第53話
『ぼっちゃん、またですか?』
『はは。短距離ですみません』
『いえ、良いんですけど鍛えた方が良いですよ』
そう言ってくれたのはタクシードライバーの渡会さんである。この人は有栖を運んだ時に世話になった人で、おそらく本当はダメなのだろうが、その時に個人的に連絡先を聞いていたのだ。
この時代すでに人手不足の業界ゆえか、すぐに来てくれたのだ。
俺は俺の身体ゆえ、頼りたい職業ナンバーワンである。
美味しい店も知ってるしな。
寧ろ将来成りたいくらいである。
それもあるが、ここ最近、誰かにつけられているような気がするのだ。
まあ、自意識過剰過ぎる気もするが、念には念を、である。
無茶をしてきた自覚はあるし、何より俺は臆病なのだ。
『しかしまぁ、またぼっちですか』
『違いませんよ』
お分かりの通り、ぼっちゃんはぼっちからきているのだが、割と失礼な人だからか、気が安らぐのである。
そして渡会さんは初老故か、あまりこちらの年齢がわかっていない節がある。
俺がデカいせいか普通に会話をしてくれるのだ。
◆
そうして辿りついたのは例のプールならぬ、例のトイレである。
しおたんにたっぷりの泡でピカピカに磨き上げられた俺の手のひらが疼くのだ。
アイアンクローの相手探しに背中を押されたのだ。
流石は別世界の泡姫と言うべきか、手慣れていた。
なんで?
まあ、しおたんに限らず、各人、才能たっぷりのネトラレラなのだ。このまま運命を乗り換えラレオをマットとかで泡まみれにするといい。
そんなことを考えながら川沿いを上流に向かって歩いていたら、すっかり暗くなってきた。
だからか、道路の向かい側の商業ビルに掲げられた煌々と輝くピンクの看板が目に飛び込んできた。
それは「iQuu!個別指導学院」である。
たしかアイキュー!と伸ばす発音だったと思うが俺にはそうは見えないし、いったいナニを個別指導するつもりなのかと疑ってしまうのは、「ちんすこう」程度で反応してしまう俺の心根が黒光りしているせいである。
『ん…?』
そこに天華が居た。まだ授業中だと思うが、誰かと待ち合わせだろうか。
『海里か…? いや…』
進学スクールはこの辺りに何件かあるが、うちの小学校からはもう少し上がった先にある『東会ゼミナール』のみだったはず。
それに今日は塾の日ではなかったのだろうかと思っていたら、何人かの生徒が出てきた。
どうやら丁度終わったようだ。
『姉さん。一緒に帰りましょう』
『て、天華…』
そう驚いたのは天華の姉、花山院美麗であった。
何度か見かけたことがあるが、久しぶりに目にした。
確か今で中学三年生だったか。
切れ長の瞳にスッと通った鼻筋とシャープな顎のライン、薄灰色のウェーブなショートボブの髪型に私学の薄グレーのブレザーを今風に着こなしていた。
髪型は違うが、今の天華を少しだけ縦に伸ばしたような容姿である。
『いいえ結構よ。お友達と遊んで帰るから』
『はぁ…。何やら良からぬ輩と連んでいるそうで。お母様が心配していますよ?』
『だから何よ。ちゃんと門限には帰っているでしょ』
『姉さんが勝手に決めた時刻でしょう?』
そう諭すように天華は言っているが、天華姉はツンケンとしている。そして何やら場違いなセリフを吐いた。
『…あなたは恋を知らないのよ』
『ッ、…ふ、ふふ…ごめんなさい。あの姉さんが恋だなんて。んふふ。それで許嫁にはなんとお伝えしたのですか? それと今現在の方には?』
『…』
姉さん、だんまりである。
何がどうなっているのかわからないが、どうやら天華の姉である美麗は行き先のわからない盗んだバイク中らしい。
まあ、盗まれたのはハートなのだろうが。
しかし、原作では確か駄目な天華を詰る姉、といった立ち位置だったはずだが、どう見ても天華の方がしっかりしているのである。
その原作も高二の時だったか、幼い頃だったか、少し記憶が怪しいが、花山院家で何かあったのだろうか。
転生後に覚えている限りを書き記したノートはどこかにいってしまったのだ。
おそらく探せばあるのだろうが、本なんて大量に売り買いするんじゃなかった。
慎一郎、反省。である。
それより天華がしっかりした分、姉が駄目になってしまったのだろうか…。
『はぁ……』
『な、何よ! 馬鹿にして! だいたい全部アンタのせいじゃないっ!』
『馬鹿になどしてませんが、今の姉さんは阿呆です。物事には手順と手段があると言っていたのは姉さんですよ』
『…知らないわ』
『それに、花山院家の者が手綱を他者に任すなど、あってはならないとも言っていたでしょう?』
こちらに背を向けているから天華の表情はわからないが、淡々と責める様子はそこはかとなく怖い。
しかし、どうやら彼女は原作より大きく変わったようだと確信が持てる一幕にホッとする。
それにしても、何の話だろうか。原作では手綱を任せっきりというか、メス犬だったのでおまゆーって感じなのだが…。
まあ、そうなると可哀想なのは菊川海里である。
あの様子では苛烈な未来しか見えてこない。
これは搾り取られての種馬早逝コース、だろう。
南ー無ーである。
『信頼と放棄は違うのです。翻って今の姉さんはご自身の目にどう映りますか?』
『くッ…! アンタだって上手くいってないのでしょう!』
それは初耳なんだが?
