第12話 決戦。結末。[私達の]明日へ。

 ーー南虹島郊外、くず鉄処理所。

虹島デパート跡地でほんの少しの戦闘を経た後、特に問題も起きずエンジェルンはその上空に到着していた。

遥か眼下に規模程度の土地には所狭しと車の残骸や家電製品、または何の部品とも知れない鉄片などが積み上げられている。

それらの中央付近には巨大な圧縮機やそれによってプレスされたキューブ状のスクラップが比較的均等に並んでいる。

そしてその圧縮機を中心として何方かに通常車がすれ違える程度の道が出来ていた。この道を普段は従業員が往復するのだろうが現在は人影どころか車両の影すら見当たらない。

何らかの事情により業務が停止しているのか、さもなくば何かあったのか。

エンジェルンは僅かな違和感を覚えながら沙那に確認を取るため心を向けた。

 《一応、ここがさっき言ってた処理場……。小学生の頃に社会科見学で来たから間違いない》

 「そうか。なら、ここのどっかにいるって事だな」

 《……うん》

先程の守護者の悲鳴がまだ鼓膜から消えてくれない沙那の力無い答えに必要最低限といったような態度で返事を返したエンジェルンは処理場へと降下を始める。

 「…落ち込むのも分かっけど、覚悟だけはしとけよ」

 《…また、殺すの?》

 「どうだかな。けど、嫌な予感が当たったとしたらもっと残酷な目に遭うかも知れねぇって事だ」

 《あれ……よりも…?》

降下の最中、これから起こり得るだろう最悪を予想したエンジェルンは釘を刺すように沙那に忠告をした。

 「ああ。殺人は絶対的な残酷とは必ずしも限らねぇ。……目の前でガキが木っ端にされる瞬間とか自分でガキ殺すよりよっぽど最悪だったしな。しかも、生き物としてではなく道具として壊された。吐きそうになるぜ、全く」

或いは九十年前の再現すらもあり得ると。

 「……さて」

地上すれすれまで降下したエンジェルンは鉄と錆と腐った油の匂いが立ち込める周囲を一瞬顔を顰めながら見回す。

けれど、くず鉄の山に視界がある程度遮られてはいるものの明確な異変やあからさまな違和感を感じる事は出来なかった。

せいぜいが上空から見下ろした時に感じた人気の無さだけで、それは今日が休息日かもしれないと考えれば無視できる程度の違和感でしかない。

 「そもそもの話、上から見下ろした時にそれらしいモノは無かった…か?」

 《うん…。私は何も分からなかったかな》

 「……あのクソ女、俺を騙したか?」

独り言ちる彼女に沙那は所感を伝え、結果として自身の感じた・見たモノが間違っていなかったと結論を出すエンジェルン。

しかし、マジカルンが魔力通信を使って伝えてきた場所の一つがここである事も事実だ。

恐らくは極限下でアリファから引き剥がされ監禁される事となったのだろうマジカルンの記憶違いの可能性は否めない。だが、だからと言って無視していいはずも無い。

これまでの結界の基点を考えれば大多数の人目を避けやすく入り組んだこの場所はうってつけと言える。だから例え基点の一つではなかったとしても何かしらの手掛かりがあると考えていい。

とは言え普段から人の出入りが自体は激しいだろう。が、それも彼らが今行っているのは人を操る魔法であるのを考えれば実験台として最初期に操られていてもおかしくはない。

それならば人気がまるで感じられない違和感にも合点がいき、人の目が気になるはずも無くなって潜伏・基点の場所として十二分に機能する。

 「まぁいいや。とりあえず捜索すっか」

 《私も、注意して見てみる》

 「ああ、何だっていいから気になったら言えよ」

 《うん》

幾つかの疑問に結論を示したエンジェルンは簡易な打ち合わせを行うと見下ろしながらの捜索に最適な高さまで上昇する。

 「広さだけで言や、まぁまぁあるからな。ちょいと飛ばすぜ」

エンジェルンに頷き真下の処理場に集中する沙那。それを確認しエンジェルンは数分で一周できる速度で捜索を開始した。

……が。

 「おい相棒。なんか見つかったか?」

 《ううん…。野良猫一匹いない………》

 「……だよな」

処理場捜索の四周目を終え中心部上空で一度停止したエンジェルンは沙那と異常らしい異常は見受けられなかったと報告し合った。

 「チッ。本当にここなのか?」

 《わかんない……。分かんないけど、早くしないと朔間ちゃんが……》

 「分かってる。けど、見つからねぇんじゃどうしようもねぇ」

飛行しながらの捜索とはいえ同じ場所を四周。

何の変わり映えもしない景色にエンジェルンと沙那に焦りが生じ始める。

 《どうしようエンジェルン!》

 「どうするもこうするもねぇよ。たまたま二人の言ってた事が間違っていたと思ってもう一個の方を先に探しに行くか、もっと念入りにここを探すか、その二択だ。……ま、もしもマジカルンの奴が間違ってここだと記憶してたんだとすりゃもう一つの方も怪しくなってくるんだけどな」

 《そ、そんな……》

苛立ちを抑えつつ説明を行うエンジェルンに不安感を露わにする沙那。

しかしどれだけ焦ろうとも状況は変わらない。何かを変えたいのであれば必然的に選択を迫られる状態だ。

 「どうする?ここに違和感を覚えないのかって言えばそりゃ嘘にはなるが、かと言っていつまでもぐるぐるしてる余裕がねぇのも確かだ。アリファが別のとこに移動されたってのを見越してもう一つの方を先に潰すのはありだとは思うぜ」

 《それは……。確かにそうかもしれない、けど》

 「けど?」

エンジェルンの聞き返しに言葉を詰まらせ、少しの沈黙の後沙那は口を開く。

 《…もう少し、探すべきだと思う。上からじゃなくて下から、とか》

疑問と不安の入り混じった力強さのまるでない答え。けれどエンジェルンは少しだけ嬉しそうに口元を緩めると沙那に気付かれる前に気を張り直した。

 「っは。探すとなればそうなるな。飛んでじゃわかんなくても実際地面を歩いてみりゃ……何か…」

エンジェルンはふと地面を見下ろしそして言葉を失う。

 「……そうか。クソ、とんでもねぇ間抜けか俺は!」

エンジェルンは僅かな思考の後苛立ちと共に後悔を吐き捨て即座に地面へと降下を始める。

 《ど、どうしたの、エンジェルン?》

 「分かったんだよ!小癪で古典的だが危うく騙されるところだった!!」

 《え、え?》

状況を飲み込めていない沙那を他所にエンジェルンは降下し切り、浮遊を辞めて地面に足を着ける。

瞬間、二人を巨大な魔力の波動が襲う。

 「地面だ。この地中に潜んでやがんだよ!!よくよく考えりゃそれ以外なかった!!幾つ廃墟に基点を作ろうと逃げ延びた奴らが安全に隠れられる拠点が無きゃ生活も企てもできねぇってのに!!」

 《!!!!》

言って。エンジェルンは右拳に力を籠めると真下にある地面を全身全霊で殴りつけた。

 「非常事態だ!入り口見つけて入るなんつー上品さはいらねぇよな!」

 《うん!分かったならすぐに!!》

エンジェルンの放った拳の辺りを中心に文字通りの地響きを起こしながら大きく地面がめり込みらヒビ割れる。

それらは彼女の第二撃によってより細かく砕け、より高く浮き上がり砂埃となって立ち込めていく。

けれどまだ下にある空間は見えない。

だったら、見えるまで掘り進めるだけだと。エンジェルンは幾度と無く地面に左右の拳を打ち込んだ。

やがて地盤沈下を思わせる巨大な穴が出来上がった頃、二人は地下にある空間に辿り着く。

幸いにもそこは広く、辺りには何もない。恐らくは魔法の修練場のような、全方を地層で囲まれた円形の場所だった。

 「……ったく、手間ァ取らせやがって。余計な力使ったじゃねぇか」

 《でも、情報通りだった。って事は、ここのどこかにきっと朔間ちゃんが……!》

 「ああ。やっと助けられそうだ」

土で固められた人口の地面があるだけで本当に何もない場所の中心部でどこかへと続く通路の入り口が無いかと辺りを見回すエンジェルンと沙那。

すると沙那はすぐにそれらしい扉を見つけ、間もなくエンジェルンも同じ扉に気が付く。

 「さぁて。本番戦だ。気ぃ引き締めろよ」

両手に着いている砂と土を叩き下ろしエンジェルンは拳を鳴らす。

 《う……うん!》

彼女のそれに合わせて沙那は力強く頷いた。……時だった。

 「それには及ばないわ」

 「《!?》」

エンジェルンの背後から聞き覚えのある声が上がった。

 「……へぇ。嫌な予感っつーのは本当によく当たるんだな。今日は二回目か?あぁ??」

 《……そんな》

エンジェルンの振り向いた先。そこには薄汚れた制服を着た少女が立っている。

類稀な美貌を持つその少女は紛れもなく朔間・アリファだ。

しかし様子が明らかにおかしい。

手にしている黒い本も当然の事ながら、両手首には赤黒い痣があり、靴には湿り気のある土が覆うようにして付着している。

昨晩戦ったコンテナ街では砂埃や土片が舞ったりはしたものの湿り気のある土がそれ程付着するはずもなく、同様に沙那と共に魔法で治癒したはずの彼女に真新しい痣があるはずがない。

無論、呪本のような黒い本が手元にある事も。

ならどうして?ーー。そう沙那が考えたところでエンジェルンは爆発を思わせる勢いで怒声を上げた。

 「テメェら!!こいつを監禁しやがったな!!!」

空気が張り詰め地面が揺れる程の怒りに満ちた声だった。

そしてそれを皮切りに、これまで二人が地層だと思っていた周囲が幻影と消える。

現れたのは大量の黒づくめ達。

つまりは、敵。

 「……上等じゃねぇか。探す手間が省けたってもんだ」

彼らはエンジェルンとアリファを囲むようにして現れ、二人の立つ場所はさながら観客で溢れる闘技場の様相を呈した。

 《え、エンジェルン……これって…もしかして…》

 「ああ。お前の思う通りだ。アリファの奴、すっかり操られてやがる」

ギチギチと歯を食いしばり周囲全ての黒服を睨みつけんばかりの気迫を放つエンジェルン。

彼女の手には既にステッキが握られ、程も無くバールに変質している。

 《な、なら早く周りの黒服達を…!》

 「できるならいいんだけどな。だが呪本を渡してる奴がいるところに現れてるんだ。何かしらの方法で魔法の影響を受けなくしてるだろうよ。って事は、当然殴りにも行けねぇってわけだ。まぁ、要は頑丈な透明板に護られてるってところだろうな。クソ腹立たしい事によ」

