幕間 小さな夜のイブ

 イブの夜、小夜は自室のベッドで下の喧騒を聞いて笑みを溢していた。



『ふん、ふふーふーん、ふんふぅふふーん』



 鼻歌交じりなのは、胸一杯に花が咲いていて、お腹なんか空かなかったからだった。


 天井に目を向けると、そこには思い出の写真が張り巡らされていた。


 大事な大切な思い出だった。


 そこに新たな一ページが刻まれる予感に、どうしても笑みが溢れてしまう。


『……んふふっ』


 そうして両手をその天井に向かって掲げ、手のひらを花が咲くようにゆっくりと開いた。


 そこには彼からのプレゼントがあった。


 緑のボックスに赤いリボンがしてあった。


 何もないが、確かにあったのだ。


 だってこんなに熱いのだから。


 小夜はどうしようもなくなって、リボンを解くかのような気分で、机の引き出しの二重底の蓋を開けた。



『大奈、イブとかけてそう…』



 そこにはプレゼントがあった。それは富野塚大奈とみのづか だいなからのクラス女子全員へのクリプレだった。


 人差し指と親指で描くくらいのサイズの歪なL字型のそれには、小さく銀色でGINGAと描いてあった。


 それを手に取り、ベッドに寝転びながら、彼女は目を閉じた。



『最短記録かも』



 そう言って、今日一日を振り返りながら、小夜は小さく夜に耽った。





 クリスマスイブ。


 モールに着いた小夜と菊川はクリスマスツリーの前で、辺りを見渡した。



『そ、それにしても、人が多いよね…』


『そうだね』



 菊川は初めての二人きりのお出掛けに緊張して声が上擦っていた。その様子に小夜は気づいてはいたが、いつものように知らないフリをして愛想よく答えた。


 綾小路小夜にとって、今年のイブの街は暖かい寒さに浮かれているように見えた。


 綺羅綺羅とした光が、目に眩しく映ってチカチカとしていた。


 同じような人ばかりで、本当に嫌になる。


 通り過ぎる度に同じリアクションに飽き飽きする。


 可愛い。可愛い。可愛い。


 そんな事、昔から知ってるから。


 ニコリと微笑めば、大抵の男の子は惚けた顔をする。


 異性だって慌ててしまう。


 慌てないのはクラスの女子としんちゃんだけ。そのおかげで勘違いしなくて済んだのは良かったと今では思う。


 でも例えばこの身体を覆う皮膚を剥いても、みんな可愛いって言ってくれるのかな。


 わたしは言える。


 だってしんちゃんの、真っピンクで可愛かったし。


 そんな事を思い出しながらツリーを見上げた。


 彼女にとって、人混みは攫われた日と同じようなシチュエーションで、ともすれば退屈な日常からの脱却を密かに願う日でもあった。


 だが、隣には好意を向けるクラスメイトがいて、小夜にとってはやはり例えイブであっても日常と変わらなかった。



『…小夜さんは、なんで今日誘ってくれたの?』


『だって菊川君、誘って欲しそうだったし』


『えっ…』


『ふふっ、嘘だよ。イブだし…ね?』



 そんな小夜の言葉に、目を逸らしながらいちいち大袈裟に照れる菊川の態度を見て、小夜は気づかれないように溜息を吐いた。


 別に嫌ではないし、自分のせいではあるのだが、中身が誤解されたままなのはどうなんだろうと少し辟易としていた。


 女の子にはママ派と姫派がいる。


 一人を掴む女の子と、多くから選ぶ女の子だ。


 だけど、完全に白黒色分けされてるんじゃなくて、ママ70姫30、ママ50姫50とか、比率はまちまちだけどそれぞれあって、たぶん菊川くんはわたしを姫派100だと思ってる。


 まるでカグヤ姫だ。


 小夜はもう一度溜息を吐いた。だが、浮かれている菊川はやはり気づかなかった。



『そっ! そ、そっか! な、何かクリスマスのプレゼントを送りたいんだけど、欲しいものはある?』


『欲しいもの…』



 ああ、これもしんちゃんの本に書いてあったやつだ。欲しいものと言いながらの、責任の放棄ってやつ。


 熱のこもる菊川の瞳に、小夜は溜息を我慢した。


 先程のママ派姫派の話は慎一郎の書棚から借りパクした「モテる女とは」というタイトルの本で、その内容は実質的には女への男の勘違いを書き綴った本だった。


 レビューにはモテたい男こそ必読と書いていたのだ。


 それは前世の自身を想像して怯えていた慎一郎の先行投資であった。


 だが読む前に小夜に没収されていて、その事を慎一郎はすっかり忘れていた。投機に懸命で小夜は放って置かれて拗ねたのだ。


 その間ずっと読んでいたのだが、慎一郎は気づかなかった。


 何かに夢中になった男とはそういうものだとそこには書いていて、なるほどこれかと小夜は思い、ますますのめり込んだのだが、中にはこんな男はNOと赤裸々な大人の体験談もあり、間違っても小学生が読むものではなかった。


