第8話 いざ、クリスマスツリーへ
スーパーを出て、さてぶらぶら歩こうか、というとき、ケイが突然立ち止まった。どうしたのかと思ってケイを見ると、「あれ」と向こうを指差して驚いている様子。指が指し示す先に目を向ける。
そこには都会のショッピングモールとか、夢の国とかにありそうなサイズのクリスマスツリー。LED照明なども絡められ、ひときわゴージャスで目立った。だが、道行く人々はそんなものがそこに鎮座しているのがさも当然であるかのように素通りしていく。なるほど、私もあまり驚かないが、ケイからしたらクリスマス自体が初めてなのだから、驚き桃の木山椒の木だろう。
「あれはクリスマスツリーって言って、クリスマスを祝う飾りの一つよ」
「大きくないか?」
「家にツリー置けない人がここで楽しむために置いているシンボルだもの。それなりの大きさがなくちゃ」
「なるほど……山の主とかを切っているわけではないのだな?」
「クリスマスツリーは大体国外産よ。なかなか見ないでしょ? それに作り物の可能性もあるわ」
「あんなに大きいものを作るのか? クリスマスというたった一日のために?」
「たった一日だから、大切にするんじゃない」
私はロマンチストというわけではないが、そういう考え方の方が心を豊かにできる。
ケイはそういうものか、と何やら考え込んでいた。
「百聞は一見に如かずよ。近くに行ってみましょ」
「あ、ああ」
ツリーの大きさに若干引き気味のケイの手を引く。
興奮している私がいるのがわかった。友達もろくに作っていないから、誰かと一緒なんて初めてなのだ。ましてや、クリスマス前に、デートの約束なんかしちゃって。青春を謳歌しているっていうこの感じがたまらない。こんなに楽しいなら、彼氏までは行かなくとも、メル友くらいは作っておくんだった。
こんなに誰かと過ごすのが楽しいなんて。それとも私が子どもなのだろうか。
とにかく、感じたことがない喜びだった。誰かと一緒にいて楽しいなんて、久しく感じていなかった。それこそ、叔母が亡くなってからは特に。
母の妹だった叔母は、悪い男に引っ掛かった姉にいち早く手を差し伸べた人物だった。今思えば、相当な人格者だったのだろうと思う。勝手に駆け落ちして勝手に堕ちていったのは母の自己責任だ。勘当した時点で、縁野の家の者は母に一切関わらなくなったって不思議ではなかった。
それなのに、叔母は躊躇いなく母に手を差し伸べ、祖父と祖母に掛け合って、母の援助を認めさせてくれた。叔母がいなかったなら、私と母は今頃路頭に迷っていたにちがいない。それくらいの恩人だ。
私にもよくしてくれて、親の不始末に子どもは関係ない、と分け隔てなく接してくれたっけ。私が他の人には見えないものが見えることで悩んでいたとき、奇化しもののことを教えてくれたのも叔母だった。
「悲しいことだけれどね、人は時に、自分を守るために嘘を吐かなきゃいけないときがあるの」
そう告げた叔母の悲しげな顔は今でもありありと思い出せる。
思い返すと、ケイの優しさは叔母の優しさに通じるところがある。それに、雰囲気も似ているような気がしてきた。
「どうした? そんなじろじろ見て」
「あ、ううん。懐かしい人に似ていたから」
「ほたるか?」
「うぅ、実はかっぱおじさんとはあんまり話したことないんだよね」
「だろうな。だとしたらあいつが俺のことを話さないわけがない」
かっぱも呆れるほどのかっぱ好き。さすがかっぱおじさんである。
「私が思い出していたのは叔母さんのこと。優しい人だったんだ。ケイに似てたかも」
「……お前は、縁野の人間ではない、のだよな?」
「んと、縁野で生まれたわけじゃないけど、この縁野の地主の家の血縁ではあるよ? 叔母さんも縁野の人だし」
「何?」
そんなに驚くところだっただろうか。まあ、地主の血縁というのはなかなかいないのかもしれない。妖怪的にも、住んでいる土地の地主というのは特別な存在なのかもしれない。泥田坊の話を思い出した。山を地主に潰されて祟った妖怪の話だ。かっぱは祟るとかはないだろうけれど。
それに、縁野には「奇化しもの」という妖怪や幽霊の特別な呼び方があるのだ。妖怪側が縁野家を知っていてもおかしなところは全くない。ケイはかっぱとして長く生きているようだし、もしかしたら過去の縁野の人間と何かあったのかもしれない。
「そうか、お前は縁野の人間だったのか」
「でも、ご本家に来るのは年に一、二回よ。地元ではないって話したでしょう?」
「ああ。だが、奇化しものにとっては縁野の血縁というだけで因果を感じるのだ。案外ほたるとも繋がっているのかもな」
