第11話 過去には炎、償いには非情しかないの……?
翌日、朔間ちゃんは学校に来なかった。
三年生の教室に行っても、保健室に行っても、……認めたくなくて避けてた先生に聞いても。
そんなはずは無いと思って向ったトイレや屋上にも、どこにも朔間ちゃんはいなかった。
「……私」
三限目の始業のチャイムが遠くへ響いていく屋上で腰が抜ける。
《だから少しくらい寝とけって言ったんだよ。下にキてんじゃねぇか》
「……寝られるわけ、無いよ」
鬱陶しいくらい快晴の空を見上げ、感情を逆撫でする風が髪をそよがせる。
私は、どうすればいんだろう?
安直だった事くらい分かってる。学校に来れば謝る機会がたくさんあるだなんて甘えた考えだったなんて、そう考えながら分かってた。
嫌がられても、ケンカになっても、昨日あの時に窓を割ってでも入って謝るべきだった。
それで言う必要があったんだ。
『気の迷いだった』『私は臆病だから』って。言い訳でも何でも、あの一瞬は本心から来る時間じゃなかったって言うべきだったんだ。
なのに……。なのに!
「朔間ちゃん……!!」
叫んだ声はチャイムの音に吸われて消える。
知ってる。空に名前を呼んだって返事が返ってくるはずがない。
どこかから急に朔間ちゃんの顔が覗き出てくるわけもない。
そんな考える必要も無い不可能にすら私は縋ってる。
それ以外の手段が分からないから。
《……?悪い、相棒。少し静かにしてくれ》
「……?」
エンジェルンに言われるまでも無い。これ以上は独り言や嘆く言葉すら出てこないんだから。
それとも、昨日から同じような事ばかり思ってるせいでいい加減頭にきたのかな……。
《いや、そういうんじゃ……。………!?》
「?」
不思議そうな顔をして耳をそばだてていた…?ようなエンジェルンは一瞬、すごい剣幕になる。
それで一気に雰囲気が変わった。
《…相棒、身体貸せ。洒落じゃなくなってきた》
「え、エンジェルン……?」
聞いた事の無い、焦りに満ちた声だった。それこそ意識体なのに冷や汗を掻いていてもおかしくないくらいだ。
普段あんなに落ち着いてる………?ようなエンジェルンがこんなに焦るなんて何が……?
《馬鹿野郎が。マジカルンのヤツ何考えてんだ……!!》
「……!?」
それだけで察せてしまった。
朔間ちゃんが、危ない…!!
「エンジェルン、交換!!」
「あぁ、すっ飛ばすぞ!!」
入れ替わり、即座に変身してエンジェルンは突風を巻き上げながら一気に飛び上がる。
「連戦になる。殺しもあり得る。つーか前提だ。覚悟だけ決めとけ!」
今までにない速度で空を飛びながら一切余裕の無い表情で言うエンジェルン。
さっき何が聞こえたのかは分からない。それを聞けるだけのゆとりもエンジェルンには無い。
私自身、朔間ちゃんがどんな状況になっているのか分からなくてパニックになりかけている。
《……とにかく、急ごう!》
色んな可能性が思い浮かんでは消えていく頭の中で、色んな不安を飲み込みながら何とか絞り出せた返事がそれだった。
ーーーー ーーーー ーーーー
道中、焦りで思考が纏まらなくなっていたエンジェルンの胸の内から沙那が何とか見つけ出した情報は四つだった。
一つ目はマジカルンがステッキのままで囚われており、結界の動力源とされている事。
二つ目はマジカルンはアリファの傍にはいないという事。
三つ目は莫大に魔力を吸われる中でマジカルンが何とか編み出した魔力通信がもう持たないという事。
そして四つ目が残り三か所の結界の基点の位置だった。
「馬鹿がッ……!『どの場所にいるか分からない』だと!?泣き言なんざ言ってんじゃねぇよ!!」
叫ぶエンジェルンの顔に、瞳に、最早余裕など微塵も無い。
