第32話 【巨人と彼】

 切り取られた茅の髪の一部と文面。

 それらを波瑠止らが別宅で確認していた同時刻。

 誘拐された茅は、短くなった髪を気にすることなく誘拐犯を睨んでいた。



 今自分がいる場所が何処だか、茅には分からない。

 だが、自身を浚った誘拐犯には見覚えがあった。


「見た目に反して気は強いらしいな」


 わざわざ運び込ませたらしい。

 上等な椅子に腰かけた上杉平次は、そう言った。

 ロープで縛られた茅を見下ろしながら、彼は楽しそうに言う。


「無言か、よく躾けられている」


 茅は、周囲を見る。

 調度品や部屋の雰囲気からして、ホテルか迎賓館らしい。

 会話するかしないかで悩んだものの、彼女は口を開く。 


「何故、上杉様が? あの、お言葉は嘘だったのですか?」


 茅が質問すると、平次は鼻を鳴らした。


「否、嘘偽りはない。見届けろと言われたので、手を貸してやったまでよ」

「見届け……?」


 平次は足を組む。


「幕府役方の林だ」


 茅は、信じられなかった。


「木っ端の悪徳企業までは探れたが、よもや幕臣が組んでいようとはな」

「……であれば、何故私が?」

「さあ? アレの目的なぞ知らん」


 突き放した物言いを平次はする。

 ただ何かの予想を口にする。


「お前はな、殺しても殺せない現当主をおびき出す餌にされたのだろうよ」


 茅は黙らざるを得なかった。

 まず彼女は、波瑠止をおびき寄せる為の餌として利用される我が身を恨んだ。

 それから不安と恐怖、そして情けなさで彼女の頭はいっぱいになった。


―――いずれ我が身は殺されるのだろう。

 

 主君と弟、そして家族に迷惑をかけることを彼女は恥じた。

 それと同時に、死への恐怖を覚えた。

 何をされるのかが分からない未来が、彼女の不安を掻き立てる。


「女中、ここは泣きわめけばいいだろう?」


 真っ青な顔で震える茅を見て、平次は不機嫌そうに声を出した。


「……出来ません」


 消え入りそうな声で、茅が答えると平次は眉根を寄せた。


「強情なだけか。柳井当主は外側しか見ないのかね?」


 違う、と即答しようとして、茅は言葉に詰まった。

 茅は波瑠止と幼馴染である。

 彼が自分を好いてる理由がなんなのか、茅は断言できなかった。


―――話題が合うから? それとも長くいたから?


 思い当たることはあれど、それだと言い切れる理由を見つけられなかった茅。

 彼女は平次の指摘を否定出来ず、少なからぬ衝撃を受けた。

 そんな茅の内心など知り得ない平次は、呟く。


「これで当主の地が出るだろうよ」

「地?」


 茅がオウム返しをすると平次は答えた。


「小さかろうが領主持ちの旗本だ」


 建前とメンツはあるだろうよ、と彼は付け加える。


「家臣を売る真似なぞ出来まい」

「わかってらっしゃるなら――」

「なので、あの時、言い返してきたのは世間体と建前からだと思っている」


 平次は茅から視線を外して言った。


「とは言え、この上杉に面と向かって言い返した青二才はアレだけだろうな」


 平次は誰に言うでもなく呟く。


「どう動くかね?」


 正直彼は、どうでも良い。

 林に与したのも事態の収拾の為であった。

 

……ただ、一つ願わくば、面白い見せ物になればいいな、と言うだけ。


 林は好かんが、柳井は買っている。

 踠いて破滅するも良し、狂って自滅も良し。

 最後くらいは役得あればいい、そう平次は結論を出した。


■■■


 官僚として旗本御家人と付き合い、そして利権と利害を洗い出す。

 火星で磨いた林の手腕。

 それが本家柳井の秘密を嗅ぎ出せたのは、偶然であった。

 

………破綻すべき知行地が破綻しない? 

 

 珍しくもない赤字の家の生存。

 だが、その家が金に不自由し得ないと分かれば、林は俄然興味を惹かれた。

 そして伝手で辿れば、大当りである。

 麻薬の生産共有地、それも化学合成の家庭内生産だと分かった。

 ソレを知った林は、一つのアイディアを得た。


………揺さぶりをかければ、その設備ごと手に入れられるのではないか?


 もし実行するならば、見返りは大きい。献金やコネとは桁が違う。

 だがハッキリと明確に法を逸脱し、リスクを背負うのは分かっていた。

 しかし、リターンは……あまりにも魅力的過ぎた。

 そして彼は、実行した。



 林の謀略はハマった。

 背を押す、手を貸す、入れ知恵する。

 探題での工作は、柳井当主を確実に追い込んだ。


 自分と同じ名家の自負からか?

 先方が悪事の露見する前に清算したのは予想外だった。


 だが、かえって林の利益となった。

 気化爆弾で当主は後始末を付けたのである。

 現場は混乱し真相は失われた。

 最も再起の策は仕込んでいたらしいが。


………麻薬の販売を担っていたコマロクが泣きを入れてきたのも良い。


 全ては秘密裏に終わった。 

 後は何も知らない分家出かつ、当主に据えた小僧が退場するだけ。


………命までは取らない、政治の舞台から退場してもらうだけだ。


 そうして傀儡の幼児を盛り立て、彼が裏で操る。

 林の計画は、ほぼほぼ達成されかけていた。


 だが、最後の最後が進まなかった。


 当主に据えた小僧は、悪運と非常識な行動を繰り返した。

 その結果、ことごとく林の魔の手を逃れ続けた。


 激務を放り投げたところで政治から脱落させるつもりが、投げ出さない。

 葬儀の時に刺客を差し向ければ、刺客を返り討ちにする。


 内心の動揺を押し殺して、彼も譲歩した。

 そうして領地の返上を提案してみれば、生意気なことにソレを拒否。


………ならば容赦はせぬ。


 と、コマロク商会の遠藤を差し向けて戦争させたら、なんと勝利。

 神風特攻かまして勝ちをもぎ取るなど、頭がおかしいのではないか。

 これらの散々な結果から、林は遅ればせながら理解した。


―――奴は、自分の人生に滅多に表れない思い通りにならない障害物であると。


 林の認識を証明するように、奴は上杉の干渉まで回避して見せた。

 これで、林は小僧が自身の夢の敵であると理解した。

 

―――何をしても排除できない小僧。


 業を煮やした林。

 彼が、小僧の思い人たる茅の拉致を思い立ったのは自然な流れであった。


―――林には夢がある。己こそが天下に号令をかけるのだと。


 その夢は今も胸の中で燃えていた。

 彼は小僧との決着を付けるべく、夢の為に行動するのであった。

 しかし、その夢への道筋に暗雲が垂れた。


……忌々しき上杉である。


 幕府の外にあり、幕府を利用する寄生虫ども。

 耳聡いアレが、動くことを林は予想していた。

 ただ、何故か協力を申し出たのは予想外であった。


 普通なら協力など出来ぬ。だが林は、泥を飲んだ。

 上杉を敵視しながらも、彼は己の為に上杉と手を組んだ。


 小僧が懸想した女の身柄を抑えたのも上杉。

 政治交渉のバックアップも上杉。


 業腹であった。屈辱であった。

 だが林は止まらない。否、止まれる理由がなかった。


 天下に号令を懸けるのは己だ!

 

 夢を胸に、彼は最後の仕上げに入った。

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