第9話 戦い。それは命の駆け引き。

 夜。半月の輝きが叢雲を薄く裂きながら大地を照らす。

その狭間。光と闇を交互に受けながら宙を飛ぶ一陣の羽根がある。

 「かーー!夜なのにあっちぃなおい!」

足元から月明かりすら呑み込む白光の羽根を幾つも舞い上がらせながら飛ぶはエンジェルン。

既に魔法少女としての完全な変身を行い右手にはステッキを握っている。

 《……それどころじゃないよぉぉぉ》

 「あぁ?それどころだろーが。気分が乗んねぇんじゃ勝てるもんも勝てやしねーぞ」

 《どういう理屈なの………》

何処か楽し気に胸元の生地を引っ張り首から上に風を送るエンジェルンとは真逆に、今は意識体として彼女の中にいる沙那は頭を抱えて屈み込む。

心底に困り果てているのだろう。外気を感じないはずの沙那は額一杯に汗を浮かべている。

 「気分の問題さ。やり合うんだぜ?今から。だったらちっとでも乗り気の方がいいだろうがよ」

 《そもそも戦いたくないんだってばぁ……!》

二人が向う先は昼に朔間・アリファに指定された場所・コンテナ街。

コンテナ街のある虹島町北東部は基本的に閑散としており、物流品の一部を保管する倉庫としての役割を担う巨大なコンテナが十数個置かれているだけの場所だ。基本的には関係者以外訪れない。

一時期は非行に走った少年少女のたまり場としても使われていたが現在は徹底的に撲滅。多数の監視カメラによって安全が守られている。

 「そんな場所に呼び出しやがるんだ。まだギリギリ一般人を巻き込みたくねぇって意思が見えるな」

そう口にしながらエンジェルンは微かに瞳の奥を和らげる。

魔法を使える彼女にとって現代の監視カメラを欺くなどは造作も無い。……ならば同じ条件を持つだろうアリファとて同様。

つまりはアリファは極力町や人に被害が出ない場所で戦おうと考え提案した事になる。

 《そ、そうだよ!だから何とか話し合いで……》

 「馬鹿か。そりゃあくまであいつが直接手を下したくねぇってだけのいわば甘えだ。やる事はやっちまってるんだから鉄拳制裁以外ねぇだろ」

 《で、でも……》

 「それとも何か?アリファってのはこれまで出た被害全部の責任を取れるだけの甲斐性があるっつーのか?ねぇんだったら話し合いで説得できたところで解決には至らねぇぞ。罪を犯すっつーのはそう言う事だ。一定を超えたら反省したところでどうにもならねぇ。」

 《う、うぅぅ……》

ならばと口を挟んだ沙那は即座に否定されて言葉を失う。

 「後、お前も甘えた事言ってんじゃねぇぞ。見ず知らずはいいが知ってる相手には罰を下せねぇなんざ通る話じゃねぇ事くらい分かってんだろ」

 《そ。そうだけど~~~~!!》

挙句の追撃で完全に立つ瀬を失った沙那は恨み言のような嘆きを出したかと思うと緩やかに黙ってしまった。

それからは互いに沈黙が続き、時折聞こえる風の音だけが二人の耳を刺激する。

やがて遠目に幾つかのコンテナが視界に入った頃、エンジェルンは伏目がちに口を開いた。

 「……はぁ。頼むぜ相棒。俺も殺しをするつもりはねぇけどよ、加減できると思ってねぇのも確かなんだ。覚悟だけは決めとけよ?」

 《こ、ころ……!?》

 「そりゃあそうだろ。戦うんだぜ?」

風の音に混じって沙那の耳に届いた言葉。それは彼女に呼吸を忘れさせた。

 《ころ……す…の……?》

 「あぁそうだ。何回も言わせんじゃねぇよ。気分が悪くなんだろ」

反芻のように漏れた言葉にエンジェルンは僅かにため息を漏らす。

エンジェルンの発言におかしな点は一つもありはしない。戦いとは命の削り合い。その果てに死があったところで矛盾が生まれるべくもない。

それでもなお沙那の握られている拳が震えているのは、ただの認識不足・想像力不足が招いた結果でしかない。

だが、沙那はそれを理解する前に声を大にして言い放つ。

 《そんなの絶対駄目!!!》

沸き上がる感情のみを吐き出した彼女の声はエンジェルンの耳をつんざく程に胸の中で木霊し、飛行を完全に停止させる。

 「う、うるせぇな。急にデカい声出すなよ」

 《こ、殺すだなんて絶対、絶対に駄目!!そんなの良いわけないでしょ!?》

 「んなこた知るか。戦いになればこっちもどうせ死に物狂いだ。そんな器用な真似できるかよ」

沙那の大声は既に怒声と変わらない。けれどエンジェルンは意に返す様子もなく冷徹に返す。

 《エンジェルン!!!!》

彼女の、[殺人行為]を受け入れてしまっているような態度に沙那は尚の事口調を荒げる。

 「何だよ。文句があるなら腹ん中で言ってねぇで口に出しな」

だが返って来たのはより凍てついた言葉だけ。

 「言ってみろよ。何が駄目なんだ」

普段の乱暴で感情的な彼女とはとても思えない程に静かで無感情な声だった。

 《だっ、駄目なものは駄目だからでしょ!?》

 「理由になってねぇな。事の良し悪しは時と場合と場所によって変わる。決めつけで言っていい事象なんてこの世にはねぇ」

 《な、なら!朔間ちゃんを殺したら悲しむ人が……!》

 「お前にはいねぇのか?この身体が亡くなってお前が死んだら悲しむ奴は」

 《それは……!!それは……》

ただ数言の会話。だがその数言で決着はつく。

エンジェルンは当初のままに受け答え、沙那はそれに対しての明確な反論を行えなかった。

そもそもエンジェルンとて『するつもりはない』と口にしていた。その上で出したのが[死に物狂い]という言葉だった。

自身の信念と現実に向き合いその上で出した結論をエンジェルンは持っていた。けれど先を見据えられていない沙那は目先の理想しか求めていなかった。

この会話の結末を分けたのはそこだろう。

 「決まりだな。殺しちゃいけねぇ理由はねぇし、お前が納得した通りこの身体が殺されるのを黙って受け入れる理由もねぇ。殺り合いに行くぞ」

 《ま……》

 「待たねぇ」

だとすればこれ以上の話し合いは無意味だと言わんばかりに一刀したエンジェルンは再び飛行を始める。

 「きっちり伝えたからな。この事で二度と感情論を口にするんじゃねぇぞ」

 《……、…………》

せり上がる言葉を口に出せず、いわれるがままに沙那は頷く。

その数秒後にエンジェルンは眼下へと降下を始めた。

そこは既にコンテナ街の中心部だ。

 「……さてと。当然向こうも認識阻害の魔法をしてるわけだが」

地につま先が触れるすれすれまで降りたエンジェルンはほぼ等間隔に並ぶコンテナで出来た道に視線を向ける。

前後左右を含めれば四列。見えていないがコンテナが並び立っている以上出来ているはずの道がおよそ四列。更に隣の直線路を含めて計九の道を[周囲]と定め、彼女は周囲に意識を集中させてアリファの場所を探り始めた。

 《だ、大丈夫なの……?》

 「さぁな」

 《さ、さぁなって!》

 「大丈夫にしなきゃ死ぬんだ。何とかするのは当然だろ?」

不敵な笑みを浮かべて視線を幾度となく動かし周囲を探るも見つかりはしない。

この結果は例え月光が照らしていたとしても変わらず、同様に闇に染まっていても変わらない。

 《……今日みたいに出来ないの?》

しびれを切らしたように擦れる声で沙那は提案を口にする。

索敵が始まってから沙那が話し始めるまでのおよそ十五秒。たったそれだけの沈黙だったが極度の緊張と不安に晒されていた沙那にしてみれば十数分にも感じられる沈黙に他ならず、自身でも意図せず喉を吐いた声だったがために声が擦れていた。

 「ありゃ向こうがお前に場所をバラしてくれてたからってだけだ。普通にこっちも阻害の対象になってりゃ術はねぇ。なにせいるかどうかが分かんねぇんだからな。悪魔の証明ってヤツだ」

