第51話

『寂しくなりましたね』



 そう溢したのは時ノ坂詩織ときのさか しおり


 長い薄紫髪を一つ括りした薄幸の美少女である。


 放課後、家庭科室で部活動が始まろうとしていたのだが、六年生になると、モエミ、雨ノ下さん、堂之上さん、小野寺さんが一身上の都合とかで料理部を抜けたのだ。


 結果最後に残ったのは俺と時ノ坂さんだけだった。


 先輩も居なくなって初めての部活動日なのに、顧問の先生と三人だけである。


 後輩は元々いなかったから仕方ないが、時ノ坂さんの言う通り、なんとも寂しい限りである。


 ちなみにモエミ達の一身上とは、ラレオ達との放課後の下校デートということは田上からのタレコミで知っていた。


 ませやがって。



『時ノ坂さんは良かったの?』


『? ああ、はい。一抜けしましたから大丈夫です』


『一抜け…? 何から?』


『くすっ…女の子の内緒です。でも…ただ春のキャンペーン、とだけ』


『パン祭り的な?』


『パン…はパン祭りなんですけどね…罰ゲームですけど。それより今日のお題は私が決めたいのですが、いいですか? 向井先生』



 時ノ坂さんはそう言って顧問の先生を見た。


 この料理部の顧問である向井先生は、まだ新米の教師だが、料理男子はモテると思い込んでいる少し残念な先生である。


 基本真面目な好青年といった感じではあるが、チャラい茶髪の糸目キャラなのだ。髪色はともかく、だいたいの漫画では実力隠してる系で、どこか微妙に気になる風貌ではあった。



『せんせ…?』


『あ、そ、そうね』



 部活動が始まる前から先生はなんだかずっと浮かない顔である。どうしたのだろうか。反対に時ノ坂さんは少し嬉しそうに見えるのは何故だろうか。



『あー。そういえば向井先生、何か用事がありませんでしたか?』


『お、おおそうだったー。すっかり忘れていたー。時ノ坂がいるなら大丈夫だろうー』


『なんでですのん』


『花岡…キミ、一人ほっとくと食材食い潰すだろう?』


『ちゃんと補充してますが?』



 なんならちょっとずつ増やしてますが?



