さよなら神様

朱々(shushu)

さよなら神様


 2019年7月上旬、朝、目が覚めると喉が尋常じゃないほど痛く、思わず両手で押さえつけた。まるで、火傷のような痛み。耐えられない苦痛。

「あー、あー」と言ってみても、出ているのか出ていないのかすらわからなかった。

 なんだこれは、なんだこれは。こんな痛みは初めてだった。

 とにかく痛くて、涙が出た。病院にすぐ駆け込んだのは言うまでもない。

 腫れと痛みで、その日、私は声を失った。

 薬を飲んで一週間経っても治らなかった。




 ずっと、販売業が好きだった。

 ずっと、接客業が好きだった。

 ずっと、販売員としてやりがいを感じていた。それなりのプライドだって持っていた。

 販売員でいる自分が好きだった。なにより、お客様の笑顔が力の源だった。「ありがとう」がなによりの支えだった。


 2019年夏からの声の不協和音。転職による環境変化への不適応。メンタルが徐々に崩壊していく日々。健康診断での悪い数値。文字通り心身共に病み、そのときの仕事は2020年3月に退職を選んだ。自分でも「病んでいる」と確定していいのか、分別かつかないくらいの脳みそだった。

 霞む景色が脳内を占め、「逃げ出したい」という思いがなによりだった。あんなにも、好きな販売業勤務のはずだったのに。

「ここが瀬戸際で、限界だ」 そう、自己判断をした。




 高校生のとき選んだ初めてのアルバイトでは、お金の数え方も渡し方もわからなかった。お客様がお帰りのときの「ありがとうございます」すら詰まらせてしまい、後ろから「ちゃんと最後までしっかりと言う!」と喝が入った。

 数日後思い通りの挨拶が出来たとき、「できたじゃん!」と同じ先輩がニヤリとした顔で褒められたことは今でも忘れられない。


 ひとつひとつを教えてもらいながら、学びながら、自分が自然に出来るようになったときは達成感があった。お客様からの「ありがとう」や「がんばってね」が嬉しく、なによりのやり甲斐だった。失敗が続いても、それで帳消しになった。

 学生時代から長期短期と様々だが、いろいろなお店で働いてきた。一緒に働く人々も様々で、短期だと特に人生経験が面白い方が多かったように思う。その人たちと話すのも楽しかった。


 なぜ自分がこんなにも販売接客業を選んでいたかというと、それはやはり、「楽しい!」「好きだ!」「嬉しい!」と感じていたからだと思う。

 お客様に直接会える機会を、私は存分に楽しんでいた。


 なぜ自分は、こんなにも販売接客業が好きなのか?


 原体験で思い当たるのは、幼少期である。

 盆と正月は特に人の入りが激しい祖父母の家、そこの初孫として生まれた私は、小さいときから大人と過ごすことが多かった。

 孫としてどう振る舞えば正しいのか。どんな態度でいれば好かれるか。今年の声色はどんな感じでいようか。なんだか自分が、大人たちを手のひらで転がしている気分だったのだ。

 そして、祖父の人付き合いや面倒見の良さ、祖母のおもてなしの力を間近で見ていたのも、「人に喜んでもらう」という行動指針のお手本だったと思う。祖父と祖母はいつも人のために動いている人だった。


 高校時代に初めてお給料をもらった日、幼少期からの術が全てお金になる体験に目から鱗だった。機嫌を伺い、それに合う言葉を添え、相手は喜ぶ。私は自由に使えるお金が手に入る。それは、WIN-WINの関係だと思った。

