3

 再び、周囲には雨音以外になにも聞こえなくなる。


「ユリア、大丈夫? 怪我はありませんか?」


 リリィが心配そうに声をかけてくる。


「クソッ、見張りの兵はなにをやっている! ここまで敵に侵入を許すなんて!」


 ユリアは警備の不備に悪態をつきながら、物言わぬ刺客の身体を探った。彼らの身元がわかるものがあれば、と思った矢先、手首の刺青が目に留まった。

 地平線から半分だけ昇った黒い太陽と、その中央にある不気味な目の印は、教団に仇なす犯罪組織のものだ。


 ユリアの背中越しに、その刺青を見たリリィはぎょっとした。


「その刺青、まさか【惑星フラーの目覚め】……?」


「申し訳ありませんでした、リリィ様。このようなテロリストごときに、城の内部にまで潜入を許すとは……」


 ユリアは警備の不手際を代わって謝罪した。

 それにしても、いつまで経っても現れない見回りの兵や城の者たちに、ユリアは段々と違和感を抱きはじめる。


「おかしい……城が静か過ぎる」


 いくら雨音が激しいからとはいえ、戦闘の音は城中に届いているはずだ。それなのに、城内は異様な静けさを保ったまま。誰一人としてふたりのもとに駆けつけてくる気配がなかった。


 ふいに最悪の事態が脳裏をよぎった。まさかと思いつつも、状況を推理すればするほど、その疑念はますます大きくなっていく。

 ユリアは主人の手を掴むなり、反転して来た道を早歩きで戻りはじめた。


「ユリア? 私の部屋は反対よ?」


「この城を脱出します。北の書庫の隠し通路から、城の裏手に出ましょう」


「ええっ!?」


「おそらく、護衛のほとんどは既にやられています。激しい戦闘があったにも関わらず、誰一人として来なかったのがその証拠です」


「そんな……」


 間違いなくこのゲーティ城は、現在非常事態にあった。日常と平穏は、こうも容易く、なんの前触れもなく崩れ去るものなのかと、ユリアは内心困惑していた。


 不穏な気配に満ち満ちた石造りの廊下を、主従の少女たちは進んでいく。

 日頃から歩き慣れ、構造を把握しきったはずの廊下が、今は見知らぬ場所のようにユリアは感じた。廊下の曲がり角や、個室の扉の前を通過する瞬間は特に、刺客が待ち伏せているのではないかと警戒した。


「そうだ、ソフィア……ソフィアは無事?」


 分かれ道に差し掛かったところで、ユリアの引く手を離れて、リリィがふらりとどこかへ行ってしまった。

 突発的で短絡的、自分のことよりも他人を優先するリリィらしい行動だと思った。


「お待ちください! 一人は危険です!」


「ソフィアが……ソフィアが心配なの!」


 そのときユリアは脳内で、巫女の教育係である、痩せっぽっちの神経質な老婆の顔を想起した。


 周りが見えていないリリィは、ユリアのことなどお構いなしに、廊下を先へ先へと走っていってしまった。


 リリィが孤立した瞬間を狙って、陰に潜んだ刺客が奇襲を仕掛けるのではないかと思うと、ユリアは気が気でない。そんな憂いが現実とならないように、彼女は必死で主人の後を追いかけた。


「ソフィア、どうか無事でいて……」


 リリィは祈るようにその名前を口にする。


 ソフィアの授業は昔から嫌いだった。厳しくて、冗談も通じなくて、意地悪で……。だけど、今はそんな感情などどこかへ飛んでいた。彼女の無事だけをただ願った。


 行きは重い足を引きずって、帰りは軽やかなステップを踏みながら、幾度となく通った彼女の部屋への道をリリィはたどった。

 廊下の角を曲がり、手前から三番目の扉を開ければ、中にいるソフィアが、廊下は走るな! 扉は静かに開けなさい! と、小言を言って迎えてくれるはずだ。


 そう信じてリリィは、勢いよく扉を開け放った。

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