第62話

 この世界は過剰である。


 普通の世界で生き、この世界に転生した俺とは違い、エロ漫画世界の小学生男子の女性用下着への興奮と執着は、この世界の業の深さ故に時として膨大なエネルギーを生み出すのだろう。


 なぜならものすごく低く唸るような声を発した神田は、原作とは違って迫力満点だったのだ。


 そこで俺ははたと気づいてしまった。


 リゼは勘違いをしていると。


 俺も勘違いしていたと。


 こんなの全然危なくないなと。


 女性用の赤い下着姿だったが、そんなことはこの邪神エロ漫画世界において些細なことなのだ。


 それは昨日の痴女、花山院美麗の件である。


 やはりここはあのエロ漫画世界だったのだと再認識する出来事だったのだ。


 神田など、着ているだけマシまである。


 違う。そうじゃない。


 あっちに行けと言われて少し憤ってしまったことが恥ずかしい。


 俺はそんなことで大事なことを見逃すところだった。


 原作とは違う、その可視化されたラレオの変化というその一点こそが重要なのだ。


 俺、デブ。


 神田、女装趣味。


 方向性の違いはあれど、変化は変化。


 この際彼の趣味は置いておくとして、あの気概ならば間男に対抗出来るのではないだろうか。


 可愛い物好きのリゼの番らしく、神田は可愛い顔立ちなのだ。寧ろ間男といい感じになったりするのではないだろうか。


 いや、それはないな。


 寝取らせはあの邪神の趣味ではない。


 俺に出来ることは、彼の願いが叶いますようにと、エールを送ることのみである。



『堂之上さん達も居たなんてな』


『春だし、ね』


『そうなのか…』



 リゼはこの下着売り場に偶然お買い物に来ていた裕美と和美──その和美に回収されていったのだ。


 背の高い彼女に抱っこされ、足をブランブランさせながらトイレに連れ去られたのだ。


 春はお財布の新調だったように思っていたが、どうやらニュー下着の季節だったらしい。





 俺は神田の言う通り店外に出た。リゼも付いてきたとは知らず、俺はつい独り言を漏らしたのだが、彼女はそれに応えようとした。


 その時、異変が起きたのだ。



『しかし、神田に何があってそうなったのか。それがわかれば──』


『……そうなっタ? わからセ?』


『リゼ? い、いや、何にもな──』


『えっト、こほン。それはネ、ふフ。イチロが知らな──んン"ッッ……』


『リ、リゼ? どした…?』


『え、へへ…き、禁しょくじこう、でし、た…』



 きんしょく…? 禁則事項…か? 誰と? 何を? 神田か? というか膝ガクガクしてるんだが? というかいつもの発音は?



『はぁ、はぁ、リゼ、もぅおっぱいおっぱい…』


『…マズイな…』



 おっぱいおっぱい。


 つまりいっぱいいっぱいだ。


 これはおそらくトイレだ。尿意だ。禁則事項ではなく、失禁直前だ。禁しか合ってないのがリゼらしい。


 しかし、低学年なら無理矢理抱っこし強引に連れていくのもありだが、もう彼女も高学年だ。


 手を伸ばしてくるが、はたしてこれは手に取っていいものだろうか。神田はまだそこに居るのだ。


 また秘密が積み上がったりしないだろうか。


 そんな風に俺がまごまごしていると、後ろから声が掛かった。


 誰あろう、バレー部期待の新星、塔ノ下和美こと、カズミンだった。



『あ、あー、リゼちゃーんー、大丈ー夫ーっ?』


『くッ、きょうハ、か、かずminだったのネ…手加減してヨ! 不意打チはずるくなイッ…くッンッ…』


『あははは…ごめんね? つい…。ほら、お手洗い早くイこ?』


『え、い、いマやめ、やめテ!? 今せっかクいいとこムグッ!?』


『慎一郎くん、私が連れてイくね。いいかな〜?』


『あ、ああ…お願いする。リゼ、行っておいで』


『ムモッ?!』


『あはは。だって。ほら行くよー』


『ンモ〜〜〜!!』



 そうして彼女は難を逃れたのだ。





『花岡君、どうしたの?』


『いや…』



 心配そうな顔で下から俺の顔を伺ってくるのは堂之上裕美である。


 ピンク髪のロングヘアーを二つに束ね、赤い縁の眼鏡がトレードマークのエロラレラ。生真面目の割にユーモアに溢れ、時折こぼす爽やかな笑顔が魅力の美少女である。


 二人して和美とリゼを待つことになったのだが、ふと心配になっていた。さっき口を塞がれていた気もするが…気のせいだろうかと。



『それよりみんなからちゃんと返事あったわよ?』


『そうか…ありがとう』



 裕美にはキセキの世代全員の安否確認を取ってもらっていた。どうやら連絡手段があるらしいのだ。



『ふふ、相変わらず心配症ね。大丈夫よ。GPS付きだから』


『GPS…付き?』


『あ、ああっと、防犯的な? 富野塚さんがくれたの。みんながみんなの位置をわかるようにって…』


『へ、へぇ…』



 おそらくスマホのアプリのことだろうが、いつの間にスマホを…。全然教えてもらってないのだが…。


 少し悲しい。



『……』


『そ、それより昨日はどうだった? 問題起きなかった?』



 それから少し部活の話をしたのだが、相変わらず彼女は心配症である。俺が食べ過ぎないかいつも注意してきていて、部活を離れた今もまた、気にしてくれているのだろう。


 優しい子である。


 まあまだ止めないがなッ!



