第5話 抱きしめられて

次に目が覚めると沢村さんが僕の顔をのぞき込んでいたのでびっくりした。


「うぉっ」 


「ああ、すみません、驚いちゃいましたか」


「ああびっくりしました。テレビの寝顔拝見やないんですから」笑


「すみません。 腕はどうですか」


「なんともないですよ」 


「でも刺し跡が痛々しいですね」


「こんなんすぐ直りますよ」


「すみません。鴨居さんは結婚されてるんですか?」


「はい。子供も一人いてますよ」


「そうなんですね」


「はい。 沢村さんは?」


「私は彼氏無しの独身です」


「そうなんですか。それだけおきれいだと内外からお誘いが多いのではないですか?」


「そんなことないですよ。全然誘ってもらえません」


「ほんまかな?」「本当ですよ」


「そうなんや。 僕が独身なら絶対に声かけるけどな」


「うれしいですね。 鴨居さんなら全然オッケーですよ」


「おお。お愛想ありがとうございます」


「ええーっ。お愛想じゃないですけどね」


「まあまあそういうことにしましょう」


「はい」「ところで何かありますか?」


「ああ、出勤したんで様子を見に来ました」


「そうですか。ありがとうございます」


「調子悪い所はそちら意外大丈夫ですか?」


「沢村さん、そちらってなんですか?」 笑


「そちらってそこの事ですよ」


「ああ。チンコの事ですね」


「鴨居さんぼかしてほしいです」


「チンチンですやん」


「はい」


「じゃあ沢村さんにお願い」


「はい」


「コチンコチンコチンって何回も続けて行ってみてください」


「コチンコチンコチンコチンコチンコチンコ・・・」


「はい、ありがとうございます。沢村さんがいつの間にかチンコチンコと連呼しているのには驚きました」


「ええっ! そんなの!」 笑


「そんな遊びですよ」


「鴨居さんいやらしいわ」


「変態なので 笑。でもこれってセクハラになっちゃいますね」


「鴨居さんにされたらセクハラじゃないですよ」


「うわっ、なんかもう抱き着きたいくらいです」


「うふふ。いつもでもいらっしゃぁーい。かもぉーん」


「沢村さんむっちゃ色っぽいですね」


「そうですかね」


「でもこんな事言い続けてたらあきません」


「他の人には内緒にしてくださいね」


「はい、もちろん」


「二人だけの秘密ですね」


「おお、なんか意味深ですね」


「はい」


「これくらいにしましょう」


「はい、何かありましたら遠慮なく呼んでくださいね」


「ありがとうございます」


沢村さんと話するとなんか楽しいな。


なぜか元カノを思い出した。


そうやな。こんな風に声をかけられてクラクラっとすることもあるんやろうな。


それは気持ちが強いとか弱いとかじゃなくて誰にでもあることなんやろな。


現に俺も少しクラクラしてる。


でもそこから先に行くかどうかは自分次第やな。


ちゃんとブレーキをかけようと思う。


また寝よう。 ほんまに寝てばっかりやな。


日曜日には職場の柿山さんと昇三さんがお見舞いに来てくれた。


「わざわざすみません」「おお、鴨居さんどうや」


「明日耳に詰めてるガーゼを取るんです。 そしたら少しは聞こえると思います」


「良かったがな」「はい。ありがとうございます」


「しかし鴨居さんあれやな」 「はい?」


「社長もな、もっと君の頑張りを評価してもええと思うねんけどな。 今鴨居さんがおらんことでてんやわんやしてるで」


「そうなんですか」


「もうほんまに鴨居さんが潤滑油やったからあれはどうしたらええねん、これはどうするねんと上に下に分かってないもんが走り回ってる感じやわ」 


「そうなんですか」


「居らんようになったら困るのは社長やのに、人件費を抑えたいのやろうな。

鴨居さんもようく考えて勤めないとええように使われるだけやからな」


「はい。ご心配いただいてありがとうございます」


「なんやかんや言うて、よその会社との競争は商品を売るとかだけやないからな。

自分の会社に必要な人をよその会社と奪い合ってるわけやから。

鴨居さんもいつかそのことに気が付いたら考えてみたらええと思う。早いうちにな」 


「はい、ありがとうございます。まるで転職の薦めですね」


「そんなわけやないけどな。せやけどどこに勤めるかで結構その後の人生も大きく変わるからな。経営者がぬくぬくしてるのに従業員がキュウキュウしてる会社を俺はいくつも見てきたから。最後は見放されてつぶしてしまうというのも何人も見てきたから」


