第10話 【彼の野心】
共産主義、あるいは宗教。
幕府の開祖である御大将軍が神聖化したのは幾つかの要因がある。
彼の存在が将軍家と幕府の統治に正統性を与えたのも要因の一つであろう。
しかし、彼が神聖視された根本は民衆が彼を指導者に選んだことにあった。
………御大将軍はローマ帝国の軍人皇帝的であったと例えられる。
例えの通り、彼は荒っぽい軍事組織の長であった。
だが同時に彼はテクノクラートでもあった。
確かに彼が敵と戦い続けたのは事実だ。
少なくとも人類同士の戦争に限定すれば、避けられた戦争も多い。
だが、戦争を引き起しつつも彼は許容された。
何故か? 同時に【国土】を開いたからである。
母なる地球を離れ、人の住める土地を作る。
つまり現代まで続くテラフォーミングとコロニー開発を彼は押し進めた。
だからこそ、彼は人々を救い上げ続けることが出来た。
彼はどんな時も戦い続け、作り続け、人類の守護と繁栄に力を入れた。
優秀な二代目が月で水爆によって消し飛んだ時も、
既に老境80を超えてスカポンタンの三代目が木星勢力に負けたときも、
なんなら癌治療中であっても、
彼は戦った。そして人が住める世界を広げ続けた。
VNMや宇宙での戦争で勝っただけなら、彼は評価されなかっただろう。
軍事面で彼を超える人間も幾らでも上げられるだろう。
だが、新たな人類の生存区域を愚直に作り続けたのは彼が先駆者であった。
御大将軍と美称で呼ばれ神格化されたのも、ここが大きい。
コロニーと言う国土を造り、民衆に衣食住を与えた彼は現代の神であった。
だからだろうか?
彼は日本人の手で宇宙神社(フォボスとダイモスに設置)の祭神にされた。
なんなら存命中だったのに、台湾系オタクの手でTS萌えキャラ化された。
当然のことながら薄い本は出回り、逮捕者と死刑囚が出た。
――――緑青社 自費出版作品:太陽幕府の穿った歴史 より抜粋
■■■
中京城の奥である。
官僚が詰めるフロアがあった。
時代がどれほど進めど、決済や判断は人が行う。
よって官僚である彼らも、粛々と業務をこなしていた。
そんな中、役方として業務を行う一人が、作業を終えた。
仕事場を出て、長い廊下を歩きながら林王芳は考える。
彼には、夢があった。
将軍家のお膝元である火星の譜代大名の分家に生まれた彼は夢を抱いた。
それは俗な夢だ。影も形もおぼろげな、誰もが忘れるような夢。
―――高みへ、あるいは人より優れていたい。そして崇められたい。
そんな成長するにつれ失われる夢だった。
しかし、彼の胸の内に燻り続けた。
過不足ない幼少期を過ごした。家柄も悪くない。本人の才能も人並み以上。
だからだろうか? 幕府の現状を学んだ、彼の夢は大きく膨らんだ。
―――この天下を差配する。
世が世ならば一笑される夢であった。だが、幕府ならばそれが叶った。
―――将軍家は君臨すれども統治せず、
かつて【天】を将軍家に委ねた当時の陛下は、宇宙の全てを望まなかった。
それは権威を貸した負い目からか、政治を嫌ってか分からない。
幕府への我がままと言えば、「地球で代替わりまで暮らしたい」とだけ。
ソレを意識したか、志尊の立場に困惑したか。
将軍家もまた、早い段階で独裁を捨てた。
将軍家は太陽系統一の象徴として【ある】ことを選んだのである。
―――以来、幕府は合議と会議で運営されていた。
常設されてはいないが、独裁者相当の地位もある。
【執権】や【管領】が、まさにそうだ。
最も直近はその職に【付かない】ことが不文律であったが。
………出世すれば太陽系全てを思うがままに動かすことすら出来るのが幕府だ。
今現在では【老中首座】まで至れば、ほぼ確実だろう。
もちろん、それらの役職はたやすく成れる地位ではなかった。
………本人の能力は勿論のこと、家格、実力、コネが求められる。
その全てを尽くし、最後に運があって拓ける場所であるのだ。
若き林もその野心を抱いて、官吏としてのキャリアを始めた。
幕府の未来を本気で憂いて、彼は公僕の道を選んだ。
……彼の官吏人生には大なり小なり、山があった。
腐敗を知った。不正を犯した。そして自分も無関係でいられなかった。
借金で窒息しかけの譜代を見た。
断絶した家名を巡る争いを見た。
地球から続く人々の悪縁を見た。
やがて林は若者とは呼ばれなくなった。
それでも、夢は林の胸の内でごうごうと燃え続けていた。
封建制と退化した社会制度の幕府ではあった。
が、御大将軍からのメリトクラシーだけは歪みつつも綿々と続いていた。
たとえ往時より機能不全に陥っても、残ったのだ。
現代でも、縁故に寄らない出世の階が失われた訳ではない。
……能力さえあれば、上がれる! 私は終わらない!
林はソレを愚直に信じていたが、同時に行き詰まりも感じていた。
ある時から、昇進が鈍化した。
並ぶ同期との格差が固定された。
それに気づいた時、林は自分が出遅れたことに気付いた。
ライバル達は、あらゆるコネと政治で着実に歩みを進めていたのである。
林は――有能だったがゆえに組織内政治を軽視しがちであった。
彼の出世の遅れは、そのツケが噴出した結果だった。
彼が正しく現状を理解した時、彼は強い衝撃を受けた。
焦りはあった。恐れがあった。何より屈辱感が林を動かした。
大きな動きをするのではなく、淡々と、しかし時に大胆に。
そうして彼は遅ればせながら、伝手とコネクションの形成に成功した。
なんとかライバルに追いついた。
………そんな彼に転機があった。
左遷を兼ねたふるい落としとして、端白星探題へと転属されたのだ。
これはライバルらによる政治的処置だったが、林としては好ましかった。
利権が絡みあい、しかも新たに生じつつある火星。
あの星よりも、金星はハッキリしていた。
―――自分は、まだ躍進できる。
官僚として旗本御家人と付き合い、そして利権と利害を洗い出す。
己は出来るのだ。
………暗い笑みを浮かべ、彼は計画を練る。
己の栄達を彼は疑わなかった。
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