彼女の目は誤魔化せない
鍋で沸かした湯に味噌を溶き、乾燥わかめと切った豆腐を入れ、蓋をする。食べる直前に火を入れるのでこのまま置いておき、代わりに揚げ物を油を熱し始めておく。
みじん切りにした玉ねぎに軽く塩を振って電子レンジで加熱した後、冷蔵庫に入っていた作り置きのポテトサラダの残りと混ぜ合わせる。少しずつ片栗粉を入れて硬さを調節し、まとまりやすくなったら小判型に形を整え、小麦粉と卵液とパン粉をまぶす。
(油は、うん、いい温度っぽい)
揚げ物鍋に落としたパン粉が勢いよく揚がっているのを確認して、次々にコロッケを投入していく。鍋に入りきらないコロッケはバットの上で順番を待ってもらう。
粉と卵に塗れた両手を綺麗に洗って鍋の前に戻ってくると、最初に投げ入れたコロッケが気持ちよさそうに油の波に揺蕩っている。外周りが狐色に上がっているのを確認して、菜箸を使ってくるりとひっくり返せば、黄金色の小判もといフライが現れる。
(揚げ物の音、落ち着くな……)
だが自宅ではないのでそう浸っていられない。よく揚がったコロッケたちを掬い上げて油を切り、第二弾を投入する。その間に三人分の千切りキャベツを用意してそれぞれの皿に敷き詰める。
火にかけた味噌汁がしっかり温まった頃、コロッケもちょうどよく揚がった。千切りキャベツの上にコロッケを載せ、味噌汁を器に注ぐと、本日の夕食の完成だ。
マヨネーズと塩胡椒ですでに味がついているポテトサラダだから手早く作れる、お手軽コロッケだ。肉気こそ感じられないが、マッシュポテトとマヨネーズのとろける食感に、少しだけしゃきしゃき感の残るきゅうりと玉ねぎがアクセントになっていて、揚げ物にしてもさっぱりいただける味だ。
「果奈ちゃん天才! センスの塊!」
「恐縮です」
頭を下げた果奈は炊き込みご飯を口に運んで、ほう、と息を吐く。
鶏もも肉、油揚げ、人参、ごぼう、しめじの入った五目炊き込みご飯だ。使った出汁がいいのだろう、果奈が片手間で作る適当な味付けでは感じられない旨味と味わいが、米粒を噛む度にじわじわと増していく。
(『炊き込みご飯』という言葉そのものがご馳走だ)
「……悔しいけど美味いんだよなあ、姉さんの五目飯」
部屋着に着替えた鬼嶋が、ご飯を咀嚼し、味噌汁を啜って悔しそうに唸っている前で、果奈も大きくしみじみと頷いた。
聞けば、百貨店や大型ショッピングモールに入っている食品メーカーの出汁を使っているのだという。洋食には強いが和食に弱い自社を思い浮かべたのは果奈だけではなかったらしく、食べ慣れているはずの鬼嶋も考え込んでいる。
自分が作った料理であっても受け付けない症状が出ていた綾子は、飯茶碗に半分以下の量を食べるだけに留めたおかげか、不調になってはいないようだ。「誰かの作った揚げ物最高!」と行儀よくコロッケを頬張る姿にほっとする。
(出産予定日って二月だったっけ。このまま元気でいてほしい)
夫もあやしだという綾子の子どもは、母体が体調を崩していることを踏まえても間違いなくあやしだろう。母子ともに健康であれと願いながら、お祝いを何にしようか考えておこうと思った。
それはさておき、今日の仕事は完遂せねばならない。
キッチンの片付けは常ならば免除されているが、揚げたてのコロッケを優先したせいで、いつもと違って合間に洗い物などができておらず、散らかったままになっている。
そのまま託すにはあまりにも気が引けて「今日だけは片付けさせてください」と果奈は鬼嶋に必死になって頼み込んだ。
いやいや、こちらこそいやいや、と終わらない押し問答に突入するかと思いきや、それを助けたのはやはり我らがお姉様だ。
「輝ー、悪いんだけど、足が攣りそうだからマッサージしてくれない?」
果奈にキッチン掃除をさせて綾子のマッサージをするのか、掃除を引き受けて果奈に綾子の足腰を揉ませるのか。口を開け閉めして結局言葉が出てこなかった鬼嶋は、きっとかなり葛藤したのだと思う。
「……掃除、お願いしていいかな」
「もちろんです」
そんなわけで果奈は洗い物をし、揚げ物鍋の屑を取り除いてコンロ周りの汚れを拭い取り、ついでに床も拭き掃除した。
(綾子さんと二人で暮らしているとはいえ、私の家より清潔なお宅だよな……)
勝ちたいと思ったことはないが勝てる要素が一つもない。たとえ床に這いつくばっていても鬼嶋は様になるか、普段と所帯染みた姿のギャップがたまらないと言われるのだろうと思っていると、拭き取ったフローリングの床にふと影が差す。
「どうかされましたか、綾子さん」
そんな実弟をマッサージ機扱いできる綾子は、見上げた高みでにこりとして勢いよくしゃがみ込むと、果奈にだけ聞こえる低い声で言った。
「はっきり迷惑だって言って、ブロックした方がいいわよ?」
うやむやになった果奈が『参っている』案件のことだとすぐにわかった。
だが綾子が別のことを指しているか、鎌をかけられている可能性もあると思い、果奈も声を落として問い返した。
「何のお話でしょうか」
「頻繁にメッセージを送ってくる輩のことよ」
果奈は白旗を挙げた。何故かはわからないが確信を持っている綾子に抵抗するのは無駄だ。はぐらかせば不必要に機嫌を損ねてしまう。
(でも、いまはちょっと)
果奈がリビングを気にするのと、綾子が「輝ー」と美丈夫の弟をざっくばらんに呼びつけたのは同時だった。
「何?」
「果奈ちゃんにゼリーを作ってもらおうと思うから、スーパーかコンビニに行って、ゼラチンと果物とジュースを買ってきて」
一瞬面倒くさそうな顔をした鬼嶋だが「わかった」と素直に姉の命令に従った。ジャケットを羽織り、最低限の荷物を持って一声かけてくる。
「じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃーい」
「あ、い、いってらっしゃい!」
しまった、綾子に釣られてしまった。
いったい何様のつもりなのかという「いってらっしゃい」に、弾かれたように振り返った鬼嶋と目が合った。
見開かれていた目が、ふんわりと和らぐ。
「うん。いってきます」
先ほどよりまろやかなそれは、どうしてだろう、果奈にだけ向けられたような気がした。
(気がした、だけなんだよなあ……)
玄関ドアが閉まる音を確認して、きりのいいところで拭き掃除を中断すると、リビングに出頭した果奈は綾子に求められるまま、自らに降りかかっている不可思議な事柄について白状することとなった。
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