月夜の宝石はアガパンサスに恋をする
タンザナイトのアガパンサスのブローチをジャケットに付けたレインは庭園のガゼボである人を待っていた。
風穴が開いていた両手はカイリのギフトの力により完治していて傷ひとつない元の綺麗な手となっていた。
騒動の日の深夜に邸宅に帰ってきた時のことを思い出す。
(リーナとケヴィンを泣き止ませる方が大変だったけどなんか安心したよね…)
ほんの少し前の話なのに遠い日の様に感じてしまう。
ブローチにそっと触れていろいろ回想する。本当にここに来て良かったと思える思い出がまた増えるのだろうとレインは微笑んだ。
そして、もう逃げないと誓いを立てた。
「レイン」
愛しい人の声が彼を呼ぶ。その人の首に下げられた宝石が太陽で美しく輝いている。レインの胸に輝くブローチも同じ。
カイリは嬉しそうに微笑んだ。その言葉を聞かなくても応えは分かっている。
けれど、彼の口から聞きたかった。ようやく心が通じ合った証だったから。
「あ…あの、すみません。突然呼び出して。どうしても此処じゃなきゃ話せないことでして…」
「もう!レインってばそんなに畏まらないで!だって」
「夫婦になるから…ですよね…。いや、俺が言いたい事はそういう事なわけで…」
レインはいつもの口調で話そうと試みるも緊張で上手く話せない。変に口籠ってしまう。
リーナがレインの心に「頑張って!!」と応援してくれた。
「(落ち着け落ち着け…)あの…お嬢様…じゃなくて、カイリ・マリアネル」
「っ…!!」
緊張する気持ちを落ち着かせる為に小さく深呼吸する。そして、決意を固めたレインは迷い無き眼差しをカイリに向けた。
「俺には金もないし、貴族でもない。偶然記憶のギフトを持ってるだけのだだの平民。貴女と釣り合わないかもしれない、貴女の傍に居る権利もないのかもしれない……それでも…俺は…」
アガパンサスの花弁を纏った風がガゼボを吹き抜けた。
「改めて言わせてほしい。貴女の傍にいたい。貴女の助けになりたい。カイリ、貴女と結婚させてください」
初めてカイリにプロポーズされた頃に告げた迷いが籠った返事と想いから、心の底から彼女を愛し大事にしたい、ずっと傍にいたいという想いが詰まった返事はと変貌していた。
その言葉を受け取ったカイリは嬉し過ぎて胸が張り裂けそうになっていた。
我慢できなくなったカイリは勢いよくレインの胸に飛び込んだ。
「本当に私でいいの?こんなに我儘な私でいいの?」
「ええ。カイリがいい。カイリじゃなかったらこんな事言わないし」
「絶対に離さないから。貴方がどんな所へ行こうと《《》》必ず追いかけるから。世界の果てでも何処へでもね」
「あはは。分かってます。俺もそのつもりだから」
カイリは気づく。もうレインの自分に対する言葉遣いが使用人としてではなく夫として話してきてくれている事に。
それは、彼女がずっと望んでいたことだった。夢では無い。ちゃんと自分の耳に聞こえてくる。
涙で目の前が滲んだカイリはレインを抱きしめる腕の力を少し強めたのだった。
ミネア・アンダースが引き起こした騒動から一年経った頃にようやく2人の結婚式が執り行われた。
式の会場はマリアネル邸のアガパンサスが咲き誇る美しい庭園。
招待された者は2人の結婚を心の底から祝福してくれる人ばかりだ。
幸せが詰まった会場は穏やかな時間が流れる。
ガゼボの中で白いタキシードに身を包んだレインは緊張気味に牧師の前で花嫁が現れるのを待っていた。
(リーナ、どうしよう。緊張して倒れそう)
(わー!!が、頑張ってー!!もう少ししたらカイリ様がくるからー!!)
緊張して倒れかけているレインがリーナに励まされている中、参列している客もマリアネル邸で働く者も今か今かと花嫁の登場を待った。
すると、父親代わりのエドワード共に美しい純白のウェディングドレスに身を包んだカイリが現れた。その首には月夜の宝石が輝いている。
レインと客達はあまりの美しさにため息をついた。
今にも泣いてしまいそうなエドワードとヴァージンロードを歩むカイリは幸せそうな表情を浮かべていた。
「お嬢様。幸せになってください」
「ええ。ありがとうエドワード。必ずなるわ。レインと一緒にね」
カイリをレインに託し、少しだけ彼女の背中を見守ってから自分の持ち場に戻っていった。
2人は牧師に告げられた誓いの言葉に応えてゆく。嘘偽りの無い返事を告げた2人は指輪を交わす。そして、牧師は誓いのキスを促した。
レインはそっとカイリの頭のベールを上げる。顔が露わになった彼女は愛おしそうにレインを見つめたと思ったら勢いよく彼にキスをした。
キスを終えたカイリは満面の笑みを浮かべていた。
「……アンタ、本当俺のこと好き過ぎる」
「だって嬉しくてつい♪」
満足そうなカイリにレインは反論できなかった。きっと、それは彼も同じ気持ちだからだろう。
ガゼボのそばで咲くアガパンサスがそよ風に揺られている。まるで2人の結婚を祝福している様にアガパンサスは咲き誇っていた。
『これからもっと、もっと、幸せになってね。私のアガパンサス。私の可愛いレイン』
優しく愛おしい声を聞いた気がしたレインは声がした方に振り向く。そこには誰もいなかったが、優しく穏やかな風と白い花びらが舞っていた。
「どうしたの?レイン?」
「いや…なんでもない。声が聞こえた気がして…」
その声に恐れはなかった。寧ろ、幸せにしてくれる優しい声だった。
レインはその声の正体が誰なのかなんとなく分かっていた。
(ありがとう。母さん)
レインは自分を産んでくれた母に感謝した。
彼はようやく愛する人に囲まれる幸せな生活を手に入れたのだ。初めて生まれて良かったとはじめて感じていた。
そして、レインの言葉に応えるように薄紫色のアガパンサスが優しい風に揺れたのだった。
月夜の宝石はアガパンサスに恋をする テトラ @onkenno
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