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「ソフィア──!?」
だが、その瞬間、リリィの祈りは儚くも崩れ去った。
「そんな……ソフィ──うっ……」
むせ返るような血の臭いが鼻を突き、激しい不快感がのどをこみ上げてきた。手で口もとを押さえる暇さえなく、リリィはその場で嘔吐した。
「リリィ様!?」
遅れて駆けつけたユリアも室内を覗くと、そこには思わず目を背けたくなるような光景が広がっていた。床に広がる血溜まりが、ゆっくりと扉の外にまで侵食してきた。窓は開け放たれ、雨風が吹き込み激しく揺れるカーテンにも、床と同様の赤いシミが飛沫となって飛び散っている。
外で稲光が走った。雨足もさっきより強くなりはじめていた。
「そん、な……ソフィ、ア──うっぐ……!」
ごえっ、ごえっ、と、のどの奥を震わせながら、リリィは再び胃のものを吐き出している。その様子はひどく苦しそうだ。
ユリアは、大丈夫です……となだめながら、しゃくり上げる主人の背中をさすり続けた。
厳しい指導を受け、普段は陰口を言いたくなるような教育係でも、彼女にとっては大切な人だったようだ。
その瞬間ふたりは、城を襲った緊急事態が、現実のものだったと嫌でも思い知らされた。
心のどこかでは、やはり思い違いなのではないかと、ユリアですら考えていた。しかし、目の前に転がる死体は、疑いようもない残酷な現実を知らしめている。命が危険にさらされているのだ。
完全な暗闇に沈んだ廊下の向こうから、人影が二つ歩いてきた。先ほどの刺客と同様に、黒の外套をまとった襲撃者だった。
「新手か……」
戦闘は避けられないと、ユリアが覚悟したそのとき、突然、音もなく刺客の一人が床に崩れ落ちた。とっさに反応した片割れも、ほどなくして小さなうめき声を上げ、相棒と同じ末路をたどった。
何が起きたのかと、ユリアは警戒を強めながら暗がりに目を凝らす。すると、倒れた刺客の奥から、新たな人影が浮かび上がってきた。
その予想外の人物を見て、ユリアは色素の薄い灰色の目を大きく見開いた。
「──っ!? 師匠?」
「ヘンゲル様……?」
青い顔をしたリリィも面を上げ、助太刀に参上した彼を見て驚く。
現れたのは、初老に差しかかった、銀髪を後ろでゆるく結んだ武人だった。しかし、精悍な顔つきをした彼からは、年齢による衰えを一切感じられない。むしろ、カミソリのような鋭い目つきや、整えられた口ひげからは、積み重ねた経験や知見すら感じさせるたくましさがあった。
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