第6話「願いが叶う本」

「……ああ、面倒くせえ」


 オレは短調な色分け作業に、すぐに飽きてしまった。この作業が終っても、まだ開放されないのかと考えると、溜め息が零れる。


 ああ、こんなんでいいのか、オレの青春っ。

 

「放課後、ただ猥談してるだけより、学校にも貢献出来て、ずっと建設的じゃない?」

 

「!」


 渡辺はしれっと、さっきの話を蒸し返した。


「私ね、男に対して常日ごろから思ってたんだけど、そんなに童貞捨てたいなら、お金で、女でも買えばいいじゃない?」


 なんてこと言い出すんだ、この女っ。

 

 ていうか、そんなところまで聞かれてたのか!


「そっ、そーいうことじゃないんだよっ」

 

「どういうことよ? まさか、気持ちがなきゃイヤなの~。なんて言うつもりじゃないでしょうね」


 素直に「そうだ」と言うことを許されない、男の性癖を逆手に取った攻め方だ。分かっていたのに、オレは大人になれなかった。


「……そういうわけじゃ」

 

「じゃ、別にいいじゃない。素人よりプロ相手の方がいいんじゃない?」

 

「だいたい、そんな金ねぇーつうのっ」

 

「アルバイトでもしたら。それに、セレブのオバ様たち相手なら、逆にお小遣いくれるんじゃない?」

 

「……っ。冗談じゃねーよ! なんでババア相手にっ。女なら、誰でもいいってわけじゃないのっ。オレの理想は高いの! 胸が大きくて、スタイル抜群の、グラビアアイドルみたいなお姉さん!」


 なんだか、言ってて情けなくなって来た。


「わがままだな~」


 渡辺は子供のイタズラを見守るような、母親の顔つきで、オレを哀れんでいた。


「金払うなら、そのくらいのわがまま、許されてもいいだろっ」

 

「いくらくらい掛かるんだろうね~。私、そんなお金があるんなら、果実園リーベルで、秋の新作パフェでも食べたいわ」

 

 瞬間、空気が止まった気がする。

 かみ合わない。男と女はけして理解し合えないと、こんな会話で悟ってしまった。

 

「あ、ねえ、相葉君、願い叶えの本って知ってる?」


 唐突に渡辺は、いたずらっ子のようなツラで、オレを真っすぐに見つめた。

 

「願い叶え?」

 

「そ。今女子の間で、ひそかにウワサになってる本のこと。私も詳しくは知らないけど、なんでもその本を手にしたら、どんな願いでも叶うらしいよ~」

 

「は? 正気かよ、それは」

 

「実際、願いが叶ったとかいう生徒がいるとか、なんとか」

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

 なにを言い出すのかと思えば。

 

 女って、本当にそう言うジンクスだの、おまじないの類が好きだよな。渡辺がそういったことに興味があるのは、少し意外だったが。

 

「本って言うくらいだから、案外図書室と、なにか関係があるかもしれないよ? ここで仕事してれば、なにかの情報が得られるかも。と思いながら、作業やったら、少しは気が紛れるんじゃない?」

 

 別に渡辺は、その話を、本気で信じてるわけではなさそうだ。そりゃ、そうだわな。まともな人間ならそんなもの信じるはずない。オレの退屈しのぎに、話を振ってくれたわけだ。それなら、乗ってやらんこともないか。

 

「もし、本を手に入れられたら、叶えてもらったら?」

 

「え?」

 

「胸が大きくて、スタイル抜群の、グラビアアイドルみたいなお姉さんと、一発やりたいって!」

 

「……っ!」

 

 恥も外聞もなく、しれっと話す渡辺に、オレはじわじわと、怒りのような恥ずかしさのような、説明しがたい感情がこみ上げて来たが、ぐっと堪えた。

 

「そうだな。それもいいかもな。でも、とりあえず、現実的にバイトして、金でもためようかな~」

 

 呆けたようにオレを見つめる渡辺の顔は、ちょっとおかしかった。ざまあみろっ。女にやり込められてばかりのオレではないのだ。


 しかし、してやったのは一瞬だった。

 渡辺はフッと顔をほころばせた。

 

「いいんじゃない? 案外バイト先で、いい出会いなんか、あったりするかもしれないしね」

 

 なんて、楽しそうに語るのだ。

 本当、女って良く分からない。

 

 女心に対する好奇心か、オレは何気なく尋ねてみた。

 

「渡辺だったら、なにを願う?」

「え?」

「その本が手に入ったら」

 

 富? 名声? 美しさ? 永遠の命? それとも、ここは女の子っぽく、かっこいい彼氏とか?


 だがその質問は、渡辺の微笑みを張り付かせた。

 

 オレの予想は、見事に裏切られた。

 


 ――次第に時は、動き出す。


 渡辺は今日オレに向けた中で、一番大人びた表情を見せた。


「……秘密」

 


 

 重苦しい静けさが、オレたちの周りに漂った。ここが図書室であると、思い出させるくらいには。人には、茶化して聞いていたくせに。

 

 女って本当、身勝手で、良く分からない。



つづく

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