 慎一郎の立場なら死ぬほど恥ずかしい話だが、すでにクラスの女子達にはその本は回されていて、後の祭りであった。


 慎一郎の母、花岡理佐は、産休明けからメキメキと上がる女子生徒の国語力に不思議に思いながらも嬉しく思っていた。


 だが、ふと原因を突き止めてみれば、すでにそれはボロボロになっていて、何とも言えない溜息をついたのは余談である。



『んー…そーだな…〜菊川くんとお揃いのものが欲しい…かな?』


『そ、そうなんだ…あはは…嬉しいな…』


『ふふっ、学校に持って行ったらなんて言われるかわからないよね…』


『そ、そうだね…それはまずいね…』



 菊川のその言葉と真逆な態度を見て、小夜はやはり白けるのかと自身の心に聞いた。


 ない。熱はやっぱり浮かばない。


 しんちゃんはいつもあったかいのに。


 けれど、どこか達観していて、諦めて冷めていて、こんなお揃いな二人の、絆が欲しくて、いつか見たあの顔に会いたくてこんな事を続けていた。


 このデート自体は天華に頼まれたことでもあるけど、最近めっきり見せなくなったあの変な顔に会いたいのだ。


 あの時浮かんだ熱量に。


 わたしはまた会いたいのだ。


 遅れて気づいたのは自身の落ち度で、いくら無邪気に振る舞い、いじってもいじっても空回りしてもう見せなくなったあの顔に。


 理佐先生を真似てお姉さんぶっても駄目だった。冷たくしても反応は少し。唯一熱があったのは他の男の子と話していた時だった。


 だからイブにこんな事になってるのに。


 ほんとあのエロインキャオタゲーマーめ。


 ……ギリリ。


 小夜は奥歯を鳴らし肩掛けの小さなポーチのベルトをギチギチッと強く握りしめた。


 まあ、高校生までは好きにさせてあげようか。


 でもほんといつも非常識なんだから。


 非日常ばっかりでほんと信じられない。



『…ふふっ』


『小夜さんってたまにそんな風に笑うよね』


『そ、そう? 恥ずかしいな…』


『やっ、全然! 全然だから!』


『ふふっ、優しいんだね…』


『い、いや…あはは…』


『…』



 …はぁ。


 そろそろ冷たいの、解禁してあげようかな。でもわたしがどれだけフォローしてあげてると思ってるのかなんて知らないしなぁ。


 いろいろ表に出さないのは苦労するんだから。


 愚痴を言っても仕方ないし、苦労なんてわからないだろうけど、共犯者って無限に増えるんだからね。


 はぁ。


 あの時あんなに煽るんじゃなかったかな。


 男の子って思い込んだら頑なだけど、女の子は例えば一時間前とは丸っきり変わるって事を、しんちゃん達は知らないんだよね。


 とりあえずいくら言っても聞かないけど、肥満だけは規制しなくちゃいけない。


 パクパク美味しそうに食べるのを見て、最初は楽しくしてたけど、だんだんと狂気に見えてきて軽いトラウマになったし。


 見ないようにしてたらあんなになっちゃったし。


 あのままだと絶対早く死んじゃうし。


 はぁ…やっぱりみんなを頼ろうかな…癪だけど。


 しんちゃんったら何やらまたシコシコ企んでるんだよね。


 まあ、ナナメ上の日常は楽しいけど、ちょーっと今度のは権力が必要かなぁ。


 小夜はクリスマスツリーを見上げた。


 あー…まともな女の子がわたしだけっていうのも、ほんっと不幸。


 不幸。不幸。不幸。


 転じて、生きる幸せ。


 だからわたしの心を黒字にするために、しんちゃんの大赤字でいつか埋めてね。


 あんまり聞き取れなかったけど、しんちゃんも……そう言ってたよね。


 使えない義妹よね。


 でもそろそろ萌ちゃん辺りが動きそうかな。


 そうなったらクリプレだろうな…ランク何だろう。でも最低ランクでも四年生には耐えられないんじゃないかな。


 可哀想…でもないか。


 そういえば随分と髪を触らせてあげてないなぁ。


 しこしこも。


 あー。クリスマスプレゼントにいいかも。



『綺麗…』



 小夜は幸せの象徴みたいなツリーの大きな銀星に、感動したかのような笑顔を浮かべながらそんなことを思っていた。


 菊川はその横顔に見惚れていたが、小夜の頭の中は慎一郎とのお風呂の思い出で一杯だった。


 彼女の中では、良い思い出に書き変わっていた。むしろ漢にしたのはわたしだくらいに思っていた。


 そんな時、ある集団に絡まれた。


 そして茶番を見せつけられた。


 菊川は本当に怖くて震えていたが、小夜はその茶番におかしさしか感じず、笑いを堪えて震えていた。


 彼女には絶対に笑ってはいけないシーンと、人の熱量がわかるのだ。


 常に本気で懸命な彼を見てきたから、それが本気か嘘かどうかなど、わかるのだ。


 わたしにはしないけど。


 そうして、二階竜也という男の子に出会った。





『…んん"ッ❤︎』



 あの時の、慎一郎のその歪んだ情け無い顔に、いや、自身に対する熱量に、小夜はまた再び出会えたことで、タッと軽やかに駆けたのだ。


 イブの夜をパタタッと軽やかにかけたのだ。



『はぁっ、はぁ、ん、ふはぁー……あーそういえば…』



 枕元から黒い手帳を取り出しながら小夜は小さく溢す。


 そこには小さく「さよ」と書かれていた。



『…あの人も…慌てなかったな…』



 そう呟いた時、隣の部屋に明かりが灯った。


 そうして、帰宅した慎一郎の部屋を窓越しに眺めながら、また短い吐息を吐いたのだった。

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