「昇三さん、社長の事も考えてはるんですね」


「うん。人はええからな。 悪意がないだけで余計に質が悪いのかもしれんけどな。

人には恵まれてるんやからお返しもそれなりにしたらもっと喜ばれるのにな。

もったいないことやで。まあ奥さんの考えも多分にあるやろうと思う」


「ああ、それはあるでしょうね。 ちょっと見下げられてる感ありますから」


「そうか。給料だけ払ってたらそれでええと思うのは思い上がりや。鴨居さんはまだ若いねんし、ゆっくり考えたらええ。居らんようになるかもしれんって言うのが頭から抜けてるからそんな見下げるようなことも出てくるんやろな。人としてはアカンのやけど」 


「ほんまにそない思います。


昇三さんいろいろと気にかけていただいてありがとうございます」


「いやいや。また元気で会社に来てや。鴨居さんとまだまだいろんな話せなあかんからな。わしの楽しみでもあるんやから」


「はい、僕も楽しみですよ、ありがとうございます」


「さあ、ニコチンも切れてきたしそろそろ帰るわな」笑


「はい。遠い所わざわざありがとうございます」


「じゃあお大事に」


「お気をつけて。ありがとうございました」



もともとは違う会社でうちの機械を組んでもらっていたが


うちの会社の移転に伴って、通勤が便利になることもあって


請負として通うようになった。


そしてそこからいろんな話を聞いてもらったりしていた。


若いころは海外メーカーの機械の修理を一手に請け負っていた。


ある商社の下請け的な感じであったが、その商社の営業マンは皆、昇三さんのことを頼りにしていた。


昇三さんはそのメンテの会社を立ち上げる際に知り合いの力を借りたと言っていた。


何年か後にその知り合いにこの手形割ってくれへんかと頼まれた。


昇三さんは悩んだ。割ったとて不渡りになるのが目に見えている手形だったからだ。


悩んだ末に、割ってあげたとのこと。


わしはその時に嫁の顔も息子の顔も浮かんだんやけどわし自身が受けた恩を返さんわけにはいかんかったんや。 


もう仕方がなかった。


その後知り合いの会社は倒産し、昇三さんの会社も連鎖倒産してしまった。


幸い銀行には迷惑はかけてへんからよかったけれど、家族に迷惑をかけてしまったとしょんぼりしていた。


倒産前は北新地のクラブに商社の営業マンを接待で連れて行っていた。


わし自身は酒は飲まれへんかったから勝手に行って飲んでもええと言っていた。


そこのママがわしの事信頼してくれてたしわしもママのことを信頼してたからおかしなことは一つもなかったんや。


ちなみに家にお歳暮とかお中元とかそのママから届くし、わしも嫁さんにそのママにお歳暮とかお中元頼んでたからな。


二人はお互いの顔は知らんけど電話では何度か話してたみたいやから。


会社つぶしてからは行かれへんようになったけど年賀状は送りあってたな。


ええ思い出やわ。


自分も自分の家族もその恩に報いるためにある意味犠牲にしてしまうというのは恐ろしい決断やと思う。


でもおそらく、奥さんが何らかの形で後押ししたのではないかと思う。昇三さんの奥さんは芯の通ったすごい女性だ。


そう思った。


僕も何度かお会いしたことがある。


昇三さんが大腸がんになった時病院にお見舞いに行った。


大層喜んでくれたのを覚えている。


この人に喜んでもらったら自分もうれしいと感じた。


昇三さんは大腸がんを克服した。 


月曜日、いよいよガーゼを取り除く処置をする。


沢村さんが呼びに来た。


「一緒に診察室まで行きましょうか」「ハイ」


入院患者の診察は朝の診察が始まる前か、朝の診察が終わった昼からのどちらかになる。


僕は朝呼ばれた。病棟の一角にも診察室と同じ処置室がある。


「おはようございます」細田先生だ。女性で次は准教に手が届くところまで来ている。


「鴨居さんガーゼを抜きましょう。少し痛いかもしれませんが耐えてくださいね」


「お手柔らかにお願いします」


「沢村さん、鴨居さんの頭を押さえていてください」


「はい」「動かないようにしてね」


「はい」


なんと沢村さんのお腹あたりで頭を抱きしめられるような状態になった。


「すみません、お風呂入ってないのでベタベタかもしれない。申し訳ないです」 


「鴨居さん、大丈夫ですよ」


「すみません。ありがとうございます」


コハル以外の女性にこんな風に頭を抱きしめられるのは・・・。


そんなん考えたらあかんわ。


今は痛くても動かないようにしているだけやから。


「鴨居さん、始めますね」 


