第7話 恐怖と戦いの始まり

 翌日、私は初めてずる休みをした。

理由はエンジェルンと結界を探すパトロールをするため。

どうせ説明しても分かってもらえないと思って学校には風邪、お母さんには病院に行くと言って家を出て来た。

それで今は主導権をエンジェルンに渡して空の上から私の住む町を見下ろしてる。

 《それにしてもすごいね。魔法で視力を良くできるなんて》

 「ま、こっちじゃそうだろうな。あっちじゃこんなの魔法でも何でもねーんだけどよ」

 《ふぅん?メガネみたいな感じ?》

 「だな。一番しっくりくる表現だ」

そんな話をしながらの上空からのパトロールはつまり平和を表してる。

…正確には小さなもめごとには幾つも気が付いたけど、今回は大本を叩くために調査する時間が欲しいとかで一切不干渉だ。

ならどうして平和なのかというとエンジェルンが目の色を変えるような出来事が無いーー要するに結界やそれを護っているっぽい人間が見当たらないから。

 「まぁ、本来は目の前のもめごとはそこにいる奴らでどうにかするのが筋だからな。俺みてぇな外野は手を出すべきじゃねぇのさ」

ゆっくり移動しつつ町を見下ろしながら少しのため息を混じらせてエンジェルンはそう言う。

 《でも、気になっちゃうんだ?》

 「…チッ。そーいう事だ」

そこにちょっとツッコミを入れてみたら鬱陶しそうに舌打ちをして急に周囲に警戒を始めた。

その理由が図星を付かれたせいで恥ずかしいからなんだから可愛い。

 「ったく。探索魔法ぐらいもうちっとかじっとくべきだったぜ。そうすりゃ最初から緊張感マックスだ。お前に笑われる余裕も無かったってのによ」

 《おばあちゃんの時も?》

 「………っんとに、そーいう目ざといとこは妙に似てんだよなぁ。ウザってェ事この上ねぇ」

なんとなく思いついた疑問を投げかけたらエンジェルンは大きなため息を溢す。

 「けどま、懐かしいと言えばそうだな。……頼むぜ、相棒」

 《……うん。頑張る》

私の軽口に真剣な言葉を返すエンジェルンに大きく頷き、私達は再びパトロールに集中する。

眼下に見えるのはやっぱり小さなもめごとばかりでエンジェルンの言う大本らしい影……と言うより違和感や胸騒ぎは無い。

でも、物理的に俯瞰的に見て思ったのは昨日話した通りもめごとが多過ぎる点だ。

同時多発的に起きているもめごとは幾ら小さいからと言っても必ず誰かの迷惑になってる。

しかもこれが人為的に引き起こされているんだとしたら、加害者でさえ被害者になるわけだから考え方によっては加害者こそが一番の被害者かもしれない。

……昨日はあんな風に言い訳をしてしまったけど、改めて目の当たりにしてみるととても放っておける状況じゃないと感じた。

だって、もしかしたら私のお父さんやお母さんが加害者になってしまうかもしれないんだから。

 「……っと。考え事もいいがそろそろだぜ」

 《…え?》

事の重大さを再確認している中、エンジェルンの鋭く砥がれた声が耳に届く。

 「見つけた。結界の基点の一つだ」

そう言われ、彼女の向けた視線の先を見て見ると明らかに違和感を感じるビルの工事現場があった。

だけど、感じるのは違和感だけ。それ以外はどこにでもある工事現場。一緒にいるエンジェルンが違うと言えばそうなのかもと思ってしまうくらいに小さな違和感だ。

 「…しゃあねぇ。もうちっと視力の強化してみるか」

小さくエンジェルンが呟いたのと殆ど同時、眼球にじわじわとした熱が伝わってくる。

それがほんの数秒で治まるとーー

 《な、なに……?あれ》

 「結界の基点だ。見えるようになったな」

さっきまで何もなかったはずの地面に蒼く発光して緩やかに回転している幾何学模様が浮かび上がっていて、その中心点に棒状の杖のような何かが突き立てられていた。