 《そ、そんな……!》

エンジェルンは溢れる怒りを全身を漲らせながらも状況を分析し逸る沙那を制する。

そんな二人の会話をーー正確にはエンジェルンの部分だけをーー聞いていたアリファは落ち着いた様子で口を開いた。

 「正解。魔法壁の上位互換で護られてるの」

彼女の声には感情が乗っていた。エンジェルンを敵として認識する嫌悪感に近いモノだ。手にしている黒い本ーー呪本を開いている事からも戦闘をする気なのだろう。

しかしその感情から感じられる現実感は薄かった。

これによってエンジェルンの持っていた確信は事実に変わり……より一層の酷薄が目前に迫っていると理解せざるを得なかった。

 「っは。操られたお陰で博識か?なら、その弱点も教えて欲しいもんだな」

軽口を叩きながらも呪本の動きに気が付いたエンジェルンは僅かに腰を落とし、戦闘態勢をとる。

しかし、呪本を持っているとはいえアリファの身体は生身の可能性が高い。少なくともエンジェルンの知る限りでは身体強化の魔法を記憶させた呪本はオリジナルしか知らない。

そしてそのオリジナルはエンジェルンが保管した。とすればアリファが生身の状態なのはほぼ間違いないだろう。

だとすれば安易な攻撃は出来ない。魔法など以ての外だ。

無論、殺す気でというのであれば無理な話ではない。だがそれでは本末転倒だ。

今回の最大目的はアリファの救出であって殺傷では断じてない。

ーーそれが、エンジェルンの理解した酷薄だった。

同士討ちを目論む戦場の設定。それこそが敵がアリファを攫い監禁までして傀儡とした理由だ。

 「…っとに、ことごとくテンプレ通りってヤツじゃねぇか。あぁ!?クソッタレ共!!」

再び怒りに任せた怒声を上げるも二人を取り囲む黒服達から反応は無い。

それとも魔法壁の上位互換というモノを隔てると声が届かないのか。どちらにしろ反応は伺えない。

 《何で、こんな……!》

両手で額を抑えつけ屈み込む沙那。

その目には困惑の涙が浮かび、まるで理解できないと言わんばかりに瞼を強く閉ざしている。

 「意味があるからだ。向こうは俺達に戦力で勝てねぇ事を理解した。だからアリファの奴を使って俺達の余力を可能な限り削る。んであわよくば降参か相打ちを狙うってところだろ。呪本を握らせてんのが証拠だ。気に入らねぇが合理的だな」

そんな沙那に対し、理解した酷薄の内容をエンジェルンは憚り無く伝えた。

 《え、エンジェルン!!そんな言い方…!》

 「言いてぇこたぁ分かる。けど情報の分析は何よりも重要だ。そこに感情を挟めばたちまち足元を掬われる。そうすりゃ晴れて向こうの思う壺って事だ。そんなの気に入らねぇだろ?」

 《あ、当たり前だよ!!》

ともすれば冷酷にも聞こえる彼女の説明に上擦る怒りを向けた沙那。

それを視てエンジェルンは小さく笑った。

 「だろ?」

 《…うん》

 「……それに、だ」

けれど、エンジェルンの笑みは一瞬だった。

 《…え、エンジェルン?》

彼女が笑っていたかもしれないと沙那が思った次の瞬間、エンジェルンは砕けんばかりに食いしばった白い歯をむき出しにして激情を露わにする。

 「血管にブチブチキてんのは同感だ…!疑う余地があるはずもねぇ!奴ら、皆殺しだ!!」

 「それは、私を殺してからじゃないとできないよ?」

叫びを合図にアリファの持つ呪本が黒く光る。

対し、エンジェルンはバールを左手に持ち替えつつ首元のタイリボンを引き抜きながら沙那に話しかけた。

 「操作系魔法は基本術者が解くか気合で覆すかの二択だ!」

 《そ、そうなの!?》

 「ああ!けどもう一つ荒療治な上確実性は低いが手段がある!!」

しゅるりと小気味いい音を立てて引き抜かれたタイリボンは一瞬重力に従い萎れたかのように折れた。

しかしすぐにしなやかな動きで真っ直ぐに直立すると形を緩やかに変っていった姿はまるで刀のように細身の剣だった。

 「それは目ェ覚ますまでボコボコに殴る事だ!!」

 《え……えぇ!?》

 「悩んでる暇はねぇ!手加減して殴るから勘弁しろよ!!」

 《わ、私に言われたって!!》

剣へと変化したタイリボンを構え、今すぐにでも魔法を放とうとするアリファに向かいエンジェルンは突進する勢いで飛行を始める。

と、同時に。剣の周りに渦を巻く炎が現れる。

 「フィアーソードだ。当たっと火傷じゃ済まねぇからな。気合い入れて撃ち込んで来いよ!あぁ!?」

 「言われるまでも無いわ…!」

エンジェルンが飛行を開始してすぐに呪本の黒き輝きが眩いまでになる。

 「来なさい。雷風!」

アリファが叫ぶと彼女の前にとぐろを巻く竜巻が周囲を吹き飛ばす烈風と共に突如として現れる。

その中では稲光が絶え間なく閃滅し、けたたましい雷鳴を轟かせている。

 「っは!複雑な魔法も一声ってか!相変わらずインチキしてんな!!」

 「散開!」

掛け声と同時、雷を内包した竜巻は四つに分離しエンジェルンを囲むようにして円状に移動を始める。

鼓膜をつんざくばかりの風と雷の音。少しでも触れたらどうなるのか、沙那は直感的に理解し心臓を凍らせる。

 「つっても、インチキどころの話じゃねぇ魔法少女の前じゃあ、ごっこ遊びなんだなぁ、これが!」

それを、エンジェルンは片っ端からフィアーソードで一刀の下に切り伏していく。

 「なら、それがごっこじゃない事を教えてあげるわ」

 「なに?」

二つ、三つと瞬く間に分離した雷風を両断したエンジェルンはアリファの不穏な言動とは別に妙な違和感を覚える。

それはすぐに後方で正体を現した。

 《エンジェルン!後ろ!!!》 

 「な…!」

砂塵巻き上げる爆発音と共に。

 「クソ、小細工を……!」

切られ、後は消えるのみとなっていたはずの雷風が突然小規模な爆発を起こしエンジェルンを襲う。

しかも爆発によって起きた爆風の中には小さな風の刃が雷を含んで飛んできている。

頬を腕を太腿を。エンジェルンの全身を幾つもの雷の風が襲う。

変身時に自動である程度の身体強化魔法が施されている彼女のの身体は魔力で守られてはいる。しかし、にも関わらず、雷の風は服や肌を切り裂いていき、箇所によっては流血を呼んでいる。しかも今の爆発は最初に切った竜巻から遅れて二つ目、三つ目と連続して起きている。

その結果立っている事すらままならぬ程の雷の風が跋扈し、たちまち闘技場は砂煙に覆われ視界は悪化。最早互いの位置など視認できない状態だった。

 「ッべぇな、おい。これ、あんまり受けすぎると感電しちまう…!」

 《か、感電!?》

その中でエンジェルンは砂埃の中でどこから飛んでくるかも分からない雷の風から両手で頭を護るようにしていた。

 「筋肉が雷の電気でマヒって動きにくくなるんだ。筋肉は脳からの微量な電気で動いてるらしいからな、下手すりゃ致命傷だ」

 《ど、どうにかならないの…?》

黒茶色の世界に目を凝らしアリファの影を探るエンジェルン。

けれど目に入るのは飛来してくる雷の刃ばかり。

このままではとてもアリファの居場所を探り当てるなどできず、今彼女が出来る精一杯は雷の風に合わせて一瞬だけ局所的に魔力を集め深手を負わないようにする事だけだ。

 「身体強化に魔力をまわしゃ多分無効化できるが、呪本相手じゃそうはいかねぇ。極力他の魔法に魔力を残しておきてぇからな」

全くの無作為に飛んでくる雷の風に苛立ちを覚えながら不安がる沙那に説明を行いつつ、エンジェルンは自分の言葉を疑い本当に身体強化に回せないのかを考えた。

けれど出てくる答えはやはり沙那に伝えた通りのモノだけ。

魔力の殆どを身体強化に回せば例えこの状況から脱出できたとしてもその後が続かない。続かなければ大本命に手が届かない。ならば意味が無い。それがエンジェルンの出した絶対に変わらない答えだった。

つまり、いつどこから飛んでくるか分からない遅効性を持つ攻撃を軽微にはできても無効化する手段は無く、視界が悪いこの状況では打つ手が無かった。

 「……意味が、無い?」

けれど、エンジェルンはそこまで考えて眉根を一度ヒクつかせる。

そして刃の宿った鋭い眼光で砂煙の先にいるだろうアリファをーーその手にある呪本を睨みつけた。

 「無ェなら無理矢理にでもこじ開けるしか無ェだろうが!!!」

苛立ちの籠った声を上げ、エンジェルンは四度指を鳴らす。

 「メテオライト!!」

火種に拳を叩き込み、発生した巨大な火球。それら四つは四方向へと放たれる。それはまるで狙いを定めていないかのようだった。

実際エンジェルンは全く狙いを定めていなかった。否、寧ろ狙わなかった。

彼女の目的は砂煙の先にいるアリファを討つ事でも、呪本を燃やす事でもなく、空気を渦巻かせる事。

 「舐めるなよ!」

轟を響かせながら燃え盛る四つの火球。それらは瞬間的に空気を熱し、気流を作った。

人為的に発生した気流は火球を中心に渦状に上空へと登る。

 「晴れた!」

結果、砂煙と雷の風の多くはその気流に巻き込まれ黒茶色の世界は光が瞳を襲う程に晴れる。

そして再び、アリファと見えた。

 「…デタラメ」

 「お互い様だろ?」

 「君のは……規格外よ!」

だが彼女の手元は黒く光っている。

先程の雷風の時とは比べ物にならない黒い光の高まりーー。次の魔法の発動まで猶予はもうない。

 「チッ。状況は良くなったが逆転はもう二個先ってか?」

砂煙は最早意識を裂くには値しない程霧散した。けれど雷の風は未だ無視できない程度には残っている上、雷風本体が一つ残っている。

これらがある以上アリファはエンジェルンよりも一手多く攻撃に先んじていて、更には次の魔法が控えている。

一度目ですら多くの傷を負うだけの魔法だった事を考慮すれば次の魔法も決して楽観視は出来ない。

それを考えればエンジェルンは今かなりの窮地に立たされている事になる。

 「さてと……。どうすっかな」

 《え、エンジェルン……?》

 「っは。ビビんな。場数は踏んでっから安心しろ」

彼我の距離さえ狭ければ発動前に叩くのは容易い。しかし一息で超えるには些か遠い。

ならどうするーー。フィアーソードを握り締めエンジェルンは打開策を探った。

探るが……答えは出ない。

 「チッ。いつまでもウザってェ風だな!」

視界が良好になったおかげでフィアーソードで弾くという選択肢が出来たエンジェルンが雷の風でダメージを負う事はもうない。

それでも、一度に数刃飛来すれば思考を遮られる程度には鬱陶しい障害に変わりは無く、彼女の打開策考案に歪を入れている元凶だ。

 「ジャパニーズカミカゼでもするか…?いや、あの魔法が何なのか分からねぇ以上悪手か。ならどうする?」

いつアリファが呪文を発動するか分からないせいで移動そのものを完全に封じられているエンジェルンは雷の風を弾きながら独り言ちる。

 「つーか周りはどうなってる。奴ら全員非戦闘員か?」

周囲の黒服達を見回しエンジェルンはその手に何も無いか目を光らせる。

確認できた黒服達の手には黒い本が握られていたりナイフのような鋭利な物やステッキが握られている。恐らくは呪本と魔法を使う用の媒体だろう。

が、全員というわけではない。総数はおよそ五十。その中から更にザッと見積もって半分弱。それが武器を持っていると確認できた戦闘員らしき黒服達の数だ。

 「面倒だな。劣勢に持ち込んだら出てくるかもしれねぇ。かと言ってどうするかっつったら……」

フィアーソードに視線を落とし、行える魔法の威力を思い起こすエンジェルン。

そもそも、彼女がフィアーソードを抜くのは基本的に一撃必殺か広域掃討かのどちらかの時だけだった。

そのため一撃の規模は大きく重いモノにもできなくはない。出来なくはないが。

 「いっそデカいのを一発……。駄目だな。一発で決めやすい分ヘタ打てばアリファは消し炭。手段としては幸運を祈っての最後の最後の最後だ。なら一か八かアイツ操ってる奴を探しに…?それこそナンセンスか。自信満々で出して来た魔法の壁の強度は相当なモンだろうしこの数の中からピンポイントで探し当てるのは不可能だ。……さて」

