第2話 心を繋ぐ月見うどん

色気か食い気か1

『果奈ちゃんに会えなくて残念だけど、以前からの約束だったんだからそっちを優先してね。

 今日私は作り置きしてくれていたハンバーグを食べます。


 ところでその飲み会って男の人が来るやつ?』




(出会い目的の会だと確信しながら送ってきているな、さすが綾子さん……)


 メッセージアプリを確認して感嘆した果奈は『ありがとうございます。誠に申し訳ありません。次回の訪問は……』と予定を再確認する内容を送信する。

 男性の参加者の有無についてはスルーだ。果奈も騙し討ちされたようなものを、綾子にからかいの材料にされてはかなわない。


「果奈ー? 準備できたなら行くよー」


 ロッカーの壁の向こうから大嘘をついた張本人が声をかけてくる。

 大学の同級生で、就職も同じ、昨年度までは同じ事務課にいて現在は人事部所属という付き合いの長い友人の中西麻衣子だ。

「うん、大丈夫」と応じて、トレンチコートに袖を通す。秋が来たと思ったら、半月も経つと夜は冬を間近に感じるくらいに冷え込む。仕事の行き帰りにはコートが欠かせなくなってきた。

 二人で更衣室を出ると、麻衣子は果奈の上から下までを一瞥して、うわ、という顔になった。


「あんた、その格好で行くの? 仕事着じゃん」

「わざわざ着替える意味がないから」

「男の人が来るのに? もう、そんなだから愛想がないって言われるんだってわかってるくせに、あんたってやつは」

交流会・・・なんだから、スーツの色は明るくするくらいでいいでしょう」


 この日の予定を麻衣子から『人事部の仕事を通じて知り合った人たちと交流会を催すので、その付き添い』と聞いていた果奈が刺を滲ませても、付き合いの長い彼女はびくともしない。


「色が明るい、でも素っ気ないストレッチスーツね。はあ、トップスくらい派手にすればいいのに」


 そう言うだけに麻衣子はそれなりに気合いが入っている。

 キャメルのテーラードジャケットは雑誌やテレビでよく見る最近定番のオーバーサイズ。トップスは首の詰まった柔らかい素材の黒で、Aラインの白のニットスカートを合わせていた。ネックレスとピアスは彼女の普段使いだが、そうした気を抜いた感じがいわゆるおしゃれ上級者の証なのだろうと思う。


(まあ麻衣子が気合いを入れていないところは見たことがないけど)


 本人曰く『派手な顔をしているせいで、ちょっとでも手を抜くと凄まじくみすぼらしく見えるから』だそうだ。

 二人で会社を出て、電車を使って街の中心部に向かう。

 移動中も麻衣子はスマホを操作していて、参加者からの連絡や予約した店の住所や時間の確認に余念がない。


「岬は先に出たんだっけ?」

「そう。買い物をしてから待ち合わせ場所に向かうって言ってたから、店名と住所と、予約の名前は伝えておいた」


 そう答えて、麻衣子の横顔に尋ねる。


「……よく岬さんの参加を断らなかったね。仲良くないのに」

「仲が悪いってはっきり言っていいわよ」


 スマホを操作しながら麻衣子は冷笑する。


「あの子、仕事はできないけどそれ以外だとまあまあ役に立つから、今回は賑やかし要員になってもらうつもり」


 つまりね、と麻衣子はスマホを鞄にしまって、暗い窓越しに悪い笑顔で果奈を見た。


「あざといあの子になびかなかったやつこそ、いい男だってわかるわけ。あんたの彼氏探しにぴったりでしょ」


 友人のとんでもなく性格の悪い発言にため息を禁じ得ない。

 大学で出会い、気付けば親友のような程よい距離感でいた彼女の悪癖。それは自身が大切だと感じるもの以外はどうでもいいと冷たく突き放すこと。そして何故か恋愛にさして重きを置いていない果奈に恋人を当てがおうとすることだった。


(飲み会なあ……話したくもないことを聞き出されたり、愛想を振りまかないと盛り下がったり、コミュニケーションを取るように強要されるのが嫌いなんだよな。特に出会い目的の場は)


 そうでないのなら居酒屋は好きだ。自分でせっせと手を動かさなくても揚げ物だの肉だのが手軽に食べられるし、片付けを気にしなくてもいい。積極的に喋らなくていいならもっといい。


(そう考えると、綾子さんや鬼嶋課長は付き合っていてすごく楽だよな)


 仕事帰りの乗客が増えていく電車に揺られながら、この頃始めることになった短期の家事代行について思いを馳せる。


 現在、果奈は上司である鬼嶋の姉、九条綾子のまかない係のダブルワークをしている。


 おおよそ週に三回、場所は鬼嶋の自宅だ。九条氏は非常に多忙な人物だそうで、妊娠中の妻を放っておかざるを得ない状況らしく、その結果、綾子は不便な場所にあるという実家ではなく、都市部にある実弟の自宅に身を寄せているのだった。

 互いの予定に負担がかからないよう、半月前に予定を決めて食事作りに通って、もう一ヶ月。果奈が作り置きしたものも綾子は問題なく食べられるとわかったので、その日と翌日の食事、数日冷蔵保存できるものを作り、朝や昼、今日のようにお邪魔できない日はそれらを食べてもらっている。

 身内以外に食事を作るなんて不慣れなことを果奈がそれなりに上手くやれているのは、確実に鬼嶋と綾子の人柄のおかげだ。


(作業前に手伝いは必要かって聞いてくれるし、必要ないって言えば近付いてこないし。基本的に食事中は喋らない人たちで、私の帰宅時間を気にして、食後のお茶を飲み終わったらさっさと帰してくれるし)


 麻衣子との約束を優先したが、異性を交えた飲み会だと思うと憂鬱だ。こんなことなら鬼嶋宅で食事を作っていたかった。作り置きが美味しくないとは言わないが、食べられるものだけでなく調理者・・・に制限がある綾子だから、やはり出来立てを食べてほしいと思ってしまう。


(……今日は飲み会だって説明したら鬼嶋課長、ものすごく意外そうな顔だったな……)


 無愛想クイーンがそういう場に参加するとは、さすがの鬼嶋も想像しなかったに違いない。ただ異業種交流会の付き添いだと説明する果奈が乗り気でないことを察してか「遅くならないように気を付けてね」と微笑まれてしまったけれど。


『次は……、……、……線、……線、地下鉄……線はお乗り換えです……』


 車内アナウンスが到着を告げる。

 降りる人の波に乗って颯爽と歩く麻衣子と、その華やかさに目を惹かれる人々を少し後ろから見ながら、果奈はうっすらと空腹感を覚えて居酒屋料理に思いを馳せた。


(麻衣子の思惑が上手くいった試しはないし、晩ご飯を食べるだけのつもりで適当にやろう)


 その一時間後、麻衣子の騙し討ちと性格の悪さを糾弾しなかったことを、果奈は後悔する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る