第3話 いざ、かっぱおじさん宅へ

 母に半ば引きずられるようにして向かったのはかっぱおじさんの家。縁野邸は大きいので、お隣さんがたくさんいる。そのうちの一つがかっぱおじさんの家だ。

 元々は川池の近くに住んでいたらしいのだけれど、年を食って、獣に襲われるのが怖いという奥さんからの要望でおじさんが泣く泣く新しい家を借りたのだという。実はおじさんの家は我が縁野家の所有する物件の一つ。まあ、地主の名は伊達じゃないということである。家を買うよりは借りる方が安上がりらしい。縁野の土地の価格は知らないが、まあそうなんだろう。ところでその家を借りた金額でどれくらい魚肉ソーセージが買えたのか気になる。

 何故かは知らないが、かっぱおじさんはかっぱを釣る餌に魚肉ソーセージを選んでいた。普通色々な伝承とか聞いていたら、きゅうりを選ぶと思うのだが、どういう理由があったのだろう。かっぱって実は肉食なのだろうか。よく考えてみれば川や池などに住んでいるのだから、草食だった場合は苔とかを囓ることになる。肉食だと、サワガニをばりぼり食べたり、鮎を一呑みしたり……うん、イメージ的に草食の方がいい。

 それとも雑食なのかしら、とくだらないことを考えているうちにかっぱおじさんの家に着いた。寒川さがわさんという。

「寒川さん、ご無沙汰しております。縁野の幸です」

「おお、幸ちゃんかい。おあがりおあがり」

 優しそうで朗らかなおばあさんの声がした。かっぱおじさんの奥さんだ。中から出てきたのはうちの祖母より「おばあちゃん」という感じがする白髪頭でしわの寄った女性だ。寒川さんである。とても人がいいことで有名で、かっぱおじさんと結婚したときは「あの変人に嫁御が来るたあ、明日は本当にかっぱが出るかもしんねぇ!」と騒ぎになったそうな。

 見れば見るほど寒川さんは日本昔話にでも出てきそうな勢いの容姿をしているおばあさんだ。そんな寒川さんが私を見てこてん、と首を傾げている。いまいちぴんと来ていないような表情だ。

 そこであっ、と気づいて慌てて自己紹介をした。

「寒川さん、お久しぶりです。縁野の愛美です。幸の娘です」

「あんらまあ」

 名乗ると寒川さんはかなり驚いた。それもそうだろう。私は川池で幾度となくかっぱおじさんには会ったが、奥さんに会うのは十年ぶりくらいではなかろうか。だとしたら、奥さんの中で縁野愛美は小学生くらいで止まっていることだろう。あの頃から比べたら、当然背も伸びたし、顔つきも変わったはずだ。

 久しぶりすぎて忘れていた。というかかっぱおじさんには毎回会っていたから奥さんに会っていないことを忘れていた。

「まあ、愛美ちゃん、おっきくなって……」

「あはは、今じゃ高校生です」

「そんなに」

 どれだけ会っていなかったのか実感が沸いてきているようで、しばし呆けた後、寒川さんはおあがりおあがり、と茶の間へ案内した。

「わーほりごたつだー」

「愛美ちゃんはうちのこたつが好きだったねぇ。小さい頃はあの人とかくれんぼするのに使っていたっけ」

「んな! それは昔のことじゃないですか!」

 子どもの遊びだ。だが、それに意気揚々と付き合っていたかっぱおじさんの精神年齢やいかに。まあ、かっぱ釣りながら「わしゃ、永遠の少年じゃ」と宣っていた人だ。察しておこう。

「あ、そうだ。その前に……お線香を」

「あら。やだわ私ったら。まだあの人がいなくなったの忘れちゃうのよね」

 朗らかに言われて、なんとも言えない気分になる。奥さんは明るく言うが、旦那さんを亡くして悲しくないわけがないのだ。

「愛美ちゃん、そんなに悲しそうな顔はしなさんな。おばあちゃんはね、あの人がまた川池に行ってかっぱ釣りをしているのだと勘違いしているだけだから」

 ふふふ、と笑う奥さんの仕草や表情には確かに悲しさはなかった。

 仏壇に案内してもらいながら、奥さんが語るのを聞いていた。

「あの人はね、死ぬそのときまでずぅっとかっぱを釣りに通っていたんですよ? 私なんかよりよっぽどかっぱの方が好きだったんじゃないかしら。帰ってきたあの人に、今日の釣果を聞くのが毎日の習慣だったわ。たまに鮎なんかを釣ってくることもあったけれど、あの人の返事はいつもこうね。『いつかかっぱを釣り上げてお前に見せてやる』って。最後まで見せてはくれなかったわ」