 自分の幼少期が原体験ではないかと気付いたとき、目の前の景色が晴れたように感じた。

「接客業は、私の武器だ」

「接客業は、私の換金術だ」 そう、思った。




 楽しく充実しながら働いていた日々が壊れ始めたのが2019年夏、喉の不調だった。冒頭の通り、ある日突然声が出なくなったのである。

 呼び込みやお客様との会話に自信があった私にとってそれは、完全に致命傷だった。武器を奪われた戦士に成り下がった。

 本当に、何も出来なくなってしまった。


 はじめに病院へ行ったときは喉の腫れと痛みでその薬を飲んでいたが、何日経っても治らない。

 別の病院に2〜3回変えてみたが、なんにも変化がない。

 声が、どんどんどんどん掠れ声になっていった。

 静かな場所じゃないと自分の声が届かない。耳を澄ましてもらわないと自分の声が伝わらない。筆談やボディランゲージも込めないと、意思疎通が出来ない時期すらあった。


 やっと見つけた喉専門の病院に通うようになり、言われたのは、「喉が声の出し方を忘れているね」「喉の筋肉が衰えているね」ということだった。

 7月の痛みから3ヶ月強経ったころだった。


 それからリハビリを始めるようになり、少しずつ声が出るようになった。一時期の全く出なかった頃と比べればまだマシなほうである。そのくらいのレベルだった。




 声が出なくなった2019年の年末。私はとあるサラダ屋さんへ買い物に行った。マスク越しに、声が小さい私が思わず店員さんへ「声が上手く出なくてごめんなさい」と、ジェスチャー混じりで伝えた。するとスタッフのお姉さんが、「いえいえ! 早く風邪、治るといいですね!」と満面の笑みで答えてくれた。私は驚き、「はい」とも「うん」とも言えなくなった。


 帰り道、その優しい言葉を何度も何度も噛み締め、冬の冷たい風に当てられながら泣きそうになった。お姉さん、私のこれ、風邪じゃないんです。でも心配してくれて、本当にありがとうございます。優しさに感謝と複雑さを持ち、家に帰ってはサラダを食べた。

 優しい人間もいるんだということを、身をもって知った。




 前述通り、2019年1月から働いていたお店は2020年3月末に退職した。声が出ない人間など、用無しである。お客様から罵声も浴びた。先輩から耳の痛い言葉ももらった。

 それなのに、それから2021年1月、「もう一度、販売・接客業がしたい!」と思うようになった。思うように、なってしまったのだ。

 私には、これしかないと思っていたから。


 だが悲しみは続いており、2020年から世界中で新型コロナウイルスが蔓延していた。

 2021年になっても、人々はマスクが必須。私はメガネをかけ、フェイスシールドかマウスシールドを付け、時に手袋もした。レジには透明のビニールシートも付いた。


 マスク越しの接客に自信がないわけでなく、だが、幾重にも重なる様々なモノに自分が封印された気分になった。本当は出るはずの声も、負のループに陥った。

 張って声を出しているつもりでも、「え? なに?」と何度も聞き返された。

 自分の無力さ、非力さ、頼りなさ、他者への頼れなさに、何度唇を噛んだことか。この時点の私はまだ、負けたくなかった。これまで通り、クリスマスイブもクリスマスも、三が日に出勤しても、楽しさが勝っているはずだった。


 その後も新型コロナウイルスと併走するようになった私たちは、外出自粛や行動制限が発生していた。けれど、お客様はいる。お店が開いている以上、お客様はいらっしゃる。


 濃厚接触者でも14日間待機するなか、マスクがニューノーマルになるんだと思っていた。

 でも、現実は違った。

 体感だが、10人いたら8〜9人はマスクを着け続けていたように思う。

 非情なことにそれ以外の人は、マスク無しや顎マスク、近距離で突然マスクを外す方もいた。くしゃみをするのにマスクを外す方すらもいた。マスクを外して大声で電話をしている人もいた。

「マスクは体に悪いんだ!」と来店され、暴れたご家族もいた。


 この国はどうなってしまったんだろうと本気で思った。

 2021年の夏だった。




【お客様は神様です】


 その「お客様」は本当に限られた方々であり、選ばれた方々だと感じた。

 【神様】は少ないからこそ尊い存在であり、心の支柱なのだ。無宗教ながらしみじみと思う。


 怒りに満ちたオーラでお店に入ってきたかと思えば、明らかに理不尽に怒鳴り散らす人。

 同じ話を延々と繰り返し、正直なんのクレームすらわからない人。

 商品に関する質問と自分の人生の話を織り混ぜ、最終的にはご自身の仕事の愚痴を話す人。


 私たちは、あなたたちのサンドバッグですか?

 なんのためにあなたたちは、お店に来ているんですか?

 あなたたちと同じように、私たちも「人間」なんですよ?