 《あ、あれが魔法の結界……?本当に、エンジェルンの言う通りだったんだ…》

 「正確には結界を造り出し維持するうちの一つだけどな。出来れば当たって欲しくなかったぜ、クソが」

硬く握られるエンジェルンの拳から伝わってくる強い憤り。

…そうか。そうだよ。

これで確実になってしまったんだ。

この辺りの町の人々を何者かが操ろうとしているって。

………戦いが、決まってしまったって。


               ーーーー   ーーーー   ーーーー


 二人が最初に見つけた基点魔方陣の場は正しくはビルの工事現場ではなかった。

 「っは!うじゃうじゃうじゃうじゃと!羽虫かテメェらは!!」

 《え、エンジェルン!右からも来る!!》

 「あいよ!!」

工事現場を模された敵主要基地の一つ。それがこの場所だった。

そんな場所であるならば当然警報機が仕掛けられている。無論、この世界の住人が知らぬ仕掛けで動くーー魔力を基にした警報装置だが。

エンジェルンはそれを承知の上で地面すれすれに飛行しながら高速移動を行い未だ骨組みを布で囲っているだけのビル内へと侵入していた。

彼女が侵入した瞬間に鳴り響いた魔力音はビル内に居た全員にエンジェルンの侵入を知らせ、瞬く間に彼女は追われる身となってしまっている。

現状、彼女の後方には身体強化を施した脚で駆けてくる黒服の敵が数名いた。

 「行くぜェ!!」

エンジェルンは掛け声と同時に飛行に急ブレーキをかけ、勢いのままに方向転換を行う。

 「オラァ!!」

それは沙那の警告した右方面へと向きながら拳を放つためであり、その先にいた敵ーー数名の黒服達は状況を理解するよりも早い刹那に右拳を受けた。

虚を突かれ一様にして目を見張る数名ーー四名の敵。

だが彼ら黒服達が次を予期している間にエンジェルンは追の撃を放っていて、溢す事無く全員の顔面中央に命中していた。

 「っし、一昨日来やがれってんだ!!」

魔力による身体強化で飛躍的に向上した筋組織が放ったエンジェルンの拳は見るからに大人であろう黒服達四人を数メートル後方まで殴り飛ばした。

その内の一人が、手元から何かを零す。

 《エンジェルン!後ろから来てるよ!!》

 「わーってるよ!!」

零れ落ち、一瞬のうちに黒い炎で焼け消えたそれを動き出す僅かの間に確認したエンジェルンは再び高速飛行を開始する、

 「呪本まで持ってやがんのか。めんどくせぇなぁオイ……!!」

 《な、なにする道具なの!?》

飛行速度のギアを上げ、更に白光色の羽根をつま先から舞い上がらせたエンジェルンは苦々しい口調で吐き捨てる。

 「馬鹿でもサルでも魔法が使えるようになる魔法道具だ。製造方法や流通後の実際に行われた使用方法が問題になって禁忌に指定された呪物なんだが……。クソ、嫌な予感がするぜ」

 《そ、そんなのが!?……もしかして、結構マズいんじゃ……!?》

 「結構どころじゃねぇ!奴ら、戦争も想定してやがるくせぇ!!」

足場の骨組みやビルの柱を縫うように軌跡を描きながら露わになっていくエンジェルンの怒り。

語調以上に憤りを抱えているエンジェルンの飛行は速度が出ている事を鑑みても普段に比べてかなり荒々しかった。

彼女がこれほどまでに心を見だした理由。それはエンジェルンの口にした呪本が彼女が作られた本来の世界ーー魔法の国行われた最後の魔法大戦その末期に投入された兵器の一つだったからだ。

術者が魔法を記憶する紙に詠唱を行い、保存し、それらを集め束ねた物が彼らの持ちだした呪本の正体であり、製造の際にはほぼ確実に術者の死亡者を出した禁忌の書。例え子供だったとしても一級の魔法を操れるようになれたがために徴兵年齢が引き下げられるという悪夢を引き起こした文字通り呪いの本だ。

