第2話 【承】


 スズメを名乗る謎の少女と、一人用の小さなテーブルを挟んで座る。

 不審者を家に入れただけではなく、ついうっかりお茶まで出してしまった。


「本当にあのときのスズメなの?」


 普通の人生を生きてきて、スズメを名乗る不審な少女にこんな質問をする機会が訪れようとは。

 陳腐な表現だが、人生は何が起こるか分からない。


「信じられないですよね。私が逆の立場だったら信じないですもん。詐欺とか泥棒とかを疑っちゃいます」


 自分のことなのに、少女はあっけらかんと言った。


「俺は今も、君のことを疑ってるよ」


「疑ってるのに家に入れちゃったんですか?」


「入れちゃった……」


 だってこの子、グイグイ来るから。

 頭を下げながら、玄関扉の隙間に身体を捻じ込んでくるから……。

 俺は昔から、押しに弱いタイプなんだよ。


「あははっ。入れちゃったって、お兄さん警戒心無さすぎ。せっかく私のことを疑ったのに、家に入れたら意味ないですよ?」


 本当にそう。

 サスペンスドラマで「やっぱりお前が怪しいと思ったんだ」とか言いながら殺される被害者みたいだ。

 分かってたんならもっと警戒しろって…………あれ。もしかして俺、被害者ポジション?


「大丈夫です。私は本当にスズメですから」


 俺の不安を察したのか、少女はまた明るく言った。


「う、うーん……」


「私ってそんなにスズメっぽくないですか?」


 少女が確認がてら自身の茶色いスカートをめくると、スカートの下に履いている白のドロワーズがちらりと見えた。

 ちなみに男なのにドロワーズを知っているのは、断じてそういう性癖によるものではない。

 妹がいるから知っているだけだ。断じてそれだけだ。


「どこからどう見てもスズメが人間になった姿だと思うんですけどね、私」


 百人に聞いてもその感想を抱く人間は一人もいないと思う。

 スズメが人間になるなんて、あまりにも非現実的すぎる。

 それに。


「童話とイメージが違うと言うか……鶴の恩返しっておしとやかな女性が恩返しに来てた気がするけど、君はやたらと元気だし」


「元気なのはいいことじゃないですか」


 それはそうなんだけど。


「人間に個性があるように、鳥にも個性があるんです。あの鶴はおしとやか! 私は元気!」


「個性……そっか……?」


 個性と言われるとそんな気もしてくる。

 鳥にだって個性はあるだろうし。


 少女の勢いに負けて納得しそうになると、当の少女が心配そうな顔で俺のことを見つめていた。


「お兄さん大丈夫ですか? チョロすぎて詐欺に遭ってないですか?」


「君が言うことではないよね!?」


 少女は根っからの悪人ではなさそうだが、一言多いタイプのようだ。


 このままだと、だらだらと雑談が続いてしまいそうな雰囲気なので、本題を切り出した。


「あのさ、家に泊めてほしいって話だけど」


「家に上げておいて今さら、やっぱナシ、はナシですよ」


 少女はここから動かない意志表示なのか、正座をやめて、どっかと胡坐をかいた。


「そうじゃなくて。その……うちには機織り機なんてないよ」


 鶴の恩返しでは鶴が自身の羽を使って反物を織っていた。

 しかし昨今では、機織り機を持っている家は数えるほどしかないだろう。


「機織り機……? ああ、恩返しのやつですね。今どきは機織り機なんて使いませんよ。だから作るのは反物じゃありません」


「じゃあ何を作るの?」


「羊毛フェルトです」


 少女は持参していたリュックから、羊毛フェルトの材料らしきものを取り出した。


「材料は自分の羽じゃないんだ……」



   *   *   *



「夕飯はお鍋でいいですか?」


 少女は質問形式で聞いてきたものの、すでに鍋の準備を始めていた。

 ちょうど一人鍋をしようと思っていたこともあり、冷蔵庫に鍋の具材が揃っていたからだろう。


「本当に泊まるの?」


「泊まるし、夕飯も食べます」


 料理のためだろうが、気付くと少女は包丁を握っていた。

 この状態で下手なことは言えない。


「もう夜も遅いから今日は泊めるけど、今日だけだからね?」


 俺の言葉を聞いた少女は、嬉しそうにその場で小躍りをした。

 ……包丁を手に持ったまま。


「お願いやめて。包丁を振り回さないで」


 俺は今、不審者を家にあげた上に包丁を振り回させている。

 もしかして……いや、もしかしなくても、非常に危険な状態なのかもしれない。


 不安な気持ちが顔に出ていたのだろう。

 少女は包丁をまな板の上に置くと、両手を上げて危害を加える意志がないことを示した。


「私は恩返しに来たのであって、危害を加えたりはしませんよ。つい包丁を振り回しちゃいましたけど」


「つい、で包丁を振り回すのは止めた方が良いと思う」


「それはそうと、デザートがありませんね。冷蔵庫の中には甘い物が皆無でした」


「それはそうと、じゃないよ。話を流さないで包丁を置いて」


 少女は仕方がないなとまな板の上に包丁を置いた。

 とりあえずの安全は確保できたようなので胸を撫で下ろす。


「まあ最近ケーキは食べ飽きてるので、デザート無しでもいいですけど」


「え、廃棄のケーキを貰ってるとか? 君、ケーキ屋で働いてるの?」


「いやだなあ。スズメがケーキ屋で働いてるわけがないじゃないですか。面白いことを言いますね」


 少女は、俺がおかしなことを言ったかのように笑い始めた。


 確かにスズメがケーキ屋で働いているわけはないだろうが、それを言うなら、スズメがケーキを食べ飽きているわけもないと思う。


「お兄さんってば、変なことを言うんですから」


「君には言われたくないけどね!?」



   *   *   *



 夕食を食べ終わった俺たちは、各々寝る準備を始めた。

 すると少女が思い出したように聞いてきた。


「そういえば『決して覗かないで下さいね』ってやつは、どこでやればいいですか?」


「ワンルームだからそんな部屋は無いよ」


 部屋に入った時点で気付くような気もするけれど。


「えーーーっ!? 計画が台無しです!」


 少女は信じられないとばかりに自身の口を覆った。

 そんな顔をしなくても……。

 学生がワンルームマンションに住んでいるのはよくあることのはずだ。


「貧乏学生の家なんてこんなもんだよ。むしろベランダが付いてる分、貧乏学生よりも少しグレードが上かも」


 少女があまりにも衝撃を受けているので、俺の中の変なプライドが出てしまい、貧乏学生よりもグレードが上と付け加えてしまった。

 非常にダサい。

 大学から離れた安いマンションに住んでいる時点で、十分に貧乏学生なのに。


「へーえ。じゃあ隣の部屋の声も聞こえちゃう感じですか?」


「聞こえちゃう感じだね」


「うわ、悲惨」


 悲惨って……そこまで言わなくても……。

 物理的には何もされていないが、自尊心に包丁を突き立てられてしまった。


「まあいいです。それならあそこを私のテリトリーにします」


 俺の自尊心から血が滴っていることなど知らない少女は、あっさりと切り替えて押入れを指差した。


「あんな狭い所でいいの?」


「貧乏学生の家ですから。我慢します」


「……それは悪うございました」





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