第10話 いざ、縁野当主と対面

「ごめんください」

 屋敷の中は広く、庭は軽く庭園だった。本当に縁野家というのは大きな家らしい。ようやく着いた戸口で声を上げる。ずり落ちそうになったメグミを背負い直す。

 はぁい、と若々しい声が聞こえた。とととと、と廊下を走ってくる音。玄関が開くと、四十いくかいかないかくらいの女性がいた。妙齢というには些か無邪気さが過ぎる。俺を見ての開口一番が「あら、イケメン」だった。

 なんとなくの印象だが、恵から聞いていた姉の印象と似ている。

「あの、縁野さんのお宅ってこちらでよろしいですか?」

「はい、そうですが……って、愛美!?」

 俺が背負ってきたメグミに驚く女性。メグミの母だろうか。だとしたら、恵の姉にあたる人物であろうから、俺の第一印象は間違っていないようだ。

「メグミさんと通りすがりで話していたのですが、途中で具合を悪くしてしまったようで……縁野のお方とお聞きしていたので、お連れしました」

「あら、ごめんなさい。愛美ったら、もう……」

 ごめんなさいねぇ、と人懐こそうな笑みでメグミを受け取ろうとする母親。だが、なんとなく落としそうな予感がしたので、お運びします、と申し出た。

「羨ましいわぁ、こんなイケメンな殿方に背負われるなんて。お話するだけでも羨ましいでしょうに。誰よ、自分はリア充じゃないとか言ったひねくれ者は」

 言っていそうだな、と感じた。恵もそうだったから知っている。「見える」やつは普通ではいられない。だから一般から爪弾きにされて、現実を楽しむことができない。奇化しものがいる世界も一応現実ではあるが、奇化しものには自我が崩壊していたり、悪戯が過ぎる者だったりが多いので、そちらの世界を楽しむのも難しい。

 そういえば、この家には座敷わらしがいると聞いたが……どうやらメグミの母は俺が奇化しものであると気づいていないらしい。どこの馬の骨かもわからぬ俺をほいほいと案内していく。警戒心がなさすぎて危うい。なるほど、こんなでは恵が当主に抜擢されるのも無理はない。

 通されたのは普通の寝床だった。部屋の片隅に荷物がたんまりと置いてある。メグミは縁野に住んでいるわけではないと言っていたし、母親と二人、帰省したような感じなのだろう。

「そこのお布団にお願いできるかしら?」

「はい」

 そっと背から下ろし、布団に寝かす。まだ顔には涙の跡が残っていた。

 それに気づいたらしいメグミの母が、じっとりとした目を俺に向ける。

「泣かせたの?」

「いえ、俺のせいではないです」

 たぶん。

 どうやら、叔母の恵のことを思い出していたらしいが、何故思い出したのかはさすがにわからない。

「そうだ、恵さんにお線香をあげても……?」

「あなた、恵とも知り合いなんですか? 恵からはいい人がいるなんて話聞いたことないのに……」

「はは、ただの友人ですって」

 言えるわけがない。自分は人間ではない、なんて。そうしたら、見えないこの人まで普通から遠ざかってしまう。メグミが何年もかけて守り続けてきたこの人の「普通」を俺が壊してしまうのも良くないだろう。

 仏間に通される。大きな家だけあって、仏壇も立派なものだった。

 そこに線香をあげる。いい香りがする。白檀とかだろうか。あまり詳しくないが。

 さて、帰るか、と思ったが、引き留められた。

「お線香あげてさっさと帰ると縁起的に良くないんですよ? 愛美もお世話になったことですし、お茶でも飲んでいってくださいな」

「ありがとうございます」

 ここで断るのも不自然だ。それに、ちょうどこの家の者とは話がしたかったところだ。

「お茶を用意しますね」

「ありがとうございます」

 恵の言っていた通り、この姉には奇化しものを見る力はないようだ。おそらく、他の兄弟もそうなのだろう。

 俺は縁野家の言い伝えだの何だのは知らない。ただ一つ知っているのは、その責が恵には重すぎて耐えられなかったこと。それを押し付けようとした現代当主には一つ物申しておきたいものだ。