そのため彼女の世界では禁忌に指定され呪物の一つとして扱われるようになり、製造・使用の絶対的な禁止令が流布されている。

ーーにも関わらず。

このビルにいる敵は少なくとも一冊は所持していた。

だとすれば。

 「…相棒。より飛ばすぞ。基点の破壊を急ぐ」

 《大丈夫。全部エンジェルンに任せてるから。気にしないで》

事態はまばたきの間に切迫した。

量産を前提とした道具が一つであるはずがない。

そして呪本は魔法という概念を理解できていないこの世界の人間にさえも扱える道具。

故に、エンジェルンは沸き上がる怒りを抑えながら飛行速度を三倍に跳ね上げた。

羽根で軌跡を描きながら彼女が目指すは基点を守護する守護者。

ビル現場の中に漂う魔力が流れていく先にいるだろうこのビル内で最も卓越した魔法使いの下へ。


                       ーーーー      


 軌跡を伸ばす程に激しくなる敵の攻撃をものともせずエンジェルンは進み続けた。

拳で屠った数は二十。

実体化させたステッキを攻撃の用途に転用ーーエンジェルなバールにして沈めた数は十。

それでもなお追ってくる多数の敵には靴の踵からまきびしを散らし魔力による地雷原を造り出して進路を可能な限り断絶した。

やがて、エンジェルンの呼吸が微かに乱れた頃。

 「……ここだ。今までは触る程度だった魔力の感覚がこの部屋からはへばりつくように零れ出てやがる」

 《うん…。私も、すごく嫌な感じがする》

建設中のビルにあるまじき一般的な部屋のような外壁、その扉の前に立ったエンジェルンは元に戻していたステッキをバール形状へと変質させる。

 「行くぞ。ちょい魔力濃いから気ぃトばさねぇように気を付けろよ」

 《わ、わかった》

真剣さを滲ませるエンジェルンの言葉に沙那は面持ち硬く頷く。

それを確認し、エンジェルンは扉を開けた。

途端だった。

 《う!?うえぇぇ……ッ!!》

恐らくは室内に満ち満ちていたのだろう魔力が爆風のように溢れ出していく。

 「っは、安心しろ。意識の時ならゲロは出ねぇ。好きなだけえづけ」

床、壁、天井。余すことなく幾何学的な魔方陣の描かれた室内に立つは杖を両手で抱きかかえた黒き姿で基点を維持せし守護者。

本来なら[感覚]としてしか実感できないはずの魔力がもたらした膨大なまでの風はこの部屋に満ちていた魔力の尋常ならざる量の証明であり、同時にエンジェルンの見立てが正しかった事をも証明している。

 「さぁてと。丁寧に御挨拶から言っとくか?腐れ犯罪者」

酷く侮蔑した瞳で放たれた挑発。

けれど黒ずくめのローブを纏って顔を黒のフードで隠している守護者は一言も発さずに足音で答えを返した。

 「っは!意外に武闘派じゃねぇか!!」

手にしていた杖を僅かの瞬間で槍へと変質させながら一踏みで距離を詰めてくる守護者。

対し、エンジェルンはバールを握り、微かに浮いたままこれを迎え撃った。

穂先で風を切る黒服。構えと同時に刺突の動作がエンジェルンの眼前で行われるが彼女は動かない。

穂先が彼女の鼻先に迫る。

 《や……、いや……!》

命の危機を感じ、即物的な退避を行う沙那は悲鳴と共に目を強く瞑った。

けれどエンジェルンはまばたきの一つもしていない。

故に。視る事が出来た。

目の前から消えた守護者の姿を。そして、次の動きを。

 《………?ど、どこ!?》

予見していた何らかの衝撃が訪れなかったために気持ち悪さのある違和感を感じた沙那はゆっくりと目を開け、守護者の姿が消えた事実に強い焦りを見せる。

 「慌てんな。上だ」

 《!?》

 「何だよ。やっぱいるとこにはいるな。近接戦もイケる奴がよぉ!!」

混乱する沙那に対して冷静に答えを告げたエンジェルンは叫び、初めて構えを取った。

右腕で自身を抱くようにバールを構え、エンジェルンは上空を見据える。

 「穿つは日輪の王。砕くは海神が如き渦。反目する漆塗りの日輪は時の瞬きに破滅し大地に獄を落とす。ーー炎王渦槍!!」

その先には詠唱を行い槍の投擲ーー投げ落としの予備動作を終了した守護者がいる。

 「こいッッ!!」

柄に幾つもの魔方陣が浮かび上がっている槍を守護者は投げ落とす。

ジリ、と空気の焼ける音が鼻腔を焦がす煙と共に僅かずつ、断絶しながら湧き上がる。

穂先を覆うように渦巻き上がっていく紅き波。

沙那がそれを[炎]だと気が付いた時には、既に槍は激烈な火柱となってエンジェルンを飲み込み焼き殺そうと姿を変えていた。

 「一級の身体強化に上級以上の炎魔法。そして並みじゃねぇ槍術。よくも両立させ一つの技に昇華した」

呟き、微笑み、エンジェルンは瞳をぎらつかせる。

 「だが!こんなもんじゃ俺は倒せねぇ!」

叫びと同時にエンジェルンは溜めていた力を一気に放った。

空気を薙ぎ払い轟音と共に上段へと振り抜かれるバール。

バールのカーブした先端部分に炎を纏う穂先が衝突する。

空気の流れが変わっていく。最も酸素の消費が激しい凶器同士のぶつかり合う場所、その中心地点へ白煙を伴った空気が吸われていく。

それは拮抗状態と表しても良かった。

エンジェルンが、叫ぶまでは。

 「ォォォオ!!!ォオラァ!!!」

雄叫びを上げたエンジェルンは力のままバールを振り抜く。衝撃と共にはじき返される炎の槍が向う先はーー守護者。

未だ浮いたままだった守護者は思いもしなかったのだろう。これほど早く、己の放った渾身の一撃が返されるとは。

 「因果応報ホームランだ。きっちりキャッチしろよ」

余裕さえ伺える笑みを浮かべたままそう言い放ったエンジェルンの右手にはもうバールの姿は無い。

あるのは本来の形であるステッキだけ。

それが戦闘終了の合図だった。

ならば。

 「帰るぜ相棒。とりあえずここはこれで壊滅だ」

振り向いたエンジェルンの背の先で守護者が巻き上がる火柱に包まれる結末は必然だった。




to be next story.

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