たった一度の深呼吸も無く、敵の戦力を確認もせずに、伝えられた基点の一つへ向かう彼女の手には既にステッキを変質させたバールが握られている。
《……あった!あそこが虹島デパートの跡地だよ!》
基点のある場所の一つで学校がある虹島町の隣、東虹島町の中央から少し外れた地点にある虹島デパート跡地を沙那は指さす。
かつては五十以上ものテナントを有する近隣の町を含め有数の大施設だった虹島デパートは十年前に起きた施設内での通り魔事件によって著しい打撃を受け徐々に客足が遠のいていった。そして二年前、とうとう施設を維持できなくなりオーナー含む施設関係者数名が失踪。現在は外壁の至る所が剥がれ、箇所によっては壁に穴が開き中が見える程に荒れた場所となっている。
土地の新しい借り手も見つからず、施設を解体する予定も無いとされているため素行不良者のたまり場ともなっている何かと曰く付きの廃施設だ。
「遊んでる暇はねぇ。全員ぶちのめして、話せそうな奴から話を聞く」
《ま、任せる》
立ち止まる事無くデパート三階にある窓を突き破って中に侵入したエンジェルンはそこに居た休憩中らしき黒服四名をバールで一蹴。一秒とかからず一室の占拠を成功させる。
しかし目的は別にあるエンジェルンは辺りを見回しこの部屋の入り口を見つけるとそこから廊下へと出た。
一階から四階までの通路中央が吹き抜けになっているデパート内。辺りにはかつてのテナント店の名残を残す空間もあれば完全に閉鎖されている箇所もある。
そして、至るところに黒服がいた。
エンジェルンが目にしているだけでも二十。他の区画、各階を鑑みれば下手をすれば数百はいるかもしれない。
「俺らのツレを、どこにやった!!!」
瞬時に絶望的な人数差を理解したエンジェルンはそれでも猛り黒服の一人に飛び掛かる。
虚を付かれた一人に振り下ろされたバールは一切の抵抗もさせずにその黒服を撃沈させる。
「し……!侵入者だ!!」
突然の来訪者によって味方が血を流し倒れた事により我に返った一人が声を上げるとデパート内に魔力を動力にした甲高いサイレンが鳴り響き始める。
「ごちゃごちゃうるせぇ!!ガキのままごとに付き合ってる暇はねぇっつってんだよ!!!」
どこに隠れていたのか時を刻むごとに数が増していく黒服達。その数はおおよそ三十。さらに時間を与えれば黒服達は際限なく集まってくるだろう。
けれどエンジェルンは怯む事無く左の指で音を鳴らすと発生した種火を指先で弾いて落下に合わせ拳を叩き込む。
「死にてぇ奴からそこに並べ!!メテオライト!!」
黒服の一人に向け射出された火球。それを更に複数個作成し自身を中心にして辺り一帯に射出する。
瞬く間に灼熱空間に変わり果てた彼女の周囲の黒服達は各々の持つ装備品を手に火球の対処を行おうと水系・氷系の魔法を唱え始める。
その中には呪本を持つ者もいる。
「チッ!やっぱ一冊じゃなかったか!」
幾つもの火球の中心点にいたエンジェルンは飛び上がり、吹き抜けまで高速で移動しつつ黒服達の所持品に目を光らせる。
彼女が目にした呪本は合計で十六。身構えるのが間に合っていない、または身構える必要が無い黒服もいたため決して正確な数字ではないが戦力で考えれば十二分に無視できない数だ。
「だったら、何度でも燃やすまでだ!」
両腕をクロスさせ、引き抜くと同時に両指が鳴る。
現れた二つの火種は球形を成しながら混ざり合い大きさを増してエンジェルンの頭上へと燃え上がっていく。
やがてピタリと上昇を止めた時には既に巨大と言っていい大きさにまで火球は成長していた。
「狙うのは呪本だ。けど、下手に動けば保証しねぇからな!!」