かっぱおじさんが縁野の血縁だと考えているのだろうか。遠いご先祖さままで遡ることになるなら話は別だが、近い血縁ではないだろう。
「血縁ではないけど、おうちは隣だよ」
「そうなのか」
そんなこんな話しているうちに、人だかりができてきた、と思ったら、ツリーがもう目前に迫っていた。
「……この木は食べられるのか?」
「唐突にぶっ飛んだ発言だね」
「いや……昔ほたるが、ケーキという甘味の話をしてくれたときのことを思い出した」
実物を見たことがないのか自信なさげだが、ケイはツリーを見上げながら続ける。
「ケーキの飾りには色のついたチョコレートが使われていて、そういう飾りが乗ったものが冬などに出回るときは、雪を模した粉砂糖をかけると聞いた。これにも雪みたいなのがついているから、粉砂糖なのかと……」
絶対に的外れな解答だと答えながら悟ったのだろう。「忘れろ!!」と叫んで顔を真っ赤にしている。
粉砂糖とか、発想が可愛いな。こういうのを女子力あるとか言うのだろうか。まあ、ケイはかっぱだが男だ。武士の情けで忘れてあげるのがいいだろう。
「これは粉砂糖でもケーキでもないけど、木を模したケーキっていうのはあるよ。それこそクリスマスのド定番のケーキだね。名前は──」
「……ブッシュ・ド・ノエル」
「えっ?」
ケイが視線を正面に戻してぽそりと呟いたのは、今まさしく私が紹介しようとしていたケーキの名前だ。横文字に弱いはずのケイが、何故このケーキの名前を?
「? 間違っていたか?」
「違う違う、合ってる。びっくりした。知らないと思っていたから」
「以前、知人に教わったのを思い出した」
「かっぱおじさんじゃなくて?」
「俺が見えたやつは一人や二人じゃない」
「なるほど」
フランス語で「クリスマスの木」という意味のケーキ。そういえば、よく叔母が作っていたっけ。それに張り合うようにして母が市販のココア味のロールケーキを買って、デコレーションして、失敗して、私に泣きついていた。叔母は優しく生地の作り方から教えてくれたが、土台が違うので引いた母を見たのが印象的だった。叔母は凝り性だから、色々なことがクオリティ高めにできて、母は「あたしの方がお姉さんなのに」といつもコンプレックス全開だった。
懐かしいな。十三年前までは、叔母がクリスマスケーキを作って待っていてくれるのがいつものクリスマスだった。縁野兄弟は叔母を除いてみんな大食らいだから、叔母はいつも、「やっぱり一個じゃ足りないようね」と苦笑していたっけ。
懐かしい……
今は、こんなにも遠い。私にクリスマスケーキの作り方、教えてほしかった。もうちょっと大きくなったらって、約束したじゃない。私は今、高校生。充分、料理をしても怪我をしないくらいの年になったのに。
叔母はもういない。
「……おい」
「え……?」
ケイに目元を掬われて驚く。ケイの目にも動揺はあったが、それより心配や慈しみの方が濃かった。
「なんで泣いてる? どこか具合が悪いか?」
「ちがう……なんでもない……」
「こんなに泣いてるやつがなんでもないわけないだろう!?」
怒鳴られて驚く。怒られたことに傷ついたのではない。心配されたことに驚いたのだ。それに、見抜かれた。
私は言葉が上手い方ではないが、誤魔化すのはそこそこに自信があった。けれど、今は何故だろう、二の句が継げない。涙ばかりが奥から奥から溢れて止まない。
周囲も突然の大声に驚いている様子。目立って仕方ない……と思いかけたところで、視界が暗くなる。抱き締められた……たぶん。かっぱのケイは人間と違って体温はないけれど、しっかりとした腕が私を包んでいるのを感じた。
「泣くな、とは言わない。ただ、辛いことは一人で抱えるな。人間は心が苦しくなっても死ぬんだ。そういう理由で消えるのはやめろ」
「っ……!?」
私は動揺した。何も言い返せない。いや、言い返す必要はないのだが。嗚咽しか、口から零れない。
体は冷たいのに、あったかいことを言う。ケイは不思議な奇化しものだ。
「本当に心の温かい人は、手が冷たかったりするのよ」
叔母の言葉が蘇る。今日はなんで叔母のことをこんなに思い出すのだろう。叔母の死という事実に胸がこんなに締め付けられるのだろう。叔母が死んだことなんて、何年も前からお線香つけに来ていて認識しているはずなのに……
「人間は心が苦しくなっても死ぬんだ。そういう理由で消えるのはやめろ」
さっきのケイの言葉が突き刺さって離れない。どうして……
「どうして死んじゃったの……?
私は夢現でそう呟いて、意識を閉ざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます