第52話

 なんか変なことが始まってしまった。


 しかし始まったならば仕方ない。


 何を作ろうか悩もうじゃないか。


 と言っても恋人に夜食ってのはそれもう受験じゃなくて同棲中の資格試験とかじゃないだろうか。


 隣に住む小夜なら可能だろうが、原作慎一郎氏はそこまでしなきゃいけないほど馬鹿でも、そこまでするほど賢くもなかった。


 勉強自体は小夜が教えてくれていたし、可能性として夜食タイムはあったのかもしれないが、今世は違うのだ。


 業務用冷蔵庫に向かい、そこであれこれ考えながら物色していたら、横に立つしおたんが牛肉を手にし、こちらを見ずに言ってきた。



『そういえば慎一郎きゅん、アレ、アレです。焼肉です。しおたんのこと好きですか?』


『好きだよ。ん…?』



 なんか変な言い方じゃ…ないだろうか。



『ん"んっ、へ、へー…でもあれって牛さんの舌なんですよね。私それを知ってから食べられなくて』


『そうなんだ』


『でも他のお肉は食べてるのに、おかしいねって康二くんに言われて。それもそうだなって。そんな風に食べ物を決めてた私なんて、なんかやだなって』



 確かに。未来ではゲップが二酸化炭素を吐き出すからと牛を殺すとお金が出る国もあった。


 そこに御大層な主義が例えあったとしても、「なんかやだ」は大事なことだと思うのだ。


 まあ、あれこれ理由をつけてはいるが、おそらくその後昆虫食でも売り込みたいんだろうと透けて見えるが。



『でもあれってつまりベロチューじゃないですか』


『違うよ?』



 あれ? 急になんだか怖いこと言い出したぞ? しかもベロチューなんて言う子ではなかったような…。



『あ、慎一郎きゅんは塩よりタレ派ですよね。でもしおたんってとっても美味しいんですよ?』


『それは知ってるけど…』



 また話が飛んでないか?



『え〜嘘だ〜。じゃ、じゃあしおたんを例えばペロリと食べれるんですか?』


『…全然いけるけど…』


『ふ、ふーん…じゃあどれくらい食べますか?』


『…10人前くらいは』


『と言うと?』



 と言うと…? と言うも何もそれ以外言いようが無いと思うが…?



『慎一郎きゅん、つまりキミはしおたんを…9回…?』


『あ、ああ。おかわりするね』



 なんだかおかわりの回数を改めて問われるとデブとはいえ恥ずかしいものがある。


 しかし、先程からなんかアクセントがおかしくはないだろうか。


 するとしおたんは喉をごくりと鳴らした。


 おそらく舌が味を思い出して反芻したのだろう。


 それはわかる。


 ああ、つまり心では否定しているのに、身体は正直に反応してしまうって言いたいのだな。


 それは…君たちなら仕方がないのだろうな…。


 邪神のやつめ…。


 そう憂いていたら、次の瞬間、しおたんの態度が急変した。



『嘘ッ…! 慎きゅんっていっつもタレじゃない!』


『急にどした』


『じゃあアレですか! タレ派なのにしおたんは別格で、しおたんのっ、しおたんのレモンは美味しく食べれるんですかっ!? ペロリと余すことなく完食できるとでも言うんですかぁっ!?』


『余すことなく平らげるが?』



 なぜツンケンし出したのかよくわからないが、俺にとってお残しは敵である。



『んん"っ …! そ、そうですよ! その通りですっ! でもいつご注文するかが重要なんですぅ!』


『そりゃあ…一番に食べたい…けど…? 時ノ坂さ「しおたん!」し、しおたん? さっきから何を…顔赤いけど大丈夫?』



 はぁはぁ言ってるし…この子大丈夫だろうか。



『ん"っ、ふ、ふふ…だ、騙されないよ、慎きゅん…! 話を変えようとしてるのは見え見えの丸見え、むしろ丸裸なんですからね! ほら早く言ってみて下さいよ! ほんとに食べたことがあるのならっ! しおたん食べた感想をっ!! さん、はいっ』


