第60話

『その"ほっぺた、どうしたの"?』


『えっと…』


『ああ…小夜さん"か』


『…』



 何故わかるのか。


 今日は趣味と実益と昨夜の憂さ晴らしのため、ラーメン梯子に街へと出かけていた。


 人気店に並び三杯は軽くいけると思っていたのだが、何やらお腹というか胃というか鼻の調子が悪く、一軒しか回れなかったのだ。


 仕方なく本屋にでもと寄ったのだが、そこにクラスメイトがいてほっぺたを指差してきたのだ。


 彼女の名は雨ノ下静香。


 真っ直ぐな青髪をラレオからのお日様印の髪留めで横に流していて、赤い眼鏡と穏和な表情が魅力的な元隠れ美少女である。


 原作では重ための前髪だったのだが、もはや隠しきれていないのであった。


 ただ、その二重の意味で羽化するキーアイテムである髪留めのデザインにはドキドキしてしまう。原作では高校生からの装備なのだが、そのメタファーが怖い。



『痛そう"…』


『ははは…痛かったよ』


『…ナニ"かしたの"?』


『…いや…特には』


『…』



 静香はカタチの良い眉を八の字にひそめたが、何というか、何だったのか俺もわからない。


 昨日、家が静まり返るまで、小夜にどこに行って何をしていたのかを散々聞かれたのだが、俺もよくわからないので答えようがなかった。


 タクシーで廃校に行って痴女に追いかけられて倒れた、なんて正直に言えば真面目な小夜の逆鱗に触れる可能性があったのもあるし、天華に対してイキって任せろなんて言った手前恥ずかしいのもあった。


 まあ、扉の向こうの両親のくぐもった声や音のアレコレも気になって気もそぞろだったのもあって話半分だったのだが。


 本当の両親というか、そうであれば気まずいことこの上ないのだろうが、吾輩転生者ゆえポジティブである。


 これは仕方ないことであった。


 更に上手くまとまらない思考のせいもあって、ゴニョゴニョとした煮え切らない言い訳しか吐けなかったのだが、それに納得がいかなかったのか、わざわざ降りて来てのビンタは強烈であった。


 夜遅く不良した俺を母上殿の代わりに怒ってくれたのだと遅れて認識したのだが、どうせ朝には親父殿に拳骨を喰らうのになと落ち込み、小夜に謝ってから家に入ろうとしたのだが、彼女は何故か部屋に誘ってきた。


 叱った後優しいのは最近の小夜のデフォルトではあったが、初めてのことにフラフラとそのまま誘われ…あとは覚えていない。


 何かショックな事があったようにも思えるが、突然の首の痛みに俺はまた意識を失ったのだ。


 これは以前から小夜に指摘されていた、太り過ぎの症状である。


 張り出たお腹に重心が前方に引っ張られ、次いで頭も引っ張られるから首がストレートネックに向かうのだと以前から言われていたのだ。


 まあ、スポーツ万能少女の言うことだからそうなのだろうが、痛みまで出てくると流石に怖い。


 翌朝、何故か仏みたいに悟りを開いたかのような表情の小夜に「だから気をつけないと駄目なんだからね」そう穏やかに諭され少しビビったのだがまだである。


 まだ目標の時ではないのだ。


 そうして朝風呂に入りエンゲルを求めて街に繰り出したのだが、やはり今日はこれ以上入りそうにない。


 お腹もなんかギュルギュルである。


 これはおそらく本屋のせいなのだろうが、何故ここに来るともよおすのか。


 誠に奇怪な現象なのだが、俺だけだろうか。


 奇怪といえば今朝方のことである。


 何故か両親は怒っておらず、いや、怒るに怒れないのもわからなくもないが、その代わりなのか有栖が怒っていたのは謎である。


 だが、この今のお腹の調子の前では考えても無駄である。いや考えられない。


 ああ、やはりダメだ。



『トイレ行ってくる』


『うん" 、私もイく』


『? うん』


 

 声を出し辛そうだが、静香も春風邪だろうか。というか同志だろうか。


 季節外れというか、最近我がクラスではマスクが流行っていて、まだ装備すると変な目で見られてしまう時代なのだが、流石というか小学生なのにイタズラに騒いだりしないのだ。


 たまに母上殿もするのだが、何なのだろうか。


 世間一般的にかなり変だと思うのだが、一応聞くと、星を見ていたとか、外で薄着だったとか、ちょっと雨に打たれてとか答えてくれるのだが、その話し辛そうな仕草は何となくエロいのだ。


 だが、いくらネトラレラやエロラレラとはいえ、相手は小学生。


 俺の心が汚れているせいで彼女達を邪な目で見るのは要反省である。


 それより、遂に静香もなってしまったようだ。最近、予防のためと言ってずっと薄いベージュ色のマスクをしているのだが、可哀想である。


 手洗いうがいを徹底すれば…。


 うん…? 何か思い出せそうな……。



『花岡くん"、イかな"いの? 私イきたい"』


『やはり同志か…いや、行こう』


『どうし…? ふ、気を"つけよ"う、ね…?』


『…? うん』



 おそらくお腹を摩る俺を心配してくれたのだろうが、気をつけるのはそちらである。


 やはり息が荒いし歩みも少し遅い。


 それに気をつけなければならなかったのは昨日であって、今更もう遅いのだ。


 しかし、先程静香が見ていた「ワキを"もむ"だけ」という本は、いったいどんな需要なのだろうか。





『ふぃ──っと』



 ようやく負けられない戦いが終わったのである。しかし思考がクリアになると今度は先程から男子トイレに対して嫌に不快感があるというか、ソワソワするというか、何なのだろうか。


 昨日、何かあったような気がするのだが、痴女に追いかけられた怖さでぶっ飛んだのか覚えていない。


 そんな事を考えながら便座から立ち上がろうとすると、ゾロゾロと数人が入ってきた。


 常備しているエチケットスプレーはもう使っているから悪臭問題はないのだが、気まずくて出れないのは昔からである。


 人がいると何となく個室から出にくいのだ。


 ここはゆっくり待つ事にしよう。



『なぁ、ほんとなのか?』


『本当だって! しつこいな』


『いやだってキセキの世代だろ?』


『まあな…ただ順番だからな』



 そんな不穏なことを彼らは小便の音に塗して話していた。


 キセキの世代…は間違いなく我がクラスのネトラレラだと思うのだが順番…と言ったか? 順番と言えばラーメン屋か輪姦くらいしか思いつかないのである。


 特にこの邪神世界ならエロ一択である。


 マジかこいつら。


 相手は小学生だぞ…?


 いかにこの世界がエロ漫画世界とはいえ、ましてやエロ漫画がそういったジャパニーズHENTAIに溢れているからといって──


 うぐっ、頭がッ!?


 な、なんだ…?!


 ジャパニーズHENTAIを思い浮かべようとしただけで頭痛が割れるように痛い。


 まるで黒マスクをしたメスガキ共の悲痛な叫び声が「目覚めちゃう」と言葉のエコーとなって聞こえてくるかのようだ。


 腹の虫はまだ本調子ではないが、これが虫の知らせというやつだろうか。


 男共の声の感じはまだ変声してないよう聞こえたのだが……いや、そもそも小学生などナシである。


 それにHENTAIとは狂気よりも一階層分だけ下に住んでいて、一歩一歩着実に狂気への階段を登っている者達のことなのだ。


 ここは俺の心の安寧のため、芽を潰さねばなるまい。

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