エンジェルンが独り言ちる最中でも呪本は黒い光を高まらせていく。

発動まで時間がかかるのか、それとも発動のタイミングを計りながら威力を高めているのか。それすらも今の彼女には分からない。

安易には動けない。けれど動かなければ待つのは明確な死かもしれない。

堂々巡りとなってしまった思考の中、ふとエンジェルンは耳に意識を取られる。

なにか、小さな音が聞こえたような気がして。

 《ねぇ!エンジェルン!!》

 「おぉ?どうしたよ急に」

 《急にじゃないよ!ずっと呼んでたのに!!》

彼女が耳……正確には鼓膜で直に感じていた違和感。それは沙那の呼びかけだった。

何度も呼んでいたのか沙那は焦りと苛立ちを混じらせたような顔をしている。

 「わりぃわりぃ。考え事してた」

 《知ってるけど!でものめり込み過ぎ!》

 「そうか?こんなもんだろ」

沙那の言葉にエンジェルンは茶化すように薄く笑う。

けれどエンジェルンは内心ほっとしていた。

何故なら新しい考えが入ってくる事によって新たな答えが出せるかもしれないと考えたからだ。

 《……そうだよ。一人で考えても分からないんだったら二人で考えないと》

 「ま、アテにはしねぇけどな」

 《…あはは》

エンジェルンの考えを知り、沙那は小さくて弱い愛想笑いを浮かべる。

 《……大丈夫。何とかなるから》

 「お?大きく出たじゃねぇか」

互いに考えている事が分かってしまう立場であるのに対しエンジェルンは強がりを口にし訂正しなかった。

それはつまりエンジェルンが追い詰められている事の証明に他ならない。

沙那はそれが分かってしまったせいでどう受け答え、どんな表情を浮かべればいいのかが分からなくなってしまった。

……だと、しても。

 《私なら、平気だから》

 「…あぁ?」

 《私なら、どんなに傷ついても、平気だから》

 「……おい、お前。何言おうとしてる」

それを本当に提案すれば後には戻れない。

沙那の考えを読んだ彼女の言葉にはそんな意図が含まれていた。

けれど沙那は臆する事無く。決意を満たした強い瞳で口にする。

 《特攻しよう。多分、それしかない》

最も最初にエンジェルンが否定し、同時に最も可能性が高いだろうと考えた戦法を。

 「正気か?マジで手足持ってかれるかもしれねぇぞ」

沙那の瞳に真っ直ぐ向き合い、エンジェルンが想定している最悪とそれが実際に起きた戦いの記憶を思い起こす。

不意打ち的に流れて来たエンジェルンの記憶に沙那は一瞬顔を顰めてせり上がってくる吐き気に息を呑む。

 《……正気だよ。脅しなんて、効かないから》

それでも沙那は一切瞳の奥の決意を曇らせずエンジェルンを見つめ直した。

そして。

 《だって信じてるから》

愛らしく、はにかんだ。

 「……だがよ、失敗したらどうする?」

沙那の笑顔は憂いなき決意表明の表れだった。当然エンジェルンにもそんな事は分かっている。

けれど、その程度で納得出来るのなら問題の解決に手間取りはしない。

先程と同等かそれ以上の魔法に特攻などしようものなら失敗すれば良くて手足の損失、悪ければ死。そもそも今を生き抜いたところで今度は脱出があり、それに於いては大きく負傷した身でどこまでできるのかなど考えるまでも無く無謀だ。

 《失敗なんてしない》

だとしても沙那は引かなかった。

 「もしもの話だ。分かるだろ、そんくらい」

 《分かんないよ。そんなもしも存在しないから》

いつどこでそれ程まで悩み、決断したのか。

はにかんだ笑顔を崩し、真剣そのものとなった沙那の顔には地獄を見て来たエンジェルンですら身を正す程の意志が宿っている。

それでもと言おうとしたエンジェルンはようやく沙那の中の考えに気が付き、理解した。

幾重にも巡り回された不安と恐怖の思考の中に光る二つの輝きを。

一つは[エンジェルンを信じている]という屈託なき想い。そしてもう一つは[朔間ちゃんを絶対に助ける]という純然たる意志。

退路は暗く進む先のはか細さすら伺えない詰みに近いこの状況でもなお沙那は希望を輝かせている。

かつて地獄を見て来たエンジェルンの納得出来るはずの無い心を凌駕する程に。

 「…っは。そこまで言われちゃしょうがねぇ。腹ァ括るしかねぇな」

闘いたくないと不安がり、果ては自身を卑下しきった考えを示していたはずの沙那。そんな彼女が今はこれ程に強い心を持った。

ならば、答えないわけにはいかない。

『全部俺が終わらせてやる』そう言った以上、引き下がるわけにはいかない。

 「念のためもう一度だけ聞く。いいんだな?」

 《後先考えて取り返しがつかなくなったらおしまい。良いと思う事は特に。……でしょ?》

沙那の言葉に小さく笑い、エンジェルンは彼女を見つめる。

 「自分で自分の首ぃ締めてちゃ世話ねぇな。全く」

返ってくるのは変わらぬ色が宿った瞳。

……それが。その気高い決意が、エンジェルンを震わせた。

 「っしゃぁ!!行くぞ!!相棒!!」

 《うん!!》

フィアーソードが空を切り、エンジェルンのーー共に沙那のーー叫びが轟く。

 「行くぞアリファ!!今ァ目ぇ覚まさしてやるからなァッ!!」

 「…来る!」

白光色の羽根が足元で舞い上がる。

脇目も振らないエンジェルンの直進。速度は速い。風を切る音が辺りを木霊しているのかと聞きまごう程に鋭い。

同時、極限まで高ぶった光を放っている呪本が弾けたような輝きを見せる。

 「関係無ぇ!!」

 「無いわけない!」

輝きに集う地面の土達。それらは一瞬の内に人型のような小さな土の塊に形作られていく。

 「っは!ゴーレムまがいが何だっつーんだ!」

 《え、エンジェルン!?た、多分、それだけじゃない!!》

 「あぁ!?」

呪文が発動したところでエンジェルンの進行は止まらなかった。だが、沙那の言葉に一瞬だけ速度を緩める。

 「…おいおいおい。冗談だろ、おい!」

そして完全に停止した。

何故なら人型の土は未だ輝きを失っていなかったから。

更に言えば、エンジェルンは何かに気が付いてしまったから。

およそあり得ないと考えていた事象が起こるのかもしれない、と。

 《…さ、朔間ちゃんの周りに火と……水?」

 「それだけじゃねぇ……。さっきの雷風もありやがる」

強く歯を噛み合わせ、エンジェルンは一気に距離を詰めるべく飛行を再開しようとする。

だが、その瞬間に人型の土に雷風が合わさり、程も無く火が、そして水が合わさる。

 「クソ、間に合わねぇか…!」

それでもエンジェルンは飛行を再開した。

結末よりも前に間に合わないと分かっていても、ならば完成品を最速で叩くしかないと。

何もかもを度外視し、エンジェルンは可能な限りの身体強化を施しながら足元から羽根を舞わせた。

 「…もう、遅いわ。【私の】魔法は完成したから」

 「馬鹿言うな!!こんなモン、今のお前が造っていいわけねェだろ!!」

アリファに僅か一瞬でエンジェルンは到達する。

 「出来るからやった。それだけよ」

 「このっ……!」

フィアーソード振りかざされる。全てを焼き焦がさんばかりに渦巻く炎が猛る姿は一撃必殺の力を容易に思わせた。

この炎の高まりに加えての限界までの身体強化。まず間違いなくこの一刀はどんな対象でも粉微塵にするだろう。

そんな一撃をエンジェルンはアリファでも呪本でもなく、四つの自然を吸い上げている人型の土に向かって振り下ろす。

 「消えろ!精霊擬きが!!」

 「消えないわ!偽物でも、魔法使いだから!」

肉薄し、人型の土に接し、フィアーソードとの間に閃光のような輝きが発生して闘技場全てを眩く照らす。

その僅か後。爆発音とも破壊音ともつかない劇音が誰もの鼓膜を破壊せんと叫び上がる。

 「手ごたえはある!だが、今もここに【手ごたえがある】!!クソがッ」

闘技場にいる全ての人間が耳を覆う中で唯一エンジェルンだけが動く。

目的は二撃目。それでも駄目なら三撃目。

何度でも何度でも、精霊擬きと呼んだ人型の土を一瞬でも早く破壊するために猛撃の構えに出た。

……けれど、遅かった。

 ≪ーーーーーー≫

 「ヤベェ!!」

これまで聞いた事の無い細く美しくけれど強い、声ともつかない声がエンジェルンの耳に届く。

その瞬間に彼女は一気に後方深くまで飛び退いた。

 ≪ーー≫

エンジェルンが飛び退いたすぐ後。それこそ一秒にも満たない刹那に、彼女がいた場所で爆発が起こる。

規模は中程度。だが爆煙の中に業火を思わせる火が弾けんばかりに燃え盛っている。

 ーー伝説通り、魔法の威力自体は中程度。けど、殺すのに特化した内容か。喰らったらヤベェな…クソ。

 「チッ!冗談じゃねぇ!もしかしてとは思ってたが、まさか本当に類稀な天才だったのか。アリファの奴……!」

 《え……エンジェ…ルン…?》

 「……おう、やっとお目覚めか?状況は最高だぜ」

 《…?》

フィアーソードの衝突によって生じた音に反射的に両耳を覆って蹲っていた沙那はようやく鼓膜の保護を辞め、エンジェルンを見上げる。

見上げた理由はエンジェルンが口にした『類稀な天才』という言葉の真意を聞きたかったからだ。

けれど沙那が見たのは冷や汗を流したこれまで見た事も無い程に焦っているエンジェルンの顔。

とても私情を挟んでいる余裕は無い、極限に緊迫した状況だった。

 《何が…どうなって…?精…霊………?》

何も分からず、その上エンジェルンに答えを求めるのも憚れる。そんな状況で沙那の困惑が収まるはずもなく、彼女はただ胸の内で聞いた言葉を反芻するしかなかった。

 「擬き、な。ぜってぇ忘れるなよ。モノホンには天地がひっくり返っても勝てねぇから」

 《な…え?どういう…》

 「……魔法使いの格付け的に言やぁ、魔法少女(おれたち)の一個上、最上位の神様の一個下だ。噂じゃ、どいつもこいつもマジカルンと同じだけの魔力量らしいぜ?しかもそれが最底辺っつうおまけつきだ。ちょっと強い奴なら俺らは足元にも及ばねぇだろうな」

 《そ、そんな……!そんなの、どうやって勝てって言うの…!?》

エンジェルンの答えを聞き徐々に沙那の顔が青ざめていく。

理由は答えてくれた内容以上に彼女の表情と胸の内にあった。

 「だから言ってんだろ。モノホンには勝てねぇって。けど、擬きになら見込みはある。魔法使いではなく所詮は類稀なだけの天才な人間様が作り出した模造品だからな。決死で行きゃどーとでもできるはずだ」