『…』


『ッ、なんとか言いなさいよ! なんとか…言ってよぉぉ〜…この、このタレ…ヘタレ派あぁぁッ!』


『最後の絶対今思いついたよね』





 トントントンと小気味いい音が鳴る。


 豚ではなく調理の音である。



『とまぁ、そんな設定でいこうかと』


『迫真だったよ』



 そんな風に会話しながら二人で部活動に精を出していた。


 しおたんは、先程が何だったのかというくらい、それはもう凪のように落ちついた様子で包丁を扱っていた。


 彼女は原作「幻の中のロンド」に登場するBSS系ネトラレラである。


 迫真だったのは当然で、小学生の頃から舞台に憧れ、中学で演劇部に所属し、高校生になるとその才能を開花させるのだ。


 しかし、貧乏な家に生まれたせいで、幼い頃に借金取りに目をつけられていて、高校二年に上がるそのタイミングで借金取り系間男が現れる。


 そいつによって屋内屋外、車内車外問わず、あらゆるプレイを持ちかけられるのだが、詩織は言うことを聞くのだ。


 三か月耐えれば借金を無しにしてやると言われて同意していたのだ。


 唯一幼馴染との通学時と高校の敷地内だけが彼女の心安らぐ癒しであった。


 恥辱を受けているそんな自分を幼馴染である笹尾康二に知られたくない一心で詩織は気丈に反抗し、隠していたのだが、それに気づいた間男は康二を巻き込もうとする。


 詩織はより屈辱的な提案を受け入れる代わりに巻き込まないでと願うが、間男は康二の前で気付かれないように絶頂してこいと命令する。


 それこそが背徳の味だと知らないままに詩織はだんだんと堕ちていく。


 そしてそれに気づいた時、遂に康二からの告白を受けるも…あとは言わずもがなである。


 しかし、原作彼女の小学生時代はもう少し砕けた話し方と活発な性格をしていたはずだが、四年生の終わり頃にはすでに丁寧な物腰を身につけていた。


 きっと天華と仲がいいせいだろう。


 最高学年になった今、髪色と同じ薄紫色の長い睫毛と、大きな瞳がどうしても目を引きつけるし、小さく整った鼻と薄ピンク色の唇の可愛らしさは、原作を知ってる俺ですらその魅力にうっかり引き込まれそうになる怖さを身につけていた。


 いや、慎一郎。


 落ち着いて聞いてください。


 相手はロリなのです。


 というか、改めて考えてみると、他のネトラレラって小夜より随分と悲惨だな…。



『慎一郎きゅん、聞いてます?』


『あ、ああ、うん。聞いてるよ』


『…私のお家、知っての通り昔から貧乏で。妄想だけが私の趣味で取り柄と言いますか。でも今はすごーくゆとりがあって。月に一回は焼肉行くんですよ?』


『うん』


『だからたんって付けて呼んで欲しいなって』


『うん?』


『足長おじさんって言うのか、紫の上って言うのか、今時善意だけの人なんて居ないと思ってたんです』



 下唇のすぐ下に人差し指を置きながら彼女はそんなことを言う。


 また急に話が二転三転したのだが…。


 ただ紫の上は違うと思うが。あれただのロリだから。育てゲーの人攫いに攫われた人だから。



『へー…』


『くすっ。だから…だからいつかお…返しをしたいなって』



 そう言って俺の瞳を射抜こうとしてくるような目力がすごいのである。


 いや、大丈夫だ。


 相手は小学生だ。


 こうやって話が飛ぶのはいつものこと。


 俺が両親に援助したのはバレてはいまい。


 それにそういう約束なのだ。


 でも、つい目を逸らしてしまうのは、おそらく彼女の瞳が純粋過ぎて眩しいからだろう。



『…はい。それが例え慎一郎きゅんみたいにお腹ポヨンポヨンおじさんでも無理矢理にでも私のもぎたてレモンを──』


『あ。もうこんな時間だ。早く盛り付けしよ。しおたん』


『ッ、ふふ。そうだね、慎一郎きゅん』



 そうして出来上がった料理はニラとしょうがを効かせた牛肉、卵黄、納豆のチャーハンであった。


 小夜よりは全然美味い。美味いのだが、なんだか身体がザワザワしてくるのは気のせいだろうか。


 というか右利きと左利きがダメな方に並ぶと手がぶつかって食べにくいのだが。


 つい、右で食べてしまいそうになるじゃないか。



『慎一郎きゅん、お口にしおたんのおこめ、ついてるよ? とってあげるね。うん、オイスターソースたっぷりでおいしっ。うん? これってさっきのベロチューの話と同じって言えなくもない、よね?』


『ち、違うと思うよ?』


『あっ…! つい食べちゃった…けど…』


『…けど…?』


『康二くんに…バレたらどうしよう…ね?』


『…』



 俺はその言葉にドキドキとしてしまい、とりあえずタクシー呼んで、春のピカ狩りに行こうと思ったのだった。

 

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