 《そ、そんな……》

それだけの緊張と不安を沙那が関していると気付いているエンジェルンだったが耳障りの良い返事は返さなかった。

 「まぁそう嘆くなよ。言っただろ?俺は一回ミヨと経験してるってよ。……魔法少女との戦いを」

それでもエンジェルンは薄く笑って答える。

彼女の笑みに一瞬沙那の心は柔く満たされる。だがエンジェルンは決して索敵の目は緩めておらず、同時にその索敵は彼女に極度の緊張感をもたらしている。

故に今のエンジェルンはあらゆる事象に対して鋭敏になっており、例え数メートル離れた先の鼠の足音だろうと聞き逃す事は無いだろう。

……よって。

 「そら。おいでなすった」

 《……?》

エンジェルンは右に手にしたステッキを後頭部を護るようにして振り上げた。

同時。鈍く鋭い二重の音が二人の鼓膜を揺らした。

 《な、なに……!?》

 「わりぃな。こっちは九十年前にも魔法少女とやってんだ。付け焼刃じゃ騙せねぇぜ?」

ステッキで空をーー恐らくは何かを受け止めていたからこそーー薙ぎ払って微笑み、エンジェルンは振り向く。

 「……へぇ。お前か。なるほどねぇ」

コンテナと、夜空と月と叢雲。先程までとまるで変り映えしないはずのエンジェルンの視界の先。

だが一瞬で全ては覆る。

 「因果よ。これもね」

長く帯の尾を伸ばした額当て。

上衣から覗く鎖帷子の下に着用された漆黒のインナーは首より上、鼻筋までを覆って顔を隠し。同様にして漆黒に染められた下衣を着用している。

それらと共に脚絆と、足袋のようでいて底が分厚い靴を履いたその少女の髪は非常に長く、忍ぶ者を彷彿とさせる服の効果を邪魔しない紺色を靡かせている。

 「……こんばんは、花園 沙那」

 《……!!》

全く人の姿が無かった空間から現れた少女は鼻までを覆っていたインナーを顎が見える位置まで下げる。

 「分かるかしら?」

露わになるのは月下であっても決して陰る事の無い美貌を称える顔。

 「私が誰なのか」

ーー否。答えはとうに出ている。

 《さ、朔間ちゃん……》

 「わりぃな。俺の相棒は大物なんだ。テメェらの相手は俺に一任してくれてンだよ」

 「…そう。貴女の相棒さんはまだステッキ憑依すらできないのね。…………失望したわ」

言い終わると同時、彼女はーー魔法少女と判明したアリファの姿が消える。

 「ならこちらも[私]が相手するわ」

刹那に沸いた緊張が沙那を襲う。

声色が変ったのだ。朔間・アリファの声が、同質だが別の声色に。

それは恐らく……否、間違いなく。ステッキを手にし呪文を唱えた事で生まれたもう一つの人格。

即ち、エンジェルンと同等の存在と入れ代わった事になる。

だがエンジェルンに驚きは無かった。

三っつあった想定のうち一つが目の前に現れただけなのだから。

 「っは。そっちこそ。カス以下の犯罪者共に手ぇ貸すなんざ落ちぶれたもんだなぁ!!」

強く踏み込み左へ飛び退くとエンジェルンはステッキをバール状へと変質させて先端に魔力を集める。

 「えぇ!?マジカルンちゃんよぉ!!!」

球状に淡く発光するバールの先端。その光が極めて明るくなった時にエンジェルンは前方を薙ぐ。

本来なら見えないはずの弧状の軌跡は、しかし魔力で生まれた無数の煌めきが帯を成す事で可視化された。

それら光の粒はほんの瞬きの間に光の帯から浮き上がり、放たれる。

 「少しは賢く戦えるようになったわね」

 「バァカ。そりゃテメェもだろうが。見栄え気にしながら戦わなくていいのか?」

前方へと絶え間なく射出される煌めき。

まるで流星群のようなその魔力をアリファーーマジカルンは高速移動を繰り返し軌道を見極めながら避けていく。

やがて流星群の発生源である煌めきの帯を潜り超えるとマジカルンは両手に逆手で持った一対のナイフを出現させる。

 「互いに、真逆の主を持ったものね」

 「の割には妙に似てていけねぇ。思わず思い出しちまいそうだぜ」

 「あの時の私達の戦いを…かしら」

ナイフを構え高速飛行で迫るマジカルンを翻弄するようにエンジェルンはコンテナの合間を縫い、或いはコンテナを背に一気に上昇し、交わす。

それでもマジカルンは決して離れない。刃をエンジェルンに押し当てる事は叶わずとも着実に距離を詰めている。

 「しゃあねぇな……。こいつでも喰らっとけ!!」

降下し、コンテナ街から僅かに外れた位置まで一息に移動したエンジェルンは振り向きながら右手のバールを掻き消しながら停止し、左指を鳴らす。

 「まずは、一発!」

 「……!!」

鳴らされた指に現れたのはマッチで付けたような火種。それを人差し指で上空へと弾き上げると落下に合わせて魔力を込めた右拳を叩き込む。

 「思い切りの良さは変わってないのね!!」

殴り飛ばされた火は魔力と混成、爆発的に規模が膨れ上がり巨大な火球へと変貌する。

 「続けて三発!!」

それをエンジェルンは言葉通りに三度行った。

 「厄介ね、旧知の仲って」

感覚を開けて放たれた四つの巨大な火球は辺り一帯を瞬時に熱風巻き起こる灼熱の坩堝に導く。

眼も鼓膜も皮膚さえも、触れていないにも関わらず焼き尽くさんと迫る四つの火球を目前にしたマジカルンは飛行を即座に停止して地面に足を付けた。

 「……あまり派手に壊したくない。そうなんでしょう?だったら多少は全力で対処しないと」

恐らくは心の中にいるアリファと会話をしているのだろう、マジカルンはその場に片膝立ちに腰を下ろした。

 「安心しなさい。私はもう貴女の思う正義に口を出すつもりは無いわ」

マジカルンが口を開いた時、火球の進路の道に眩いばかりの光の長方形が浮き上がった。

長方形から浮かぶ朧な光は遥か上空まで伸び、四つの火球全てを包み込む。

瞬間、朧な光が眩く輝いたかと思うと包まれた火球は全て消え去り、灼熱の坩堝は鳴りを潜め、生温かな風と共に緩やかに本来の気温へと移り変わっていった。

 「さて、貴女お得意のメテオライトは消えたわ」

静けささえ感じる光の柱の消失の先、立ち上がるマジカルンが徐々に露わになる。

しかし、同様にして開けたマジカルンの視界の先にエンジェルンの姿は無い。

 「……ふぅん。引く事も出来るの、今の貴女は」

 「っは!とりあえず休憩!流石にだなおい!」

 《え、エンジェルン……》

 「情けねぇ声出すんじゃねぇよ相棒。インターバルってヤツだ。…あ?ちょっと違かったか?まぁなんでもいい!」

夜の闇よりも暗い中で息を荒げているエンジェルンはなだめるようにして沙那に返事を返す。

彼女が今いるのはマジカルンと衝突した場所から三つ離れた場所のコンテナの中。

内容物は無く、埃と湿気ばかりが収容されているそのコンテナの中で彼女は大きな声を上げていた。

恐らくは極度の疲労を誤魔化しているのだろう。額だけでなく服に隠れた地肌にまで雫の道筋が分かる程の汗を掻いている。

 《で、でも……さっきの魔法…》 

 「あぁ?ありゃあ、あいつお得意の消滅光だ。あん中にいたら散りも残らずさよーならだ」

愉快そうに笑いながらエンジェルンが口にした消滅光とはマジカルンが特異としていた攻撃魔法の一つ。

対象と範囲を設定し、光の中で同程度の魔力をぶつける事で相殺を行い完全に消滅させるという魔法だ。恐ろしい事に魔力以外で構成されたモノであっても存在が確認できるなら魔力を流し込んで消滅させる事が出来る、いわば必殺の魔法である。