エンジェルンの浮かべていた焦りの理由。それは自分よりも格上を模した存在が現れた事による戦力の逆転のせいだった。

だから沙那は取り乱しかけた。この戦力の逆転が致命的なんだと他ならないエンジェルンの表情と胸の内が答えてしまっているから。

 「安心しろバカ。マジカルンとやった時もそうだったろうが。今更戦力差如きでビビるかよ」

けれどエンジェルンに叱責にも似た言葉をかけられた彼女は沈みかけていた気持ちを強く引き上げられ膝から崩れそうになっていた姿勢を保てた。

……しかしその𠮟責は精霊擬きと呼ばれたアレが如何に恐ろしいのかを物語るには充分過ぎ、エンジェルンの強がりにあてられた沙那ですら真意を察せてしまった。

とても勝ち目が薄い存在なのだと。

加えて。

 「だからそこはいい。問題はどれだけ代償にしたかだ」

 《代…償……?》

この魔法の発動に於いて何かしらの問題が生じるのだと沙那は知ってしまった。

 《え、エンジェルン!どういう事それ!?大体何なのアレ!!》

いよいよ困惑に理性さえ奪われかけた沙那は半狂乱気味にエンジェルンを問い詰める。

 「疑似精霊召喚魔法。…ま、ほぼ伝説上の魔法だ。お陰でめっぽうつええ」

 《な……なに、それ。伝説の…って》

 「分かりやすく言えばアレは魔力が実質無限の強い魔法使いを造り出して操る魔法だ。ま、とんでもなく魔力が必要なんで殆どだーれも使えねぇから伝説級になった。そんな単純な話だ」

 《な、なら、エンジェルンよりも魔力量が多いアリファちゃんなら代償なんて怖い言葉……》

 「そりゃマジカルンといた場合の話だろ。引っぺがされたあいつは生身。んでこの世界の人間は魔力なんてカス以下だ」

 《そ、そうなの……?》

 「ああ。土地や世界が違えば魔力量には大きな差が出るんだ。国によって目・肌・髪の色が違うのとかに似てる。けどだからって才能が無いとは限らない。きっとアリファは魔法を扱う上での類稀な天才だったんだ。だから魔力が無くても使える呪本を利用して精霊擬きを理屈も知らねぇのに作り上げた。だがカス以下の魔力量で馬鹿みたいに魔力を喰う魔法をやった。……つー事はだ。セオリー通りなら……」

そこまで行ってエンジェルンは口を噤み、言葉の代わりにその続きが沙那の心の中にも浮かぶ。

エンジェルンの考えていた言葉が。

 《は……は?え?そ、それって……どういう…?》

意図しようともせずとも彼女の心を読めてしまう沙那は浮かんできた言葉に心臓を鷲掴まれる。

これまで安易に使っているのを見て来た魔法の持つ事実と、魔力の意味を知って。

 「……魔力ってのは命の代替品。イコールの存在だ。だから代償はまず間違いなく寿命だろうな。唯一違うのは魔力は時間経過で回復する事くらいだ」

 《そ、そんな……!じゃあエンジェルンだって…!》

 「ちゃんと話聞けバカ。俺も、当然マジカルンもわきまえて魔法を使ってる。だからその辺の心配はねぇ。……ただ」

沙那に強く言いながらエンジェルンは視線を前に向ける。

いるのは精霊擬きとアリファ。だが、アリファの鼻の右穴からは血が流れ、両眼の七割近くが朱く充血している。

 《さ、朔間ちゃん……!》

 「大丈夫だ。見た目程臓器や器官にダメージはねぇ。明日にゃ治る」

 《ほ、本当?》

聞き返す沙那の顔には所狭しと不安と心配が浮かび、心は涙を溢す程に打ちのめされていて見るに堪えない。

 「嘘なんか吐かねーさ。問題は幾らくれてやったのかだが……なんにせよこいつは俺の失態だ。取返しも修繕もできねぇがこれ以上の暴挙を止める責務がある」

表情から伺える感情…それ以上に沙那の心の内全てを深く知ってしまえるエンジェルンはーー例えこの事実が無かったとしてもーーフィアーソードをより一層硬く握りしめ、意を決した。

格上である精霊擬きに真っ向から挑むという決意を。

 《え……エンジェルン…?》

 「……ま、つってもアレの消し方なんざ知らねーけどな」

 《!?》

 「ビビんなって。魔法は所詮消耗品。なんであれ絶対に終わりがある」

構え、踏み込んでエンジェルンは一気に加速する。

 「だから結局は」

足元から舞う白光色の羽根が置いていかれる程に速く。真っ直ぐ、一直線に。

アリファと精霊擬きの下へ。

 「往生際の…悪い……!精霊よ!!」

 ≪ーーー≫

喘鳴を混じらせたアリファの呼びかけに応え、精霊擬きは彼女の前に立って何か魔法を唱え始める。

だが何らかの魔法が完唱するよりも速く。

 「結局は、殴りつけるしかねぇっつうわけだ!!」

エンジェルンのフィアーソードが振り下ろされた。

 ≪ーーーー!≫

真正面から一刀を受けた精霊擬きの両腕から天井を突き超える程の炎が上がる。

出先はフィアーソードの切っ先。刀身に渦巻いていた炎の全てが集約し精霊擬きの腕を焼き切り脳天を焦がさんと猛り狂っている。

だが精霊擬きは詠唱を中断し受けに徹するだけで破壊には至らない。

受けている右腕こそ薄く焦げているが他は無事。とても灼撃を受け止めているようには見えない。

 「っは!上等じゃねぇか!!そうでなきゃ拍子抜けだ!ボケ!!」

叫ぶと同時、エンジェルンの右手が握りから離れる。

 ≪ーー!≫

瞬間、右手にステッキが現れると共にバールに変質した。

 「舐めるなよ!場数が違ェんだ!!」

現れたバールは受けで隙になっていた精霊擬きの横っ腹目掛けて振るわれる。

 ≪ーーー、ーー!≫

片手で握られているとはいえ巨大な炎の柱に後押しされているフィアーソードを受け続けるには両手を使わなければならず、呪文を唱えている余裕も無い精霊擬きには防ぐ手立てが無かった。

故に、命中する。

人に当たったのであれば溶断してもおかしくないだけの苛烈な一撃が命中した。

 「…それでもか!」

けれど、精霊擬きは人の形を保ったままだった。

いや、それどころではない。

僅かに、表面を抉っただけ。

とてもエンジェルンの想定には届かない、軽微な一撃になっている。

 「いよいよバケモンだな…!」

 「…それは君よ。私は決して壊れないように造ったのよ……!?」

互いの予想外が視線に乗って交わる。

見えたのは[焦り]と[驚愕]。

……ならば、と。

 「だったら、同じ力で砕けるまでやる!!」

アリファの見せた[焦り]を良しとしたエンジェルンは再びバールを横に振り上げる。

 「させない!」

当然アリファが見逃すはずも無かった。

一度でも表面を抉ったのであれば遅かれ早かれ破壊は有り得てしまう。

それだけはならないとアリファはエンジェルンを精霊擬きから引き剥がそうと別の呪文を呼び出そうとした。

だが彼女が呪本を使おうとした時、不意に膝が地に着いた。

 「馬鹿が!!それ以上くれたら本当におっちぬぞ!!」

 「…!!」

エンジェルンの忠告に表情を変えるアリファ。

彼女の鼻からは未だ血が流れており、瞳は更に充血の範囲が増えている。

 ーー私は…そんなに……?

アリファは全くの無意識に膝が曲がった事で起きていた異変に気が付き鼻に手を当てる。

 「……血?どうして…」

攻撃を受けた心当たりはなく、不注意で顔をどこかにぶつけた記憶も無い。

ならどうしてーー。

 「見栄張った罰だ!!テメェはそこで黙って待ってろ!!」

 「……見栄?」

真横で身悶えしながら抜け出そうとしている精霊擬きに烈撃を幾度と無く繰り出しているエンジェルンにそう言われアリファは額に手を当てる。

彼女の顔に浮かんでいるのは困惑。それも自身の中にある矛盾に気が付いたがために産まれた堪え難き困惑。

 ーー私は……何を?

土の……否、最早鉄以上の硬度を持った精霊擬きの身体が抉れていく音を横に己に問い掛ける。

 ーーどうして、私はここで戦っているの…?

何故自分がここにいるのか。

 ーーそれは…魔法を使えるから、魔法使いを迫害した悪い奴らを倒すため…?

 『これで良かったのよ』

何故呪本を持っているのか。

 ーー……魔法は使えた。でもそれは私の力じゃない。……何か、何かのお陰だった。それは、間違いない。でも……

 『結局、酔うしかないの。自分の正義に』

そもそも、本当は何を使って魔法を使っていたのか。

 ーーこんな、こんな禍々しい道具だったの…?もっと優しくて融通の利かない……そんな……。

 『……ごめんなさい〔     〕。今だけは、ステッキの性質をーー』

知っているのに知らないナニカを、使っていたんじゃないのか。

 ーー私は正しい事をしているはずなのに。なのにどうしてこんなに苦しいの……?

 『分かってる。これは私が進まなければならない道だから』

 ーー分からない。何も……何も…!

 「おい!!」

 「!!」 

思考の渦中に陥り、思い浮かんで消えてくれない記憶の矛盾に困惑を覚えていたアリファはいつの間にかその場で蹲っていた。

彼女は、呼びかけが無ければこのまま自己矛盾による自問自答で精神が崩壊していただろう。

そんなアリファを引きずり出したのは耳を疑う程に息の上がっているエンジェルンの声だ。

 「いつまで眠てぇツラしてやがる。おい」

 「……嘘。私の造った…魔法が……!」

エンジェルンの背に散らばる何かの破片群。

それらは大小さまざまな大きさをしていて、特に大きい破片は…下半身のようにも見える。

 「わりぃが全力でぶち壊させてもらったぞ。苦労はしたが魔法さえ撃てなくしちまえばこっちのもんだったぜ。結局は術者もいてなんぼの魔法でしかなかったってわけだ」

 「あ、あり得ないわ……!こんな簡単に……!」

疲労で笑顔が歪んでいるエンジェルンを恐怖を露わに浮かべた面持ちで見上げるアリファは腰を地に付けたまま僅かに後退する。

 「簡単なわけあるかボケ。お陰で疲労困憊だわ。それにありゃあどうも蘇生するっぽいからな。さっさとやる事やらねぇと今度こそオシメーだ」

それをエンジェルンは追うようにして近付き、伸ばせば手が届く距離に立った。

 「……殺すの?私を」

 「俺は殺しゃしねぇよ。ただ、どうするかは、こいつに決めさせる」

 「……」

エンジェルンの含みのある答えにアリファは息を呑みながら口を噤む。

アリファは操られているとはいえ思考力が皆無なわけではない。魔法少女という存在を知っている以上、見えない誰かというのは一人しかいない事にくらいは気が付いている、

 「…それで、私が出て来たんだけど……。こっ、こんにちは、朔間ちゃん。花園、です」

 「……花園…沙那」

それは当然ステッキの持ち主である人間。エンジェルンの相棒・花園 沙那。

操られている今のアリファにしてみればかつてのエンジェルンや彼女達の生まれた世界が行った迫害や殺人の罪を背負わされているある意味では被害者と呼べる一人の少女。

無論、あくまでも迫害と叫んでいるのはエンジェルン達が魔法革命連軍と呼ぶ禁忌を良しとするべく禁忌を持って立ち上がった集団であり、支持者すらも道具として扱った結果がもたらしたのは異空間への追放という極刑よりも酷とされる裁き。

つまるところ彼らは国家転覆を人の命ももちいて謀った事によって与えられた罰に逆恨みしているに過ぎない集団だ。

 「…卑怯者は隠れていなさいよ。ここは、戦場なんだから」

それらの事実を全て癒合よく利用され、操られる前も、操られてからも[魔法少女は子供にすら手を掛ける残虐非道な殺人集団である]と洗脳されたアリファは自分の意思で立ちふさがった以前よりも強く沙那を睨んでいる。