学校ではイチャイチャこそしてないが、菊川とは上手くいっているとモエミが言っていたはずだが…。
いや、小夜のせいか?
そういえば去年のクリスマスからどこか様子がおかしかった。
我が義妹ほどではないが。
『ふ、ふふふ、ふ。そうですねぇ。でも進捗率はそんなに悪くありませんよ』
天華のその物言いは、細くてうっすい目にしながらニタリと笑って言っているように思えてくる。
あの、たまに見せる悪い顔だ。
本人気づいて無さそうではあるが、恐ろし…いや、頼もしい限りである。
ジーザス、菊川。
『あ、あなたのそれは恋じゃないわッ!』
『姉さん』
『うッ!?』
『…帰ってから聞きますから。今は受験に専念してください。それに隠蔽するにしても、良からぬ輩がいないとも限りませ──』
『おーす〜、ミレイ』
そう言って天華姉に声をかけてきたのはいかにもチャラそうな学ラン高校生だった。
レオとかリオとかラ行で始まりそうなビジュアルである。
ラレオではなく、間男系だ。
『邦夫さんっ!』
姉はそう言うや否や、公衆の面前でクニオの腕に抱きついた。
というか全然チャラそうな名前じゃないんだが。
寧ろ熱血硬派な名前なんだが。
いかん。名前とビジュアルとの乖離が凄すぎて軽く混乱してくる。
オメーその名前ならリーゼント一択だろうがよー。
『ミ〜レイ、てかこの子誰よ?』
『…妹です』
『そうなん? へぇ…こいつが。ま、行こうよ』
『は、はいっ!』
そう言って、二人は仲良く川下の方へ歩いていった。
遠目、完全なメス顔なのだが、ようやく両親以外のエロ漫画風描写が見れてほっこりするのである。
している場合ではないか。
『姉さんっ! もうどうなっても知りませんからっ!』
天華はそう叫んでからため息をついたのだが、俺はそのタイミングで声をかけたのだ。
追いかけないなら好都合である。
『天華』
『慎一郎…!? …見ていたのですか…。えと、これはその…』
『言わなくていい』
『それは…いえ…あっ、そ、そうです! せっかくですし、これからお茶でも──』
『俺に任せろ』
『え? あっ!? 駄目です! アレは放っておいて下さいっ! って重っ!? 少しは痩せなさいっ!』
天華姉のように彼女は腕にしがみついてくるが、おっしゃる通り進撃のデブには無駄である。
しかし流石は天華である。そう瞬時に悟ったのか、今度は手首を掴んできた。
だが、それも無駄である。
俺は瞬間的にその手をところてんのようにして揺らし、スルリと振り解いた。
『あっ!? これは詩織の…?! あの子もう使いこなしてッ!』
何故しおたんだとわかったのかも、使いこなすという言葉の意味もわからないが、彼女に塗られたなんかよくわからないクリームによって、手と手首はしっとりヌルヌルだったのだ。
そうして天華を残して俺は駆けたのだ。
『なんでこんな時だけ素早いのですかっ! もうっ!』
身内の恥は晒したく無いのだろうが、これはつまり俺のせいなのだ。
それに、あのチャラ男は目元がわからないくらい前髪が長かった。
つまりそうなのだ。
NTR系エロ漫画に詳しい紳士諸君ならばご存知だろう。
世に溢れる陰キャぼっち系主人公より、間男系DQNやチャラ男こそが、なっがい前髪界の覇者なのだとッ!
目を描くのが面倒だっただけなのかも知れないが、良い目印なんだなッ!
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