第5話 いざ、かっぱと対面

「暗くならないうちに帰ってくるのよー」

 母の間延びした声が耳朶を打つ。一日に数本しかないバスで暗くならないうちにって、もう昼過ぎているんだから無理ゲーだろう。まあ、一応頷いておく。

「愛美ちゃん、ここいらは奇化しものが出るから気をつけるんだよ」

 祖母の忠告にも頷いておく。やはり、縁野では「奇化しもの」という言葉は常用らしい。私も縁野で奇化しものと会ったことがないわけではない。

 これから会いに行こうとしている川池のかっぱもいいやつなのかはわからない。かっぱおじさんの前に急に現れなくなった理由が気になるところだ。

 それに、時々聞こえた青年声。あれも奇化しものなのだろうか。とにかく、かっぱに会うには川池に行ってみるのが一番だろう。かっぱは水辺の奇化しものだし、何よりかっぱおじさんが何度もあそこで会っているのだ。川池を棲息地にしている可能性は高い。

 私はバスに揺られ、川池に向かった。人の影は疎らだ。川池で降りる人なんて私しかいない。川池は人気スポットだが、最近はあまり来る人はいないらしい。祖母によれば、かっぱおじさんがいなくなったから、面白半分で来ていた者たちが来なくなったのだろう、ということだ。嘆かわしい限りである。別に縁野が観光地として栄えなくてもはいいが。

 バスから降りるとしん、としている。バスの中が騒がしかったわけではないが、人っこ一人いない、というのを実感できる静けさだ。バスのエンジンの音も遠ざかると、ここは車通りも少ないから、いっそう静かになる。そうすると風が木々の間をさざめき、木の葉がそれによってかさかさと音を立てるのがわかった。いかにも「大自然」といった感じの雰囲気だ。さして大自然な気もしないのは、私が大自然というものに期待しすぎなだけだろう。

 それも池の方に向かっていけばどうでもよくなる。空気がやはり違う。排気ガスの充満する道路よりは酸素が多いのだろう。環境破壊云々唱えるなら、こういう森で自炊して生活すればいいのだ、と何度思ったことか。昔はそうして生きていたはずなのに、何故人間はそれができなくなってしまったのか。まあ、私もだが。

 あれこれ考えているうちに池に着いた。さした労力は使っていない。私は「見える」のだから、呼べば出てくるだろう。

「かっぱさん、いますかー?」

「いるぞ」

「うわぁっ!?」

 かなり近くの背後から声がして、すっとんきょうな声が出てしまう。振り向くと、そこには、声のイケメン度に反して涸れたような色をしているかっぱがいた。緑色ではあるのだが、しわが寄っていて、雰囲気もげっそりして見える。

「というか、ずっといたんだがな」

「そうですよね」

 所々で聞いたイケボだった。声だけで惚れた相手がいたなら、千年の恋も覚めたことだろう。かっぱは奇化しものの中でも、原画が醜く描かれている場合が多いが、彼はまさにそれ。おじさんはかっぱがこんなだなんて教えてくれなかった。

「何だ、黙り込んで? 俺に会いに来たんだろう?」

「ソウデス」

「何故言い方がぎこちないんだ」

 いや、最近のかっぱというのはかなりデフォルメされて描かれていたんだなぁ、といたく実感していた。

 そういえば、かっぱは皿が乾くといけないと聞くが。

「水に漬かってなくていいんですか?」

「人間が気にすることじゃないだろう」

 溜め息を吐かれた。なんとなく呆れられたような気がする。

 かっぱは腕を組み、人間だったならかっこよかったであろう立ち姿で続ける。

「それに、慣れた」

「慣れた?」

「かっぱおじさんとやらのおかげでな。俺からすればかっぱ小僧だったが」

 あ、やはりかっぱおじさんを知っていたのか。

 私は早速気になっていたことを訊いた。

「なんでかっぱおじさんの前に姿を現さなくなったんですか?」

「現さなくなったんじゃない。あいつが見えなくなっただけだ」

 するとかっぱは手頃なサイズの木の棒を取り、地面に何やら書き始めた。数字と矢印だ。

「人間というのは俺たち妖怪、あるいは奇化しものと呼ばれるものを『見る』素質を生まれながらに持っている」

「えっ」

 それって、誰でも奇化しものが見えるということでは? と考えていると、かっぱは棒で一番左に書いた数字を示す。そこには「〇」とあった。

「人間はそもそも純真無垢な生き物として生まれるんだ。無垢なる者は奇化しが効かない……わかりやすく言うなら、『化かされない』のだ。だから奇化しものがいる世まで一つの『世界』だと感じてしまう。けれど」

 右へ進む矢印を辿っていくと、今度は「六」と書いてあった。

「最近の連中はこの辺りの年を境に見えなくなってしまう。それは『世界』が定義されてしまうからだ。つまり妖怪や幽霊、『奇化しもののいない世界』こそが正しい、と学ばせられる」

 ふむふむ。この数字は年齢を指しているらしい。確かに、六歳というと小学校に入って勉強を始める年だ。学校での勉強、それまでついた言葉への理解があることで、「世界の定義」とやらが精神的に、無意識下で行われてしまう。それで「世界」の幅が狭まり、奇化しものが見えなくなるということか。