 「そ…そうだね……。今まで、頼りきりで見てるだけだったんだから、そうするべきだよね…」

エンジェルンの帯びていた痛みと疲労……。ただでさえどちらも限界を迎えている上、謂れ無き憎悪の対象となっている沙那は酷く辛そうに立っている。

それこそ負傷兵のようで、杖や支えがあればすぐにでも全体重を預けてしまいそうだった。

だが、立っている。

不格好に過ぎる格好だが立っている。

消えない光を瞳に宿して。

 「…本当はね、エンジェルンはまだ戦える。私よりもしっかり立ってられる。でも、私がお願いした」

一歩、脚を踏み出そうとして…けれど沙那の身体はピクリとしか動かない。

下手を打てば転んでしまいそうな不確かな機微だ。

 「これだけは、って。最後まで迷ってたけど、お願いしたんだ」

 「……何を?非力でしかない貴女が、呪本を持っている私に、何を?」

沙那の動かない身体を見て形勢を立て直せると感じたのかアリファは僅かに後退しながら鋭い眼光と共に強い言葉を投げかける。

限界を迎えている今の沙那にしてみればアリファの行為は背筋を凍らせ心臓を握られたと感じるに足るもの。彼女の言うように一瞬でも隙を見せれば瞬く間に戦闘が再開されるだろう。

だとしても…いや、だからこそ沙那は引かなかった。

動かない脚を無理に踏み出し、崩れかける姿勢を一つの意志だけで揺らがせながらも保ち続ける。

 「…なに、するつもり」

同様に。彼女を見上げるアリファにしてみれば今の一歩は恐怖だった。

幾ら強い言葉や態度を取ろうと形勢の不利はそう簡単には覆らない。どんな意図があろうと沙那がエンジェルンと入れ替わればそれだけで敗北が確定する。

ただの人間には騙しきれない全身の痛みと疲労に苛まれているはずのーー事実先程は動かなかった身体のーー沙那が足取り重くとはいえ近付いて来たその事実がアリファの目には恐ろしく映った。

一体何が今の彼女をそうまでさせているのか彼女には分からなかったから。

 「な、何を……!」

真下に見下ろす程近くに立っていた沙那は悲鳴を上げている身体に鞭打ちながらアリファに手を伸ばす。

 「さ…触らないで!」

そして、頬を強く叩いた。

 「……!?」

否、最早力などは籠っていない。

緩慢な動きで、あくまで[叩かれた]と認識できる程度の力でしかない。

なのに。

 「あ……」

アリファの胸の内はこの上なく痛く、何ものにも抑えがたい感情が沸き上がっていた。

 「ふざけないで!!一人で身勝手して!こんなに危ない事までして、されて!!どうして私も連れて来てくれなかったの!?!?」

震える手がアリファの胸ぐらを掴み上げる。

しかし彼女の身体は少しだって浮き上がらず、寧ろ体重に負けて沙那の身体が折れ曲がっている。

 「そ、それは……!」

それでも構わず沙那は怯えているアリファの両目を貫くような視線で見つめる。

 「友達なんだよ!?私達!!」

 「!!」

その一言は沙那の言葉以外の音が掻き消える程痛烈にアリファに響く言葉だった。

それは彼女の言葉がアリファの洗脳を解く道筋の一つになったからというだけではない。

 「……勝手な事を、言わないで」

 「…!」

 「上辺だけの思い付きで言ってただけのくせに!!」

あの日……沙那とエンジェルンと戦った日の夜に打ちのめされた心が揺り戻しを強固にしていたからだ。

アリファの欲していた存在を他ならぬ本人が否定した。だからこそアリファには耐え難く、心理の奥底に眠っていた。それを沙那の言葉が揺り動かし、洗脳を解くきっかけとして働いた。

無論そんな事実に沙那が気が付くはずも無かった。

けれど沙那は声を荒げて続けた。

アリファの落胆を覆い潰す程の強さで断言した。

 「そんなの知らない!!私はもう迷ってない!!」

アリファの求めていた答えを。

沙那が知るはずも無い彼女の持つ孤独に色を添える希望を。

 「そ、そんな……。そんなの……勝手よ…。私は、私は……!」

 「…分かってる。自分勝手だと思う。朔間ちゃんが怒るのだって当然だよ。…でも、私はもう決めたの」

今の一声で決意で張っていた糸が切れてしまったのか沙那は膝が折れてその場に座り込んでしまう。

 「なに…を?」

二人の視線が水平に交わる。

敵対でも、同士討ちでも洗脳下でもない同等の視線で言葉が交わされる。

 「私はもう、世間体なんて気にしないんだ。誰にどう思われたって、私は朔間ちゃんの友達だよ。そう決めたの」

 「…君…は」

 「沙那でいいよ?…一緒に背負うから。担がされた罪も、それで生まれる怒りも憎しみも。二人で石を投げられれば、傷の手当だって楽しいでしょ?」

彼女の言葉を聞いたアリファは大きく目を見開いた。

沙那は考えていたんだ……。私という存在と手を取り合えば全てが露見した時どうなるのかを真剣に考えていた。その誠実さが故に、彼女は一瞬言葉を詰まらせてしまっていたんだーー。

そう、アリファは初めて理解した。

理解したからにはもう、力など入らなかった。

 「……沙那。沙那……!!」

 「…うん、大丈夫。一緒に頑張ろうね」

握りしめていた呪本は手元から零れ落ち、鋭い視線は消えている。

沙那の胸に抱かれているアリファの目からはただ、涙が流れ落ちるだけだ。

 《で、だ。これでハッピーエンドってわけにはいかねぇんだよな。しゃらくせぇ事によ》

 ーーうん。私にも分かるよ。……雰囲気が、変わったって。

事の行く末を見守っていたエンジェルンは結末を見届けると静かに沙那に語り掛ける。

それとなく周囲の様子を探った沙那はあからさまに変っていく雰囲気に目を細め、より詳しく周囲を確認できたエンジェルンは明確に事態の変化に気が付いていた。

 《……呪本を取り出してる奴が何人かいる。どうする?》

エンジェルンが視界に収めたのは動きを見せ始めた多くの黒服達であり、アリファと戦闘をしている際に確認したような武器を取り出している。

用意していた一つ目の武器が破れたのであればサブプランである[自身達の攻撃]の仕掛け所を探っているのだろう。疑う余地も無く一触即発の状態だ。

 ーー二人で逃げるのは?

 《どうだろうな。不可能とは言わねぇが分が悪い。生身の的は当たったらそこで終わりだからな。一筋縄じゃねぇのは確かだ》

 ーー……なら、一人でなら?

 《……確率は跳ね上がる。だが拒否するぜ。ステッキをこいつに握らせるなんつーのはな》

 ーー………そっか。

満身創痍の現状でエンジェルンの考えを読んだ沙那は例え変身したところで苦戦は免れないと考えた。

しかし何か手を打たなければ敗北は必至。そんな一刻の猶予も無い中で沙那が出した結論は[ステッキの譲渡]。

自身よりも肉体的ダメージが遥かに軽いアリファに渡し、彼女だけでも逃がそうとする算段だ。

 《大胆なのは結構だが、俺の今の相棒はお前だ。急に鞍替えできる程尻は軽くねぇ》

だがエンジェルンはそれを拒否した。

魔法少女としての経験があるアリファならここから脱する可能性は極めて高い。無論沙那を抱えての脱出も今の彼女が行うよりは容易いだろう。

だからと言ってリスクが無くなるわけではない。生身の的がアリファから沙那に変わるだけで攻撃が当たれば死に直結する事実はまるで変らない。

ならば譲渡したところで意味は薄い。そもそもが[五十人近くに包囲されている現状から人一人を護りながら逃げおおせる]なのだから土台無理な話なのに変わりは無いのだから。

 ーーならどうするの?逃げる時に朔間ちゃんが傷ついたら……。

未だ胸の中で泣きじゃくるアリファの頭を撫でつつ沙那は心の内を険しくする。

 《……ああ。言いたい事は分かるぜ。だから、ほんの少しだけ待ってみようじゃねぇか》

対し、エンジェルンはどこか展望を持った面持ちで自分の開けた天井を見上げた。

ーー…待つって、何を…?

 《状況を変えるには規格外の一手…ってな。俺の言葉だ》

 ーー……え、え?どういう……

 《どうせ賭けるなら分の良い博打だ。安心しろよ。ハズレた時は俺が気合い入れればいいだけだ》

困惑するばかりの沙那にエンジェルンは不敵に笑うだけで答えらしい答えを示さなかった。

それを沙那は……妙に心強く感じていた。

根拠は無い。

根拠は無いが、確信があった。

 ーー……よく、分かんないけど……。うん、解った。エンジェルンがそう言うなら、信じる。

 《おう。相棒の俺に任せとけ》

彼女の言葉なら、無条件で信じられる。と。

今日までに見せて来たエンジェルンの行いが沙那にそんな確信を抱かせた。

ーーそしてそれは。

 「お~お~お~!!正解正解大正解だぜ!」

 「……みたいだね。間に合って良かった」

【正しい選択だった】と現実が応えた。

 《っは。もしかしてがキまると気持ちいもんだな、おい》

 「…え?なに!?声……!?」

 「ったくよぉー。久々の変身でこれかよ。貸し一つだぜ、マジカルンにエンジェルンよぉ~お?」

 「…エンジェルンはともかくマジカルンには聞こえないはずだね。変身が出来ていないから」

 「しらねぇーってそんなの」

天井から降り注ぐ地上の光と二人の声。

それらはどちらも少女の声らしく、そして力強い。ーー少なくとも沙那にはそう感じられた。

 「だ、だれ?誰なの……!?」

何もできず、アリファを護るように抱き締めるしかない沙那は声のする頭上を眩しさに目を細めながら見上げる。

 「……なんか喋ったか?」

 「…下からだろうね。多分僕らが誰なのか分からないんだろう」

 「あ~そういう?じゃあ自己紹介も兼ねて飛び降りてやっか」

 「…それがいい」

見上げた先で話す二人の声も姿も正しくは捉えられない沙那は一層警戒心を強くする。

だが、彼女の考えなど露も知らない二人はそこから飛び降りた。

その落下速度は速い。しかし自由落下というわけでは無い。

確かに速さはあるが加速はしていない、一定の速度だ。明らかに何らかの方法で落下速度に細工をしている。

そんな芸当をただの人間が出来るはずも無かった。

更に言えば服装も普通とは言い難い。

一人は右目のみを曝した三色の面を付け、丈の長いーー白衣のようなーー紺色の上着を白ワイシャツの上に羽織って真っ黒なタイトパンツを着用し。

もう一人は漆黒色のワンピース型軍服で左肩に肩掛けマントをはためかせている。

当然、コスプレイヤーの類でないのは落下の仕方から容易に推測できる。

なら誰なのかーー。

その疑問の答えに沙那が気が付いたのは二人が闘技場に音も無く降り立った時だった。

 「ッしゃぁオラ!オレがスペシャルンだ!!」

 「…同じく、魔法少女のメンタルン。僕らは古き友を」

 「「助けに来た」」

この二人こそがエンジェルン達の言っていた魔法少女なのだと。

 「おいおいおいおい。まさかあれだけ強かったエンジェルンちゃんがこんなとこでへばってるってのはどういう事だぁ?ん??」

濃い桃色の髪をしたローテールの軍服の少女……スペシャルンと名乗った彼女は沙那を覗き込むようにしながら笑みを浮かべる。

 「え……あ、その…えっと……」

 「んだよ、今は変身解いてんのか。ど~りで私服だと思ったぜ。随分追い詰められてやんのな」

 《うるせーよバカ。んな余裕ねぇっての》

自信が無く困惑する沙那の一声を聞きスペシャルンはすぐに状況を理解して笑みを引っ込める。

 「…原因はこれだろうね」

 「あぁん?…なんだぁ?この破片はよぉ」

スペシャルンとは違い精霊紛いの破片の散らばる辺りに降り立っていたセミロングで白金色の髪をした仮面の少女ーーメンタルンは沙那やアリファには声をかけずにその内の一つを勢いよく踏み潰している。

