第63話

 ミストレス。


 あるいはドミナ。


 どちらも女性マスターの意味だが、BDSM、つまり拘束ボンデージ調教ディシプリン加虐性欲サディズム被虐性欲マゾヒズムにおいて、服従的なパートナーに対する女性を指し、単なる尊称としてよりも支配的な性格や行動も含めてそう呼ぶ。


 つまり、いわゆる女王様のことである。



『そんだけ派手な頭してるんだ。お前だろ?』



 そう言ってくるのは、そちらこそ派手な髪色をした見た目中学生の女子四人組である。


 いやいや、ここは漫画世界なのだ。


 髪の色が派手なやつは多いのだ。それに彼女達ネトラレラはどちらかと言うとマゾヒズムに偏っているし、ミストレスの器ではない。


 寧ろ対極と言えるのだ。


 まあ、あれこれお節介したせいか、みんなしっかりとした貞操感と流されない芯のようなものを身につけたから、今後間男との対峙が楽しみではあるが。


 だが、小学生がミストレスだと?


 はっ。なかなかヘソで茶を沸かし過ぎて、ヘソヘルニアにさせるくらい面白いことを言う女子中学生である。


 ちなみにヘソヘルニアをいわゆるでべそと呼ぶのだが、俺のことである。


 太ると出てしまったのだが、デブレ化唯一の恥ずかしい部分なのだ。


 まあ、それはともかくとして、ここは人違いと勘違いをネチネチと責めようじゃないか。


 ……ん? 神田の女装も広義ではBDSMに入ってないだろうか…?


 いや、リゼはそんな性格ではない。


 無邪気さしか感じなかったし、もしあの様子でミストレスならそれこそサイコパスである。



『助けてしんたんっ!』


『おわっ!?』



 近距離でいきなりそう叫んだのはヒロたんだった。しかもお腹に抱きついてきた。


 いや、ちょっと待って。助けてなんて言えば、半ば認めることになると思うのだが…?


 それよりいろいろ勘違いされそうでソワソワするんだがッ?


 するとヤンキー女子中学生の一人が、こちらを見て睨みつけてきた。



『このブタ誰だ?』



 失礼だろオメー。


 今はまだいいが、ルッキズム的にアウトな時代になるんだぞ。ブサイクいじり出来なくなるんだぞ。せっかくブサイクに生まれたのに芸人目指せないとかどうしたらいいんだ。


 まあ、反面、漫才が達者な人が増えるからいいのだが。


 しかし、人をブタ呼ばわりするとは、いい度胸じゃないか。



『いや、お前…もしかして…ちょっとみんな! 集まって!』



 ヤンキー女子中学生四名は俺を全身くまなく見回した後、ザワザワしてからコソコソと話をし出した。


 なんだろうか。


 いや、それよりラレオである。近くには居ないようだが…ヒロたんとの行為にソワソワしてしまう。


 それからすぐ、その内の一人が恐る恐る聞いてきた。



『あの…君って、魔王…?』


『厨二かオメー』



 驚愕の表情を浮かべる女子中学生達は、俺を揶揄ってるんだろうか。


 いじってるんだろうか。


 魔王とかただのイジメだからな。



『な、なんでわかったの…?!』


『わかるだろフツー』



 わかるも何も、魔王なんて言われたら誰だってそう言うだろうに。



『やっぱりあの予言の…!?』


『こいつがあの…!?』



 どの?


 というか予言ってなんだよ。


 泣くぞオメー。


 するとヒロたんはどこか焦ったようにして俺にさらにぐいぐいしがみついてきた。


 柔か。いや違う! 


 脳破壊は俺の役割じゃないんだって!


 クラスがギスギスするかもだろ!



『ヒ、ヒロたん! 落ちついて!』


『助けて魔王様ぁぁぁぁ!』


『そういう悪ノリ、冗談でもやめてくんない?』



 泣きたくなるから。


 というか、いつもの風紀にうるさい君はどこに行ったのだ。みんなには離れろ離れろ言うじゃないか。淑女がどうとか言うじゃないか。しかも地味に膝が股間に食い込んで痛いのである。


 まあ、この悪ノリはヒロたんのユーモアの一端だろうし、すぐ終わる。それくらいは付き合いの長さで知っているのだ。


 するとヒロたんは、彼女達ヤンキー女子中学生を見ながら、声高らかに言った。



『ふふっ、アンタ達…魔王様に知られたらどうなるかわかってるのよねぇ〜?』



 続けるんかい。


 というか知られたらどうなるの? 俺はわかってないが? 何の話? 魔王って何? 俺のこと? 彼女達と会ったこともないのに? そもそもわからないと思うが?


