第33話 ままならぬ

 嘘だと思った。

 波瑠止もジョージも、信じられず別邸へと戻る。

 そこで二人が見たのは、半壊した別邸であった。



 まず二人が行ったのは、怪我人を医療機関へ送り出すことだった。

 その後、彼らは屋敷に詰めていた者たちから聞き取りを行った。


―――夜更けに、武装した一団が襲撃してきた。


 誰かは知らぬが、やってくれるものだ。

 別邸が荒らされたため、災害時の仮設テントの中で波瑠止は考える。

 ふと横目で見ると、ジョージが震える手で髪の束を手にしていた。

 色合いからして、彼の姉のものだ。

 

 周囲の喧騒が聞こえるほどの静寂があった。


 波瑠止は、目元を揉む。


「嗚呼、糞が」


 誰に言うでもない。

 いいや違う、愚かな自分に対してだ。

 もっと早くに気づけただろう? 見通せぬお前が愚かなのだ。

 結果はどうだ? 茅は攫われた。生死は不明だ。


「姉さんが」


 ジョージは取り乱しており、まだ使えそうにない。

 思考が冷えていくのを、波瑠止は感じた。


 怒りは、ある。泣き叫びたいの気持ちもある。


 だが、それ以上に屈辱感があった。


「………どうする、か」


 波瑠止は襲撃犯が送り付けた手紙を見る。

 向こうの要求はシンプルだった。

 上杉の軍艦を渡せ。

 なるほど、麻薬より上杉の関与から先ず逃れたいらしい。


「どうする?」


 正しい選択だ。

 旗本・御家人の看板の裏で薄暗い商売をするのだ。

 出来ることなら、五閥からの注目を避けたいのだろう。

 小賢しい、小賢しい、腹が立つ。


「どうすればいい」


 波瑠止は思考を重ねた。

 提案を呑む、それも出来る。そうすれば、茅が戻るかもしれない。

 だが茅が戻っても、自身の手での今後の政治や統治は絶望的だろう。

 麻薬製造者らに屈したのだから、何れは消される。


……消すか、あいつら。


 結論は出た、だが……実行を考えると障害がいくつも浮かんだ。

 麻薬製造者らにも繋がりはあるだろう。

 それこそ、徳政が漏れた時のように、こちらの動きは丸裸。


……探題は、頼れない。


 口に出すのも憚るような不祥事だ。

 必ず探題は柳井市の浄化に動く。

 そうなれば、大勢が死ぬ。下手すれば柳井の係累全てが消される。


……いや? 茅すら守れん無能どもだ、死んでもいいか。


 だが、そうすれば自分も死ぬだろう。

 

 ままならない。

 手が足りない。

 人を信じられない。


 幕府へ通すのは、どうだろうか?

 いいや探題に申し出るのと同じだ。

 旗本として醜態を晒し、後は消される。


「……どう、する?」


 何度目かの呟き。

 そこで初めて返事があった。ジョージである。


「姉には死んでもらうしか、ないでしょう」


 葛藤が今だ続くのだろう。

 それでも従者として、腹心としてジョージは答えた。

 波瑠止は、己はジョージのように葛藤できるかと、少し考えた。

 考えたのだが、彼はその思考を打ち捨てた。

 今は無駄な思考であるからだ。


「……わかってるとも」


 そう口にして、激しい怒りが波瑠止の腹の中で渦巻いた。


「無力だな、俺は」


 名ばかりの名家を相続しただけある。

 ここで波瑠止は、権力を欲した。

 何もかも有無を言わさぬほどの権力だ。


「上杉様を頼りますか」


 ジョージが、あえて口にした言葉に波瑠止は首を振る。


「頼れるものかよ、なおさら」


 疑いを正そうとした相手を、それも五閥を頼る。

 その結果がどうなるかくらい、彼も理解している。 


「死ぬな、俺たち」


 そう呟いて波瑠止は歯ぎしりした。


「恨めしい、力があれば」

「同意します」


 ジョージが肯定し、波瑠止は惨めになった。

 努力も無駄、茅は攫われた、自分の無力さが痛いほどだ。


「………幼馴染を殺して、地位を保つ、ね」


 今自分が選べる手段は三つだ。


 今は伏す時なののだと、耐えるのが一つ。

 そうして要求を突っぱね、自身を延命させる。

 その上で、火星で嫁を探し、嫁の実家の力で柳井市を浄化する。


 もう一つは、何もかも明らかにすることだ。

 家を潰す愚か者として、幕府、探題に全てを報告する。

 その結果は社会的な死だろう。

 そして、その後で殺される。


 最後は、信頼できる部下の派閥を作っての浄化。

 これは詰んだ現状では、夢物語であろう。

 部下を掌握する時間は? そいつが敵の紐付きである可能性は?

 実行するための課題はあまりに多い。

 そして強硬手段を取られた今では、実行できると思えなかった。

 また露見しないと思えない、現に上杉は知っている。


 どの手段を選んでも、茅を見捨てるのは必須だ。


「それが臣下の役割です」


 震える声で、ジョージが言う。

 ああ、そうだろう。そうだとも。

 波瑠止は、その答えに激高した。


「お前はシスコンだろうが!」

「お家が大事なんです!」


 八つ当たりだ、分かっていた。

 腹心の胸倉を掴みながら、波瑠止は吠える。


「分かってんだ! 建前で生きてる!」


 破綻する旗本・御家人。

 その一例、幕府の中での珍しくもない話。

 そう、そうなる。波瑠止が決断をしなければ。


「それを捨てたらおしまいだって! だけど!」


 ジョージを突き飛ばして彼は慟哭する。


「惚れた人を犠牲にしてまで、やることなのかよ!」


 教育の結果、波瑠止だって分かっている。

 家臣の娘一人、切り捨てて耐えろと。

 感情のまま動いて破滅するのは愚かであると。


 けれど、けれども! 彼にも思いがある!


 惚れた人を見捨ててまで、柳井本家を続行させる価値を彼は見出せなかった。


「何が名家だ、何が当主だ、俺は、俺は! 見捨てられない!」


 そこまで言った波瑠止をジョージが遮った。


「それは、本気ですか?」

「何が分かる!」


 再度ジョージの胸倉を掴んだ、波瑠止。

 ジョージは彼へ頭突きを食らわせてから、問う。


「まだ、手は、あるかもしれません」


 ジョージを波瑠止は睨む。


「この状況で、か?」

「ええ」

「嘘偽りないな?」

「勿論」


 その暗い覚悟を灯した目を見て、波瑠止は黙る。


「ご実家を頼りましょう」


 親族を頼る。

 それは間違ってない。波瑠止も考えた訳ではなかった。

 ただ、それをすれば、間違いなく乗っ取りだと周囲は判断する。

 そして全てが上手く行っても、波瑠止の立場は悪くなる。

 

「無理だ」


 波瑠止が答えると、ジョージは言う。


「腹を切ると答えなさい」


 波瑠止は一考した。

 そして考えた結果、腹心へと問う。


「その前提なら願いは叶うだろう。俺が死に、茅が生き延びるってか?」


 波瑠止は言葉を続ける。


「シスコンらしいが、考えが足りんぞ。茅の未来は」

「ええ無いでしょうよ。だから、貴方が姉を攫って逃げればいい」


 武家とは思えぬ発言に、波瑠止は絶句する。


「ただの、小僧と小娘として何処なりとも落ちぶれればいい」


 さあ、どうしますか。

 真心からの発言に、波瑠止は短く答えた。

 その答えに、ジョージは満足した。

 たとえ従者として誤っているのだと理解していても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る