思案に覆われた表情を見るに二人からではなく現場や状況から事態を読み取ろうとしているようだ。

 「……碌に砕けない上に破壊されている部位が修復されてる」

 「なに?」

 「…だけど安心してよさそうだ。恐らく術者は彼女の抱いている少女……状況的に考えれば朔間・アリファが成したんだろうね。疑似精霊召喚を」

 「んだと!?ろくすっぽ知識の無ぇコイツが!?」

 「…恐らくは、だけどね。どうなんだい?花園 沙那」

破片に対する推理を終えたメンタルンは答えを求めるため沙那に話しかける。

しかしあまりに突然話を振られた沙那は驚くばかりで二度ほど頷くしか返答が出来ていなかった。

それを見てメンタルンは僅かに頬を上げて笑うと一瞬で眼光に鋭さを宿し周囲を見回した。

 「…さて、おおよそ事態は理解できた。数は五十~六十程度か。スペシャルン?」

 「舐めんな。とっくに設置済みだ」

 「…なら、いい。僕はこっち半分、君はそっち半分だ」

 「任せろや」

スペシャルンの指の関節の鳴る音が響く。

途端、闘技場内の空気が凍り付いた。

黒服達がどよめき、まばらに散っている何人かが呪本を急いで開いている。

理由は恐らく、上位互換と呼ばれた魔法の壁を作るため。

沙那とアリファを殺すためにしていた準備が早計だと悟ったのだろう。

それ程までに二人の放った殺気は驚異的で冷酷無比だった。護られる立場であるはずの沙那でさえ身構え心臓を凍らせたのだから。

 「…これは九十年前の僕らの失態だ。二度と被害者が出ないよう、ここで因縁を絶つ。……皆殺しだ」

 「当然。慈悲なんぞくれてやるつもりは無いね」

そうして二人は動き出した。

メンタルンは威圧感を示しながら右半分の黒服達に向って歩き出し。

 「はッ!!来いよ!!そのおもちゃは高けぇ~んだぜ???」

左半分に向ってスペシャルンは獣が如く飛び出した。

 《……っかーーー!おーわりーーーーっと!!》

トラバサミを両手に呪文を真正面から受けながらも黒服達を屠っていくスペシャルンを尻目にエンジェルンは大声を上げて座り込む。

 《後はもーー大丈夫だ。あいつらに任せときゃ勝手に終わる。あぁぁ~~~~疲れた!》

 「ほ、本当に強いもんね…す、スペシャルンって」

初めて見るエンジェルンの完全に無防備な姿に沙那は驚きつつスペシャルンの方を見つめる。

 「あぁん!?んな魔法、オレにゃあ効かねぇぞ!!」

三…いや、四人の呪本持ちから同時に火・水・風・雷の強烈な魔法を受けながらもまるで意に返した様子も無く一人ずつ始末していくスペシャルンの戦いは沙那の浮かべていた安堵の笑顔を引きつらせる。

言葉通り獣のようだった。例え身体強化を施していたとしても強力な魔法を受ければ無事ではいられない。なのに彼女は全て無視して戦っている。特攻と変わらない彼女の戦いは普通の人間が見れば恐怖を覚えて当然だろう。

その上彼女の戦い方は残忍さも孕んでいる。

 「あ、そっちにゃ罠があるぜ!壁には触れるなよ~」

などと言いながらも実際のところ声をかけられた黒服はスペシャルンの蹴りによって吹き飛ばされていて避けようがない。

加速の乗った黒服は成す術無く壁へと衝突し、「嫌だ!!」という声を最後に爆発の中に消える。

自ら用意した罠に自らの攻撃で敵を強引に嵌める……。少なくとも優しさは感じられない戦い方だ。

 「…こ、怖いね、スペシャルンって…」

 《否定はしねぇ。けど良い奴だ。料理はうめぇし怖いのは苦手。それに正しく善悪の判断をつけられる奴だ。…今の俺と同じで物言いは物騒だけどな》

 「そ、そうなんだ……」

エンジェルンに彼女の事を教えてもらおうともあまりにも苛烈な戦い方をする姿はどうしても沙那には恐ろしく映ってしまった。

そのせいか沙那は視線を逸らしてメンタルンの方を見た。

……だが、そちらはより一層惨く感じられた。

 「…君は……この中では特に才能が無いんだね。だけど呪本に頼る勇気も無かった。だから君は今、情けの無い意地を振りかざしてそんな立派な杖を握っている。……違うかい?違わないだろう?図星でおののく姿が答えだと僕に教えてくれているよ」

狂戦士とも呼べる戦い方を見せるスペシャルンとは打って変わりメンタルンの方はとても落ち着いた様子だった。

ただ、あまりに落ち着きすぎていた。

 「な、なに…あれ」

メンタルンはおろか黒服達ですら魔法を使っていない。手にしている武器すら振るっていない。これではとても戦闘しているとは言えないはずだ。

なのに彼女の周りには倒れ伏して自身の首元に手を回しながら藻掻く黒服達が数多くいた。

いや、正しくは今も増え続けている。

 《……あいつも本当は良い奴なんだけどな。能力が残酷過ぎんだ》

 「…さぁ、なけなしの努力で磨き上げた君の呪文で僕を倒してみるといい。一級品の呪本ですら敵うかも分からない僕に、君が努力だと思い込んでいるその魔法を披露してみるといい。きっと絶望するだろうね。何の意味も無かったんだと露呈するんだから。もう二度と自分を騙す言葉が出てこなくなってしまうんだから。君の人生が如何にちっぽけで、その努力が如何に無意味だったのかを思い知ってしまうんだから」

メンタルンと対峙する一人の黒服は沙那の目から見ても既に戦意を喪失しているように見えた。

脚は震え手元の杖は今にも零れ落ちそうになっていて立っているのがやっとなのかもしれない。

 「…無理なのかい?そうかいそうかい。って事はつまり君は自分の人生が全くの無意味だと自身で気が付いてしまったんだ。それは残念だ。あまりに残酷だ。かわいそうに。同情するよ。……だから、どうすればその喪失から自分を救えるか、教えてあげようか?」

そんな黒服の傍で話す今のメンタルンの言葉は優しさを帯びているようだった。

それまでの強烈な言葉を使いながらも淡々とした口調からは感じられなかった人間味のある優しさが漏れ出ていた。

……あからさまな程に。

 「…これまでの全てを自ら否定してしまった君が救われる方法、それはね、死ぬ事だ。もうこれから先を生きる活力なんて微塵も無い君が助かるには今ここで死ぬしかないんだ。例え希望のようなモノが見えていたとしてもそれはまやかしだ。生存本能という最後の悪あがきだ。そんなモノに縋ったところで現実は変わらない。自分の何もかもを自ら否定してしまった君の明日は暗いんだから。だから、救われよう。その手を首に回してゆっくり、走馬灯でも見ながら楽になろう。初めは苦しいかもしれないがすぐに心地よくなるよ?救われている証拠だからね。それが難しいのなら舌を嚙み切ってもいいかもしれない。より苦しいだろうけど噛み切るのは一瞬だ。強い覚悟がいる代わりに首を絞め続けるよりは心は楽かもしれない。さ、どちらか選ぶんだ。君にはそれしかないんだから」

酷く脳に響く声だった。

下手をすれば沙那すらもメンタルンの術中に嵌りかねない程恐ろしい言葉の羅列だった。

 「こ……怖い。エンジェルン……」

 《ああ、俺がついてる。アリファだっているだろ?きっちり抱いててやれ》

 「……うん」

沙那の思考の中に緩やかに這い上がってくる黒い液体のような感覚の何かが彼女の自尊心の中に沁み込んでいく。

或いはそのまま何も手を打たなければ……エンジェルンの言葉や、今は自分が守らなければならないアリファがいなければ自ら首を絞めていたかもしれない。

そんな事実に気が付いた時沙那は一層背筋を凍らせた。

 「…そうだね。君は舌を噛み切る死に方が相応しい。最期に勇気を見せる唯一の方法だったんだから。誇りながら死ぬといい」

だとするならば、面と向かって言われていたあの黒服にとっては如何程の意味を持ったのだろうか。

メンタルンの言葉を受けて舌を噛み切り呼吸に喘ぎながらもどこか幸せを滲ませながら息を引き取った黒服が見せた一瞬の迷いの中には何があったのか。

それこそ考えを巡らせれば恐ろしいのかもしれないと感じた沙那はメンタルンの方から視線を逸らす事で考えを振り切った。

 《怖がってやらないでくれ。あいつが本当に外道ならもっと嬉しそうな顔をして人を殺すはずだろ?だがあの顔はお前にはどう映る?》

 「そ、それは……」

エンジェルンに問われるまでも無かった。

沙那が見たメンタルンの顔。それは果て無い懺悔の念を瞳の奥にしまい込んだ切なさを帯びる表情だ。

少なくとも言葉によって人を追い詰め殺す事に喜びを感じているようには見えない。

 《前と性格は違うみてぇだがよ、本当は誰よりも優しい奴なのは変わらねぇ。避けるのだけは勘弁してやってくれ。ぜってぇ俺達を傷付けたりしねぇって断言できるからよ》

 「う…うん…。……分かってる」

エンジェルンに頷くもののどれだけできるのだろうかと沙那は僅かな不安を覚える。

 《んで、アリファはどうなんだ?さっきから一言も喋んねぇが》

そんな不安を取り除くためなのかエンジェルンは不意にアリファの様子を伺った。

 「…寝てるみたい。多分、疲れたんだと思う」

 《……っは。呑気なもんだぜ、全く》

彼女の言葉で少しだけ気持ちを明るく持ち直せた沙那は小さく笑うと程無くしてスペシャルンが、少し遅れてメンタルンが戦いを終わらせて戻って来た。

 「っし。ざっとこんなもんだな」

 「…久しぶりだったからね。思ったよりも逃げてしまったみたいだ」

散らばる死体の数を二人は数えてそれぞれから何名かの黒服が逃げた事を確認する。

 「ま、だとしたらいつも通り俺の罠が捉えてるだろうな」

 「……罠?」

 《ああ。スペシャルンのは範囲型なんだ。決められた半径に即死級を、更に残りの半径にも致死率の高い罠が張ってある。今までこの魔法から逃げられた奴は一人もいねぇ》

 「そ、そうなんだ…」

 「あぁん?エンジェルンから聞いたのか?なら説明はいらねぇやな」

エンジェルンから答えを聞き、それが事実だと言わんばかりにどこかからか爆発音や電流の音などが響いてくる。

 「…逃げた数と合っているね」

間隔を置いて聞こえた六つの断末魔とそれぞれから逃げた黒服の数が合っている事を確認したメンタルンは一息ついて肩を下ろす。

 「……なら、終わった…って、事?」

 《だな、終わりだ。……後は》

 「…うん、マジカルンだね」

最大目標であるアリファ奪還の終わりを知った二人は最後の一戦が待ち受けているだろうマジカルンの捉えられている地に思いを馳せる。

しかし、それに対してメンタルンは首を振った。

 「…大丈夫。マジカルンは助けたよ」

 「え」

 《な!?》

 「あぁ。きっちり助けてるぜ。…っと」

驚く二人を他所にスペシャルンはどこからともない空間に手を入れると中から一本のステッキを取り出す。

 《っは!期待以上だ!!助かったぜ、ホンットによ!!》

そのステッキを目にした途端エンジェルンは撥ねるように立ち上がり喜びを露わにした。

尋ねるまでも無くそれがマジカルンなのだろう。

 「じゃ、じゃあ!」

エンジェルン同様喜びを露わにしている沙那は傍に立っているスペシャルンとメンタルンの顔を見回す。

…そして。

 「……誰か、いる!?」

 「「!?」」

 《……チッ。すっかり忘れてたぜ》

闘技場の唯一の出入り口に黒服が立っているのを目にした。

 《考えりゃ当然か。ここには結界の守護者らしい奴がいなかった。つーかいたらどっちかがもうちっと手を焼いてたはずだ》

 「そ、そんな……。じゃあ」

沙那が向けた先に、眠ってしまっているアリファ以外の全員の視線が集中する。

そこに立っているのは沙那が最初に思った通りの黒服であり、感じられる魔力はこの部屋にいた黒服達とは比べ物にならない。

 《ああ。奴がここでの一番の実力者だ。……恐らくは件の首謀者とアリファを監禁して操ったのも、な》

 「な……!」

 ーー朔間ちゃんをこんな目に遭わせた……張本人…!?