 2021年1月からの新しい職場では、そんなことが多く続いた。




 2021年、9月。

 体調不良が重なり、駅のホームで倒れた。

 通りすがりの方や駅員さんのおかげで救急車を呼んでもらえ、意識が薄れるなか、「あ、もう無理だ」とよぎったのが私の本音だったのだろう。

 その頃、拒食症でもないのに嘔吐を繰り返し、体重は7〜8キロ減っていた。


 体が痛い。内臓が痛い。立ち上がれない。声が掠れる。喉が痛い。もう出来ない。


 もう、【神様の使い】は出来ない。


 もう、【神様】のために、身を削れない。






 販売接客業のうえで、心が麻痺する場面はたくさんあった。


 万引きをする人。

 片っ端のぬいぐるみに頬擦りをして写真を撮るだけ撮り、平然と帰る人。

 連れには優しいのに、店員に威圧的な態度を取る人。

 お店へ電話をかけてきて、1時間以上も「お前たちのお店は、」と上から目線で物申す謎の人がいたこと。「これからもお前らのことを見張ってるからな」と言われたこと。

 店内飲食禁止のなか、アイスコーヒーやタピオカをなんの躊躇いもなく商品棚に起き、いつ倒れるんじゃないかとひやひやしたこと。

 サンプルのボールペンでこそこそと誕生日カードを書いている人。

「いらっしゃいませ。こんにちわ」とお声がけをしたら、「今こんにちわって言ったか? 俺とお前は知り合いか?!  違うだろ!」と怒鳴られたこと。

 声が悪化してからは、「お前の声じゃ聞こえないから他の奴呼んでこいよ!」と店中に響く声で言われたこと。

 コロナ禍になってから来られたのはあなた方なのに、レジのため店内へお願いしますと促すと、「今あそこ密だから行けないわ」と言われたこと。




 数えきれないほどの「ありがとう」と、お客様からのお言葉が幸せだった。


 いちスタッフの私の名前を覚えてくれるお客様がいたこと。

「あなたが担当してくれてよかった」と言ってもらえて、わざわざお菓子の差し入れをくださるお客様がいたこと。

 テナントのご意見ボックスに、明らかに私宛てだろうという感謝の気持ちをお客様からいただけたこと。

 再来店してくださったお客様がわざわざ私を指名してくださり、親身になってお話が出来たこと。

 私の「ありがとうございました」に、「お世話様でした」と添えてくださるお客様がいたこと。

「助かったよ〜! サンキューな〜! また来るよ〜!」と豪快に感謝を伝えてくださるお客様がいたこと。

 以前来てくれたお客様が、「あなたに会いにきたのよ」と再来店してくださり、「この道を通るとき、あなたがいないか、つい探しちゃうの」とお言葉を頂いたこと。




 それ以外にも、ほほえましいお客様のエピソードはたくさんある。


 アパレルの色で迷われてる方へ、新しいお色味を試してみてもらい笑顔になってくださったお客様がいたこと。

「また来てもいい?」と緊張が伝わるように話してくださった小学生のお客様。

 はじめてのおつかいで、ウチのお店を選んでくれた小さなお客様がいたこと。

 ホワイトデーのお返しに何を買おうか迷っている少年から、相談を受けたこと。

 プロポーズのプレゼント選びで、迷ってるお客様の背中を押せたこと。

 これから生まれてくるお子様の最初のお友達として、ぬいぐるみを選んでくださったご夫婦様。


 もっともっとこれ以外にも、たくさんの愛と感謝をくださった【神様】が、たくさんたくさんいらっしゃった。

 どんな言葉にしても、私の語彙力じゃ上手く伝えられない。


 私は、【神様】を、愛していた。

 姿も、声も、顔も、形も、出立ちも、会話も。

 すべてを愛していた。

 けれど、愛せなくなってしまった。

 その愛を手放すしか、私自身が生きる未来が見えなくなってしまったのだ。




 長所と短所、楽しさも苦しさも半々に身に染みさせながら、2021年1月から勤めていた接客販売員を2022年2月末に辞めた。

 もう、辞めるしかなかった。

 内外の罵声にも、配慮の無い声にも、耐えられなくなった。


 そしてそれは、【神様の使い】を辞めることと同義語である。

 

 私に出来る、精一杯の選択だった。






 神様。私の前に来てくださってありがとうございます。救いと希望をありがとうございます。その笑顔が、私のパワーでした。


 神様。もしかしたらもう二度と神様にお会い出来ることはないかもしれません。ですが、今度は私が誰かの神様になれるよう、日々を過ごしていきたいです。


 神様。ほんの一瞬、一期一会だったけれど、短い時間で幸福をくださり本当にありがとうございました。


 2023年11月、今の私は、違う仕事をしてなんとか生きています。声はまだ、大きな声が出せません。続けて出すと痛みが生まれてしまうのです。掠れ声にもなります。これからも、リハビリを続けていこうと思っています。




 神様、さようなら。

 ずっとずっと、心の底から愛していました。


 誰もが【神様】な世界であること。そして、ひとりでも多くの販売員さんの心が救われることを、この世界の片隅から願っています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さよなら神様 朱々(shushu) @shushu002u

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