればいいのに」


 ぶつぶつと文句を言い始めた。子どもの前で言うことではないだろうと言いたくなるが、それを言うと二倍になって返ってきて、智之が折れるまで言い合いは終わらない。それならば、最初から何も言わない方が労力を使わなくて済む。


「迅が小さい頃だって私ばっかり世話して。男はいいわよね、仕事に逃げることができて。専業主婦の時給っていくらか知ってる?私だって子育てから逃げたい時もあったけど、あなたは積極的に育児に参加しないし、私だけが身を削って」


 ねちねちと迅が小さい頃の話をする。何百回、何千回も聞いた。

 結婚したら専業主婦になると言っていたのは琴音であったのに、仕事をする智之を責める。言い返すことはせず、ただ黙って琴音の言葉を右耳に入れ左耳から出す。

 育児に参加していなかったわけではない。ミルクを作ったり、おむつを換えたり、夜泣きで寝ることができない琴音を思い迅を寝かしつけたこともある。それを、まったくしなかったかのように話されて良い気はしない。


「あ、もうこんな時間。食器は洗っておいて」


 まだ七時半であるのに、もう準備をするのか。

 専業主婦を選んだのは琴音自身なのだから、休日くらい夫に気を遣ってほしい。ゆっくり休めるのは休日だけなのだから、友達と会うのなら平日にしてくれ。心の中で言い返してみる。

 琴音は身体のラインが出るワンピースを着て、髪を巻き、厚い化粧をしてさっさと家を出て行った。

 もう歳なんだから、そんな恰好やめろよみっともない。

 本人はヨガをしているから大丈夫だと思っているようだが、三十半ばのおばさんがする恰好ではない。子どもがいて、歳もとって、男を誘惑するような服を着るな。誰もお前に欲情しない。歳相応の恰好をしてくれよ。まさかその恰好で授業参観に行っていないだろうな。迅が可哀想だ。

 みっともないと本人に伝えることは当然できない。

 近隣の住人に会う度に恥ずかしい思いをしている。言われたことはないが、恐らく内心近隣の人たちも思っているに違いない。


「パパ、ママはお出かけ?」

「そうらしい」

「僕、公園に行きたい」


 もう小学一年生なのだから、一人で行かせてもいいのではないか。そう思うが、琴音は違うようで、学校に慣れるまでは公園も一緒について行ってと先日怒られたばかりだ。最近のそういった事情は分からないので迅と同い年の子どもを持つ職場の女性に聞いたところ、そんなことはしていないと返ってきた。子どもから一緒に行こうと言われたら行くし、遠く離れた場所にある大きな公園に行く時は車を出す、公園に付き合うのはそれくらいだと語っていた。

 やはり、これも琴音ルールなのだ。

 折角の休日が琴音ルールにより潰される。


「朝行くか?それとも昼ご飯食べてからか?」


 面倒だという雰囲気は出さず、笑顔を心がけて迅に尋ねると、むっとした顔をした。


「ついて来なくてもいい」

「どうしてだ?」

「逆上がりの練習をするだけだから」

「だったら、パパがいた方がいいんじゃないか?」

「いらない。パパと練習してるところを見られたくない」


 学区内にある公園は、学校の子たちがよく利用する。親と一緒に練習する姿を見られたら揶揄われるかもしれない。そんな思いがあるのだろう。


「はは、分かった分かった。でもママが怒るから、一緒に行ったことにするんだぞ」

「うん!」

「いい子だ」

「ママ、いつもついてくるから逆上がりの練習ができなかったんだ」

「そうか」


 琴音ルールは迅も辟易しているようだ。

 智之は自分が間違っていないと実感し、笑みを浮かべた。

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