エンジェルンの言葉に沙那は目の色を変える。

 「…どうする?僕がやろうか?」

 「あぁん?こ~いうのはオレのが向いてんだろ。任せとけ」

面倒な後片付けをどちらがやるかを話し合うような気の抜けた雰囲気で話すメンタルンとスペシャルン。

二人だけで話し合っているのは所有者が眠ってしまっているマジカルンや満身創痍のエンジェルンでは戦えないと判断しての事だろう。

しかし、そんな二人の顔色を一瞬だけ鋭く変えた声があった。

 「………駄目」

 「…?」

 「あぁん?」

 「私が……やる」

それは身体に走る痛みや疲労に苛まれながらゆらりと立ち上がった沙那だ。

 「その人とだけは、私が戦う」

強い、強い声だった。

沙那のその声は怒りに苦悶し、誰も口出しできなくなる程の激情に至る声だった。

 「……そうかい?まぁ、無理にでもとは言わないが…」

 「へぇ~?見た目の割に根性決めてんなぁ~あ?いいぜ、オレもそこまでってわけじゃねぇし譲ったるよ」

沙那の強い言葉から気持ちを察したのかメンタルンはステッキのままのマジカルンを空間にしまい、スペシャルンは沙那からアリファを受け取って数歩後ろに下がる。

 《っは。じゃあ交換だ。相棒の恨みは俺の恨みだからな。きっちり晴らしてやる》

残った沙那はどこか嬉しそうに話しかけてくるエンジェルンに、しかし首を振る。

 「……ううん。それも違うよ、エンジェルン。これは私が最初から戦う」

沙那はエンジェルンにそう言い切る。他の意見を一切受け入れない断固とした言葉だ。

 《…あぁ?どうやっ……待て待て待て!》

聞きながらエンジェルンは沙那の考えを読み、焦りを露わに止める。

 《いきなり無茶言うな!ありゃ簡単じゃねぇんだよ!確かにアリファとマジカルンのやろうはやってたけど……!》

初めて本気で止めに掛かるエンジェルンにけれど沙那は首を縦には振らない。

 「やるの。……ステッキ憑依」

 《だから無茶だっての!》

 「無茶でもやる!!あの人だけは私が!!」

エンジェルンの制止を頑として聞かない沙那はふらつく両足を踏ん張り、折れ曲がりそうになる背を気丈に伸ばす

同時に彼女の心の中に滾る熱が水のように流れ込みエンジェルンを襲う。

熱く、濃く、ぐつぐつとしたーー正しく怒りだ。

それも、周囲を巻き込みかねない狂気じみた怒り……最早破壊衝動と言ってもいいだろう。

 《…チッ!しょうがねぇ!!やっても駄目なら諦めて二人に任せろよ!!》

 「嫌だ!出来るから譲らない!!」

 《ああ!?っったく!!》

これだけの明確な怒りを溢れさせている以上説得は不可能だとエンジェルンは判断した。

髪を掻き毟りそうになる苛立ちをーー大半は沙那の怒りに影響されてだがーー何とか抑え込んで彼女はステッキを[手元]に出現させる。

 《いいか!ステッキ憑依ってのは俺らの心が完璧に同調できればそれで完成だ!が、いきなり百パーセントになんざできるわけがねぇ!!それが出来ねぇつった理由だ!!》

意識体の自身の手元に出現させたステッキをエンジェルンは両手で握り力を籠める。

エンジェルンの内に向かって込められていく力は燃え盛るように熱く滝のように激烈で……まるで沙那が今抱えている怒りにも似ている。

 《そんでもって憑依が出来たところで別段良い事はねぇ!お前の意識のまま魔法を使って戦えるだけで、痛みはモロに感じる。要は腹に別の人格飼った魔法使いになるだけだ!そこだけは忘れんなよ!》

 「大丈夫!今の私なら、どんな痛みにだって我慢できる!!」

 《っは!じゃあせいぜい死なねぇように頑張れ!俺もまだお前といてぇしな、相棒!》

 「…うん!」

僅かずつ、二人の熱が混ぜ合わさっていく。ーーいや、重ね合わさっていく。

互いが互いを取り込み合い一つになるのではない。一方の一を基調とし、もう一方の位置に重なり合っている。

それは融合ではなく同調。

混合ではなく、イコール。

沙那とエンジェルンの感情が同一になったがために生まれる背中合わせの一。

互いが互いを信じているが故に産まれ得る姿。

故に、憑依。

 《…っは!久々にやって疲れたぜ、全く!!》

沙那の周囲に魔力の奔流が渦巻く。

突風を思わせる質感を持った風は離れているメンタルンとスペシャルンの全身を包むように吹き抜け、二人の表情を僅かに弛緩させた。

 「……出来たの?」

 《ああ。ぶっつけ本番だったが上手くいって良かった!》

程無くして渦巻いていた魔力は暴風の様相を呈しながら魔法少女服姿に変わっていた沙那に吸い込まれていった。

 「……すごい、これが魔力…?」

 《ああそうだ。最初はなんとなく感覚が鈍くなるかもしれねぇが気にすんな。ちょっと身体動かしゃ慣れる》

全身を満たして余りある不可解な鈍さ。

しかし枷でも重りでもなく直感的に[魔力]と分かるその感覚に沙那は両手を何度か握る事で実感として理解しようとする。

 《それと魔法を使う方法だが……来る!》

 「!?」

唐突な叫び声に沙那は反射的に左へ飛び退く。

同時に痺れるナニカがか彼女の頬を掠めていく。

 「あ、危なかった……」

 《チッ。野郎、飛び道具か》

想定以上に飛び退いてしまった沙那は遠目になった元々立っていた場所に視線を送り、地面に出来ている帯電した黒焦げの跡に冷や汗を流す。

 《見てみろ、あいつ魔弓使いだ》

 「マキュウ……?」

エンジェルンの視線が向けられた先にいる黒服を見た沙那。

その手には弧状に湾曲した身の丈程度の棒を握っている。

 《魔弓っつうのは魔法を放てる弓の事だ。残弾は魔力が尽きるまで。放つまでの感覚は……》

そこまで言ったところで二射目が放たれる。

白黄色に発光した矢は帯電した音を響かせながら沙那を狙うが、今度は視界に収めていたため慌てる事無く躱す。

 《放つまでの感覚は矢の種類によるが、大体一秒かからねぇ。気ぃつけろ》

 「…うん。でも、あのくらいなら今の私でも避けられる」

 《だろうな。魔力は何もしなくても身体能力をいくらか向上してくれる。普通は見えないモノでも大概は問題なく見えるだろうな。ただ、全部がそうだと思うなよ》

 「…え?」

エンジェルンの言葉に疑問を覚えた沙那に向って放たれる六連の雷矢。

それらは互いに電流で繋がりながら耳障りな音を立てて扇状に広がり沙那を狙う。

 「多い…!」

 《上だ!少しだけジャンプしろ!!》

扇状であったにも関わらず同時に襲ってくる雷矢を沙那はジャンプし避ける。

その衝撃で巻き上がった砂煙に巻き込まれる事無く雷矢を避けられた沙那はしかし、エンジェルンの指示を逸脱した少し強い力でジャンプをしてしまい想定以上の高さで滞空している。

 《クソ!まだ微調整は無理か!次来るぞ!!》

 「え…!?」

エンジェルンの言葉通りに四本の雷矢が滞空を維持している沙那に向って飛来する。

連続した攻撃を避け安心を覚えてしまっていた今の沙那に躱す余裕は無い。

 「くぅ……!!」

強烈な痛みと焼き焦がされるような感覚が沙那を襲う。

 《目ぇ開けろ!追撃はお前が死ぬまで来るぞ!!》

 「うぅ…!!」

左腕に二本、右と左の脛に一本ずつ雷矢を受けた沙那は衝撃で後方に吹き飛ばされながら痛みに目を閉じる。

それを強く叱責され、苦痛に顔を歪めながらも何とか薄眼を開けた先に見えるのは十数本の氷矢。矢先には氷に包まれているにも関わらず赤く盛る火が見える。

 《チッ!小細工を!!相棒!蝶ネクタイを引いて念じろ!!【炎天貫け】ってな!!》

焦りの形相で氷矢を睨みつけているエンジェルンは沙那に向かって叫ぶ。

彼女の指示を受けた沙那は考えるよりも速く蝶ネクタイを引き抜き念じた。

 「え、【炎天貫け】!!」

瞬間、解けた蝶ネクタイは起立し、鋭利な刀身と変わって炎を渦巻かせるフィアーソードと成る。

 《振り薙げ!!》

 「ああああああ!!!」

言われるよりも速く、沙那は燃える矢先を孕んだ氷矢目掛けフィアーソードを横一直線に薙ぎ払った。

眼前に生まれる瞳を焼かんばかりに焼け上がる炎の軌跡。

それらは即座に幾柱もの炎を突き上げ、互いに引かれ合い一枚の燃え盛る壁に変わる。

 《っは!間一髪ってところか》

 「み、みたいだね……。すごい」

身体の表面を炎に照らされながら炎の壁を突破する事の無い矢を確認して安堵するエンジェルンと沙那。

宙に浮いているため真下からの攻撃には無防備だが黒服の姿は見当たらない。

同様に左右後方にも姿は無く、余裕を見つけ出すなら黒服がいるだろう正面を炎の壁に守られている今しかないだろう。

 《しかし厄介だな。今ので魔力の残量は五分の一以下になっちまった。フィアーソードを維持するならメテオを撃ててニ、三発ってところか》

 「メテオライトなら一回……。…メテオールは…?」

左腕と両脛に受けた雷矢を引き抜きながら沙那は目にした他の技が使えるのかをエンジェルンに確認する。

しかしエンジェルンは僅かに顔を伏せて苦々しく応えた。

 《出来るには出来るが弾は十発も出ねぇだろうな。避けるのは簡単だ》

 「…そっか」

 《だから戦うなら、何とか近接戦に持ち込むか不意を突くかの二択だ。…弓兵相手にはどっちもきついけどな》

エンジェルンの言葉に感じた不安を視線に乗せた沙那は緩やかに炎上が収まってきている炎の壁を見つめながら右手にしているフィアーソードを僅かに強く握り締める。

 ーーこの炎が消えたらどうしよう…。勢いに任せて突っ込む?でもそれだと……

 《ああ。狙い撃たれておしまいだ。かと言って速度を上げるのに身体強化に魔力を回せば使える魔法は無くなる。当然フィアーソードも使えなくなってまともな武器はバールだけになる。やれるにはやれるだろうが心元ねぇ》