エンジェルンは命令するようにそう言うと右腕を突き上げ、開いた手の平を真下へと振り下ろす。
「メテオール!」
掛け声が響き渡ると同時、大火球から無数の赤い弧線が現れる。
それらは一つ一つが高熱を有する小石程度の小さな火の玉であり、エンジェルンの指示した目標に向かって追尾を開始した。
赤い軌跡を伸ばしながら幾人もの黒服の後を追うメテオール達。それらは一つ、二つと呪本に着火し確実に燃やしていく、
中には追尾を逃れる者もいたが、別のメテオールによって燃やされてしまったり、呪本を庇うあまり自身が餌食になって身体のあちこちを焼き焦がしている。
更にこのメテオール達の攻撃は黒服達にしてみれば[不特定多数の小火球が無作為に襲ってくる]ようにしか見えておらず、エンジェルンの言葉から攻撃対象を導き出して対応するのには暫くの時間が必要だった。
「んでもって、これなら好都合だ!!」
混乱に乗じて移動を開始したエンジェルンはメテオールの大火球から離れ、吹き抜けの空間から一つ上の階層の四階へと向かって行ったメテオールの一つを追った。
程なくメテオールに追いついたエンジェルンは周囲に警戒を行いながら並行飛行を始める。
「頼むぜ、案内」
他のメテオールから逃げる或いは立ち向かう黒服体を尻目に幾つもの角を曲がりながら飛行する事数十秒。
それまで形状に問題の無かったメテオールが少しずつ形を崩していきやがて完全に燃え尽きる。
「…ここか」
そのすぐ近く。エンジェルンの目の前には異様な雰囲気を醸し出す扉があった。
しかもその扉はは周囲とは違い真新しく黒に塗り染められている。
「っは。結構曲がった気がするが、なんにせよ見つけられた」
あれだけの数を相手取るとなれば誰かを捕えて尋問どころではなく、殲滅に時間と魔力を使えばこの後の基点陥落に大きな支障が出る。
それを見越してエンジェルンは呪本のみを追うようにメテオールに命令を出した。
これだけ呪本を持つ者がいるのなら基点の守護者も呪本使いではないかと予んで。
仮にもし呪本使いが守護者を担っているのなら絶大な魔力で満たされている基点の部屋の前でメテオール程度の魔法なら消失するだろうと。
「賭けと言えば賭けだけどよ。どうも当たりみたいだ」
バールを強く握り、黒い扉のノブに手を掛けるエンジェルン。
扉を開けるためノブを捻ろうとする彼女だがその顔には燃えださんばかりの怒りと光る刃を思わせる鋭い眼光がある。
「…なんなら、眼ぇ瞑っとけ」
《……エンジェルン?》
「予感が当たったとすれば、俺はこの先の奴を殺すだろうからな。きっちり」
《…え?》
臓腑を震わせるような怒りに満ちた言葉で沙那に忠告を投げつけ、彼女からの返答も待たずエンジェルンはドアを開ける。
瞬間、エンジェルンを爆風にも似た魔力の烈風が襲った。
けれど彼女は自身を庇うどころか瞼も閉じずに烈風の先を見据えている。
あるのは全てが黒尽くめの部屋とその上に描かれた幾何学的な赫い魔方陣。そして、一人の黒服ーー守護者。
その守護者の手にはこれまで沙那が見たどれよりも禍々しい印象を放つ呪本があった。
「やっぱりよぉ……」
わなわなと。
「テ…」
沙那を蝕む程の激しい憎悪と後悔が沸き上がる。
「メェ…!」
突発的ーー本能的にエンジェルンは最大初速で飛行を始める。
「かぁぁぁぁァァァァ!!!」
それは守護者に必殺の一撃を叩き込むため。
沸き上がった感情を沈め治める唯一の手段である[抹殺]を行うため。
「……!」
脇目も振らずに突貫し、立ち尽くす守護者にバールが振り下ろされる。
決して。倒した後に話を聞ける状態にするつもりの無い致命を狙った烈撃だった。
「よくも…ッ!よくもッッ!!」