 少し遠いが、恵の姉の声が聞こえる。「お母さん、今お客さまがいらしているのよ」──その言葉に無意識ながら緊張した。

 恵たちの父は早逝していると聞く。ということは現代の縁野の当主は恵たちの母ということになる。……縁野の当主を務めるからには、奇化しものが見えるのだろう。俺は少し警戒心を強めた。

 ほどなくして障子戸が開き、先程の能天気な恵の姉とは対照的に重々しい空気を纏う老女が中に入ってきた。瞬間俺は察する。こいつは見える以上におびただしい力を持っている、と。それは長年縁野という家の真の役割を果たしてきたからこそのものなのだろう。

「ようこそおいでくださいました。

 やはり、一目で俺を奇化しものと見破るくらいの力を持つらしい。この威圧感は奇化しものに恐れをなしていない証拠だ。

 見抜かれているのなら、俺も隠す気はない。思ったことをそのままぶつけるだけだ。

「何故恵をあそこまで追い詰めた?」

 当主は黙り込んだ。俯いて何やら考えているようだ。

「あれは恵の精神力が弱かっただけのこと」

 沈黙の後に出てきた言葉に俺は怒りを覚えた。

「恵の精神が弱かった? 恵が悪かったとでも言う気か? 年端もいかぬ頃から運命を定めつけられて、耐える方が難しいとは思わないのか? しかも断るに断れないお家事情に、恵がどれほど悩んだか、あんたは知った上で尚、恵が弱かったというのか?」

 俺の剣幕に当主はぴくりともしない。動揺も見られない。まるでそう言われることを予期していたかのようだ。

 俺は立て続けに述べた。

「全部恵に背負わせるのではなく、今やっているように兄弟で分散させればよかったではないか。世界は奇化しものが全てではない。譬、縁野には奇化しものが多いとしても、だ」

「……仰る通りでございます」

「なら、何故そうしなかった?」

 冷たい沈黙が俺と当主を包む。そんな中、恵の姉がお茶を淹れてきた。

 当主は口を湿らせて話しやすくするためか、茶を一口口に含んだ。それを飲み下してから、朗々と話し出す。

「縁野は古くからある家。古くからのしきたりに囚われがちなこともあります。今でこそ、見えない者にも街のことを任せるようになりました。けれど、恵が生きている時代は、私も夫を亡くし、視野が狭くなっていたのです。古い慣習に囚われた。だから、あの子でなければならないと思った……私だって、後悔しています。あの子を、我が子を自死にまで追いやったこと……この罪は、消えないのでしょう。そうやって怒るあなたがいるから。……法事のたびに悲しむ孫がいるから……」

 その言葉に嘘偽りは見受けられなかった。

 ただ、気になることがある。

「メグミに、跡を継がせる気じゃないだろうな?」

「まさか」

 老女は語った。

「もう二度と同じ過ちを繰り返さない……その戒めにあの子の名前を娘の名前と同じにしたのだ、と、感じております」

「それなら、いい」

 慣習にはもう囚われない、と当主は俺に誓った。

「それなら、メグミの一日を俺にくれ」

「え?」

「クリスマスの一日だけでいい。あいつの願いを叶えてやりたい」

 俺にはもう、時間がない。

「わかりました。……あなたの残り時間も、私の目には見てとれます」

 きっと当主は強い力を持つのだろう。だからこそ奇化しものというしがらみに囚われて生き、息子娘にそういう生き方を強制させてしまったのだ。恵を追いやったことは許せないが、当主にも事情があったのだ、と察しておこう。

 それから、茶飲み話もほどほどに、俺は帰った。

 しなければならないことがある。メグミの夢を叶えるために。奇化しものの俺だからこそ、できること。

 メグミに届けることができるよう、俺は祈ったこともない天に祈った。

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