 「………」

エンジェルンの言葉通り、沙那の感じていた魔力の感覚が今はかなり薄くなっている。

そのためエンジェルンのように[何をどれだけ使えば]までは分からずとも魔力が間も無く底を尽くだろうとは沙那にも理解できていた。

かと言って何かしらの攻撃に転じなければ待っているのは明確な死だけ。

今の沙那を動かす怒りをぶつける事は出来ない。

 《チッ。精霊のパチモンと戦って無けりゃあんな野郎余裕だっつうのによ。うざってぇ》

僅かに頬をヒクつかせて悪態を吐いたエンジェルンの見据える先にある炎の壁は既に半分程度の高さしか無くなっている。

敵との間に隔てているとは言え高さが無くなってしまっているのなら弓を相手にしている以上防壁としての役割はもう担えないだろう。

 《…そろそろ来るぜ。気ぃ張れ!!》

 「…うん」

気合いの込められた一喝に沙那の顔つきが変わる。

彼女の目が捉えるのは半分以上が消えた炎の壁の先に僅かに見えた黒服の姿。

左の手には弓。右の手には白緑色に光る矢の尻が握られ、今まさにつがえてられていく。

 《見落とすなよ……!撃った瞬間が再戦の合図だ!!》

そう、エンジェルンが言い切るが速いか。

引き絞られた白緑色の矢が放たれる。

 《避けろ!!!》

言われると同時に沙那は即座に左へ移動する。

彼女の真横を通り過ぎていく白緑色の矢。

速度は速い。魔力による身体能力の向上が無ければ目で追う事など不可能だ。

しかし、風切り音が鼓膜を打ったのは速度が原因ではなかった。

 「!?」

矢の直撃は間違いなく避けていた。危なげも無かった。

だが沙那の頬は裂けていた。

いや、矢が通り過ぎていった右側面は腕も腹も足も幾つもの箇所から血が噴き出ていた。

まるで鋭利な鎌で引き裂かれたかのように。

 「う……あぁぁぁぁ!?!?!?」

 《クソ!搦手を!!》

浮遊態勢を大きく崩して落下するように闘技場へと降りる沙那は最も傷が深いだろう腹部を抑えながら着地する。

地面に滴る大量の血。粘り気のある音を鈍く響かせて傷口から零れていく血は沙那の顔色を絶望とした色に染め変えていく。

 「なん……!どうして…!」

 《鎌鼬だ。あの野郎、風の矢を飛ばしてきやがったんだ!クソ、身体強化にもっと回さねぇと細切れだぞ……ッ!》

白緑色の矢の正体。それは風矢。

当たれば部位を真っ二つに切り裂き、当たらずとも風矢の放つ風切り音が聞こえる側にある身体は鎌鼬によって切り裂かれる。

これまでの矢とは違う、見えるモノだけを避けたとしても当たる攻撃だ。

 「ど、どうするの!?」

 《【纏え】って念じろ。念じる強さが強い程魔力を消費するから気を付けろよ。コツは[どうなりたいか]を念頭に置く事だ》

 「わ、分かった」

二射目をつがえようと構える黒服を遠目に叫ぶエンジェルンに従い沙那は【纏え】と念じる。

想像した姿は鎌の一撃に耐え得る身体。

ーー刹那。

 《沙那!!》

沙那の腹部に風矢が飛来する。

矢先が露出している沙那のへそに触れる。

僅かに、血が流れる。

けれど刺さらない。

否。押し返す。

宙を舞う風矢は車輪のように幾度と無く回転した後弾け消える。

対し、沙那はーー

 「で……出来た……?」

 《……ああ、バッチリだ。っは!ビビらせやがって》

これまでとは比べようも無い全身の力の漲りに僅かに両手を震わせ、絶望に染まりかけていた表情に笑みを戻している。

 《つっても!次が来るぞ!!》

 「わ、分かってる」

エンジェルンの叫びを裂くように十の氷矢、六の雷矢、十四の風矢が波を打つように射出される。

それらは同時に撃たれたものもあれば差を置いて撃たれたものもあり、傍から見れば三種の矢の無作為な射出にしか捉えられなかった。

飛翔速度は音速。まともな人間や並みの魔法使いなら降ってきた雨に当たるのと変わらない結末が待っている。

けれど今の沙那には全てが目で追える。

全てを避けられる。

避けながら距離を詰め、武器を構えて反撃を伺える。

まるで子供が投げたボールを縫いながら距離を詰めるような感覚だった。

だが代わりに、フィアーソードは解けたリボンに変わっている。

想定以上に魔力を身体強化に使用してしまい維持が困難になったためだ。

 《……撃てるのは一発だけだ。ぜってぇに外すなよ》

次いで撃たれた二十の火矢と十五の氷矢を避ける沙那の耳に届く真剣を纏ったエンジェルンの言葉。

小さく頷いた彼女の左手はいつでもメテオを放てるように準備されている。

二人の狙いは超近接からのメテオ。その一発に勝負を賭けている。

警戒心が強く回避をいつでもとれるよう体勢を整えている弓兵に飛び道具を命中させるにはそれしかないと考えたからだ。

その狙いを恐らくは黒服も気付いているのだろう。

第三波となる矢はこれまで以上の量を矢同士が干渉しない密接限界で放った。

総数は五十。

火矢を十九、氷矢を十三、雷矢と風矢それぞれ九本からなる魔力の矢の雨ーーいや、吹雪。

一撃に込められた威力は滾る魔力からも見て取れる程高く、どれか一矢でも命中すれば沙那の動きが止まり芋ずる式にその周囲の矢が全て命中してしまうだろう。そうなれば戦闘不能は免れない。

けれど矢の無い空に逃げる余裕は無く、左右どちらかに周り込める程矢吹雪の範囲は狭くない。

ならどうするか。

最早武器としては機能しなくなったリボン紐を投げ捨てた沙那が行ったのはステッキの出現だった。

 《ああ、そうだ!躱せねぇ、避けられねぇとくればこいつしかねぇ!!お前もだいぶ俺色に染まったな、相棒!!》

 「だって、他に何も思いつかないんだもん!!」

右手に出現させたステッキを握りしめ、エンジェルンの考える通りに【叩き伏せろ】と念じた沙那。

瞬間、ステッキはバールへと変質する。

 《しくじんなよ!!全部見えてんだ!》

 「分かってる!!サボテンみたいになって死ぬのは嫌だもん!!」

飛来する高密度に密接した矢群。

対峙する沙那は身体の真正面に構えたバールを左に袈裟掛け、真っ向から向かって行った。

 「あああああああああ!!!!」

矢が、叩き落とされていく。

二本も五本も、まとめて叩き伏せられていく。

矢吹雪の中を駆けて往く沙那の手によってその進路にある全ての矢がバールに叩かれ、程も無く弾けて消えていく。

まるで小さな花火のようだった。

四種の色から成る花火の行軍のようだった。

そんな花火の音は刹那的に鳴り響き、唐突に鳴り止んだ頃。

 「はぁっ…!はぁっ!はぁっ!!」

沙那は、弓を持つ黒服の真正面に立っていた。

肩や脇腹や太腿に無数の擦り傷切り傷を作りながらも決してよろめかずに、凛然とした姿でバールを真正面に構えた。

引導を示す道標のような真っ直ぐさで。

 「……我々の悲願を!!」

拳を振るえば届く。そんな近距離では弓の効力はまるで無い。寧ろつがえる瞬間が隙でしかなくなる。

それを知っている黒服はあらゆる矢を出現させず、弓そのもので沙那に殴りかかった。

悪あがきでしかないと知っていても恨み言の限りを一言に乗せて。

それを沙那はバールで受け止めた。

 「知らないそんなの!!友達にした事の責任、とってよね!!」

左手で造った小さな火の玉を指先で上空に弾き上げながら。

 《念じろ!!》

 「メテオ!!!」

黒服に飛び退く時間は無かった。

そう判断されるよりも速く、沙那は【焼き砕けろ】と念じながら小さな火の玉を左手の平で叩きつけ魔力を乗せていたために。

 「う……!ああああ!!!」

腹にメテオを受けた黒服は勢いのままに遥か後方まで吹き飛ばされる。

向う先は闘技場唯一だろう出入り口の扉。その真横の壁。

そこに黒服は叩きつけられ、めり込み、腹が黒く焦げ上がるまで焼かれた後、メテオが消えると壁で背を削りながら地面に倒れた。

 「やった……?やった、の?」

あらゆる疲労が、あらゆる痛みが沙那の思考から消え失せる。

残っているのは安堵したいという一心だけ。

現実を噛み締めたいという懇願だけ。

それを、他でもないエンジェルンが言葉にした。

 《……ああ。文字通り、これで終わりだ!俺達の因縁も、お前の目的も!全部!!》

 「や、やったぁぁぁぁぁ~~~~!!」

沙那はその場で後ろに倒れ天を仰ぐ。

そして、満面の笑みを浮かべながら一筋だけ涙を流した。

次いで訪れた己のした行為に。

後悔が無いと言えば嘘になる。過程がどうあれ下した決断は変わらない。

良しか、悪しか。

それを決めるには彼女はまだ幼く、それを拒むには彼女は成長し過ぎてしまった。

時間という誰もが抗えぬ絶対を駆け抜けてしまったがために。

今はただ、心の奥底で眠るしこりとしてしか受け入れられなかった。 

 ーーそれでいいんだよ。お前はまだ。責任は俺達でとるからよ。

沙那には届かぬように一人溢したエンジェルン。

彼女の言葉には表しようのない胸の内が微かに込められていた。

 「…さて、ここを埋めるのに一人は残る必要があるけど……。帰れるかい?」

息が上がっている事すら気が付かない程疲労した沙那に近づく影が二つある。

一つは嬉しそうに柔和に微笑むメンタルン。

 「何なら~?オレ達のどっちかがお姫様抱っこしてやるが?」

もう一つは満足げに口端を上げて笑う、アリファを抱いたスペシャルンだ。

後ろに下がり手を出さないように言われていた二人は全てが終わったと知り沙那に近づいて来た。

だが、二人の呼びかけに沙那が返事をする事は無い。

代わりに一層低い声が返ってくる。

 「………抜かせバカ。俺はピンピンしてるっつーの」

 「…うん、なら上出来だ。今回のお姫様を落としたらダメだからね?」

空を見上げていた沙那から主導権を貰い、表に現れたエンジェルンはメンタルンの言葉を鼻で笑って身を起こす。

それからアリファをスペシャルンから受け取り、お姫様抱っこの形で抱き上げると若干ふらつきつつも浮かび上がった。

 「たりめーだ。後でアリファの部屋で落ち合おうぜ。場所は魔力通信で伝える」

 「…了解。ま、僕はついていくけど」

 「だぁ~~と思ったぜ!!力仕事は得意じゃねぇんだけどなぁぁぁ~~~」

 「…僕よりはマシだろう。痕跡ごと消すの、任せたよ」

 「しゃ~ねぇ~なぁ~」

心底嫌そうな声を上げるスペシャルンを見て笑みを浮かべたメンタルンはエンジェルン同様に外へ向けて浮かび上がった。

そうして完全に黒服達の拠点から抜け出しくず鉄処理場まで出た二人は眼下で中指を立てるスペシャルンを一瞥してから更に高度を上げて雲よりは低い位置まで行くと飛行を開始した。

 「…で、今度の相棒はどうだった?」

 「あぁ?眠りこけてやがるよ」

 「…そうじゃないけど……。まぁ、良いか。悪い相手ではなさそうだね」

 「ああ。ミヨなんぞよりよっぽど世話が焼けそうだけどな」

ゆっくりと飛ぶ鳥のような速度で飛行する二人はそんな会話を一度だけ交わすと、視線を交わらせて静かに笑った。

アリファと沙那の問題だけではない。九十年前から続いてしまっていた全てが終わったのだと、心の内で喜びながら。





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