鬼嶋輝の秘密2
『あやし』――この国の妖怪やもののけに代表される不可思議な存在、その姿や能力を持つ人間を、現代では『あやかし』をもじってそう呼んでいる。
あやしの特徴は優れた容姿。高い知能や運動能力。
そして先祖であるあやかしの何らかの能力を引き継いでいること。
特殊能力の種類や強さはそれぞれ違っていて、そのために様々な問題や差別に直面してきた歴史があり、義務教育過程には必ずあやしに関する人権教育が含まれる。現代社会においてあやしは多くはないが、少なくもない。一クラスに一人は必ずいる、そんな時代だ。
だから鬼嶋のように美しい顔をしていると『人間じゃない』、つまり『恐らくあやしだ』という噂を立てられる。
それでもあやしの人たちがカミングアウトしないのは、ただでさえ恵まれた容姿のせいで予期しない束縛を受けるのに、能力次第では自身や家族に危険が及ぶ可能性があるからだ。
自宅に向かいながら大事な秘密を明かした鬼嶋は「鬼嶋家は色々なあやかしが混ざっている家系でね」と話してくれた。
「我が家に生まれるのはだいたいがあやしなんだ。『何』が出るかはガチャみたいなもので、強いあやしもいれば人間と変わらない弱いものもいる。私は比較的弱い方かな。能力は怪力だけだから」
神様をお祀りするようにあるあやかしの血だけを継ぐ人たちがいれば、家が続くうちに複数のあやかしの血を継ぐようになった人たちもいる。一説によればあやかしに好まれる人々というものがあるそうだが、鬼嶋の家がそうらしい。ただただ納得だ。
(神がかり的、いやこの場合あやかしがかり的? な顔の良さだからな……)
表立って指摘するものではないという社会の雰囲気があるので噂に留まっているが、いきなり不躾に言う人もいるだろう。鬼嶋が困り顔で笑いながら流すところが簡単に想像できる。
ともかく、鬼嶋があやしだったから果奈は怪我をせずに済んだのだ。
「怪力だけと仰いますが、おかげで無傷でした。助けてくださってありがとうございました」
「大したことはしていないよ。それよりもびっくりさせてごめん。掴んだところは大丈夫? 気を付けたけど、痣になっていたらすぐに言って」
「はい」と素直に頷いた。普通の人のような力加減だったので痣にはならないだろうと思いつつも、その気になれば金属製のフレームを握り潰せるのだから気になって当然だ。きっと普段から力を発揮しないよう、並々ならぬ注意を払っているに違いない。
(それにしてもガチャって。SSRが出たらどうなるんだ)
聞いてみたいが人様の家のことだ。ただの部下である果奈にそこまで踏み込む資格はないので、そっと抑え込む。好奇心を剥き出しにして、秘密を明かしてくれた鬼嶋の気持ちを踏みにじりたくなかった。
「そこを曲がったところにあるマンションだよ」
言われた通りに曲がると集合住宅が並ぶ道だ。
煉瓦を積んだようなレトロなデザインのマンション「グレイシア東都」。五〇三号室が鬼嶋宅だという。
高層ビルの高級マンションでなくてほっとしたが、モダンな外壁の住宅なので、家賃は果奈の住まいの二倍ほどすると思われた。
(いまさら緊張してきた……)
ひっそりとしたエントランスを通り、少々古びたエレベーターを使って五階へ向かう。静寂と無言が混ざり合う空気が落ち着かず、忙しない鼓動に息苦しさを覚えていると「岩田さん」と静かな声がした。
「岩田さんのことは必ず守るからね」
果奈はぱちりと瞬いた。
エレベーターの扉が開く。
足を踏み出した果奈たちを夜の強い風が取り巻く。どこからともなくカレーや焼き魚のいい匂いが漂ってくると不思議と懐かしい気持ちになって、五階の廊下から見える夜の景色がほんのりと温かい色に染まったように思えた。
