第12話 かにーー! かにかにーーー!

「かにーー! かにかにーーー!」


私が自宅に帰ってきたら、妻が叫んでいる。

妻は今日も元気である。


妻の手には赤い物体が握られており、その物体を振りかざして私に切りかかってきた。

妻は「うわー、やられたー」を期待しているのだろう。私はやられたフリをする。


「それ、何持ってるん?」

「かにーー!」

妻は赤い物体を指さして言った。


よく見たら、私に切りかかっていたのは冷凍タラバガニの足だ。結構デカい……


1本でも痛そうな冷凍タラバガニの足が、数本まとめてパックされている。

1本では大した威力はないかもしれない。でも、数本集まれば凶器と化す。

毛利元就の三本の矢を想起させる……


そうこうしているうちに、妻は冷凍タラバガニの足で再び私を攻撃すべく、前進してきた。


ここは妻の注意を逸らさなければならない。私も暇ではないから、エンドレスに「うわー、やられたー」をする時間はないのだ。


「次の字は『蟹(かに)』にする?」

「無理やろー。そんな難しい字、書き終わるのにどんなけ掛るねん」

「1分くらいかなー?」

「そんな長い間、ジーッと見る奴はいーひん。長くても30秒以内に抑えなあかん」


一応説明しておくと、妻は書道動画をYouTubeに投稿している自称ユーチューバー。正確には、もうすぐ登録者が100人超えるかどうかの弱小ユーチューバーだ。

私は妻のアシスタントとして、妻の書く動画を撮影、編集、YouTubeに投稿している。


うまく妻の注意を逸らせたようだから、私は冷凍タラバガニの足について確認することにした。

我が家では普段カニを買わない。そもそも、日常的にカニを買う家はないだろう。

カニの出所が気になった私は妻に尋ねた。


「それ、どうしたん?」

「〇〇さんが送ってきた!」


〇〇さんとは、この前書いた元部下だ。

私が妻のプレッシャーに負けてしまい、結婚のお祝いを減らした……その彼だ。


「内祝いやってー。他に、イクラと黒毛和牛が入ってたー」

「へー、すごいなー」

「イクラ1キロ、黒毛和牛1キロやでー」


妻はご機嫌だ。

この前の食事会で、彼に「カニ送れ」と言ったことが功を奏した。

「私の手柄やろー」と言いながら実に満足そうな顔をしている。



『内祝い』は半額返しと言われている。

そうすると、彼は◯円分の食品(カニ、イクラ、牛肉)を送ってきたのだろうか?


――いや、それはないな……


私は彼の性格をよく知っている。人のために金を使わない。

うちの妻は「慶応出身者はケチばっかりや」とよく言っている。そんな彼も慶応出身者だ。


※あくまで妻の主観です。そういう慶応出身者ばかりではないと思います。念のため。



それにしても、この時私は彼から初めて何かを貰った。


今まで食事に行っても私が100%払っているし、私から物をあげたことはある。

彼からプレゼントを貰ったことも、食事を奢ってもらった記憶はない。

改めて思い返しても一度もない……


金額はどうでもいいのだが、彼もやっと普通の振舞いができるようになったのかー、と感慨深いものがあった。


なぜ私がそう思うのかを、いちおう説明しておこう。


***


読んでいて違和感を持つ人がいるかもしれないので、先に前提を説明しておこう。


私は会社の代表者をしていて、彼は私の会社に10年くらい在籍していた。


うちの会社は社内で食事に行くときは、私がお金を100%出す。私と社内飲み会やランチに行くのは、一緒に行く人にとっては仕事の延長だ。仕事の一環だから職員がお金を出す必要はない、と私は思っている。

だから、うちの会社の人たちは社内飲み会に参加して、一度もお金を払ったことがない。


前置きはこれくらいにして話を進めると、うちの会社ではたまにこういうことが起こる。


社内の小規模な飲み会でイタリアンレストランに行った。参加者は5~6人くらいだったと思う。2~3時間飲み食いして、お会計になった。

もちろん、私のところに伝票がきた。


「マジで? 10万もすんの?」


この人数だったら5~6万くらいかな?と思っていたので驚いた私。

合計金額の上に表示されていたオーダーの中身を確認した。


“赤ワイン 単価23,000円 数量2 金額46,000円”


どうやら、調子にのってワインのボトルを2本開けた奴がいるようだ。

しかたなく、私はいつものアレをすることにした。


「みんなー、席について目をつぶれー!」


クスクス笑っている参加者がいる。もう恒例なので、何のことかみんな分かっているのだ。

私は飲み会の参加者が目をつぶったことを確認して言った。


「この中に、1本23,000円のワインを2本注文したヤツがいるみたいや。いまやったら怒らんから、注文したヤツは手を挙げろ!」


既視感のある光景だと思う。小学校の先生がよくやるアレだ。


私がテーブルを見渡すと……2人がゆっくりと手を挙げた。

いつもの2人だ。慶応出身の……


彼はその2人のうちの1人。


うちの会社は、誰も仕事しに来ている感覚がない。

遊びに来ているとしか思えないことが、しばしば……これ以上続けると長くなるので、この辺で終わりにしよう。


そういうわけで、彼からの内祝いは半額返しではない、と私は思っている。


でも、カニありがとう!


<続く>

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