第59話
廃校校舎の三階の角、男子トイレの窓からいつの間にか月明かりがまた差し込み始めた。
それに照らされたのは、大柄の殺人鬼の仮面の男だった。小脇にぐったりとした少女を抱えたまま個室から出てきたのだ。
まるで携行食かペットボトルだと思っているかのように、大事そうに抱えていた。
「ハァーッ、ハァーッ、ミ、ミズ、ハァーッ、ハァーッ、ミズヲ、ハァッ、ハァーッ、ハァーッ」
仮面から籠ったような吐息を吐き出しながら、天華、大奈、渡会を見据えていた。
大奈はすぐさま渡会を呼んだ。
「…渡会ッ!」
「ほっほっほ。お嬢様方、お下がりください」
そう言って渡会が前に出ようとした時、大奈は彼の腕をギュリッと掴んで止めた。皮膚まで達していたのか、渡会は少し顔を歪めた。
そして彼女のその目は興奮に濡れていた。
「いいえ…いいえいいえいいえっ! あなたは下がりなさいっ! これからわたくし、お友達と鬼ごっこをしますわっ…!」
「ッ!? …お時間は?」
「天華さんっ!」
「おそらくあと一時間くらいね」
「…ほっほっほ…で、では私は撤収の準備とお着替えの支度をして参ります」
そう言って素早く渡会は走り去った。とても初老の男性の動きではなかったが、残された二人は殺人鬼である慎一郎を魅入っていて気にもしなかった。
『で、では天華さんっ! 少し遊んでいきましょうっ!』
『協定は?』
『んふふ。みなさんには申し訳ないのですけど、偶然とはつまり必然ですわ。それにここは夜の箱庭。詩織さんはお仕置き気絶中。有栖さんには連絡済み。何か憂いはございますか?』
『…無いわね』
『それにこれは痩せていただくチャンスなのですわっ! 古来よりそういったダイエットがあると聞きますし……少し恥ずかしいですけれど、ええ、ここは沢山お召しになっていただきましょうっ!』
『変態ね』
『ここで匂いや味を強固に植え付けるのも良いのではないでしょうかっ!? アレはそういうモノですし…薬事法が変わる前に深層心理の奥深くに仕込まないといけませんわっ! ああっ、天は月を讃え星を灯火に遣わせましたっ! さぁ共に夜の舞踏会へと参りましょうっ!』
『止まらないわね』
『ああっ、そうですわっ! わたくしとしたことがうっかりしてましたっ! この殺人鬼さんとの変則的な鬼ごっこを名付けるなら……ぶっかけ鬼でいかがでしょうかっ!!』
『最低ね』
『あるいは天翔る鬼への閃き、あるいは逝かせ鬼……んふふふふ』
『聞いてないわね』
『それを殿方のお手洗いでだなんて、はぁ…わたくしゾクゾクしますわっ…!』
『予言スィッチか…はぁ……』
いつもはおっとりした口調の大奈だったが、今宵はマシンガンの如く火を吹いていた。
これは止めると後が厄介ね、と天華はため息を吐いた。
それに元々は首を突っ込んできた慎一郎が悪いのだ。
少しくらいは憂さを晴らさせてもらおうと彼女は共犯者になることを決めた。
『本当は夏休みに仕掛ける予定だったのだけど、仕方ないわね。なら、とりあえずプレとしましょうか。それにまだバレるわけにはいかないの。だから目覚めさせないように、こちらからはダメよ』
『んふふ。仔細承知、無抵抗の陵辱ですわねっ! それもまた熱いっ! 熱いですわっ! さぁさ、倫理を失くした鬼さんこーちらチラっ、こっちの水はあーまいぞ、チラチラっ、ですわっ』
『はぁ…もう、何よそれ…いろいろ混ざってるじゃない。それに何なのよそのパンツ。めちゃくちゃエロいじゃない。でも面白いわね。鬼さんこチラ、こっちのみずもあまいわよ?』
『…流石は天華さんですわ』
『ふふ。誤解しないで。ただの健康法よ。でも結構恥ずかしいわね…』
『んふふっ。それはきっと──きゃっ! 捕まってしまいましたわっ! どうしましょう! 大変ですわ! あーれ〜』
『めちゃくちゃ大根じゃないの…でも大奈、貴女、姉さんのこの様子…ちゃんと観察したのかしら?』
『いやぁっ、わたくし食べられてしまいますわっ、お止めくだ…はい? それは見てませんけど何か気にな──あ、あひっ!? 慎一郎様ぁ! 脇は! 脇の処理は今日はぁあはぁッッ!!?』
『ふふふ。やっぱり脇か…同率で首だと思ってたのに…ペケと』
『メ、メモ帳!? も、もしかして天華さはぁあん!?』
『ふふ。何事も予習がいるものよ。パターン分析と言えばいいかしら。そうしてあたかも自らが選んだかのようにして己を導くのよ。後は坂道を転がる雪だるまのように負債は肥大化し、取り返しがつかなくなるの。それが予言でしょう? だから遠慮しないでデータとなりなさいな。くすくす』
『やっぱり鬼畜ですわァァアアッ!!』
『ふふ、大奈ったら酷いわね。でもそれは何よりの褒め言葉ね。ああ、そうね。Gも足してあげるわ。姉さんのだけど我慢してね』
「──────ッッ!!?」
「あら、ふふ。お見事。これならお兄さんにも負けないわね?」
そうして、廃校の夜は更けていった。
◆
俺が目を覚ますと、フカフカの真っ白なソファにもたれていた。
『あ、っつつ…』
『ほっほっほ。目覚めましたかな』
『…えっと…』
ここはずばりタクシーの中であった。
横には美麗さんは居らず、乗客は俺一人だった。
猛烈な飢えに苦しんだと思うが、そこから記憶がない。
そうして渡会さんにことのあらましを聞いた。どうやら天華が駆けつけて姉を躾たらしい。
本当だろうか。
『もう着きますよ』
『…着く…?』
『ご自宅ですよ』
いつの間にか我が家近くだった。
『やはり、鍛えた方がいいですねぇ、ぼっちゃん』
そう言って渡会さんは去っていった。
俺、自宅なんて教えてたか…?
いや、天華か。
随分と大きな借りを作ってしまった。
『はぁ…しっかしお腹…なんかちゃぽんちゃぽんだな…』
俺の手には2リッターの天然水があり、ほぼ空になっていた。渡会さんがくれたらしいが、どうやら一気飲みをしたみたいだ。
それにしても何かやたら香水臭いのだが、いったいこれは何なんだ…?
光里とか萌美にあげた奴だと思うのだが、まるで狐につままれたみたいである。
『服も何か湿ってるような…いや、これは俺の汗か…』
それにしても、なんだか不思議な夜だったな…。
何か忘れているような気もするが、今は何だか思考が上手くまとまらない。
そうして玄関をゆっくり開けると、両親の足が見えたので、俺は再び扉を閉めた。
母上殿が違うの違うのと言ってるような気もするが、気のせいである。
見上げた月は、細い三日月を讃えていて、それこそまるで狐のようであった。
いや、まるで隣の幼馴染がたまにするどことなく暗くて怖い笑顔のようで…
『慎ちゃん…こんな遅くまで、どこに行ってたのかな…?』
というか、それはそのまま小夜だった。
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