第9話 正論は時に人の心を砕く
「えっと、殿」
「えッ? おう、なに?」
不意打ちに若干声が上ずった波瑠止である。
茅は、それを見てクスクスと笑った。
「思い詰めた難しい顔をしていらしたから」
真剣に案じてくれてるのを彼は察した。
「なんでかな? って思っていたんですけど」
波瑠止は、また顔が熱くなった気がした。
ただ、今の空気なら生産的な話ができると彼は思った。
そんな波留止に止めを刺すようなセリフを、茅は口にした。
「……そんな無理して私にプロポーズする必要はなかったんですよ?」
時が止まった。
そう波瑠止は思った。
まず彼は硬直した。そして動悸が激しくなったことを理解した。
今の発言はプロポーズ拒否より、波瑠止に大ダメージを与えたのだ。
動揺したそぶりを見せぬよう、必死で表情筋を抑えながら波瑠止は口を開く。
「えっと、茅」
「はい、殿」
「まず……殿呼びは何で?」
波瑠止としては、軽いジャブである。
「え? だって名家の御当主になられたから、若様は変でしょう?」
ド正論であった。
茅は真面目だもんなー。
と、現実逃避をしながら波瑠止は続けた。
「茅、俺と茅の関係って何?」
茅は微笑みながら言った。
「幼馴染で、家来ですよ?」
波瑠止はビール瓶で頭ぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
猛烈な胃痛が、波瑠止に襲い掛かった。
「え…あ…うん、わかってる、わかってるんだが……」
失恋より、本人的には大ダメージである。
しどろもどろになる波瑠止。
茅は「殿は、どうしたんだろう?」と本気で心配した。
―――このすれ違いは、両者の認識の違いからだった。
波瑠止は一方的に茅へ好意を持っていた。
が、茅からしたら波瑠止は素敵な若様であった。
彼女からすると、ラブは疑問だがライクだとは答えられる関係だ。
この食い違いは、茅が家臣筋に生まれついたことに原因があった。
……主家を盛り立てるのが家臣の役割である。
若様の腹心は年子の弟がやっている。
だから【自分は単なる幼馴染である】と茅は考えていた。
……それは、あながち誤りではなかった。
婚姻は本人同士も大事だが、家のつながりも大事である。
ましてや茅の視点からすれば、波瑠止は文句なしの「自慢の若様」である。
惹かれないことはないが、あくまで自分は家臣の娘である。
何れ自分は何処かの家に嫁いでいくのだからと、彼女は考えていた。
………彼女が鈍感だったことも悪かった。
なんと茅は波瑠止との恋愛は考えたことが無かったのだ。
これは茅が波瑠止の好意に対して察しが悪い訳ではない。
好意はあるし情もあるが、主君の未来を思っているのが彼女である。
そう考えていたが故に、彼女は波瑠止のプロポーズを断った。
なんとも酷い真実であった。
とは言え、だ。
茅の内心を察しようがない波瑠止。
彼からすれば、布団被って引きこもりたくなるレベルの発言ばかりである。
日ごろからヘタレてたからこそ、波瑠止の心は的確なダメージを蓄積した。
「俺、ダメかも……」
半泣きで波瑠止が零してしまったのも無理は無かろう。
茅は、慌てた。
「殿?! 大丈夫ですか?」
大丈夫とも返せず、波瑠止はズリズリとソファに沈んでいく。
「ああ、うん、体は大丈夫」
茅は不安そうな顔をした。
「本当ですか? お断りしたことがショックだからとか?」
姉弟そろって死体蹴りを口にした茅。
波瑠止は思わず目を覆った。彼はガチで泣いていた。
「いっそ殺してくれ……」
茅は、ますます困惑した。
どうやら余程ショックなのだろうとは分かった。
なので彼女は波瑠止へ、断った理由を全て説明することにした。
「殺せません。殿、私がお断りしたのは三つ理由があります」
茅が指を出すと、波瑠止は死んだ目で見た。
「3つも……? 嘘だろ」
若干、波瑠止は恐怖で震えた。
だが茅はソレをショックからだと受け取った。
誠意からの暴力が彼を襲うこととなる。
「はい。まず一つ目、主家と家臣です」
正論である。
「縁組は私の代でなくとも良いと思いますが?」
これは茅の弟、ジョージからの影響であった。
二人とも当主に目をかけられると言うのは、他の家臣からの嫉妬を買う。
「お、おう」
「二つ目は、婚姻政策の為です。殿は良家から妻を迎えられるべきです」
これは茅が自分で考えたことであった。
ただでさえ本家相続と、難事に殿は挑まれるのだ。
後ろ盾となる人間は力ある人が好ましい。
だから縁づくりのために殿は良家の女性と結婚すべき!
本気で茅は、そう考えていた。
「ヴ…ヴン」
奇怪な発音で、波瑠止は返事を返した。
二つ指を折った茅は、最後の理由を話した。
「最後です」
「ああ、聞くよ」
茅は波瑠止の顔を見た。
ハンサムで好感を持てる殿だが、今はとても顔色が悪い。
「そもそも、殿と私……」
そう言いつつも、茅は顔が赤くなるのを感じた。
「付き合って、ないですよね?」
波瑠止は、涙が止まらなかった。
そして彼は決意した。絶対、茅を振り向かせるのだと。
………結婚すら不自由である。
その現実を彼が失念していたのは言うまでもなかった。
そんな主のやり取りを扉の向こうで聞いていたジョージは、ため息をつく。
主よ、恋愛脳を発症し、未練タラタラじゃねえか、と。
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