 《そ、そんなに危ない魔法だったの!?》

この事をエンジェルンの胸の内から読み取った沙那の顔からは一気に血の気が引いていった。

 「おう。てか俺達魔法少女の魔法は基本アブねーぜ。安全なのなんかそんなにねぇよ」

静香に笑みを収めていきコンテナの壁に背を預けて本格的に息を入れ始めたエンジェルンは掻き消していたバールを実体化させるとステッキに戻してから握り直す。

 「しっかし改めて思い知るぜ。格上ってのをよ。やってらんねぇぜ」

 《……え?》

何処か上機嫌に口にしながら暗い天井を見上げるエンジェルンの言葉に沙那は小さく息を漏らす。

 《か、格上……って?》

理由は彼女が何の引っ掛かりも無く口にした『格上』という単語だった。

 「あぁ?言葉通りだぜ」

 《じゃ、じゃあ朔間ちゃ……マジカルンの方が、強いの?》

明るく笑って答えたエンジェルンとは対照的に沈んだ面持ちで聞き返す沙那。

それを聞いてエンジェルンはもう一度笑う。

 「魔力量は=魔法使いとしての強さなんだけどよ、確かにマジカルンは俺らステッキの中で魔力保有量は断トツでトップだ。二番手の俺ですら殆どダブルスコアで負けてるし。よーは逆立ちしたって勝てねぇ」

 《え、えぇ!?》

 「だがな、俺はそれを一度覆してる。ミヨの時にだ。俺はあいつに勝った。勝てねぇと腹ぁ括ってきっちりぶちのめした。それがどういう事か分かるか?」

思いもしなかったエンジェルンの告白に衝撃の色を隠せなかった沙那は、しかしその問いを投げ掛けられると今度は全く逆の意味で目を見開く。

彼女の心の中に浮かび上がった確信に。

 《か、勝てる……って事?》

 「そーいうこった。勝てるのさ、クソくだらねぇ数字なんざ死に物狂いでやりゃあいくらだってどうにでもなる」

笑みながら答えたエンジェルンが胸の内に宿した強い闘志と決意が沙那に流れていく。

熱く滾る焔のような二つの意志。本当なら感じられるはずの無い他者の感情に沙那は恐怖にも似た安心を感じる。

 「だから行くぜ、相棒。こっからが本番だ」

左手で右拳を受け止めた音がコンテナの中で静かに鳴り響く。

それ程までの魔法を扱う相手と、とても勝つ目の見えない理由を話した後に発せられたエンジェルンの言葉は本来なら空元気のように聞こえてしまうだろう。

だが、彼女の真意を知った沙那は違う。

[本当に勝てる]と。己の確信でもないのに沙那には信じられた。

 「つー事で休憩終わり!外に出るぜ!!」

 《う、うん!》

僅かな時間も反響しなかった拳の音が消え入ると撥ねるようにエンジェルンは立ち上がり、足元から白光色の羽根を舞い上がらせて浮き上がるとステッキをバールへと変質させる。

 「ま。向こうがここ見つけて罠張ってなけりゃ、だけどな」

 《え……えぇ!?》

コンテナの扉へ手をかざしながら口端を大きく吊り上げたエンジェルンは沙那の驚きを嬉しそうに聞くと魔力で扉を開け、警戒心を最大限高めて僅かなタメの後に高速でコンテナの外へと出る。

 「やっと出て来たわね」

エンジェルンがコンテナを出てた途端に頭上から降って来た呆れたようなマジカルンの声。

どうやらマジカルンは探すのを諦めて上空からコンテナ街全体を見渡していたらしく罠を張ってはいなかったようだ。

 「おう。お前を捻り潰すためにな」

 「そう。でも先手を取れるのはいつだってこちらよ?」

そう、マジカルンが口にした途端だった。

それまで月明かりが照らしていたはずのコンテナ街に煌々とした魔力の光が照り付けられる。

 「……っは!!上等!!」

瞬時に異変に気が付いたエンジェルンは上空を見上げて唖然としながらも軽口を叩く。

エンジェルンが見たモノ。それは地球から見える月を覆い隠す程大きく形どられた魔力の球体を空に伸ばした左手の上で掲げているマジカルンの姿だった。

 《な、何アレ…爆弾……?》

エンジェルンに少し遅れて魔力の球を見上げた沙那は開いて塞がらない口を何とか駆使して言葉を発する。

それを冷静にーー否、この時ばかりはエンジェルンも焦りを隠しきれぬままに答えた。

 「近からず遠からずってところだな。ありゃあ消滅光を球の中に留めて威力を高めて放つ魔法……虚滅光だ」

 《く……くらっちゃったら??》

 「どの程度で放つかにもよるが……最大値だとしたらこのコンテナ街は間違いなく消し飛ぶな」

 《あ……あははは。意味分かんない……》

途方もない威力を聞き沙那の腰から力が抜ける。

しかし意識体である彼女が本当の意味でその場にへたり込む事は出来ない。だからこそこの時ばかりは座った時の衝撃を感じられない身体を疎ましく感じた。

座った際の衝撃を感じられれば、夢かも知れないという淡い期待に毒されずに済んだはずだから。

 「だから、消しに行くぜ?あの物騒なモンをよ」

 《うぅ……分かった!》

怯え、腰が抜けてもなお沙那は彼女の言葉に首を振らない。

それが、約束だから。

 《私は、エンジェルンに身体を貸すって言った!一緒に戦うって言った!だから、好きにやって!!》

 「…言われるまでもねぇ!!」

エンジェルンは沙那の叫びを心に飛行を停止して軽く膝を曲げるとマジカルンと同じ高さまで一気に飛び上がった。

 「で?本当にぶっ放す気なんだな?」

 「でなければどうすると思うの?」

 「っは。そりゃあそうだ」

 「それよりも冷や汗、凄いわよ?」

 「あぁ?今日がクソあちぃだけだろうが。んな玉っころ如きに俺がビビるかよ」

 「そう。それもそうかもね」

コンテナ街の遥か上空で互いに見合い、決して彼我の距離を詰めぬ二人。

だが睨んでいるのはエンジェルンだけでありマジカルンの表情は一つとして曇っていない。寧ろ優雅さや気品さまで感じられる程の余裕を浮かべている。

 「……来いよ。ここ照らすしか能のねぇライトじゃねぇ―んだろ?」

 「勿論。そうさせてもらうわ」

売り言葉をマジカルンは何の躊躇いも無く買い入れ、左手をエンジェルンに向けて振り下ろす。

その動作を合図に、まるで球体の質量を示すような緩慢な速度で虚滅光はエンジェルンへと向かっていく。

僅かに軌道を下に向けて。

 「馬鹿が。避けるわけねェだろ。この俺が、売られた喧嘩を!」

ステッキを靄と消し、両の拳を握り締めるエンジェルン。

彼女が自身の拳に込めた力は魔力を帯びて加速度的に全身へと巡っていく。

 「勿論。でも貴女の中の子はどうかしらね?」

 「っは!おあいにくだな。俺の相棒は腹ぁ決めてここに来たんだ。今更ビビっちゃねぇさ」

 《………こ、怖いのは怖いよ!?怖いけど!!!!》

白銀に輝く笑みを浮かべたマジカルンを、雄々しいまでの視線でエンジェルンはーー沙那と共にーー睨み返す。

 《それ以上に、信じてる!》

 「……知ってるさ!」

 「なら、今のが最後の会話にならないように気を付けなさい」

浮かべていた余裕を微かに隠し、気品さのみを残した表情でマジカルンは真っ直ぐにエンジェルンを見据えた。

 「いいか相棒!虚滅光は消滅光を反射増幅させて放つあいつの奥義ってヤツだ。そもそものやってる事が規格外の消滅光も含めて魔力の消費はハンパねェ!!」

叫び、エンジェルンは両腕をクロスさせ上に向けた左右の拳の握りを力強く解く。

 「だからアレは【絶対の滅】だ。理屈を無視した力業で生身は勿論大概の魔法じゃ呑み込んで消しちまう!」

クロスしていた両腕を胸が突き出る程大きく開いたエンジェルンは背中の筋肉全てを動員して身体の正面で伸ばし切った腕で柏手を打つ。

その柏手はまるで魔力の光に立ち向かったかのように大きく乾いた音を鳴らした。

 「だから!俺もおんなじのを作る!!作って、そいつで真正面から受けて立つ!!」

エンジェルンの合わされた手の内が、まるで互いを引き合うようにして離れない。

それを彼女は力の限りに、歯を食いしばりながらこじ開いていく。

途端、辺り一帯に電気流を思わせる重く弾けた音が二つ、五つと鳴り響いた。

出どころはエンジェルンの合わせられた指先。それぞれの指先から白光する稲妻が絶大な重力を帯びて再び合掌に引き戻そうとするがエンジェルンは決して屈さない。

 「んでもってこいつは失敗すりゃ死ぬ上に成功したところで俺の魔力の九割先を使っちまうんだな!!要は良くてぶっ倒れかけってこった!どうだ!?燃えてくる展開だろ!!」

 《も、燃えない燃えない燃えないよ!?!?》

 「言うと思ったぜ!!けど、信じてるんだろ!?」

 《う、うぅぅ!!そうだよ!!だから絶対どうにかしてよ!!》 

 「俺は嘘は吐かねぇ主義だ!そう言っただろ、相棒!!」

それぞれの指先同士を繋ぐ五つの稲妻を肩幅まで引き延ばしたエンジェルンは両の手首同士が逆回りになるよう稲妻を捻じり、束ねて、即座にふくらみが出来るように手を合わせた。

