小学六年生

第48話

 そこは四畳半みたいな狭い部屋だった。


 色を失ったような世界で、哀愁を感じさせるような和室だった。


 一つの壁には大きな机が二つ並んでいて、四人掛けの座卓が真ん中にあった。


 もしかすると六畳か八畳はあるのかもしれないが、本や紙屑がごちゃごちゃと散乱していてよくわからない。


 パースもどこかゆらゆらと狂っていて、ここが現実ではないと主張していた。


 その座卓に灰色に塗り潰されたシルエットだけの男女が二人対面で話をしていた。



「憔悴って言うのかしら。酷い顔をしてるわ。ちゃんと食べてるの?」


「……仕事で追い詰められていてね」



 長い髪の女は労わるようにそう言って、ボサボサの髪の男は絞り出すように声を出した。


 二人とも二次元のようにペラペラで、まるで紙芝居とか人形劇を見せられているようだった。


 年齢などもわからないが、声から判断すれば20代前半くらいだろうか。



「ふふ。そんなに興奮してくれたんだね」


「そんなこと…」


「でも仕方ないわよね? 彼女だったのに、女として見てくれなかったもの」


「……」



 さっきとはまるで違って女は男の話も聞かず、話したいことだけ話していた。そのどこか馬鹿にしたような言い方に、男は言葉につまった。



「…それで、僕に何の用? 用がないなら帰ってくれないか? 今忙しいんだ」


「ふふっ、何を焦ってるの? でもやっぱりね。あなたってただのマザコンだったのよね」



 そんなことはない。


 そう言おうとしてるのはなんとなくわかるが、男は否定を口にはしなかった。


 これはいったい…なんだ?


 何の話だ?



「そんなに驚いてどうしたの? んふふ。んー、なら私がママになってあげようか?」


「…え?」



 表情は依然として伺えないが、その男のシルエットには驚きよりもどこか安心が見てとれた。



「ふふ、養子はどうかしら。彼に聞かないとダメだけど、多分面白いって言ってくれるわ」


「たっちゃんが…」



 たっちゃん…? たっちゃんだと…?



「あら…ふふ。元親友と元彼女の息子になるなんて馬鹿な話なのに…」



 どこかそれを言ってくれるのを待ち望んでいたかのような、男として相当に情け無い表情を浮かべていたのか、はたまた嬉しそうなのか。


 彼女は呆れたようにして鼻で笑って言った。



「ふふ、しんちゃんってほんとどうしようもないわね」





『うわぁぁああッッ!!』



 カーテンの隙間から細く溢れる春の光が朝で夢だと教えてくれるが、まだ暗い部屋のせいで少し時間が掛かった。


 脂汗に動悸、それが落ち着くまで帯状の光の中のキラキラしたチリを眺めていた。



『──はぁ、はぁ、はっ、はっ、はぁ』



 悪夢である。


 いや、そんなものを通り越して甚だ恐怖であった。


 何だあの慎一郎氏のNTR後的な話は…


 当たり前だが、そんなものは知らない。


 基本的に邪神漫画の主人公はネトラレラなのだ。


 ラレオのその後など描かれないのだ。


 これは俺が作り出した夢なのか?


 いや、これは邪神による啓示なのか?


 やはり俺はこのままあんな未来に…?


 嫌だ。嫌だ嫌だ。


 そんなのは断固絶対ノーである。



『そんなものは…認められないぞ…』


『何が認められないの?』


『うぉっ!?』



 その時ベッドの足元から声が聞こえてきた。暗闇に紛れてわからなかったが、ぽっこりお腹越しにひょっこりと黒い何かが見えていた。


 俺のナニではないそれは、ゆっくりと光の帯に浸ってくる。


 小夜だ。



『おはようしんちゃん。…? そんなに驚いてどうしたの?』


『ヒッ!?』



 つい悲鳴が溢れたが、さっき見た夢と同じように感じて怖かったのだ。



『ム。せっかく起こしに来てあげたのに、そんな態度はないんじゃない?』


『あ…、そ、そうだね。さーちゃんおはよう。そしていつもどうもありがとう』


『はいおはよう。どういたしまして。ふふ、何その律儀』



 あのクリスマスから小夜は少しずつ態度が柔らかくなっていった。


 そして六年生に進級する前から朝起こしに来るようになっていた。


 もちろん俺は寝坊などしないし必要ない。


 だから最初の頃は普通に起きていて着替え中に鉢合わせしてしまい気まずくなったのだが、今度はまだ暗い明朝に起こしに来るようになった。


 だが、俺は寝てるところなど見られたくないのである。


 額に「肉」とか「米」とか好物全般を書かれてしまうのが嫌だったのだ。


 だからイタチごっこみたいな早起きバトルになってしまい、ここまでこだわるのはなぜなのかと行き着いた答えは毎度お馴染みアレであった。


 原作におけるラブコメパートの回想シーン、小学校時代に始まる幼馴染の寝起こしである。


 原作では全員が全員するわけではないのだが、調べてみると、オムニバスクラスのせいかほぼ祭りと化していて、小夜も何故かこれに参加していた。


 世界の強制力と言えるかはわからないが、クラス女子の中で孤立気味の小夜が、眠たげな目を擦りながら起こしにくるのはみんなと仲良くする為では? と俺は夜更かしを解禁したのだ。


 おかげで生活サイクルが狂い、朝に目が覚めないのだ。


 眠い、だるい、重いと倦怠感も激増していた。


 ようやくの春なのに精神的なデフレが辛い。


 そんな事を思い出していたらいつの間にか小夜は立ち上がっていて、その光の帯から抜け出していた。


 暗闇の中、薄暗いシルエットと目の輝きだけが見て取れた。


 夢のようでなんか怖い。



『…美味しかった?』


『…え?』


『よだれ。ふふ。どうせ食べ物の夢でも見てたんでしょ? こんなの認められなーいって』



 よだれ…? 


 すぐに口を拭うと確かに垂れていた。


 あんな悪夢を見たからだろうか、なんか口が苦い。


 嘘だろ…。


 俺はまだこんなにも業に囚われているのか…。


 しかし、あの夢はいったい…。



『そろそろ本当にダイエットしないと駄目だからね』



 またそれか…。


 どうやらクラスでも俺の体は問題視されたらしく、今年のバレンタインは母上殿からのみであった。それもどうかと思うが、毎年もらっていた子から無いのは寂しい限りである。

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