 呆れの混じった声。けれど、目はどこまでも愛しげに細められていた。

 そこに母がその能天気を全開に紡ぐ。

「私も見たかったなぁ、おじさんの釣るかっぱ」

 そこで奥さんが静かに障子戸を開け、その先に仏壇が広がっているのが見えた。上にはかっぱおじさんの悪戯っぽい笑顔の遺影が飾られていた。かっぱを釣りに行くときのような顔だ。もっと色々あっただろうとも思うが、おじさんの代名詞と言えばこの表情だろう。

 母に倣って線香をあげる。りぃんりぃんという鐘の音が響くのを聞きながら、私はかっぱおじさんの姿に思いを馳せた。

「かっぱを見た」

 口を開けばそうとしか言わない人だった。生まれも育ちも縁野のおじさんは、川池でかっぱを見たという。誰も信じてくれないから、川池に通いつめ、かっぱを釣ろうと一所懸命だったのだそうだ。その姿はこの狭い街の中では名物で、川池はただの池なのに、かっぱを見ようと観光客が訪れることもあったとか。

 顔を上げると、母と奥さんと一緒に茶の間に戻った。

「おじさんはどうして……」

「急性の心筋梗塞だったかねぇ。まあ、この年になればよくある話さね」

 奥さんはおじさんの死を思ったより冷静に受け入れているようだ。続きを聞くと、かっぱ池で倒れているのを見つけられたそうだ。

「最後の最後までかっぱだよ。こりゃ辞世の句はかっぱを見たじゃないんかね」

 確かに、あのかっぱおじさんならありそうな話だ。

「本当にかっぱを見たと言って死んだぞ」

「え?」

 ふと、聞き覚えのあるイケメンボイスがそんなことを語りかけてきた。この家に男性はいない。おじさんと奥さんの間には子どもはいないはずだし……奇化しもの?

「どうしたんだい?」

「あ、いえ……」

 そういえば、この声はさっき、川池でも聞いた。川池の奇化しものがここにまで? 川池からここはかなり遠いが。それとも、私が憑かれたのだろうか。

 悪い影響は今のところないようだが、用心しなければ。

「そうだ。おじさんがかっぱについて調べてた資料とかってあります?」

「ん? あるとは思うけど、急にどうしたんだい?」

 私は仄かに笑った。

「おじさんの足跡があるなら、覚えておきたいなって」

 そう告げると、奥さんはとても嬉しそうに笑った。


 連れて来られたのはおじさんの私室。そこにはかっぱ池で釣りをしているだけのおじさんというイメージからはかけ離れた量の本が本棚にぎっしりと詰まっていた。興味本位でついてきた母がドン引きするくらいだ。私もちょっと驚いた。かっぱおじさんは川池でかっぱ釣りをしているイメージしかなかったから、こう言っては悪いが……とても勤勉とは思えなかったのだ。

 だが、立ち並んだ本のラインナップを見て納得した。かっぱや妖怪関連の本ばかりだったのだ。たまに風土記のようなものがあるが、見てみるとそれもかっぱ関連の情報が記載されているところに付箋紙が貼ってある。かっぱについてわりと真面目に調べていたらしい。

 机の引き出しにはノートが何冊もあり、そこには調べた限りのかっぱに関する情報が綴られていた。おじさんがいかに真面目に真摯にかっぱと向き合っていたかがわかる。というか、かっぱのことしか考えていなかったんじゃなかろうか。

 かっぱおじさんは結局かっぱおじさんだった、というわけである。呆れと感心が入り交じった心地で、中でも古びたノートに手を伸ばした。

 それは古くて、劣化が一番ひどかった。けれど、文字を読み取ることはでき……私はその一行に惹き付けられた。

 そこには幼い字でこう書いてある。

「わしは今日、かっぱを見た」

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