 「……っは!!これで完成だ。名前は確か……相殺光、だったな!」

そうして膨らませて合わせた手の中には小さくも鮮烈な輝きを放つ一つの球体が出来ていた。

 「本当、あの時は驚いた。まさか魔力量の遥かに劣る貴女が小さいとはいえ私と同じ技を、土壇場で作り上げるなんて」

 「今も驚いてんだろ?まぁたおんなじ事してるって」

 「…そうね。してないと言えば嘘。でもそれだけ。一度経験した技はもう一度出来てたとしても」

エンジェルンが魔法を発生させている間に移動したのだろうマジカルンは彼女を上から見下ろし勝利を確信した笑みを浮かべる。

 「「二度の偶然は起きない」」

 「!!」

だがエンジェルンは高みの見物をするマジカルンと全く同じ言葉を全く同じタイミングで言い放った。

まるで、この魔法さえ出来れば勝ちだと言わんばかりの視線と共に。

 「それが本当か見せてやるよ。今からな」

虚滅光が眼前に迫る中、エンジェルンは閉じていた手を縦に開く。

胸の前で微動だにしないまま浮かび続けている球体ーー相殺光。それをエンジェルンは右手で軽く握り、後僅かまで到達していた虚滅光目掛けて右手を伸ばし、押し込んだ。

 「……飲み込んでみろ!!」

虚滅光と相殺光の間から衝撃波が弾け出す。

一度、二度と衝撃波がエンジェルンの身体を通り過ぎていく。髪を揺らし、服を揺らし、三度目の衝撃波からは薄皮を裂き始め徐々に彼女の身体を傷付けていく。

 「わりぃな相棒!言い忘れてたが結構怪我すんだこれ!」

 《そ、そんな事言ってる場合じゃないでしょ!?》

 「じゃ、許してくれるか?」

 《…お説教は終わってから!》

 「っは。勢いで許してもらおうと思ったがダメか!」

気が付けば等間隔に発生していた衝撃波が八度目になった頃、エンジェルンの身体に無視できない深さの傷が付き始める。

風で飛ばされ飛沫となり髪に付着する滲み出てた血液。それは一か所やニか所ではない。衝撃波が起こればそれだけの数以上に血飛沫となって吹き飛んでいく。

 「だったら、しっかりしねぇとなぁ!おい!!」

僅かに後方へと圧されるエンジェルン。

 「私に聞かないでもらえるかしら」

 「っは!ちげぇねぇ!」

それでもなおエンジェルンはただの一ミリも諦めていなかった。

圧されるのなら足を前に出し、それさえも拒まれる程圧倒的だったとしても右手首に左手を添えてより強く相殺光を押し付ける。

 「おお……!」

まるで、隕石を受け止めているかのような姿だった。

 「おおお!!」

人の身体を遥かに上回る隕石を無謀にも己が身一つで押し返そうとし、服も身体もボロボロになっているかのようだ。

 「おおおお!!!」

だが実際には違う。

虚滅光は隕石でもなければエンジェルンは一般人などでも断じてない。

魔法と、魔法を扱う魔法少女だ。

 「消し飛べってんだよ!!!!」

叫びと共に右腕が飲み込まれるかのように虚滅光の中へと消えていく。

同時に、既に二十を超えていた衝撃波がピタリと止まった。

 「らぁッッ!!!!!」

再びエンジェルンが叫んだ時だった。

太陽を直視した瞬間を彷彿させる白が一瞬だけ輝く。

そのほんの僅か後に。

 「っしゃぁオラァ!!」

小さく吸い込むような音と共に虚滅光も相殺光も消失した。

 「……本当に。どこまで行っても貴女は常軌を逸してるわ」

嘘のように何もなくなったエンジェルンの周りを見下ろし、マジカルンは苦々しく口の端を歪める。

次第に棘を簿び始めた視線が向う先はエンジェルン。およそ状況を覆したとは思えない程に傷を負い、溢れ出る汗に意識を割けないだけの疲労を顔に浮かべているエンジェルンだ。