何も考えていない。……否、考えられない。
たった一つ、[殺す]という一点以外何も考えられていない。
或いはそれこそを[狂う]と呼ぶのかもしれないと。蝕んでくる感情に恐怖を覚えながら沙那は感じた。
「………」
振り下ろされるバールを見もせずに守護者が小さく何かを呟く。
そしてそれは何かの合図を担っていたらしく呪本を漆黒に光らせた。
「クソが!!」
怒りに任せた叫び声を上げてエンジェルンはその後の体勢も気にせず無理矢理攻撃を停止し守護者から離れる。
急激な飛行停止と急転換そして急発進により魔力に護られ強化されているエンジェルンの身体が軋みを上げる。
けれど、全身に走る痛みを無視してエンジェルンは可能な限り加速して逃げた。
「んなに頑丈か!?この部屋はよぉ!!」
間もなく、守護者の呪本の前に膨大な魔力を含んだ火と水の魔法が現れる。
「…………!」
そして瞬く間に火によって水は熱され水蒸気となると大爆発が起こった。
「がぁ……!クソッタレ!!理科の先生気取りかよクソボケが!」
間一髪だった。
水蒸気爆発が起きる前に部屋から辛うじて外に出られたエンジェルンは真横の開いている部屋の入り口から噴き出る熱風に焼かれている。
魔力によって全身を、更に魔力で編まれた魔法少女服で急所やその周囲を護っているため大事には至っていない。が、かと言って無傷というわけでもない。
部屋の入り口側に晒されている露出している部位がところどころ火傷を起こしている。特に、右側面の顔の皮膚は真っ赤に腫れていた。
「はぁ、はぁ…はぁ……!わりぃな相棒。連日身体傷付けちまって」
《そ、そんなの良いよ!それより平気なの!?》
「何とかな。一応、氷の魔法も使えるんだ。俺は火を扱うからよ。手当は慣れたもんなんだぜ?」
焦りを露わにして言い寄ってくる沙那に笑いかけ、左手にこぶし大の氷の塊を作って顔に当てながらエンジェルンはチラリと右側に視線を送る。
視線の先にあるのは暴熱を吹き出し続けている部屋への入り口。そしてエンジェルンの周囲は本当なら耐えられないはずの熱と沸騰し続けているかのような熱さを誇る水蒸気が蔓延している。
更には赤く腫れ続けているエンジェルンの頬にも尋常ではない熱がまとわりついている。それら二つに挟まれる形となったエンジェルンが持つ氷は通常ならあり得ない…まるで真夏日に車のボンネットに置いていたかのような速度で溶けていく。
「っは。魔力で身体護って無かったら今頃はドロドロのスープだな。全く!」
解ける速度に合わせて氷を生成し続けているエンジェルンは怒りを吐き捨てる。
その際、彼女の想像したモノーー記憶を沙那は目の当たりにした。
恐らくはアリファが見たのと同じだろう子供達が爆発する記憶を。
《う…うぇ…!オエッ!!》
「あーー。すまねぇ。出来るだけ忘れるようにしてたんだけどなぁ。わりぃけど我慢してくれ」
顔の応急処置が一段落したのか残っていた氷を捨てたエンジェルンは立ち上がりながら沙那にそう言う。
けれど、未だ映像に苛まれている沙那にはまるで届いていなかった。
たった一瞬の映像が瞼の裏に焼き付いて離れない。沙那が今も見ているのは地獄と呼ぶのすら憚られる地獄。
大人が、親が、明確な意思を持って子供達を魔法少女達に突貫させて爆散させる姿。
指示を出された子供達に迷いなど無く、当然指示を出している者達にも戸惑いや情など無い。
「…それはぜーんぶあの呪本がやった事だ」
《……?》
えづくばかりで吐き気を掻き消せない沙那はエンジェルンの言葉に耳を疑った。
映像が見えなくなった今でも消えてくれそうにないこの悪夢をたった一冊の本が本当に起こしたのか?と。