 筋は通っている。よく赤ん坊や幼い子どもはここではないどこかを見ているような目をしていることがあると聞く。幽霊を見たとか呟く子どももいるとか。

「でも、おじさんとは長い付き合いだったのよね? おじさんが見えなくなる前から」

「ああ。たまに無垢なまま育つやつがいるからな。あいつは性格からして無垢な部類の人間だった。さっきも言った通り、無垢なる者には奇化しものが見える」

「でも、おじさんは見えなくなったのよね?」

 確認すると、かっぱはまた地面の数字を示した。右にずれたそれは「十六~十八」と書かれている。

「何を見るにも目の力……確か、視力というのだったか? それが必須だ。奇化しものを見るためなら、殊更視力が必要になる。それが低下し始めるのが大体このくらいの年代だな、最近は。視力が低下したらものが見えづらくなるのは当たり前のことだろう? だからあいつは……」

「それだとおかしいわ。おじさん、晩年まで眼鏡なんてかけなかったわよ?」

 私の反論にかっぱはふう、と息を吐くと、今度は絵を描き始めた。簡易的な目だ。

「視力といっても、奇化しものを見るための視力は現実で生活する分には支障がない。このまっさらな目の状態が奇化しものが見える視力だとすると」

 かっぱはがしがしと黒目の部分を塗り潰した。

「これが見えなくなった目だ。大して変わらんだろ」

「じゃあ、声は? 目が悪くなっても耳が悪くなるなんて……」

「奇化しものの世界では、五感は全て繋がっているんだよ。繋がっていないのは稀な話だ。あとは見えなくなったらわざと他の感覚を切るやつもいる。見えもしないのに、声だけ聞こえるなんて、残酷なことだろう?」

「それでも……! おじさんはここにあなたがいることくらいは知れたわ」

「それでどうなる?」

 人間のような顔はしていない。表情変化なんてかっぱにはないはずなのに、ひどく冷たい目で見られている気分になる。

「それでどうなる? あいつは『かっぱを見た』と言って憚らなかったばかりに見世物にされていただろう。俺の声があいつに届いたとして、『かっぱの声が聞こえた』とあいつが言ったら、周囲はどう反応する? きっと妄言じじいだと騒いで笑い者にするぞ。それでもあいつが幸せでいられると? 噂が立てば瞬く間に広まるこの狭い街で?」

「それでも、最後までおじさんはあなたのこと……」

「あいつに妄言癖を見出だすやつが出たら、あいつのはどうなる?」

 その一言にはっと息を飲む。

 私にも、覚えがないわけではない。私は周囲に奇化しものが見えることを隠している。それは異端だと思われたくないからだ。それでも時折現れる奇化しものに驚いて奇声を発してしまい、「周囲に不審に思われないか」をいつも気にしている。

 それは、自分が後ろ指を指されたくないから、というのもそうだが、ただでさえ色々あった家庭に「変な子の家」というレッテルを上貼りしたくなかったからだ。

 このかっぱ、思ったより思慮深い。まさか、そんなことまで考えているなんて。

「……ごめん」

「気にするな。奇化しものを疑うのは当然だ。奇化しものは人間を化かすことで存在しているわけだし。むしろ全く疑わない方が危うくて見ていられん」

 その言葉に、かっぱおじさんのことを思い起こす。かっぱにとって、おじさんはどんな風に映っていたのだろう。盲目的にかっぱの存在を信じ続けたおじさんは……かっぱが今言った通り、危うい存在だったのかもしれない。

 それを思って姿を現さなくなったのだと考えると、なんだか切なくなる。

「あなた、おじさんのこと好きだった?」

「率直な聞き方をするやつだな。……まあ、あいつのことは嫌いではなかったよ。面白いやつだった。俺が魚肉ソーセージを好みだというとあれこれ魚肉ソーセージを買ってきて食べ比べさせるような、それで好みを把握しようとする……奇特なやつだったよ」

 奇特。勘違いされがちだが、変わったやつ、変なやつ、という意味ではなく、感心な行いをした者に対して使う言葉だ。そう考えると、重みが違ってくる。

 そっか、と私が呟いて、それから和やかな沈黙が流れる。池の畔は静かで、かっぱも徒に出ているわけではないから、なんだか居心地がよかった。

 と思ったらいない?

「かっぱさん?」

「騒ぐな」

 かっぱはすぐ戻ってきた。どこから取ってきたのか、名も知らぬ雑草を携えて。

「これは?」

「献花、というやつだ。一応、やつを看取った身だからな。それに長い付き合いだし」

「ふふっ、かっぱさんこそ、奇特なやつね」

 返すと、かっぱは渋い面持ちになる。

「さっきからかっぱかっぱと五月蝿い。まあ俺はかっぱだが、一応ケイという名前があるんだ。そっちで呼んでほしいな、メグミ」

「えっ? 私名前なんて言ったっけ?」

 すると、はっとしてから、ケイはじとっとした目になる。

「簡単に奇化しものに真名を明かすな。見えるのなら尚更だ」

「え? はあ、はい」

「それにしても、この時期は花がなくて困るな。冬か」

「そうそう、年の瀬も近いのよ。世間はクリスマスだし」

「栗……?」

 何故魚肉ソーセージは知っていてクリスマスは知らないのだろう、という謎が浮上する。が、そんなことより今あからさまに話を逸らされたような。真名云々は奇化しものとして名高いかっぱの言うことなので気をつけておこう。

 さて、花か。

「仏花ならスーパーに行けば冬でも売ってるけど」

「スーパーマーケットとか言ったか。あいつはいつもそこで魚肉ソーセージを買っていると言っていたな」

 スーパーマーケットを知っているのならますます何故クリスマスを知らない?

「じゃあ、行きましょ。お花買いに」

「俺は、人里に降りたことが」

「ないなら今日は記念日ね。せっかくだから人里案内してあげる!」

「はあ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る