「あぁ?[真なる魔具]様にそう言って貰えるんなら光栄だ」

それでも。

彼女はーー服が破れ大小様々な傷を浮かべた血だらけで満身創痍の姿でありながらもーー不敵に笑ってみせた。

 「………減らず口」

 「さあ……。第三ラウンドだ。始めようぜ!」

 「いいわ。かかって来なさい」

互いの手元にステッキが現れる。

それらは瞬時にバールと一対のナイフに変質すると次の瞬間に二人は衝突していた。

鈍器と刃物のぶつかり合う鋭く重い音が一瞬の火花と共に散る。

 「でぇ!?まだ聞いて無かったよなぁ!!」

 「何を?」

空中を跳ねまわり常に死角から攻撃を仕掛けようと試みるマジカルンと次の攻撃を察して死角であろうと必ず攻撃を受け止めるエンジェルンは戦いの最中に言の葉を交わす。

 「どうしてカス共に手を貸してる!」

 「………」

 「答えろ!!」

ナイフの攻撃の合間を縫い上段から振り下ろされるバール。

それをマジカルンは焦った様子もなく順手に持ち直し頭上で交差させたナイフの背で受け止める。

武器同士の衝突で生じた衝撃波が火花を飛ばしながら二人の髪を揺らす。

 「………彼らに正義があると、もう一人の私が感じたからよ」

 「なに!?」

バールを受け止められたエンジェルンの顎目掛けてマジカルンのつま先が迫る。

しかし左手の腹で彼女は受け止め、二歩後ろへ飛びずさった。

だがすぐにマジカルンは姿を消すと、エンジェルンの背後へ移る。

 「何で『間違ってる』と言わねぇ!時代の価値観がどうのは通用しねぇぞ!!」

大振りにバールを後ろへ薙ぎ、空を切った感覚がエンジェルンに伝う。

 「私はもう一人の私に可能な限り従う。それが今の私の性格。だから彼女が『正義がある』と言えば私は可能な限り従うだけ」

 「…!!ボケた事抜かしてんじゃねぇぞダボが!!」

すぐさま正面に向き直り、鼻の先まで迫っていたナイフの刺突をエンジェルンは身をよじり交わす。

微かに掠めた刃が彼女の頬から血を流させるがエンジェルンの瞳に痛みは沸き上がらない。

それ以上に、彼女は今、怒りを覚えていた。

 「貴女こそ、私達を否定しないで」

 「そりゃあどっちの纏まりだ!!テメェらか!?それとも俺達ステッキの在り方をか!?」

 「どちらもよ!!」

二人の視線が交差し、それぞれの思惑が沁み込んだ瞳を互いに目にする。

真意も、決意も、葛藤も、全てを示す互いの瞳。

それを知っても……否。知ったからこそ。エンジェルンは決して怒りを納めない。

 「だったら!!!!何のために戦ったんだ!!俺達はあの日、あの時!何のために!!」

ナイフによる刺突の勢いのまま横を通り過ぎていくマジカルンの後頭部を蹴り飛ばそうとよじりの力を利用して更に身体を捻るエンジェルン。

だが力を乗せた右足のつま先に何か違和感を感じエンジェルンは完全に攻撃を停止させた。

 「よく気付いたわ。魔力のワイヤーに」

 「……チッ。そういやあったな、そんなの!!」

完全に刺突の余力が消えたマジカルンは振り返り、停止して睨み付けてくるエンジェルンの顔面に右拳が叩き込まれる。

 「クソが……!」

爆発を思わせる破裂音と共に遥か後方の地面へと吹き飛んでいくエンジェルン。

その最中に流れている鼻血を拭い、吹き飛ばされている自身の身体を何とか止めようとするエンジェルンだが相殺光の使用が祟って魔力の巡りが悪く攻撃の威力を殺し切れない。

 「まぁ、威力を殺し切れたとしても。だけど」

 「あぁ!?」

苦虫を噛み潰さざるを得ない状況に陥ったエンジェルンの耳に届くマジカルンの声。

出どころは、……真正面。

 「駄目押し」

 「クソボケが!!」

エンジェルンの腹部に強烈な圧迫感と衝撃が訪れる。

 「野郎ォ……!」

悪態を吐くエンジェルンはすさまじい速度で成す術無く落下していく。

 「グ…っはッッァ!!」

落下速度が乗算的に増したエンジェルンは瞬く間に地面に背後全てを打ち付けた。

 「グ……ゲホ……!クソ……!あの中で蹴りやがった!!」

地面は抉れ、瞬間的に舞い上がった土塊や破片の土埃の中、激烈なまでの痛みとまるで消える気配の無い衝撃に悶え、のたうつエンジェルンは吐血する。

何度も身体を反すエンジェルンは込み上げてくる吐き気を粘り気の塊としか思えない血を再度吐き出す事でなんとか治め、うつ伏せになりながらもやっとの事で身体を起こす。

そうしてようやく落ち着いた彼女の視界に映っていたのはマジカルンが土埃を魔力でかき消して降りている姿。

 「……っは。大概、インチキだな、お前のその……魔力量はよ。消滅と虚滅で俺のを超えるん…だっけか?」

 「そうね。正確には消滅光一回と虚滅光半回分。それで貴女の魔力量全部分よ」

 「涼しい顔して言いやがって」

左腕で身体を支える事でなんとか身を起こしているエンジェルンを見下ろすマジカルン。

だが彼女も決して余裕というわけではない。呼吸は僅かに乱れ、目には見えないが両腕と、先程エンジェルンを蹴りつけた右脚には痺れが来ている。

それを彼女は[無表情]を取り繕う事で二人に悟られまいとしていた。

 「……まぁーあ?お前ともあろう女があんな追撃をしてきたんだ。本当に涼しいってこたぁねぇわな」

腹部をさすり挑戦的な視線でマジカルンを睨み上げたエンジェルン。

彼女のその行動にマジカルンは僅かに右頬をヒクつかせた。

 「お?御名答ってヤツか?言ってみるもんだな」

目ざとく彼女の仕草を捉えたエンジェルンはここぞとばかりに嫌味な笑みを浮かべ、立ち上がろうと膝に手を押し付ける。

 「……いいわ。仮にそうだとして。今の貴女が私に勝てるの?」

震えながらも中腰の状態まで立ち上がり、けれどふらついて倒れそうになるエンジェルン。

 「勝てるさ」

 「根拠は?」

その上で、彼女は言った。

 「俺達だからだ」

『負けるわけが無いだろ』と、確信に満ちた爛々と光る瞳で言葉よりも雄弁に断言した。

 「なら、やってみなさい」

余裕を形作っていた無表情がマジカルンの顔から消える。

足元から幾何学模様を浮かび上がらせたマジカルンはエンジェルンの首を刎ねようと膝に力を溜めた。

マジカルンが今浮かべているのは苛立ちや憤り。

彼女がその二つを隠すつもりもなく露わにし、一対のナイフをステッキに戻してから新たに変質させたのは自身の身長と同等の全長を持つ剣。

およそ少女の身には釣り合わない大剣を両手で構え、膝に溜めた力を開放してエンジェルンに切り掛かった。

 「どうした。随分雑な攻撃じゃねぇか!」

暴風に似た一撃を、だがその大剣の攻撃を先端からステッキで受け流し根元で鍔競った。

 「うるさい!」

 「それが雑だってんだよ!!」

苛立った声を上げて振るわれたマジカルンの左の拳をエンジェルンは驚く様子も無く右の掌で受け止める。

再び舞い上がった土埃。しかしすぐに二人の放つ魔力の残滓で吹き飛ぶ。

 「……『俺達は何のために』そう、言ったわよね」

目と鼻の先で睨み合う二人

震え、踏ん張りが充分に聞かないエンジェルンの脚が僅かに後ずさる。

 「…テメェ、もう一人の方か。テキトーこいてるもんだと思ったが、本当だったんだな」

そんな中で聞こえたのはマジカルンよりもまだ幼く聞こえる少女のーーアリファの声だ。

 「何だっていい。確かにそう言ったわよね?」

 「あぁ、言った」

人格が入れ替わろうとも寸分と落ちぬアリファの力に沙那は強い疑問を抱くがエンジェルンが答える素振りは無い。

それ以上に今はアリファとの会話が最優先だと判断したからだ。

 「そもそもの話を聞くわ。……あれは本当に正しい行為だったの?」

 「………あ?」

憤りや嘲笑ではない。含みを持たない疑問がアリファの口から吐き出される。

 「貴女とマジカルンと他の二人……メンタルンとスペシャルンがやった戦いは本当に正しかった?」

 「て、テメェ……!」

一段深く、地面が抉れ土の破片が宙に浮く。

 「ガキが知った風な口訊いてんじゃあねぇぞ!!」

それまで押されていたはずのエンジェルンはアリファの大剣を払い、左の拳を潰さんばかりの勢いで強く握り締める。

 「の、残りの魔力を全部身体強化に使った…!?」

 「うるせぇんだよ!!!」

掴まれ痛みに耐えるしかなかったアリファの身体が強く引き寄せられる。

ただでさえ接近していた二人の顔。それを鼻と鼻が近づく程まで引き寄せるとエンジェルンは彼女の鼻の付け根に強烈な頭突きを喰らわせる。

 「く、うぅぅ……!」

鼻血を流し、苦痛に悶えて涙を漏らすアリファ。

 「一回で終わるわけねェだろ!!」

 「うぅ!?」

衝撃で後方に飛びそうになるアリファをエンジェルンは離さずに寧ろ引き寄せ、もう一度同等以上の頭突きを側頭部に与えた。

真下へと叩きつけられるように行われたエンジェルンの頭突きはアリファを後方ではなく地面に衝突させる。

響く鈍く重い音。数ミリのバウンドを見せ、地面に顔がぶつかった衝撃でアリファは更に多量の鼻血を吹き出す。

脳が揺れ、胃の内容物全てを吐き出してもおかしくない吐き気に襲われるアリファは考えるまでも無く激痛を感じている。

その痛みは今しがた受けた痛みだけでは無い。先刻までの戦いで受けた傷の痛みも付随している。

文字通り死を覚悟する痛みだ。幾ら魔力で護られた身体であっても本来なら人間が耐えられるはずはない。ーーと。エンジェルンは知っているからこそ。上がり切った息の中で目を疑った。

 「……殺す事で、得られた世界は………本当に、平和?」

 「……認めてやるよ。テメェ、考えは甘っちょろいが根性だけは本物だな」

たらりと両の口端から血を流しながらも美貌に違わぬ笑みと共にエンジェルンを睨み上げるアリファ。

ただしそれは単なるやせ我慢であり、エンジェルンもまた頬を上げて笑顔を作るのが精いっぱいだと見抜いている。

 「……ああそうだ。俺達は殺した。何人何十人なんて数じゃねぇ。一人頭数百は殺してるはずだ」

そんな瀕死の笑みを見せているアリファはエンジェルンの見抜いた事実が正しい事を証明するように一向に立ち上がる気配が無かった。

だが、事実そうだったとしても彼女のその態度に並みではない執念を感じたエンジェルンは構えていた拳を解く。

 「…やっぱり、本当の話だったのね」

肉体を襲う痛みではない何かに顔を顰め笑みを崩すアリファ。

 「ああ。紛れもない事実だ。だがその結果この世界と向こうの世界が救われたのも同じ事実だ」

 「結果論でしか、話せないのね」

彼女はエンジェルンの言葉にあからさまな嫌悪感を示す。

その表情が余程不快だったのだろう。エンジェルンは強く眉間にしわを寄せてアリファの顔元でしゃがみ込んで顔を覗き込んで睨みつけた。

 「じゃあ何か?結果が出るものとして理想的な過程を話し合ってみるか?っは!ごめんだね!!理想論なんざ傷口を舐める以外に役に立たねぇんだよ。んなガキのままごとに付き合ってられるか」

 「何を……!」

 「正しく無くても間違っていない答えなんざ腐る程あるんだよ!!善悪二分論なんざ机に座ってる学者にでも語らせてろ!!」

怒声と共にエンジェルンから右拳が放たれる。

狙う先はアリファの顔。……その真横の地面を頬を掠めながら穿ち、手首までが地面に埋まる。

 「テメェが、生き残り共に何を吹き込まれたのかは知らねぇがな……これ以上やろうってんなら殺すぜ、本気(マジ)で」

埋まった拳を引き抜く事で生まれた幾つもの土片がアリファの顔に振りかかる。

むせ返し、或いは無理にでも首を振って追い払いたいだろう土埃がアリファの顔の前で立ち込める。

 「…前みたいに?」

それでもアリファは構う事無くエンジェルンに怒りの込められた視線を向けた。

 「……ああそうだ!跡形も無く消えるのと!ボコボコに殴られて死ぬのと!気が狂うまで心を蝕まれるのと!知らぬ間に地獄に誘い込まれるの!!どれがいい!!」

どこまでも真っ直ぐに届いた棘の生えたアリファの視線にエンジェルンは再び怒声を上げた。

彼女の怒りに呼応したのか右手にはステッキが現れておりバールに変質している。

 《え、エンジェルン!!》

 「黙ってろ沙那!こいつは触れちゃなんねぇところに触れた!!逆鱗てヤツだ!!償うには死ぬ以外にねぇような、そんだけ重い逆鱗なんだよ!!」

 《でも!!》

 「へぇ、間違いを指摘されたら暴力に頼るなんて……。これじゃあどちらが悪者か分かんないわね」

 「……いい度胸じゃねぇか。そんなに死にてぇならぶっ殺してやる」

一際強くバールが握られる。

あまりに強く握ったためか一筋の血流が握り手からバールのカーブした先端まで伝っている。

 「……いい。入れ替わる必要なんて無い」

 「ハッタリだと思ってんのか、テメェ」

 「まさか。かつての英雄が同じ魔法少女を殺せば彼らには大義名分が出来る。そうすれば迫害した国だって考え直すでしょ?帰る場所を作るべきかもしれないって」

マジカルンの心配を拒むに値するだけの自信に溢れたアリファの言葉。それと同時に浮かべられた彼女の満足げな表情を見、エンジェルンはバールに込めていた力を意図せず抜いてしまった。

 「………は、はは」

 「なに?」

 「ははははは!あははははは!!」

唐突に。

エンジェルンは笑い声を上げた。

左手で頭を抱え、今まで感じていた痛みすらも忘れて回りに憚る事も無く狂ったように笑った。

彼女の笑い声は大きく、高く、もしも認識阻害の魔法がかかっていなければ遠くにいるはずの近隣の住人が出て来て何事かと確認しに来てしまうのではないかと、胸の内にいる沙那が心配する程だ。

エンジェルンの笑いは少しの間続き、死を覚悟していたアリファの表情を困惑に染め直す。

 「ここまで来ると滑稽だな。テメェ、マジでどうにもならねぇ馬鹿みてぇだ」

 「……どういう事」

 「そりゃそうだろ。末代までの永久追放を喰らった罪人共の生き残りが大義名分程度で祖国に帰れるだって?っは!ガキってのはこんなに甘ちゃんだったんだな。本当に認識が甘かったよ」

大笑いで上がってしまった息を整えながら、しかし軽蔑の視線だけは決して曇らせず、エンジェルンはアリファを見下ろす。

 「な、何を言っているの……!決定が間違いだった、或いは重過ぎたって考え直す事くらいあるでしょ!?」

そうしてとうとう、アリファの言葉からやせ我慢が消えた。

 「無い。一切合切あり得ねぇ。特に、奴らだけは例え末代が英雄様の生まれ変わりだったとしても国に帰ったら即刻呪殺だ。法で裁かれる間もねぇよ」

 「な、なんで断言できるの!」

アリファはひたすらに焦り、自身が求める答えが出ないと分かっていながらも一縷の…本来はありもしない望みを幻想と重ね合わせて問いを投げ掛ける。

だがエンジェルンにはたった一握りの慈悲も無い。

 「それ程の罪を犯したからだ」

表情と、声と、瞳。それらで表せる最大限の否定を彼女はアリファにぶつける。

 「そんな……!たった、たったあれだけの事で!?」

 「……あれだけ、だと」

それは紛れもなくアリファの絞り出した苦し紛れの言葉だった。

けれどエンジェルンには耐え難く……故にこそ耐える必要のない真の苦痛を思い起こさせた。

再びエンジェルンがバールを握る右手に強い力が籠められる。滴りが止んでいたはずの血液が更に二つ新しい軌跡を作るだけの激しさを伴っている。

 「駄目だなコイツ。いっそ殺してやった方がタメってもんだ」

それまでの感情溢れる声とは打って変わり酷く落ち着いた声をエンジェルンは発した。

そのあまりにも冷徹とした酷薄な声は、挑戦的な視線を浮かべていたアリファの心臓を凍てつかせ、一瞬の後悔の念を過らせる。

しかしアリファは頬を地面に擦りながら半端に首を振って懺悔を否定するようにエンジェルンを挑発した。

 「あ…過ちを赦すからこそ、人間よ。それが出来なければ人は人じゃなく獣になってしまう」

その一言でエンジェルンの脳天を怒りが突き抜けた。

 「知った風な口を……!訊くんじゃねぇよ!!!」

大きく目を見開きバールを振り上げるエンジェルン。

文字通りに人を[殺す]目だった。先程の威嚇……或いは警告と言える拳とは違う紛れも無い殺意がバールには込められている。

 「死ねよ!!」

そうして、風を切る音を立てながらバールはエンジェルンを睨みつけたままのアリファの頭上目掛けて振り下ろされた。

……はずだった。

 《やめて!》

後僅か。ほんの数ミリでアリファの頭蓋を砕き割るところでバールがピタリと止まる。

 「……相棒。どういうつもりだ」

 《言ったでしょ。殺さないで、って》

 「言ったはずだ。二度と感情論で話すんじゃねぇって」

冷徹な激憤の表情を浮かべながら、エンジェルンは意識体である沙那に対し強い口調で非難する。

それこそ彼女も殺してしまわんばかりの勢いだ。

 「俺の考えが分かるお前になら視えただろ。俺がこれだけキレ散らかす理由が」

 《み、見えたよ。…見えた。本当に酷い記憶と、色んな人の言葉が》

沙那の言葉が震える。

先程の勇猛なまでの力強さは声に無い。その理由はエンジェルンの言葉に恐怖を感じたから……ではない。

およそ普通と呼んでいい人生をこれまで歩んできている沙那が目にするには余りに苛酷で血に塗れたエンジェルンの記憶の断片のせいだ。

 「その上で止めるってこたぁ、どういう意味だ?それとも、お前まで『あれだけの事で』なんて言い出すわけじゃねぇよな……?あぁ!?」

 《い、……言うつもりは無いよ。全然ない。私だって、叩きたくなるくらい酷い物言いだったもん。でも、だからって殺した方がいいなんて事……》

 「あるんだよ!殺されてもいい人間なんざいねぇ!?ふざけてんのか!!殺されなきゃなんねぇ人間も、殺した方が世のためになる人間もいるんだよ!!だから俺達は頭がおかしくなるくらい殺してきたんだ!!その結果向こうの世界は平和になった!!ここだって平和のままだ!!それでもか!?それでも俺達の決断は間違ってるって、そう言いてぇのか!!」

アリファの目の前で起こるただ一人で行われる言い合い。

無論同じ魔法少女であるアリファには、あくまで一人に見えるだけでもう一人の見えない存在と言い合いをしている事は分かっている。分かっているからこそ、後悔によって生まれた怒りに激高し獣のように自身の分身を怒鳴りつけるエンジェルンに強い恐怖と拭い去れない疑問を抱いていた。

……彼女は聞いていたような血も涙もない悪鬼羅刹の外道なのか、と。

 《わ……分からない!》

 「わ……!!分からねぇだと!?テメェ!!」

 《分からないけど!!……だけど、だけど!朔間ちゃんは、同じ魔法少女なんでしょ!?なら話せばわかるはずだよ!エンジェルン達の視て来た事を伝えれば!!》

 「話し合いだと!?ふざけんのも大概にしろ!!命の取り合いをやったんだぞ!!今更考え変えたってそんなもん命乞いと何が違うってんだ!」

 《だとしても!!例え殺すしかなかったとしても!やるべき事はやらないと!!それともまたエンジェルンは背負うの!?十字架(こえ)を!!》

 「……!!!!」

僅かに、エンジェルンの瞳に苦悶の色が浮かぶ。

一体何を言われたのか。どんな反論をされたのか。アリファにはそこまでは分からない。だが確実に彼女の目に浮かぶ想いを捉えた。

エンジェルンが持つ、決して色褪せる事が無いだろう苦悶の色を。怒りに満ち満ちていたはずの瞳に視た。

 「……言ったな。いや、踏み込んだな?例え血を分けた姉弟であろうと踏み込んではならない領域に、お前は!」

 《ふ…踏み込んだよ!だって私は、ううん、私達は!!血よりも、肉よりも!もっと真実に近い場所で分かれた二人なんだもん!!》

 「て、テメッ……!!」

怒りとも憎しみともつかない叫びがエンジェルンの喉を激しく揺らす。

かと思った瞬間だった。

アリファの目の前でとうとう優位に立っていたはずのエンジェルンの表情が見る見るうちに激痛に蝕まれながら地面に倒れ込んだのは。

 「あ、あぁ……!うぅ…あぁぁぁ……!」

 《勝手にしろ。同じ甘ちゃん同士なら何かしら通じるかもしれねぇと思いながら激痛に苛まれやがれ》

身悶えし、打ち上げられた魚のように動く事で痛みから気を逸らす事も出来ず、ただただうつ伏せに伏してしまった顔を沙那は何とか息が出来るように横に向ける。

砂と血の泥で汚れた沙那の顔。そこには抗い難いだけの痛みと吐き気と頭痛と焦点の合わない瞳が確かに示されていた。

けれど沙那は、視線がアリファと合うや否やそれらをないまぜにした表情に笑顔を浮かび上がらせる。

 「こ、こんばんは、アリファちゃん……。綺麗な、月だね…?」

どこまでもーー今この時ばかりはーー現実離れした言葉だった。

だがそれ故にアリファはすぐに理解できた。彼女が今はエンジェルンではない事も、殺そうとする意志どころか敵意すら持っていない事も。

 「……どういうつもり?情けでも、かけているの?」

 「そ、そう言うつもりは無い……よ?ただ…」

 「ただ?」

 「話を、したかったの。私には、アリファちゃんがあんなに酷い事実を、軽んじた見方するとはお、思えなかったから」

時折血を吐き出しながら口にした沙那の言葉に、アリファは強い困惑を抱く。

つい数分前までーー厳密には彼女ではなくともーー幾度と無く死を押し付け合った相手と一体何を語り合うのだろうかと。

返信を解いた今どちらかの命が終わりに向っている現状で話し合いなどという愚かそのものな行為を一体どんな目的で?

 「……正直に言うとね、魔法少女同士の戦いがこんなに激しいなんて思ってもみなかったんだ」

 「…同感ね。マジカルンから話は聞いていたし、語りには甘えを差し込む余裕は無かった」

 「あはは……私も。そのくらいエンジェルンは真剣に話してたし、きっと…マジカルンも」

互いに手を伸ばす余力は無い。……いや、正しくは身体が動かない。

辛うじて互いを支えていた身体強化の魔力さえもが既に消えかかっており、寧ろ意識を入れ替えれば若干の魔力の余力が残っているマジカルンとアリファの方が立場的には優位であった。

戦いの途中にアリファとマジカルンの行った、人が意識と肉体の主導権を得たままで魔力や魔法の使用はステッキが行うという、ある種の魔法少女の完成形と呼べる【ステッキ憑依】は禁忌である呪本の持つ性能[無知であっても魔法を使える状態]と近しい状態になっていた。

呪本と違い使用者に多大な負担があるわけではないが、デメリットの一つとして本来通りに痛みを感じるようになっている。

そのため痛みに対して強い耐性を持つマジカルンに再び全てを預ける事さえすれば二人はエンジェルンと沙那に対して逆転が出来るだろう。

それが間に合うのは後数分だけ。このリミットを過ぎれば意識は完全に途絶えるだろうという確信がアリファにはあった。

 「ええ。彼女の話は本当に悲痛に苛まれてた。……だから、最初は信じられなかった」

にも関わらず、アリファはその選択肢を自ら遠くに置いた。

何故なら、エンジェルンと沙那にどんな考えがあるのかが分からなかったから。

もしかしたら一発逆転の何かがあるのかもしれないと不安を抱いたから。

ならば、肉体的には同じだけのダメージを受けている沙那とてそう長くは意識が持たないはずだ。意識が持たないのなら、自分がそれ以上に耐えて、最後に入れ替われば結果は同じだと結論を下した。

主導権の入れ替えを奥の手にすれば、と。

 「奴らの、黒服達の言い分が信じられなかった」

 「……町とかに、結界を張っている人達?」

互いに思考に靄が掛かり始める。

本来なら出てくる言葉も、単語も、歪に思い出され結果として近しい言葉や似た単語に変わっていってしまう。

それ程に二人には限界が近づいていた。

 「そちら側の考えに合わせればそう。でも私には、確かに加害者ではあっても同時に被害者でもあると思った」

 「それは…沢山、悪い人達の仲間を殺した……から?エンジェルンとかマジカルンとか、他のステッキ達が。……魔法少女達、が」

 「ええそう。中には女性や子供もいた。勿論黒服の活動的な人達の中には女の人もいたから仕方が無いわ。けど……、でも、子供は違う。そんな、絶対に関係ない」

けれどアリファは一際強い怒りを露わにする。おおよそ限界を迎えているはずの全てを振り絞って沙那の中にいるエンジェルンに向けて。

 「…そうなの、エンジェルン」

 《ああ。可能な限り殺したぜ。……呪本使いだったからな》

それを受けて沙那はエンジェルンに確認を取り、その答えをそのままアリファに届ける。

 「…呪本使いだった、って事は知ってた?」

 「…全体の過半数がっていうのは聞いていたわ。でもそうじゃなかった子達まで殺す必要はあったの?」

 《あったに決まってる。向こうには即戦力の、俺達にしてみれば脅威でしかない存在だ。狩れるうちに狩るのは定石だ》

 「あったはずだって。向こうには即戦力だし私達には脅威でしかないからそうなる前に……殺したって」

 「冗談じゃない。そんな理屈、通じるわけない!!」

残る力の限りで頬を地面に擦りつけながら首を振って行われたアリファの否定は……どこか歪だと、沙那は感じた。

 「……じゃあ、マジカルンに聞いてみればいいと思う。きっと、同じ意見のはずだって」

まるで確信の無い疑問。だとすればただの願望なのかもしれない。

それでも沙那は自分の感じた疑問を……彼女は真実だと直感したにも関わらず否定をしたんじゃないかという疑問を、正しいんじゃないかと思いながら話を続けた。

 「…………!!そんな、そんな、貴女まで!?どうして!?!?まだ何もしていない子供まで殺す必要が……!!」

 「何かしてからじゃ遅いから、だと思う」

沙那の言葉にアリファの表情が蒼白となり固まった。

 「だって、もし何かあったら……。例えばエンジェルンやマジカルンを使ってたその時の魔法少女が死んじゃうような事が起きるって分かり切っていたら……きっと、私でも」

 「嘘!嘘に決まってる!!こんな時になってまで話し合いを求めようとする貴女が!殺せるはずない!!」

烈火の如くアリファは感情をまき散らす。

 「殺せないよ!!でも、死にたくだってない!!」

同様にして沙那は……いいや、それ以上に。感情を吐露した。

今まさに感じている恐怖を、きっとその時も感じるに違いないという確信と共に余す事なく全てを。

 「なら貴女は自分の身可愛さに人を殺すの!?」

 「……殺すよ。殺意を向けられたのなら。だって、私が死んだら悲しむ人がいるのを知っているから。その時にならないとどんな苦痛を感じてどんな思いで決断するかは分からないけど、私以外に三人……ううん。ステッキも入れたら七人が死んじゃう。そう分かってたら、きっと決断すると思う」