『そういえば……先生の具合が悪かったかな。マスクして帰ってきたし…』


『…そう。ふふ、大丈夫よ。案外丈夫だし…』


『丈夫?』


『それより詩織は?』


『しおたん? そういえば少し変だったような…』


『しおたん…? ふーん…まるで焼肉みたいなあだ名ね。詩織っぽいとも言えるけど。ふーん、へー…そう。……ねぇ、花岡君。私にあだ名をね、もしあだ名を付けるとしたらなんて呼ぶ?』


『え? それはヒロミッ──』


『ヒロミックス以外で』


『…』



 ニコニコとしながらピシャリと拒否されたんだが。


 なんだなんだ? 何か笑顔が怖いのだが? エロミしか浮かばないが、そうは呼べないしな…。



『じゃあヒロたん…とか?』


『ッ……安直。詩織と変わらないじゃない。最低』


『だよな…ごめん…』


『でもいいわ。許してあげる』


『早くない?』


『今度から二人の時はそう呼んでね。私もしんたんって呼ぶから。いいわね?』


『……』



 いや、良くないが? 万が一そんなシーンをラレオに見つかると何と思われるかわからないのである。


 俺が黙っていると、裕美は少し笑いを堪えていた。


 なんだ、揶揄っていたのか。



『ふ、ふふ。じゃあ早速だけど、しんたん、ヒロたんの下着、選んっぐっ…!?』


『堂之上さん…?』


『ひ、ひろたんでしょ…! だ、大丈夫よ。ただの発作だから』


『そ、そうか…』



 発作。


 その懐かしい響きは、低学年の頃、いつの間にかエロラレラの中でそう呼ばれ出したエロ隠しのスラングである。


 出典はもちろんモエミである。


 高学年に上がり、めっきり言わなくなっていたが、数年の時を経て、とうとう外にまで持ち出すレベルにまで達してしまっていたのか。


 俺が知らないだけで、水面下では成長していたのだ。


 流石はエロミである。



『痛い痛い』


『そんな変な顔するからでしょ』



 お腹を摘まれ、捻られた。


 殴打はいいが、捻るのは地味に痛いからやめて欲しい。


 しかし、顔に出ていたのか。


 それは要反省である。


 ロリな頃は何とも思わなかったのだが、ここ最近の彼女達エロラレラが苦悶の表情をすると、とても口じゃ言えないくらいの惹きつけられてしまう魅力があるのだ。


 本人風邪だと言い張っているし悪い気もするが、内心は自由である。


 今のところオカズのみが積み上がっているのだが、太ったせいか、俺の春一番はまだである。



「ちょっと待って」



 裕美は周囲をキョロキョロとした後、用意していたのか、可愛らしいピンク色の無地のマスクをつけた。


 周りを伺ってしまうのはわからなくはない。マスクが常態化するまで花粉症でもない限り、街中で着けるのには心理的抵抗があるのだ。


 ん…?


 発作…に、マスク…?


 もしかしてマスクは…。



『…何よ、ジロジロ見て来ちゃって』


『いや別に…』


『何と勘違いしてるかわからないけど、風邪気味なだけ』



 勘違い…そうか。違うのか。


 いかにエロ漫画世界とはいえ、安直すぎるか。


 それにもしそうだとすると、ウチのクラスの男子もそうなってしまうし、母上殿までバイブスがヤベぇになってしまう。


 そもそもそんな事になっていたら、真夏のセミの大合唱くらいバイブスの振動音が忙しいはずである。


 もし振動の少ないものが開発されたと仮定したとしても、設備投資や技術投資をサボり続けた日本なのだ。


 それはこの時代あり得ない。


 まだまだ世間一般には気付かれてはいないが、この時代、すでに株主資本主義に傾いているのだ。


 配当は全て株主の元に、なのだ。


 これは世の中がぶっ壊れるまで止まらないのは歴史が証明しているのである。


 虎の子の供給力が無くなって実感してから初めて危機感が生まれるのだが、世のメディアは日本スゴーイで溢れていて、それには悪意しか感じない。


 まあ、俺一人が喚いたとてこの時代、袋叩きにされるから言わないが。


 それに忘れていたが、GINGAさんの供給は止めていたのだ。彼女達エロラレラからは危機感や飢餓感を感じないし、やはり気のせいだろう。


 そんな益体もないことを思いながら、和美とリゼを待っていると、後ろから声をかけられた。



『なぁ…おい。ミストレスってのはお前だろ?』



 振り返ると、ヤンキー女子中学生みたいな奴らが現れたのである。


 ミストレス…?


 ネトラレラが……?


 ちゃんちゃらおかしいが、彼女達の目は真剣だった。


 嘘の目ではない。


 その時、裕美からマスク越しに舌打ちが聞こえた気がするのだが、気のせいだろうか。

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