『そういう問題じゃないよ。とりあえず任せたから』



 そう言って先生は出ていった。ガスではなく電気コンロだから安心しているのだろうが、刃物もあるのだ。使うのに監督者がいるだろうに。


 まあ、給料の割にやることも責任も激重だしな。おそらくは前世の生まれた年代のせいか、今現在の世間での評価はどうあれ、教師というのは聖職者だと俺は思っているのだ。


 それにそれだけ腕と信頼を買ってくれているのだろう。





『私が提案したいのは、受験生に食べて欲しい夜食、です』



 そうして時ノ坂さんはお題を出した。話を聞けば、どうやら従兄弟のお兄ちゃんが今年受験するらしい。


 今更ながら思うが、この部活、結構フリーダムである。実は部活動の始まった四年から五年にかけてモエミ達がいつの間にか先生や先輩方からイニシアチブを奪っていたのだ。


 そして⚪︎×小学校にちなんで多数決でその日のメニューを決めることになっていた。


 そのおかげで他の部に差し入れなどが出来たのだから文句はないのだが、いったいどうやって先生や先輩方を口説いたのか。


 まったくもって謎である。



『夜食、夜食かー…』



 いいじゃない。夜更かしをカロリーに変える手段があるじゃないか。


 偶然とはいえ、棚からぼた餅もぐもぐである。



『俺は賛成だよ。何がいいかな』


『ふふ。でもですね、花岡君ってボリューム多いものばかりじゃないですか。それに二人だけですし…だから私と花岡君が恋人同士として提案し合いましょうよ』



 どうやら恋人に食べさせてあげたいものを作れば無茶をしないと思われたようだ。



『…別にいいけど…いいの?』


『ふふ、康二くんですか? くすくす。あくまでお遊びですよ』



 康二とは笹尾康二。彼女のラレオである。


 まあ、可愛らしい黄色と白のチェックの頭巾にエプロンはおままごと感が否めないし、何より小学生だし、浮気とはならないだろう。


 それに抵抗が無いわけではないがまた練習台といったところか。


 伊達にグルメではないからか、よくみんな食べさせてくれていた昨年が懐かしいのである。



『…わかったよ。じゃあ何がいいかな。…あ。そういえばアレ好きだったよね、時ノ坂さ…』


『しおたん』


『へ?』


『私の事はしおたんと呼んでください。今日は恋人ネームで過ごしますよ。慎一郎きゅん。気分上げていきましょう』



 しおたん? 恋人ネーム? 気分? その設定いる? しかもきゅん? それ転生者には辛いんだが。キュンキュンどころかゾワゾワするんだが。



『別に上げなくても…「私とはイヤですか…?」い、いや、そんな事ないよ。そうだよな。みんないないもんな。わかったよ』



 時ノ坂さんの曇り顔はまあまあ破壊力がある。ゴリ押しとも言えなくもないが、良心の呵責に苛まれてしまうのだ。



『ふふ。ありがとうございます。あ、でも練習はしておきましょう。お料理と同じで下準備は必要ですよね。んん…これを…こうして…。…しおたん、さんはい』


『…え? ああ。し、しおたん………というか今何かしなかった?』


『えっと、少し…ブラを…直してました。最近すぐキツくなって…ごめんなさい、あまり突っ込まないでもらえたら嬉しいです』


『あ…それはごめん。時ノさ「しおたん」し、しおたん…』


『もっと出してっ』


『しおたんッ!』


『大っきくなってきましたね…? でもまだまだ大きく。しおたんっ!』


『しおたんッッ!』


『いい! それもう一回っ! もっと! もっと出してぇっ! 慎一郎きゅん!!』


『し、しおたぁんッッ!!』


『それ! 慎一郎きゅん! いい! それいいです! もっと強くぅ! いっぱい吸ってッ! お腹にッ! しおたんにッ!』


『しぉ"たあ"ぁぁん"ッッ!!』


『きゃぁっ!? そんなに出るんですかっ!?』


『あ、ごめん…つい出ちゃったよ』


『ンン"ッ!? …い、良いんですよ、ふ、ふふ、気にしないで下さい…。いっぱい出してくれるとしおたん嬉しい…』


『そ、そう? 俺は疲れたよ…』


『くすくす…』



 しかしこの子、他の子が居なくなった途端、かなりフリーダムなんだが。普段こんな子ではなかったのだが。



『…ふふ。オナカに響く良き轟きでした…じゃあ交代しましょう』


『マジでやんすか』


『マジです。慎一郎きゅん』



 そう言ってからしおたんは顎でくいくいと促してきた。


 どうやら先程と同じことをしろと言ってるらしい。


 いや、自分で呼ばせるとか俺マジイヤなんだが。恥ずかしさでストレスがマジなんだが。


 つまり俺マジストマジなんだが。


 そう思って黙っていたら次第に彼女の眉が下がって目の端に涙が溜まってきた。


 くッ、俺の罪悪感をこれでもかと煽ってくる…!


 ようし。ならば俺も少しくらい辱めてやろうじゃないか!


 結構恥ずかしいんだからなッ!



『じゃあいくよ? もう一度』


『慎一郎きゅんっ!』


『くッ…、も、もう一度』


『慎一郎きゅんッ!!』


『まだまだぁぁッ!!』


『しんいちろうきゅんっ! いい! それつづけてぇ!』


『ぁ、ああ! 最後にもう一度だッ! しおたん! 搾り出せッ!』


『しんいちろぅきゅぅんッ! やめないでぇ! そのままもっと続けてぇッ!』


『えぇ…? もう十分言ったでしょ。もう終わりにし──』


『まだ! ぃってないです! も、もう少しだから! まだやめちゃダメぇ!』


『わ、わかったよ…でももう一回だけだからね?』


『ッ!? しんいちろぉきゅんッッ!! しおたんもうダメぇぇッッ!!』


『フライングじゃない?』


『早くてぇ…ごめんなさいぃ…』


『いや謝らなくていいけど、えぇ…?』



 なぜ謝られたのだろうか。


 そしてなぜ膝から崩れ落ちるのか。


 ついノッてしまったが、終わるとめちゃくちゃ恥ずかしいのだが…。


 い、いや、それより時間は? 


 早く調理に取り掛からないと下校に間に合わないだろう。



『はぁ、はぁ、はぁ……すごいせいりょう…これで…ふふ。でも、しおたんなんて、康二くんにも呼ばせたことはないんですよ…?』


『あと一時間ってとこか……え? 今なんか言った?』



 彼女は女の子座りをしながら何か言っていた。申し訳ないが、業ストでも無い限り、囁くようなか細い声は俺には聞こえ辛いのだ。



『……何も言ってないですよ。さ、始めましょう』


『いや、まず立ってからしない?』



 座っていては始めるも何もないだろう。



『…たたせても?』


『もちろんいいよ。ほら。両手貸して』


『ッ、あ、ありがとう…ございます…これは初日から大盛りつゆだくで溺れそうです……!』



 彼女は膝を震わせながら立ち上がり、また何事かをぶつぶつ言っていた。

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