 「……悪魔」

アリファにとってはその言葉が今の沙那に感じた全てだった。

けれど同時に、アリファの心の中ではもやもやとした感情が沸き上がってもいた。

沙那が戦場で子供を殺す正当性を訴えた時にふつと直感として沸いたあの感情が。

 「この……悪魔!」

それを否定するように…否、拒むために。アリファは更に声を大にして沙那を侮蔑した。

けれど当の沙那は首を……地に擦りながらなんとか振る素振りを見せて口にする。

 「いい。構わない。悪魔でも鬼でも、何でもいい。私達が死んだらもっと多くの人が死んで……その結果が非魔法使いのこの世界の人達を魔法の世界で奴隷のように扱う世界が待っているのを分かっているのなら、どんな非難を背負ってでも人殺しをする。手段が正しいとか、間違ってるとかじゃない。多くの人が望む世界こそが正しいと信じて結果を出すためにこの手を赤黒く染める」

負を背負い、それでも世界を護る決意を。

……否。そうするしかなかった決意を。

 「……それは、それは誰の言葉?貴女の?本当に貴女の言葉なの?」

まるで地獄を見て来たかのように達観した意志にアリファは混乱を覚え衝動のままに沙那を問い質す。

学校で見た逃げるばかりで臆病な沙那とはあまりに遠すぎる言葉の強さを持っていたから。

 「ううん。私のおばあちゃんの……最初のエンジェルンの持ち主の言葉だよ。私にはこんな苦悩を受け容れる覚悟は示せないもん」

そんな彼女の疑問を肯定するように、自分を嗤う笑顔を浮かべアリファと視線が重なるように沙那は目を向ける。

 「だったら!」

 「だけど!!」

その目からは一筋、涙が零れていた。

 「……だけど、この言葉は真実だと思う。良いとか悪いとかじゃなくて、話し合いなんて最初から通じない敵意を持った相手にはこれしかないって思う」

 「なら私は!?何で私には話し合いが通じると!?ここまで命を取り合ったのに!!どうして!!」

一筋、二筋と流れ、気が付けばとめどなく涙が溢れていた沙那の瞳に抗うようにアリファは声を荒げた。

荒げたが……彼女にはもう、分かってしまっていた。

 「誰も、傷つかない場所で戦おうって言ってくれたから」

 「そ、そんな事で……?」

沙那にはーー当然、あれだけ殺そうとしてきたエンジェルンもーー悪人ではないという事が。

こんな、綺麗事を言い続けられるはずの無い状況でそれでも相手の善意を信じて話せる人間が嘘や謀る発言をするはずが無いと。

エンジェルンの記憶で見て知った言葉を、沙那が自分本位の言葉に変えるはずがないと。

……ならば同様に、過去と現在のエンジェルンが悪鬼羅刹ではない事になると。

 「うん……。だって悪い人達は昔いきなり町で暴れて、何人も何十人何百人も、それこそ老若男女見境なく殺した。今だって色んな人を無差別に操って何かしようとしてる。でも朔間ちゃんはそんな非道な手段には出なかった。人質の一人でも取れば私なんて簡単に殺せる事に気が付かないはずないのに、一対一でちゃんと戦って、その上で殺そうとした」

 「でも、殺そうとした事実は……」

 「変わらないよ。変わらないけど、でも、戦うっていうちゃんとした場を設けてくれた。もしかしたら自分が死んじゃうかもしれないのに真っ直ぐな場所を用意してくれた。……そんな人が非道な悪者と同じなはずないもん」

血泥と砂埃に汚れた顔で沙那は笑いかける。

それまで命のやり取りをしていたはずの相手に屈託の無い、ただの友人に向けるような笑みを。

 「…………そう。そう、だったの」

 「……?」

微かに俯き、同様に顔の汚れていたアリファは静かに流した涙で殊更に顔が汚れる。

 「…いいわ。マジカルン、入れ替わって」

 「!!!!」

 「そうしたら、私の言う通りして」

 「さ、朔間ちゃん!!」

最早首にすら一切の力が入らない沙那の前で、同様に倒れているしか術が無かったはずのアリファがーーマジカルンがゆっくりと立ち上がる。

 《さて、どうするんだ?おい》

事を見届けていたエンジェルンは静かに話しかける。

とてもーー全てを悟るしかなかった沙那にしてみれば恐怖以外の何物でもない冷静な声で。

 「……あはは。遺言とか、考えておけば良かったのかな」

 《っは。最期の言葉にしちゃあ平凡だな》

自嘲を浮かべて放った言葉をエンジェルンは笑って一蹴する。

 「……さて。よくもこれだけ互いに傷付けあったわね」

 「…マジカルン」

およそ無事とは言えない狼狽とした足取りで沙那の前に立ったマジカルン。

彼女はされるがままにするしかない沙那の首元へと手を伸ばし、そして。

 「…私の相棒が下した命令は『沙那を助けて』よ。………おめでとう。私達の負けよ」

 「……え、え…?」

沙那を一息に抱き起こし、背負った。

 「家まで送るわ。勿論、その前に私達が拠点としているマンションで治療をしてからね」

まるで憑き物が落ちたような表情でマジカルンは沙那にそう言う。

 「……これで私の二敗目ね。貴女の言う通りになったわエンジェルン。……気に入らないけど」

 《っは。そもそもこっちに正義があったんだ。負けるわけがねぇんだよ》

そして……。そもそもこうなると分かっていたのかエンジェルンは大きなため息を吐いて仰向けに横になった。

 「エンジェルンはなんて?」

微笑みに似た柔らかな……旧知を懐かしむような表情を浮かべて掛けられた言葉に、それまで混乱で頭の中を白くしていた沙那は訳も分からないまま聞かれた通りの答えを言葉に変えながら思い浮かべた。

 「せっ、正義はこっちにあったから負けるはずなかった…って」

 「今の彼女らしい傲慢さね。……でも、ありがとう」

 「…あ、ありがとう?」

不意に口にされた感謝の言葉。

沙那はそれを[何故]と思うよりも先に真逆の意味に感じていた。

まるで[謝罪]のようだと。

 「いいえ。こちらの話よ。それより飛ぶから気を付けなさい」

 「!?」

背負った沙那と会話を行っていたマジカルンはそう言うと浮き上がり、一瞬のうちに遥か上空へと飛び上がる。

首に力が入らないせいで俯く以外に術がない沙那はあまりに瞬間的に高所まで飛び上がったせいで現状を一瞬理解できずにいる。

 「大丈夫。ここから十分程度のところだからすぐよ。…本当なら一、二分で着くんだけれどね」

 「あ、あはは。お手柔らかにお願いします……」

何処か嬉しそうに沙那に話しかけながらマジカルンは足元に幾何学模様の魔方陣を一つ浮かび上がらせると、同じライン上にーー恐らく拠点のマンションがある方向に更に三つ浮かび上がらせて踏み込んでいった。

その度に彼女の移動速度は跳ね上がり、気が付けば下界の街並みは吹雪く雪が目の前で移り変わるような速度で流れていた。

 「あ、あはは。こんなにボロボロなのにこんなに魔力残ってるんだ……」

 《な?ヤベェだろ?》

 「う、うん……」

マンションに着くまでの間沙那はエンジェルンに驚愕を漏らし、エンジェルンはその返答を合いの手気味にではあるが返して到着を待つ。

 「着いたわ。思ったより速度が出てしまったけれど大丈夫かしら?」

 「は、はい…。ちょっとだけ耳の中に風の音が残ってますけど………」

そうして流れる街並みが停止すると虹島町からは二つ隣の町にある高層マンションの最上階の一室の窓の前に停止していた。

 「…ようこそ、私の部屋へ。歓迎するわ。ですって」

 「あ、あはは。ありがとう、ございます」

 《っけ!これじゃあどっちが勝ったのかわかりゃしねぇな》

 「勿論、エンジェルンも」

 《バカが。俺らが勝ったんだから当然だろーが》

腰の低い声色でお礼を口にした沙那と、腕を組んでいたエンジェルンは不服気味に言葉を漏らしながらも少しだけ嬉しそうに口の端を吊り上げた。

まるで照れを隠すように




to be next story,

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