「野郎が持ってるのは所謂オリジナルってヤツでよ。あそこから改良してって量産・実践向きに変えてったらしいんだが、最初のは大体ハイスペックに作るもんだからなぁ。禁呪とかもヘーキで詰めてったんだ。人を操る、とかな」
沙那の思考が伝わっているエンジェルンは捕捉するように説明をする。
無関心を装う事で記憶を蘇らせないために。
《じゃ……、じゃあ!!》
「そーいうこった。当時の奴は呪本で反乱組の一部を操って俺らにけしかけ、恐らく今もその力でそれなりの人数を操ってる」
《そ、そんな……》
「ま、範囲がそこまで広くねぇお陰で大規模で人間を操るのは無理だけどな。後、俺ら魔法少女はきっちり対策練ったから操られねぇ。だからまぁ、その一点だけは信じていいぜ」
薄く笑う…ふりをしてエンジェルンは改めてバールを握り締める。
途端に再び沸き上がる激しい憎悪と後悔。そして狂わんばかりの殺意。
故に彼女の中に意識体でいる沙那にも同等の感情と意思が流れてくるが今度は蝕まれているとは感じてはいなかった。
再び同じ映像を見せられるよりは何倍もいいと怯えてしまっているから。
これ以上真近で、場合によっては同い年くらいの子供が爆発する姿を見たくは無かったから。
「さて、さっきはどうにも情けねぇ特攻だったが、今度は魔力の八割方を身体強化にまわした。これならちょっとやそっとじゃ傷は負わねぇぜ」
《……そんなの、気にしなくていいよ。私の身体なんていい。……けど》
「わーってる。確かに近接以外に魔力は使い難くなったが、その上でぐちゃぐちゃにしてやりゃあいい。だろ?」
《………うん》
エンジェルンの声はまるで落ち着いているようなだった。
けれどその裏には明確な殺意がある。
誰よりも本質的にエンジェルンの感情が解ってしまう沙那には彼女の発した言葉が決して比喩や緊張を解くための冗談などではないと分かっている。
何故なら意思が今も聞こえてくるから。最初は蝕みと感じていた感情と共に聞こえてくるから。
けれど思い起こされる映像に身を縮込まらせている沙那は頷く。エンジェルンが明確な決着を付けなければ同じ地獄は消えないのだと感じているから。
「つー事で行くぜ」
小さく頷く沙那を僅かな懺悔を込めて見下ろし、ようやく水蒸気の噴出が止んだ部屋への入り口に視線を移す。
ーー行くなら……あそこか。
そして、光もかくやという速度で室内に侵入した。
ーー一番マズいのは出待ちを喰らう事だ。そして次にマズいのは出待ち用に用意してくれたプレゼントを撃たせる事。
エンジェルンの想定した問題点。
その内の一つである待ち伏せの回避は本来なら過剰と言っていい程にまで魔力で強化した肉体によって可能となった光速に近い移動をする事でクリアしている。
そのため次点での脅威が最も避けるべき最優先事項に昇格した。
けれどこの脅威は移動が停止し、待ち伏せ用に用意した魔法の消失かデタラメな方向への使用が認められない限り消える事がない。
つまりは最後まで払しょくできない問題だ。
だからこそ守護者の先を予んで思考を上回らなければならず、実現は最も難しい。
ーー場所には着いた。奴も外に気配が無い事にはとっくに気が付いたはずだ。
光速を制し、停止によるフィードバックを最小限に抑えたエンジェルンはあらかじめ決めていた潜伏場所で各関節部に起きた痛みに耐えながら唇を噛み締める。
ーーさぁ、どうする。
視線を落とし下にいる守護者を睨みつけながらエンジェルンは待った。
単身で乗り込んで来た者が一度大きな反撃を受けたからと言って尻尾を巻くはずがない。しかも相手は魔法少女。単騎だとしても絶対に侮ってはいけない戦力を有する相手。
そんな存在が簡単に逃げるわけが無い。ならばどこにいる?
そう、守護者は考えているはずだと。エンジェルンは答えを待った。
……そして。
「………!!」
守護者は振り向き、一歩飛び退きながら呪本を禍々しく光らせた。
守護者の前に現れるのは渦巻く風の中に揺蕩う水の球。
それらは瞬きの間もなく同時に……正しくは風の刃に水が薄く張られた状態で、数えきれない数の魔力の刃が音速で放たれた。
その激しさと数、射出速度は暴風と称せる勢いで壁を切り抉っていく。
……だが、血は見えない。
或いは噴き出た血液や肉すらも細切れにしたのだろうか。この暴力なら決して不可能ではないはずだ。いや、寧ろそれを目論んでの攻撃だ。そうでなければ困る。
そんな思考に守護者が囚われた時だった。
「残念!!」
歓喜の声を上げたエンジェルンは守護者の背後に喰らい付く勢いで飛びかかったのは。
「っは!まさか前にいるとは思わなかったか!?おい!!」
叫びながらエンジェルンは殺意の乗ったバールを振りかざす。
「……!」
彼女の潜伏していた場所、それは入り口右上の角。そこで水蒸気の微かな残りを纏うようにして身を隠し膝を抱えて縮こまっていた。
彼女が消え、周囲を探っていた守護者は左右前方は目ざとく確認していた。しかし上に気を回す余裕は無く、それよりも先に後方を危惧したが故の見落としだった。
もしも守護者に[命の危機]という最大級の緊張が無ければエンジェルンの潜伏は容易にバレていただろう。
「今更気付いても遅ぇ!!」
エンジェルンの接近に気付き振り向いた守護者だったがその時には既にバールが脇腹に当たる直前。
そして、間もなく。
重く。鈍く。そして砕けて潰れた感触がバールを伝ってエンジェルンの右手に沁み込んでいく。
「はぁ!はぁ!はぁ!」
二歩下がり、激しく乱れた呼吸に一時囚われるエンジェルン。
僅かにブレる彼女の視界の先にあるのは打撲による衝撃に成す術無く壁際まで飛ばされた守護者の姿だ。
「……情けねぇ賭けだろうと!欺けりゃあ勝ちなんだよ!!クソが!!」
うつ伏せで悶え苦しむ守護者に履き捨てながらエンジェルンは歩み寄る。
守護者の手にはまだ呪本があるため油断はできない。だがだからと言って容易に唱えたりできないのも事実だ。
何故なら守護者から聞こえる呼吸音には激しい喘鳴が混じり、腹部からは血が流れているから。
恐らくは先程のエンジェルンの攻撃で肺に何らかの異常を来している。ならば生きるための呼吸に意識を割かなければならず、酸素を大量に使用する詠唱などできるわけも無い。
「やっとだ、やっとケリを付けられる」
真横に立ち、必死に呪本を握り締めている手を踏みつけたエンジェルンは痛みに喘ぐ守護者を意にも返さず更に踏み躙る。
「言っとくがテメェにだけは絶対に慈悲を掛けねぇ。情けもだ。恨むんならテメェのしてきた事を恨むんだな」
手離された呪本を拾い上げたエンジェルンは怒りに任せた強い力で手を踏み抜く。
部屋に響くのは乾いた木の砕けるような軽快な音。
そして、守護者の甲高い悲鳴。
「……テメェ、女だったのか」
手にした呪本を空間に浮かんだ渦の中にしまいながらエンジェルンは微かに驚いた声を上げる。
けれどすぐに伏し目がちに見下ろすと情を感じられない声色で言葉を振り下ろす。
「まぁ、何だっていい。男だろうが女だろうがクソ野郎はクソ野郎だ。……それよりも」
既に砕けた手をもう一度踏みつけ、上がる悲鳴を無視してエンジェルンは守護者に顔を近付ける。
