第10話、一日一日が、それも寸刻の続く一日一日が現在である

・・・・・・・


とりあえず、なんか書け?と?

なんというか、まあ、そのなんだろう。


期待は明日を頼り、今日を失う。

とでもいうのかな。


「名誉とか、記念碑とか、野心が法令を発して命じたり、自らに労作を課して建造せしめたものは何ものに限らず、たちまちのうちに崩壊してしまう」という言葉しか思い浮かばない。良くも悪くも。


そう「何ものといえども永く時代を経ることによって、破壊されないものはない、位置を移されないものはない」をまさか、半年で実感させられるとは。


てか、なんとなく、つい、衝動的に見聞きしてしまっただけで、書くつもりは、実は現時点でもあまりない。


春先のあの時点では、完全に「音楽家」は「イロモノ」扱いだった。


それは間違いない。本来なら、先に「音楽家」としての寿命が尽きていても、おかしくない。


そう。なのに。


今、ネットのコメント欄は掌を返したように称賛している。まるで、帰還を祝うように。


地上波の偉大さ、というのか、注目度というのか。


「音楽家」は昭和レトロブームというべき、この時流に再度乗ろうとしているように見える。


不思議なものだな。あまりにも。

神に愛される、というのはこういうことなんだろう。


もちろん、ご本人様の弛まぬ努力とチャレンジ精神が根底にあるのはわかる。しかし、努力だけでは、運命を引っ張ってはこれない。


radikoで後追い。新曲を聴いた。意外にも硬い声音になっており、驚く。千変万化。多彩だな。確かに「組曲」だ。


素直に聞けば、いいな、と思えた。


機械を通してだからか、恐怖は感じない。

葛藤は感じるが、呑まれるような感覚はない。

共感に近い感覚はあるが、引き込まれてしまう感覚はそこまで感じない。


機械って素晴らしい。デジタル化の恩恵を感じた。

完全再現なぞ、絶対にやめてほしい。


その後の地上波は該当部分だけ確認した。

・・・・そんな曲だったんだな、と思った。なるほど、確かにその歌詞だ。記憶のまま。まさかのフラグ回収。


公式YouTube動画とはまた違う、迫力。


歌い方が不思議なのはテレビカメラですら編集ができないのか。これで口パクなら、口パクに謝れ。口パクならもう少し見てる相手に別の意味で困惑を与えないだろ。


まあ、確かに変わったんだろう。

だけど、たぶん、変わっていないんだろう。


ただ「懐かしい」というコメント欄を見ていると、非常に危うい気がした。


幸運は、例え、外からの力が加わらなくとも、自らの重みで崩れていく、と哲学者セネカは忠告している。


春先の出来事から、たった半年。

かの事件からは10年以上。


この結末は、King Learを彷彿させられる。

リア王は煽てられ、全てを無くし、その後、取り戻そうとするが失敗し、最期に最愛の娘の亡骸を抱いて死ぬ。


一日一日が、それも寸刻の続く一日一日が現在である。


そうであれば、なおのこと。


かの「音楽家」は、まだ歩みを止めていない。

「彼」の行方がどうなるのか、まだ、見ていたいと思った。

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