 ヤンキー女子中学生に目をやると、彼女達は一様にゴクリと喉を鳴らしながら目を逸らした。



『わ、わかってるわよ…』



 通じるんかい。


 というか誰のこと言ってるの? 話の流れ的には間違いなく俺なのだが、完全に悪口だし、恥ずかしいからやめて欲しいのである。


 だが、ヒロたんは止まらなかった。



『そう、孕みっくすよ…!』



 ……ハラミックス…?


 それ君の親戚? はらみちゃん? はらみちゃんなの? 自分で言っておいてアレだが、急に誰だよそれは……彼女達も困惑してるじゃないか。



『ふふ、お姉さん達は知らないの?』


『と、ともばらのことだろ…!』



 知ってるんかい。


 だが、「ともばらはらみ」なんて知らないのだが。


 いったい何の話を…いや、ともばらはらみ…ともばら、はらみ…? はらみにともばら……どちらも牛の部位だ。


 そういえば、ヒロたんはこの界隈ではお料理上手で有名だ。


 ボランティアにも精を出すからか、近所のお年寄りなんかの投票では成長したら息子の嫁にしたい選手権一位なのだ。


 その場合「養父にわたし…あなたごめんなさい」みたいな感じになりそうで怖くもあるが、これは俺の業のせいである。


 いや、そうじゃなくて、そんな話ではなく、ミストレスには職人という意味もあるのだ。


 つまりヒロミストレスの爆誕である。


 先程の「ヒロミックス以外で」とは、この神経質そうに聞こえてしまうネーミングに反発した故じゃないだろうか。


 そして極め付けはこの俺だ。


 どこより誰より一早く流行りを知る転生者なのだ。


 俺がどこぞの飲食店にいれば後々流行るという、ある意味マッチポンプ型の福の神としてこの界隈では有名なのだ。


 本当は並びたくないだけなのだがなッ!


 俺が福の神、つまりは競合店からすれば、彼女達のように震え上がるほどの、つまり魔王とも呼べる存在に違いないのだ。


 しかも魔王で厨二と言えば紅蓮の炎が連想される。


 牛の部位、ミストレス、炎とくれば、もう炭火焼肉しかないではないか。


 彼女らは、おそらく個人経営の飲食店の娘達だ。


 それならば是非とも伺わねばなるまい。


 俺が堰き止めた経済を回すためにも!


 今は無理だが、夜には大丈夫なはずだッ!


 何か違う気もするが、ヒロたんの曇り眼鏡とこの状況が俺をそう駆り立てるのだ!


 そしてそのヒロたんはヤンキー女子中学生をビシっと指差した。



『ほら魔王様、いってやってください』


『うむ。聞けい! 人の女子らよ! そうだ! 俺がかの有名な予言の魔王であーる! …さぁ、今夜、私が頂くのは──』


『頂くっ?! わ、忘れていろぉぉぉ──!』



 そう言って彼女達はどこかへ走って行った。



『……』



 ふむ。


 何故だ?


 営業じゃなかったのだろうか?


 いや、これは間違いなく営業だ。


 「覚えていろ」なら聞いたことはあるが、なかなか珍しい捨てゼリフだったのだ。逆に気になるし、行きたくなるなんて、この時代で心理的に煽るとか上手いのである。



『ヒロたん、そのお店教え…ってヒロたん…?』


『あは、は、ふふ…ちょっとだけこうさせて…?』



 ヒロたんはそう言って体を完全に預けてきた。ドキドキとした鼓動が、いやに大きく聞こえてくる。



『もしかして…怖かったのか…?』


『はえ…? え、ええそう! すっごく高い塔の上から突き落とされそうだったわ…』


『そんなに…』



 ヒロたんは緊張が解けたのか、俺の腕というか足にしがみついたままブルブルというか、ガクガクしていてなかなか止まらない。


 曇り眼鏡とマスクでよくわからないが、そうだったのか。


 中学生なんて彼女からしたら想像出来ないくらい大人なのだ。


 震える彼女を見れば、どれほどの恐怖だったか伝わってくる。


 原作の彼女もそうだった。人に厳しい反面、間男に逆らえない気の弱さがあったのだ。



『ごめんなさい…抱きついてしまって…。私ったら端ないわ…』


『気にしなくていい。少し休もう』



 そして今夜の予定を確定させようじゃないか。お口はもう焼肉一本である。



『え、ええ…人気のないところにお願い出来るかな…? でもこんなこと…ねぇ、しんたん。抱きついたこと、彼には内緒にしてもらえる…?』


『ああ、うん…え?』



 彼とは彼女のラレオ、初瀬亮のことである。


 焼肉を想像しつつ、ベンチを探そうとキョロキョロしていて、気が散漫していたのか、つい頷いてしまった。



『ふふ。約束ね。破ると酷いから』


『……はい』



 また秘密が積み上がったからか、お腹が空いてきた気がするのであーる…。

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