「テメェらが攫ったもう一人の魔法少女はどこにいる。答えろ」
「………!」
エンジェルンは宣言した通りに同情の類を一切含まない怒りに満ちた声で問いかけるが返ってくるのは睨みつけてくる瞳だけ。
それを視てエンジェルンは踏みつけたままの手を三度躙る。
「ああぁ!!」
「誰が叫んでいいっつったよ。お前が答えていいのは居場所だけだ。それとも、無事な方の手を使ってもう一回新鮮な痛みを堪能するか?」
言いながら折れた手を踏み抜き、何度となく躙るエンジェルン。
その度に守護者は悲鳴を上げるが、三度目はエンジェルンが彼女の頭を踏みつける事で隙間風のような音に変わった。
「わーってんだよ。そうやって外の仲間に助けを呼んでんだろ?だが四回は悲鳴を上げたのに誰も来ねぇ。なんでか分かるか?」
頭を踏みつけたまま、エンジェルンは部屋の入り口に視線を向ける。
だがそこに人影は無く、外に気配がある様子も無い。
「声の聞こえるところにゃ誰もいねぇからだよ!!」
何度目かも分からない踏みつけにより守護者の折れた手は骨によって裂け、血が流れ始める。
「……本当なら、両手砕いて舌ぁ抜き取って、二度と呪本が使えねぇようにしてやりてぇんだよ。だがしてねぇ。なんでか分かるか?それは譲歩だ。テメェが居場所を喋ってくれたら勘弁してやるっう譲歩だ。それを分かってんのか?テメェよぉ」
最早躙ったところで肉と血の音しかしなくなった守護者の手をエンジェルンは蹴り上げる。
その手はおよそまともとは言えない方向にだらりと曲がり、落下したカエルのような音を立てて血を吐き出しながら地面にへばりつく。
「……!?……!!…………」
あまりに人間離れした成れの果てに悲鳴や絶望を叫ぼうにも頭を踏まれ口を封じられている守護者に出せるのは空気の抜けていく風船よりも薄く枯れた小さな音だけ。
「で、話してくれる気にはなったか?」
エンジェルンの言葉に返事は無い。…いや、口を塞がれているせいで出来ない。
その時になって守護者は気が付く。今の自分には[逃げ]を選ぶ自由すらないのだと。
途端、彼女に止めようのない悲しみが沸き上がり一筋の雫を皮切りにボロボロと涙を流し出した。
「あぁ?何泣いてんだテメェ。んな権利あるわけねぇだろうがよ」
だが、それすらもエンジェルンは許さない。
無事だった守護者のもう片方の手をバールで殴りつけ、砕く。
上がるのは小さな喘鳴と砕けた骨の音。今度は初めから血が流れている。
「テメェの涙は自分を憂いての涙だ。これまでの行いを嘆いてだったら同情の一つも湧くってもんだが……自分を想ってだってんなら何一つ哀れとは思わねぇ」
垂直に立てられたバールが手に押し付けられる。
その瞬間から倍になって零れ始める血を、なまじ動いてしまう瞳で追った守護者は再び歯の隙間から悲鳴染みた風の音を鳴らす。
「この痛みから逃げてぇんだったら顎の骨が砕けようが何しようが頷いてみろ!!俺はまばたきの回数で返事させるなんつー甘ったれた手段は許さねぇからな!!」
激しいエンジェルンの言葉に程も無く守護者は応えた。
エンジェルンの示した通りに顎に如何なるダメージが現れようと構わないといった強い頷きで。
「……南虹島の…郊外にある、くず鉄処理所……。そこに、魔力部品…魔法少女は、いる」