「…………」
鞄を肩にかけ直し、早足になって先を歩く鬼嶋に追いついた。
「……その言い様だとご自宅が伏魔殿か何かのようです」
「そうじゃないって断言できないのが辛いなあ」
あはは、と笑う鬼嶋は、きっと果奈の不安も彼に励まされたことも、下手な冗談を努力して返したことも、すっかり見透かしているのだろう。
「それじゃあ、ようこそ、我が家へ」
「お邪魔いたします……」
近隣住民を憚った声量で言って、角部屋に当たる五〇三号室の扉の内側へ足を踏み入れる。
(おお、綺麗だ)
白っぽい木目調が明るい、ナチュラルデザインの部屋だ。
出しっぱなしの靴もない清潔な玄関。廊下の左側に洗面所と風呂とお手洗い、右側に寝室らしき部屋、突き当たりはリビングダイニングに続くらしい室内ドアがある。
靴を脱いで揃えて家に上がった果奈は、鬼嶋に道を譲って後ろに続く。
「ただいま、綾、ごっ!?」
鬼嶋がリビングに続くドアを開けた瞬間、ばすんっ、とすごい音がした。
顔を押さえて崩れ落ちる彼の足元には音の発生源らしき固めのクッション。
その向こうにはそれを全力で投げつけたであろう黒髪の美女が、般若面を思わせる形相で立ち塞がっていた。
「遅い! 帰ってくるのにどれだけかかるわけ!? 私を放っておいて!」
「っ痛ぇなあ!? 何すんだよ!」
だが鬼嶋も負けていない。すっくと立ち上がるとざっくばらんな口調で言い返し始めた。
「牛乳がないって言うから買い物に行ったのにその言い草はないだろう!?」
「それにしても遅すぎでしょ!? 私が食べられるものは限られているんだから、飢えさせないように走って帰って来なさいよ!」
「うわ、そういうこと言うんだ? せっかく昨日のスープの作り主に頭を下げて、綾子が食べられるものを作ってもらおうと思ってわざわざ来てもらったのに」
(ぅわお)
室内ドアを閉めて見なかったことにしようかと思っていたところに存在を示されて、美女とばっちり目が合ってしまった。
ストレートの黒髪。メイクの必要のない黒々としたまつ毛と大きな目、白い肌は激しく言い合ったせいでうっすら上気している。ゆったりしたジャージワンピースを着ていてもモデルのような細身だとわかった。
だが悲しいかな、げっそりと頬が痩けて、唇に色がない。
それでも果奈がこれまで見てきた中でも『極上の』と言うべき美女であり、同時に、鬼嶋との関係性が瞬時に理解できた。
「お邪魔しております。鬼嶋課長のごきょうだいの方でいらっしゃいますか?」
名前を呼び捨てて素の口調で接する、妊娠中の妻でない女性の同居人。
すなわち、家族。
「初めまして、岩田と申しま、すっ!?」
「あらあらまあぁ! あなたがあの美味しそうなスープの!」
途端に女性は鬼嶋を押しのけて果奈の両手をしっかりと包み込んだ。
少し冷たくてしっとりと優しい手の感触、素早い変わり身と歓迎ぶりに戸惑う果奈がそうでないのかわからないぎこちなさで頷くと、彼女はますます喜色満面ではしゃぎ出した。
「来てくれてありがとう! お会いできてとっても嬉しいわ。こんな汚い部屋でごめんなさいねえ」
「いえ。鬼嶋課長らしい非常に清潔なお宅だと思います」
すぐに否定するような言い方はまずかったかもしれないと思ったものの、大きな目を見開いていた彼女は、すぐにぱっと笑顔になって鬼嶋を振り返った。
「よかったわね、輝。あんたらしい家だって」
「岩田さんは優しいからね。姉さんと違って」
クッションを拾い上げた鬼嶋は呆れ果てた様子で果奈と彼女を引き剥がし、リビングへと促した。
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