第2話 いざ、川池へ

 川池は山の中腹にある。別に池に行かなくとも、道路沿いにバス停があるので、そこで待っていればいいのだが。

「うーん、いくら遠いとはいえ田舎のバス停。すぐ着いちゃったわねー」

「四十五分をすぐというのか」

 とはいえ、時間が余ったのは確かである。バス停の時間は駅前より遅い。当然だろう。

 ここは山沿いのバス停だから、駅のようにバス停が広かったり、ベンチがあったりなんてことはない。昔からあるバス停なので、なかなかボロいバス停の看板が立っているだけ。街をあれだけ賑やかにできるなら、ここのプレートくらい変えてあげればいいものを。赤ベースに真ん中に白が入って、そこに青い文字で「川池」と入っているが、だいぶ錆びが回ってきている。山の中腹にこれがぽつんと一つ。若干ホラーの臭いを感じてしまう。

 ホラーといえば、ここにはある有名妖怪の話があるんだよなぁ、と思い至ったところで、母はそんな私の思考でも読み取ったのか、ぽん、と手をつき、さも名案であるかのように提案した。

「ちょうどいいから、かっぱ池に行きましょうよー。あの名物おじさん、まだ来てるかしらー」

「えー」

「いいじゃない。減るもんじゃないし」

「時間は減るよ」

「時間減らすためでしょうに」

 ぐぬぬ。

 まあ、ただ待つのもあれだ、とは思っていた。だが、その俗称の通り、川池の池はかっぱが出る池と呼ばれている。母の言うおじさんは「かっぱを見た」と証言した縁野の名物おじさんだ。

 あまり気は進まない。かっぱは妖怪、奇化しものだ。それが出るところなんて、見える私的には進んで行きたいところではない。今まで何か出た、というわけではないが。

 まあ、母の行動力は目を見張るものがある。父と駆け落ちしたくらいだから。娘にツッコミ入れられたくらいで簡単に挫ける母ではない。つまり、ここで母の提案を却下するのは無駄な抵抗というわけだ。

 かっぱおじさんは親しみやすい性格だし、私も嫌いではない。魚肉ソーセージでかっぱを釣ろうとしているユーモアさなんか、私的にはツボだ。本当にかっぱを見たことがあるのかは謎だが、川池の恐ろしい名前の由来とは正反対に、川池が縁野の名スポットとして認識されるきっかけにはなっている。

「だいぶ年いってるからねー。生きてるかなー」

「母さん、不穏なこと言わないでよ」

 でも、確かにおじさんとは言っているが、おじさんになって数十年経っている人である。そろそろぽっくりいってしまっていてもおかしくはない。

 そんなことを話しているうちに、整備されているのかいないのかよくわからない道を抜けて、池に着いた。池とか沼とか湖とかの呼称はその水地の大きさで決まるらしい。かっぱ池はそんなに大きくないが、湖と呼んでも差し支えない程度の大きさだと祖母に教えられた記憶がある。琵琶湖なんかと比べるとだいぶ小さいような気もするが……日本一大きい湖と大きさを比べるなんてスケールが違いすぎる愚行だ、と何年か前に気づいた。

「あー、空気が美味しい」

「出た、おばさん発言」

「五月蝿い、現役おばさん」

「現役言うなし」

 事実なのだから仕方ないだろう。それはともかく。私は池の畔を見た。人はいない。かっぱおじさんは今日はいないようだ。おじさんのかっぱの話というのはとにかく中身がない割に何度も聞きたくなるような面白さがあるからまた聞きたかったのだが。

 母も、おじさんいないわねぇ、と残念がっている様子。

「いつも来てるじいさんなら、半年前に逝ったよ」

「あ、そうなんだ……」

「え?」

 イケボに分類されるであろう青年の説明に思わず頷いてしまった私だが、母が怪訝そうに私を見る。

「どうしたの? 何がそうなんだ?」

「えっ」

 経験則でわかった。母は私が見えたり聞こえたりすることを知らない。つまり、今の会話だったつもりのこのやりとりは、母には独り言にしか聞こえなかったのだ。

 それはつまり、奇化しものの仕業、ということになる。声だけでは判断がつかないが、不用意に返事するのではなかった。

「な、なんでもない。かっぱおじさんもいないし……おじさんの家、縁野の家の近くだったよね。後で寄ってみない?」

「ん、そうねー」

 なんとか誤魔化せた。

 にしても、川池で奇化しものに出会うとは。初めてではないが、何年もなかったことなので油断していた。

 まあ、「人間のくせに見えるのか。食ってやるー!」的な奇化しものはあまりいないから縁野は平和だ。今のイケボ妖怪もそうであることを祈る。

 母と池の周りをぐるりと一周したところで、時間がやってきた。

「本当にかっぱ、いたのかしらねー?」

「さあ? でもおじさんがいなかったのは残念かな」

「ふふふ、魚肉ソーセージ買ってあげるから、釣ってみたら?」

「やだよ。寒いのに」

 そんな軽口を叩きながら、私は母とバスに乗車した。


「あら、ゆき、愛美ちゃん、いらっしゃい」

「お母さんただいまー」

「お邪魔します」

 どこか凛とした空気をまとうおばあさんが出迎えてくれた。これが私の祖母である。名前はせつという。祖父が先に旅立ったので、それからは縁野の家と土地を取り仕切る大地主というわけだ。発言もはきはきしており、ちょっと辛口なところがある。

 私は脱いだ靴を揃えるが、母は祖母に抱きつきに行っている。

「お母さん、お久しぶりぃ~。会いたかったよー」

「……幸は少し愛美ちゃんを見習いなさい」

 自分の靴くらい自分で揃えろ、と母を小突く祖母。母の結婚騒動の際はかなり険悪な仲になっていたらしいが、今ではこの通り、帰ってくるたび抱きつくのがデフォルトとなるくらい仲がいい……と思う。

 私は母と祖母の仲がマックスに悪かった時代を知らないからなんとも言えないけれど、生前の叔母が、二人の関係修復をひどく喜んでいたのをよく覚えている。

「それはそうと、お隣さんには挨拶してきたかい?」

「? かっぱおじさんのとこ?」

「そ。半年前だったかねぇ、ぽっくりさ」

「ええ!?」

 殺しても死ななそうだったのに! と母が驚いているが、その驚き方は失礼だと思う。あと、人は殺せば死ぬ。

 そんな二人のやりとりに私はやはりか、と達観していた。何かわからない奇化しものが私に告げた通りの内容だ。内容に違いがないところを見るに、あまり悪さをする奇化しものではないのかもしれない。

 荷物をどさっと戸口に置いて、私の手をぶんどり、行くわよ、と仰せの母。急ぎすぎだ。

「せめて荷物くらいちゃんと部屋に置こうよ……」

「それもそうね」

 大丈夫かこの人。

 祖母がすぐ部屋まで案内してくれた。伯父たちは健在なようで安心したが、挨拶もそこそこに、私は母とかっぱおじさんの家へ向かった。

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