6
緊急時の出口のある書庫へと、三人は向かった。周囲の警戒はヘンゲルに任せ、ユリアは目的地まで二人を先導する。
刺客たちの捜索の目を掻い潜りながら城内を進んでいくと、至るところに見知った遺体が転がっていた。襲撃者たちは、護衛や見張りの兵はもちろんのこと、身のまわりの世話をする者たちまで無差別に斬っていったのだ。
彼らの所業は
第一に優先すべきこと──それは、リリィに危害が及ばないことだ。感情に任せて危険を犯すべきではないと、己に言って聞かせた。
今ユリアのそばには、彼女の剣の師匠ヘンゲルがいる。ヘンゲルの卓越した剣技は、教団内でも最上位の実力を誇る。剣を振るえば嵐を巻き起こし、彼一人で一個大隊を席巻するとも称されるほどだ。
そんな一騎当千の彼が行動をともにしているのであれば、どんな障害が立ちはだかろうともユリアは負ける気がしなかった。
三人は書庫に到着し、本棚の仕掛けを作動すると、現れた隠し通路の内側へと入っていった。
自分の手すら見えない暗闇のなか、壁づたいに狭い螺旋階段を下り、最下層にたどり着くと、城の真下に張り巡らされた古びた水路に出た。
そのタイミングで、ヘンゲルは懐から取り出した装置を起動し、無から火を灯した。
光源となった火の玉を見て、リリィはほっとしたようにつぶやく。
「魔法ですか、やはり便利ですね」
魔法とは、旧文明の技術をもとに再現された業だ。特殊な装置を触媒にして発動する。
ユリアも、明かりとなるものは何も持ち合わせていなかったため、足もとを照らすヘンゲルの魔法はありがたかった。
「では行きましょう。こちらです」
カビとどぶの悪臭が充満する水路を、三人は黙々と出口へ向かって進んでいく。内部は迷路のように入り組んだ構造をしており、ただ闇雲に歩いては行き倒れるのは必至だ。
だがそこは、近衛騎士のユリアの出番である。いざというときのために、地下水路の構造はしっかりと頭に叩き込んである。劣悪な環境から早く脱するために、出口までの経路を最短距離で案内した。
襲撃者もこの水路のことまでは把握していなかったらしい。周囲に敵の気配は全く感じられなかった。
「私たち、これからどうなってしまうのでしょうか?」
出し抜けにリリィが聞いてきた。
「城を脱出できたとして、その後は? 教団の助けが来るまでの間、どこに身を潜めますか? また彼らが襲ってきたときは? さっきは、たまたま運が良かっただけで、今度はおしまいかも知れない。そしたら──」
「リリィ様っ!」
ユリアは主人の言葉を遮った。歩みを止め、後ろを向き直ったとき、リリィは小刻みに震えていた。
その様子は、純白の羽をむしりとられた天使みたいに不憫に見えた。表情も暗く沈んでいる。彼女はいま、とてつもない不安を感じていることだろう。
その辛苦を肩代わりできるのなら、ユリアは喜んで引き受けたかった。
「リリィ様、せっかく先のことを考えるのなら、楽しいことを考えませんか?」
「楽しいこと?」
「何がしたいとか、何が食べたいとか、単純なことで構いません」
「いまは無理よ。そんな余裕なんて……」
ユリアは主人の肩に手を置いた。気をしっかり持つように、握る手に力を込めて。
「無理でもするんです! 何か食べたいものはありますか?」
間近に見えるユリアの凛とした表情。彼女の力強い眼差しは、まるであたたかな陽光のように感じられた。リリィは彼女に言われたとおり、食べたいものを考える。
「そうね……じゃあ、オムレツが食べたいわ」
ユリアは少し表情を緩める。
「リリィ様は、本当にオムレツが好物なのですね」
「ええ。きのこのクリームソースをたっぷりとかけて」
「胡椒は多めに?」
「もちろん! 熱したフライパンの上でバターが溶ける香り……私、あの香りがとても好きなの……だけど」
そこで言葉を切り、リリィは水路を見回した。
「まあ、なんというか、ここは食欲を削ぐようなすごい臭いが充満しているわね……」
リリィの顔にも、自然と明るさが戻ってきたようで、ユリアは安心した。
「では、まずはここを無事に脱出しないとですね」
三人は移動を再開した。
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