強く踏みつけられているために顎の肉は少し削れたが砕けはしなかった守護者は左頬を地面に密着させたままアリファの居場所を答える。
「……部品、ね。仲間と思ってるわきゃねぇと思ったが、人扱いもされてなかったとはな」
最早脅威とは呼べない体たらくの守護者を睨み下ろしつつ強い不快感を露わにするエンジェルン。
それを見て守護者は痛みに耐える瞳に鋭さを宿してエンジェルンを睨み上げた。
「分かるまい……。正義を奪い、住処を奪った者に対して湧く憎悪の事など……!」
「ああ、分からないね。んな逆恨みも、大義名分のためならガキを使い捨ての道具にして、命令させている奴の感情を奪う野郎共のお気持ちなんざな!!」
守護者にとってはそれが精一杯のやせ我慢だったのだろう。或いは負け犬の遠吠えと言ってもいいのかもしれない。
けれどエンジェルンは聞き捨ててもおかしくない彼女の発言に対して真っ向から怒りをぶつけた。
彼女にしてみれば到底容認できない負け惜しみだったから。
「……チッ。いい加減頭がどうにかなりそうだぜクソバカが。もう行くか」
握っていたバールをステッキに戻し、つま先で地面をけり上げながらエンジェルンは悪態を吐く。
「せいぜい…取りに行ってくたばればいい……!邪法の魔具め……!!」
「っは!ならテメェら魔法革命連軍は外道の掃き溜めだな。今も、昔も!」
出口に向かって歩く最中に恨みや怒りを込められた言葉を吐き捨てられたエンジェルンはそれと同等の侮蔑を込めて吐き捨てる。
「あぁ、そうそう」
そして振り向き、指を鳴らした。
「……え」
「殺さねぇとは言わなかったよな?」
《え、エンジェルン!ま……!》
沙那が言い止める間もなかった。
エンジェルンは既に降りて来た火種に拳を叩き込んでいる。
「メテオ!!」
火炎の渦を巻き室内全てを焼き尽くさんばかりの苛烈さを持った火球が痛みに耐えるしかない守護者に向けて放たれる。
「あ……、あぁ…」
「全員分の恨みだ。受け取っとけ」
それは間もなく守護者の顔を赤く照らし、吸い込むようにして全身を覆った。
「さて、行くか。アリファの場所は分かったからな」
焼け焦げる音と絶望を内包する叫びが室内を埋め尽くす中エンジェルンは何事も無いかのように振り向き出口へと歩き出す。
《え……エンジェルン……》
だが、彼女のあまりにも残忍な一連の行動に、守護者の悲鳴を聞きたくないと耳を塞いでいる沙那は乞うような視線をエンジェルンに向けながら目元の端に涙を溜めていた。
「……何も言うんじゃねぇ。九十年越しのケジメってヤツだ。俺ら魔法少女にはこうする責務があるし、奴にはこうされる責任がある。口を出してぇならミヨを連れて来るんだな」
《だ、だけど……!》
歩みを止めずに断言したエンジェルンはしかし沙那の悲痛めいた叫びに足を止め、返答を求めていない口調で言い切る。
「相棒。お前は甘過ぎる。殺し合いの世界はそんな易い世界じゃねぇんだ。特に、俺達は今戦争の残りカスと殺し合ってる。日和った行動は出来ねぇ。それだけは覚えておけ」
《それは……》
「…けど、お前には悪い事をしたとは思ってる。余計なモン見せちまったし聞かせちまってる。すまなかった」
何も言えずに口を噤んだ沙那に一度だけ謝るとエンジェルンは浮き上がり、デパート跡地から脱出するべく飛行を始めた。
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