「はい、お願いします」


耳の表面に張ってあるガーゼを外す。


そしてアルコールか何かわからないけれど血の汚れを拭きとっていく。


そのあといよいよ耳の穴に入っているガーゼを外していく。


大きなガーゼを入れているのではなく何分割かされているようだ。


少しずつ少しずつ取り去られていくが不思議と痛みはない。


「鴨居さんどうですか」「大丈夫です」


なんか違う意味で幸せやな。コハルには言われへんけど。


ちょっと下に降りるとどんな感じなんやろうかと想像してしまう。


あかんあかん。 大きくなってしまうわ。


そして最後のガーゼになったようだ。


「鴨居さん、次が最後のガーゼですけどちょっと横になってもらいます。

湿らせてからとったほうが痛みは少ないと思うので少しの間待っててください」


「ハイ」


横になりなんかわからん水みたいなのを耳の穴に点耳された。


沢村さんがそばに居て「鴨居さん大丈夫ですか」と聞いてくれた。


「ハイ。大丈夫ですよ。ありがとうございます」


「ああっ」「鴨居さんどうされました?」


「目が回ります。 グルんグルん回っています」


「本当に。鴨居さんの目が右に左に動いてます。先生呼んできましょうか」


「いえいえ、これはね冷たい液体を耳の穴に流し込むと出るんです。止め方もわかってますけど今日はうまく行かないですね。気持ち悪」


「大丈夫ですか鴨居さん」


「ハイ。大丈夫です。収まってきました。人肌に温めてから点耳すると大丈夫なんですけどね。沢村さん知ってましたか?」


「いえ、耳鼻科に来てまだ日が浅いので知りませんでした」


「じゃあ覚えておいてくださいね」


「はい」


「最悪ゲロ吐かれるよりもましやと思います」


「はい」「いいお返事です」


「ありがとうございます」


五分くらい経って先生が戻ってきた。


「さあ鴨居さん。最後の難関です。頑張ってくださいね」


「沢村さん、また先ほどみたいに頭を押さえていてくださいね」


「はい」


再び頭を抱きしめてくれた。


先生が処置を始めたが痛みはない。


ゴボっという音とガーゼを抜き取るときのバリバリという音が響いたが

痛み自体はわずかだった。 


「鴨居さんガーゼ抜けましたよ」


「そうですか、全然痛くなかったですよ。 ありがとうございます」


「次はね」 「次ですか?次があるんですか!」


「鴨居さんごめんなさいね。あるんですよ。鼓膜の周りについているかさぶたを取っていきますね。これはちょっと痛いかもしれません。

まあふき取るという感じなのでそんなにゴシゴシするのではないですからね」


「ハイ」


さすがにこれはちょっと痛かった。


「すみません、ちょっと待ってもらえますか。涙が出てきた。ティッシュかなんかないですか」


「あれ、ガーゼしかない。鴨居さん、これ使ってください」


「沢村さんのハンカチ」


「はい。どうぞ」


「すみません。お言葉に甘えてありがとうございます」


「どうぞ」


(うぉっ。いい匂いがする)


 沢村さんも僕の頭をそれなりに抑えにかかっていたけれど

沢村さんのお腹が柔らかくて心地よかった。


耳の痛みよりもそっちに気が取られている感じだった。


「鴨居さん終わりました。 お疲れさまでした。すぐには聞こえないと思いますが少しずつ聞こえるようになると思います」


「先生ほんまにありがとうございます」


「沢村さんもありがとうございます」


病室に帰る途中で沢村さんが、


「鴨居さんの頭がお腹のあたりにあって緊張していました」と言った。


「そうなんですか」


「はい」


「実は僕は喜んでましたよ」


「ええっ」


「やわらかい感触がいい感じでしたよ」


「鴨居さん恥ずかしいです」


「ごめんなさい」


「いえ、大丈夫ですよ」


病室に戻った後、沢村さんの顔が浮かんで消えなかった。


ちょっと惹かれてきている。 やばいな。


性格上冷たくは出来へんし辛い所やな。


あかんあかん。


次にコハルが来るのはいつやろか。


また土曜日とかかな。


コハルを抱きたくなった。


でも本当は沢村さんを抱きたいのかもしれない。


何考えてんねん。


浮気した元カノのことをあれほど蔑んだのに。


自分が同じこと考えてどないする。


恥ずかしい事やと思わんとあかん。


完全に気持ちの中だけの話にする。


そう決めた。 そう決まっている。


コハルの悲しい顔は絶対に見たくないから。

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